%ef%bc%91

英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.7 ~「MADE IN WEST GERMANY」と「DESIGN PUMA WEST GERMANY」の違い・後編~

PARA MEXICO (パラメヒコ) 「プーマの伝説のスパイクと言っても過言ではないパラメヒコ。その歴史は1985年にさかのぼります。パラメヒコは1986年のメキシコW杯を目指す当時の日本選手たちのために開発され、日本で誕生した限定モデルです。「メキシコ大会に行こう」という意味のネーミングはこの由来からです。」プーマホームページより(一部改) パラメヒコファンなら誰しも知っている文言です。 1985年のメキシコW杯出場をかけた伝説の日韓戦で名品パラメヒコはデビューしました。写真は日韓対決前の集合写真で白ソックスが日本代表です。当時の代表選手はプロではなく(韓国は既にプロ化)、スパイク選択にしても選手の自由がままならなかった時代だからこその、混沌としたスパイク事情が垣間見れます。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2018/05/08
前回からの続きですが、アシックスがサプライヤーになった日本代表は、アウェイで歴史的勝利を収めた日韓定期戦後、85年2月から始まったメキシコW杯アジア一次予選を突破しました。

難敵北朝鮮との泥だらけのホーム国立と、平壌の人工芝グランドでの完全アウェイの試合は大変な戦いでした。 

この一次予選では木村選手もアシックスのスパイクは使用していましたし、国産のアシックススパイクは日本人の足に合うためか、他のメーカーを使っている選手はいなかったと思います(図1)。このまま次ラウンドもアシックスでプレーできればと思った選手も当時いたかもしれません。    

Thumb efbc92
1 85年2月23日のメキシコW杯一次予選シンガポール戦後の木村選手(左)。ジャージ姿は岡田選手。右は加藤久選手。手にしているアシックススパイクを次ラウンドも使用し続けたと想像しています。

北朝鮮戦の人工芝対策にはアシックスの用具担当の方と様々なモデルを試したとのことです。北朝鮮の選手は普通の固定式(プーマが多かったと思われます)だったそうです(加藤久著「完全敵地」より)。
  

この頃の代表選手が、度々変わる用品メーカーについて、何を思われていたのかはわかりませんが、来たる香港との二次予選を前に、再びプーマが代表のサプライヤーとなり、キリンカップサッカー(85年5月末~6月初め)に臨みます(図2)。

しかし、強化を兼ねた大会だったにもかかわらず、単独チームで参加した読売クラブにも敗れるなど、散々な成績でした。 この大会で、代表選手達は前述のプリメイロではなく、西ドイツ製モデルを使っていました。当時はフル代表国際Aマッチで色つきスパイクは履かない雰囲気のようでした。 

Thumb efbc93
 2  855月末からのキリンカップ(前年までキリンワールドサッカー)で、日本代表は再びプーマ製品で戦いましたが結果は芳しくありませんでした(読売クの選手が抜けていたからかもしれません)。

左は田中選手と岡田選手(
3番)。ボールはピーコック(前田運動具製作所)。右は以前も載せた木村選手。
    

ちなみにアディダスはこの頃ユニバーシーアード代表(今で言うU-23)のサプライヤーでした(図3)。ホスト国(神戸開催)で、久々の国際大会でもあり、かなり長期間入念なチーム作りをしていた気がします。

その甲斐あってか、4位という好成績でしたので、アディダスにとってはよかったのかもしれません。ちなみに優勝は北朝鮮、2位ウルグアイで、3位は日本との決定戦に勝った中国でした。  

Thumb efbc94
3 858月末から開催された神戸ユニバーシーアード代表の面々。 こちらのボールはタンゴ。   

その後の二次予選(85年8月)もフル代表のサプライヤーは引き続きプーマでした。

しかし、キリンカップの時とは違い、悲願のW杯初出場を目指す日本代表はメーカーのしがらみを捨て、プーマ以外の履きなれたメーカーのスパイクを使用していた選手がかなりいたようです(図4)。  

Thumb efbc95
4 858月のメキシコW杯二次予選香港戦の日本代表チーム。10番木村選手、12番水沼選手はアディダススパイクのラインやマークを黒塗りしています。

左端は加藤久選手。右端の原選手は三菱でプーマを履いていたので、この試合も西ドイツ製プーマスパイクです。くどいですが、どなたもパラメヒコはまだ履いていなかったと思います。
  

無事二次予選を突破し、最終予選の日韓対決が85年10月末からホーム&アウェイで行われました。

引き続きサプライヤーはプーマでしたが、もし悲願達成したヒーローに、違うメーカーのスパイクを履かれては面目が立たないという理由かはわかりませんが、パラメヒコはこの試合のために秘かに(?)開発され、一般市場に出回ることなく、初めて使用されたようです(図5)。    

