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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.33「芸能人・文化人が愛したプーマスパイク編」

最近では、サッカー選手が一般のテレビ番組にゲスト出演されたり、華麗なサッカー歴をお持ちの芸能人がサッカー関連の番組でコメントしたり、往年の技術を披露されることは珍しくないと思います。しかし、サッカー界そのものがマイナーだった80年代の日本では、著名人とサッカー選手の交流はとても稀でした。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2019/02/22
前回、プーマ社所蔵の貴重なサッカースパイクアーカイブについてご紹介し、印象に残った2種類をピックアップさせていただきました(図1右)。 どちらも80年代後期のモデルですが、当時としては比較的派手なデザインです。 

取替え式モデル(右上)のプーマラインのサインはおそらくマテウス選手のものだと思います。マテウス選手のスパイクについてはいずれ書きたいと思いますが、このモデルを履いていたかは不明です。 

どちらのモデルも有名な選手が使用していた記憶はないのですが、固定式(右下)は当時マイナーだった日本サッカー界を盛り上げようと奮闘していた著名人の方々が履かれていました(補足:固定式はプーマスパイク好きのブラジル・ジュニオール選手がトリノ在籍時に履いていました)。

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図1 巻頭写真及び左は「ザ・ミイラ」の活動に関する本のカバーです。ザ・ミイラは大のサッカー好きの漫画家・望月三起也先生が発起人となり80年代に誕生したタレントサッカーチームで、当時(現在も)、超メジャーな方々が所属されていました。

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図2 ザ・ミイラのエースプレーヤーのお二人で、芸歴・サッカー歴に関しては言わずもがなです。ザ・ミイラの試合は日本リーグの前座などで行われましたが、プーマが協賛していたことが多く、選手が身につけている物からボールまでプーマ製品でした。お二人とも当時のプーマ高級スパイクを履かれていたようです。   

図1右下の固定式及び図2の試合のさんまさんのスパイクはメキシコティーム(チーム?)という高級モデルで、28000円もしました(図5右下)。木梨さんのスパイクはおそらくWMメヒコだと思います(図2右)。 

木梨さんはご自分のサインを「Pelé」と書かれますが、理由を下記のように語られています。 なんかニュアンスで覚えてたの。「PUMA KING」ってスパイクにペレのサインが入ってるんだけど、なんとなく覚えてたそのサインを書いてるだけで。」
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2018/07/28/106689/
おそらく図3左上のことだと思いますが、私より少し上の世代の方はやはり「PUMA KING」=「KING Pelé」なのですね。
   
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図3 キングペレ復刻版のトレシュー(左)とスパイク(右)。

  当時引退されたばかりの釜本さんもミイラの助っ人としてプレーされたことがあります。

図4左は、このコラムでも何度か取り上げた釜本さんの引退試合が行われた頃(84年夏)の雑誌「Number」の表紙です。確か初めてのサッカー特集号で、日本の神の話題も載っており(図4右)、嬉しくて購入した覚えがあります。

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図4 総合スポーツ誌「Number」初のサッカー特集号。当時のサッカー選手の立場をよく表した記述があります(右)   
さて、さんまさんのみならず、望月先生も履いていたメキシコティームと同時期に販売された取替え式は日本のカタログでは固有のモデル名はなかったようです(図5左下)。

しかし、海外では「Maradona World Cup」という名前だったようです(上)。

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図5 この頃のプーマスパイクのモデル名は側面に印字されていますが、上の写真では「Maradona World Cup」と書かれているようには見えません。   

固定式のメキシコティームは実物を見たことがありませんが、取替え式は状態の悪い中古を入手したことがあります。ただ、入手後すぐに、「MADE IN WEST GERMANY」表記のシュータンと、かかとのプーママークの部品取りとして破壊するという暴挙をはたらいてしまいました(
https://ameblo.jp/lanbook/entry-12188456471.html)。
 

その後、結構レアなモデルということを認識し、再度修理してもらいました(https://ameblo.jp/lanbook/entry-12358891510.html)。  

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図6 モデル名は「GRAS CAT」と記されています。強烈なヒールキックができそうなかかとです。   

ザ・ミイラに話を戻すと、発起人には望月先生、さんまさんの他にビートたけしさんもおられました。当時でも既に超メジャーな芸能人のお二人が、サッカーに関心を持っていただいたことは、マイナースポーツのファンにとって心強い気がした覚えがあります。 

テレビはおろか、一般雑誌ですらサッカー選手の露出頻度が極めて低い時代でしたが、サッカーマガジンでは、さんまさんとサッカー選手や関係者との対談コーナーがありました。

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図7 80年代中頃のサッカーマガジンの連載コーナー(左)。たけしさんがサッカーをしている姿はあまり残っていないのですが、この時はプーマではなく、お二人はアディダスの(多分)ブンデスリーガーシリーズの固定式を履かれていたようです(挿入図は取替え式)。   

望月先生はおそらくプーマ好きだったと思われ、時々プーマのスパイクを非常に細かく描かれていました(図8)。

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図8 望月先生のコラム中の漫画。左はサッカーマガジンで、サッカー界の時事ネタをご自身で書かれており、イレブン(右)ではサッカープレー時のケガの予防や治療に関するコラム中の挿絵を担当されていました。

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図9 少年向けサッカー雑誌は漫画が多いこともあり、望月先生の作品が満載でした。ウディネーゼ(イタリア)時代のジーコ選手(右)のスパイクはディアドラでしたが、この漫画はプーマのようです。   

ここ何回かプーマの話題が続きましたので、次回は久々にアディダスのスパイクのことを書きたいと思います。 

 (写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゴール及びナンバーなどより引用)



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神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。  
                  


◆小西博昭オフィシャルブログ
https://maradonaboots.com/