
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.34 『1988年欧州選手権編(その1)』
世界のサッカーに触れたのが80年代前半からだった私にとって、オランダ代表のサッカーを初めて見たのは88年EUROの決勝戦でした。身体能力の権化のようなフリット選手、ライカールト選手、ファン・バステン選手の活躍はとても印象的でした。

昔は欧州選手権と記されていたEUROですが、この頃も本大会の参加国は8チームで、精鋭国同士の試合はW杯よりもレベルが高いと言われていました。
しかし、まだ衛星放送もなく、日本では決勝ぐらいしか見ることができなかったと思います。
準決勝で開催国西ドイツを破ったオランダと、W杯の常連国ソ連が決勝を戦いました。 ソ連には86年メキシコW杯でも活躍した当時世界NO.1のGKダサエフ選手や、点取り屋ベラノフ選手、後にガンバ大阪でもプレーしたアレイニコフ選手やプロタソフ選手などがいました。
対するオランダは…。正直、誰も知りませんでした。
その頃のオランダは82、86年W杯、84年EUROは予選敗退しており、少しサッカーに詳しい程度の私には、クライフ選手の名前を知っているぐらいで、当時のオランダ代表については何の知識もありませんでした。
久々の国際大会だった88年EUROでのオランダは、予選リーグではソ連に負けましたが、ご存じのように決勝では完勝し、初優勝しました。 ゴールを決めたフリット選手、ファン・バステン選手、MVP級の活躍のライカールト選手はその後スターとして飛躍されました。
さて、オランダチームは基本的にアディダススパイクの使用者が多かったのですが、フリット選手、ライカールト選手はロット、ファン・バステン選手はクライフスポーツのスパイクをご使用でした。
図1 ライカールト選手はロット、ディアドラ、アシックスのスパイクも履いていましたが、プーマ時代もあり、広告にも載っていました(左)。
フリット選手はアディダスの広告にも出ていたようで、シグネチャーモデルもありましたが、オランダリーグ時代のスパイクはFXシリーズでした。
西ドイツ製スパイクしかよく知らないので、今回は88年EUROでのアディダスFXシリーズに注目しました。 オランダチームでFXシリーズを履いていたのはDFのファン・アーレ選手で、ソールの配色からして86年W杯でデビューしたFX1だと思います(図3左、こちらもご参照ください)。
図2 アイルランド戦の決勝点を喜ぶオランダチーム(左)。6番がファン・アーレ選手。右はファン・アーレ選手とソ連・ゴツマノフ選手。
ソ連選手は(多分)全員アディダスの取替え式でしたが、使用モデルはバラエティーに富んでいたようです。定番のワールドカップ(ベラノフ選手)の他、86年大会でデビューしたストラトスSL(ラッツ選手)、ワールドクラス(アレイニコフ選手)が使われていました。
また、この大会用モデルの新ヨーロッパカップ(プロタソフ選手、ダサエフ選手)もデビューしたようです。そちらのモデルについては「その2」でご紹介します。
図2右のゴツマノフ選手、ミハイリチェンコ選手はFX2(図4及び6)を履いていました。
図4 (左)左からゴツマノフ選手、アレイニコフ選手、クーマン(弟)選手。
ゴツマノフ選手のFXシリーズはソールが新色でした。 写真右はクーマン(兄)選手で、クーマン兄弟はコパムンを愛用していましたが、シュータン裏の色がそれぞれ異なります。
黒いシュータンの生産国は西ドイツではなく、ポルトガルかもしれません(こちらもご覧ください) 。
26話では状態の悪いFX1を載せてしまいましたが、図5は未使用品です。今では珍しいかもしれない予備の専用スタッドもあります。
図5 FX1と専用スタッド。とても簡単に脱着できます。
図1のフリット選手のスパイクは、ソールはFX1のようですが、アッパーデザインは微妙に異なります。
日本でもFXシリーズは販売されましたが、海外製品とはモデルの数字が異なるようです。 ただ、当時の日本代表やJSLで履いていた選手は思い浮かびません。
図6 FX2は日本で発売されたFX2000と似ていますが、かかと部分の配色やシュータン裏が微妙に異なるようです。
FXシリーズはイタリアのコレクターさんから譲ってもらいましたが、この方がまた驚きで、20年前からイタリア中のビンテージシューズを探しまわっているそうです。 その方のインスタグラムはスニーカーメインですが、貴重なスパイクの写真もたまに見ることができます。
図5は探し当てたスパイクの山の一部だそうです。 商社が輸入代理していた80年代の日本と違って、ヨーロッパではアディダスもプーマも西ドイツ時代の製品がまだたくさん残っているようです。 うらやましい限りです。
図7 イタリアのコレクターさんから送られてきた80年代の貴重なアディダススパイクの山積み画像(左、右上)。
右下はFX1の廉価版FX10で、アッパーデザインや皮革、スタッドの材質がFX1と異なります。
88年EUROでは、アイルランドがイングランドを撃破するなど奮闘しましたが、スパイクも個性的でした。「エメラルド色の島」アイルランドに合わせた(?)ソールカラーのFXシリーズを使う選手がおられたようです(図8)
図8 アイルランドDF・ウィーラン選手(背番号5)のスパイクはFX1のようですが、ソールカラーはアイルランド仕様なのでしょうか?おしゃれですね。また、他のカラーパターンもあり、右下はフランス選手用かもしれません?
私が所有している古いスパイクの9割以上はプーマかアディダスで、なぜかこの時代(80年代)の他のメーカーには食指が動きません。
フリット選手が使い始め、その後かなりメジャーになったロットのスパイクもまったく興味がなかったのですが、以前ご紹介したイタリアの名GK、ゾフ選手のモデル(こちらをご覧ください)は懐かしくてつい入手してしまいました。
図9 ロットのディノ・ゾフモデル。イタリア製。80年代前半のスパイクにしてはかなり派手です。
88年EUROのスパイク(その2)もぜひご期待下さい。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
◆小西博昭オフィシャルブログhttps://maradonaboots.com/
しかし、まだ衛星放送もなく、日本では決勝ぐらいしか見ることができなかったと思います。
準決勝で開催国西ドイツを破ったオランダと、W杯の常連国ソ連が決勝を戦いました。 ソ連には86年メキシコW杯でも活躍した当時世界NO.1のGKダサエフ選手や、点取り屋ベラノフ選手、後にガンバ大阪でもプレーしたアレイニコフ選手やプロタソフ選手などがいました。
対するオランダは…。正直、誰も知りませんでした。
その頃のオランダは82、86年W杯、84年EUROは予選敗退しており、少しサッカーに詳しい程度の私には、クライフ選手の名前を知っているぐらいで、当時のオランダ代表については何の知識もありませんでした。
久々の国際大会だった88年EUROでのオランダは、予選リーグではソ連に負けましたが、ご存じのように決勝では完勝し、初優勝しました。 ゴールを決めたフリット選手、ファン・バステン選手、MVP級の活躍のライカールト選手はその後スターとして飛躍されました。
さて、オランダチームは基本的にアディダススパイクの使用者が多かったのですが、フリット選手、ライカールト選手はロット、ファン・バステン選手はクライフスポーツのスパイクをご使用でした。

