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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.40『マラドーナ時代の終焉編』

本コラムも40回目となり、今回は神の引退までのスパイクについてご紹介します。90年W杯後、神は大活躍したナポリを退団し、3つのクラブを渡り歩いて97年に引退しました。様々な事情があったためか、巻頭画像の右半分のクラブでの神のスパイク事情も混沌としていたようです。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2019/06/28
神はナポリ退団後、しばらく無所属時代があり、91年頃の母国での自主トレ時にはパラメヒコらしきスパイクを使っていました(こちらをご参照下さい)。 

しかし、その後移籍したセビージャやニューウェルズ・オールドボーイズでもプーマのスパイクを使っていましたが、黒塗りされており、モデルはよくわかりません(図1左2枚)。 

また、この頃、日本のクラブへの移籍話もあったためか、ミズノのJリーグモデル
を使っていたこともありました。
 

94年には大陸間プレーオフの末に予選突破したアメリカW杯に臨まれますが、2試合に出場したのみで大会を去りました。 この時のスパイクも黒塗りしたプーマでした(図1右2枚)。

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図1 これらのプーマスパイクはいずれも黒塗りでモデルはよくわかりませんが、90年W杯、もしくはナポリ所属時に使っていたものと似ているようです。   

94年W杯後、神はボカ・ジュニアーズへ復帰され、97年に引退されました。
その間はプーマの他、アディダス、ミズノのスパイクも使われていましたが、ここでは個人的に気になったプーマのモデルについてご紹介します(図2)。

 時期によりシュータンのデザインが異なることがありますが、このモデルのベースは日本製の「トップスター」と思われます。

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図2 神がボカ・ジュニアーズ時代に愛用していた固定式モデルのひとつ。かかとの白い部分が大きめで、つま先ステッチはパラメヒコに似ています。右の図ではシュータンに背番号10が印字された特別仕様になっています。

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図3 「トップスター」の(96年の)カタログ情報(上)と実物(下)。つま先ステッチはパラメヒコよりも間隔が若干広くなっています。図2右はこれと同じと思われます。パラメヒコより少し高額でした。   

神は「トップスター」とアッパーが同じ取替え式モデルもご使用でした(図4)。 こちらは日本で同じようなモデルはなかったと思われます。

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図4 「トップスター」の取替え式版を履く神。6本スタッドでソールデザインはこちらと同じです。   

図4に似たモデルを最近メルカリで見つけました(図5)。 ソールパターンはメキシコライトと同じで、8本スタッドモデルです。  

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図5 「トップスター」の取替え式版。横浜フリューゲルス時代の三浦淳宏選手モデルだそうです。アディダス愛用選手のイメージがあったので意外でした。ベースとなる市販モデルがあったのか、特注なのかは不明です。   

さて、90年代前半から半ばにかけて、神は選手時代の晩年でしたが、日本サッカー界はプロ化に伴い劇的に発展し始めていました。 トップレベル選手の社会的立場の変化もさることながら、サッカー人気に伴って激増した様々なレベルの一般サッカープレーヤーに対応すべく、スパイクモデルの種類も各社多種多様になりました。 

個人的には、その頃のスパイク事情には極めて疎いのですが、「トップスター」のようなパラメヒコ(図6右上)やスフィーダ(左下)にも劣らない日本製モデルがあったことを最近知りました。 

図6左上は手に入れた時はパラメヒコと思いましたが、当時のサッカー用品店がオーダーメイドしたモデルだったようです。 ただ、情報源がサッカー雑誌の広告中の非常に小さな写真しかないので、間違っていたらご容赦下さい。 

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図6 左上は「パラビアンカ」というモデルと思われます。広告ではパラメヒコとスフィーダの長所を併せ持つと書かれていました。確かにつま先はパラメヒコ、かかとはスフィーダっぽいです。革はカーフだそうです。

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も意識したのかもしれません。右上は個人的に印象的な2000年以降に発売されたパラメヒコの一種(これはセレソンの10番をつけたこともある元札幌ホベルッチ選手実使用だそうです)。

パラメヒコの祖先と思っているプリメイラ(右下2
)とデザイン、カラーを比較してみました。
  

さて、神はボカ時代にアディダススパイクも履いていました。 ただ、使用モデルはいつもワールドカップ(取替え式)かコパムン(固定式)だったと思います(図7)。 

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図7 ドイツ製アディダスモデルを履く神(上)。右上は94年W杯の頃ですが、結局試合ではプーマスパイクを使われました(図1右)。下は神実使用のワールドカップで、左足の方が明らかに摩耗しているのがわかります(右下)。

ご提供元はこちらのお方です。
   

神の時代が終わる頃、後に各スパイクメーカーの広告塔になるほどの次世代のスーパースターが次々デビューしていました。 ただ、その方々もお若い頃のスパイクはアディダスの定番モデルだったようです(図8、9)。 

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図8 説明するまでもないスーパースターの方々の若い頃のスパイクはコパムンやワールドカップでした。

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図9 このお二人はアディダス定番モデルの他、日本メーカーもご使用でした。     

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図10 フランスの英雄のお若い頃は図9以外の様々なメーカーも履かれていたようです。左からクロノス、ライン7、ディアドラ、アディダス(コパムン)。   

図6左上のプーマモデルのように、90年代にはアディダスも魅力的な(80年代風)モデルを販売していました。 

図11の左や右上は国産で、ワールドカップウィナーやスーパーカップを彷彿とさせます。 

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図11 80年代のモデルに似た90年代のアディダススパイクの一例。以前ご紹介したこちらのモデルもこの頃のモデルです。左のBRESTは発売当時1万円ちょっとぐらいの価格でしたが、クオリティーもデザインもかなり秀逸です。

右上はサッカー用品店オリジナルモデルらしいです。ソールの劣化がお見苦しいですが、固定式はそうなりがちです。右下はドイツ製でゲルトミュラーモデルの復刻版です。

90年代の優れた国産モデルはコスパが良いためか、履きつぶされることが多く、新品が残っていることがかなり珍しいと感じます。 80年代の西ドイツ製モデルは価格が高すぎて売れ残ったものが世界のどこかで見つかる可能性があるようですが、国産モデルでは難しいのが現状です。 

こちらの方はそんな珍しいモデルを新品でたくさんお持ちのようです。 また、古いサッカー用品を特集したこちらのサイトもいつも参考にさせていただいています。 最近はどちらのサイトも更新されていないようなので、ぜひまた様々な有益情報を発信していただければと願っています。   

40回にわたり、好きなことを存分に書かせていただきましたが、神の引退まで来てしまったので、とりあえずこの英雄シリーズは今回で終了させていただきます。 

今後も、80年代の西ドイツ製モデルを中心としたレトロなサッカースパイク収集は継続していく所存で、機会があればまた珍しいモデルをご紹介させていただければと思います。
今後とも何とぞよろしくお願いいたします。



(追記)度々話題にさせていただいていた写真家・富越正秀さんのまた驚くべき鮮明な写真がアップされていました。記念すべき、日本で初めて神がプレーした時のスパイクはバイスバイラーキング(取替え式)でした。途中で固定式に換えられたようです。まだまだ知らないことがたくさんあります。 

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神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。  
                  


◆小西博昭オフィシャルブログ
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