Thumb efbc96
図5 85年10月26日のメキシコW杯最終予選韓国戦の試合前集合写真(今では珍しい?)。GK松井選手(緑)もアシックスらしきスパイクをプーマに見えるようにしています。その隣の松木選手(白)は西ドイツ製プーマスパイクです。水沼選手のスパイクは香港戦時のアディダスではなくプーマですが、かかとに白のワンポイントがあります(右)。

よく見ると集合写真中も同じスパイクの日本人選手がいます。おそらくこのスパイクがパラメヒコで、大一番の試合で突如(?)デビューしたようです。韓国戦から招集された戸塚選手と与那城選手もパラメヒコを履き、木村選手はコパムンで伝説のFKを決めたと思います。

伝説の日韓戦のさらに詳細なギア伝説
(直前の練習試合のことなど)をお持ちの方はぜひお教えいただければと思います。
   

 結局、日本代表は韓国に敗れW杯初出場はなりませんでした。しかし、基本的デザインは西ドイツ由来ですが、高級皮革(カンガルー革)を使い、日本人職人ならではの芸術的ステッチと、日本人選手用の足型で作られたメイドインジャパンのパラメヒコは、その後、国内トップ選手にも急激に普及していきました(図6)。

また、メキシコW杯が終わった86年秋ごろにサッカー専門店でも販売され始め(15000円)、欧米人向けの西ドイツ製モデルも並行販売されていましたが、割高だったこともあり、85年を境にして国内トップレベル選手の西ドイツ製プーマスパイクユーザーは激減します。

 Thumb efbc97
 6 ヤマハ選手の年ごとのプーマスパイク変遷。上左84年(笑顔は長澤選手(有名女優のお父様))、上右86年、下87年。見にくいですが、パラメヒコ(かかとに白のワンポイントがある)の割合が急激に上がっています。

86年は5番の選手のみ西ドイツ製、87年は壁の選手全員パラメヒコのようです。 84年はまだ西ドイツ製ばかりですが、私より若い方々が今見たら、パラメヒコと勘違いしても不思議ではないと思います。
  

80年代後半になると、後にW杯初出場へ導くヒーロー、ゴン選手、カズ選手の活躍がサッカー雑誌に載り始め、サッカー人気、人口もどんどん上昇していきました。

しかし、彼らのスパイクは既に西ドイツ製ではなく、和製パラメヒコでした(カズ選手はその後スフィーダになります)(図7左、中央))。 

一方、パラメヒコは基本的に国内限定モデルのため、神や国外トップレベルのプーマスパイクユーザーは、依然としてドイツが統一される頃まで一貫として西ドイツ製を履いていました(図7右)。しかし、統一後はデザインが大幅に変わってしまいました。 

Thumb efbc98 
7 88年大学選抜の中山選手(左)。当時からダイビングヘッド炸裂。86年パルメイラスの一員として来日したカズ選手(中央)。

カズ選手にはブラジル時代もパラメヒコ、メキシコライトが日本から支給されていたようです。
88年の神(右)。下はスパイクの拡大図で、かかとにご注目下さい。
  

日本ではパラメヒコが憧れのスパイクで、それを履いてプレーする喜びを感じてきた方々はとても多いと思います。 

しかし、我々世代ですと、手の届かなかった西ドイツ製モデルをかなり身近にしてくれたのがパラメヒコであり、デビュー当時は何となく西ドイツ製の「類似品」的な見方をしていた気もしますが、まさかこんなに長い間愛され、本家をも凌ぐ名品スパイクになるとは予想もしませんでした。 

現在も昔の西ドイツ製プーマスパイクの面影を残す製品は世界中でパラメヒコしかなく、今となっては敬意を表するばかりで、天然皮革素材確保の困難さが増す昨今ですが、できればなくならないでほしいと切に願います。 

ただ、このコーナーではパラメヒコをリスペクトはしつつも、その祖先(見本)とも言える西ドイツ製プーマスパイクはこれからも紹介していきます(アディダスもあります。もちろんコパムンも細かく紹介する予定です)。 今後ともよろしくお願いいたします。 

次回は通常に戻り、アディスーパーソールのスパイクを紹介する予定です。 

(写真はアフロ、「写蹴」今井恭司、「THE LOVE OF FOOTBALL 」清水和良、「BOA SORTE KAZU」三浦知良、サッカーマガジン、ダイジェスト、イレブンなどから引用)



著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!  

Thumb article 210 108148 image1 176 176
神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。