図1 ライカールト選手はロット、ディアドラ、アシックスのスパイクも履いていましたが、プーマ時代もあり、広告にも載っていました(左)。
フリット選手はアディダスの広告にも出ていたようで、シグネチャーモデルもありましたが、オランダリーグ時代のスパイクはFXシリーズでした。
西ドイツ製スパイクしかよく知らないので、今回は88年EUROでのアディダスFXシリーズに注目しました。 オランダチームでFXシリーズを履いていたのはDFのファン・アーレ選手で、ソールの配色からして86年W杯でデビューしたFX1だと思います(図3左、こちらもご参照ください)。

ソ連選手は(多分)全員アディダスの取替え式でしたが、使用モデルはバラエティーに富んでいたようです。定番のワールドカップ(ベラノフ選手)の他、86年大会でデビューしたストラトスSL(ラッツ選手)、ワールドクラス(アレイニコフ選手)が使われていました。
また、この大会用モデルの新ヨーロッパカップ(プロタソフ選手、ダサエフ選手)もデビューしたようです。そちらのモデルについては「その2」でご紹介します。
図2右のゴツマノフ選手、ミハイリチェンコ選手はFX2(図4及び6)を履いていました。

ゴツマノフ選手のFXシリーズはソールが新色でした。 写真右はクーマン(兄)選手で、クーマン兄弟はコパムンを愛用していましたが、シュータン裏の色がそれぞれ異なります。
黒いシュータンの生産国は西ドイツではなく、ポルトガルかもしれません(こちらもご覧ください) 。
26話では状態の悪いFX1を載せてしまいましたが、図5は未使用品です。今では珍しいかもしれない予備の専用スタッドもあります。

図1のフリット選手のスパイクは、ソールはFX1のようですが、アッパーデザインは微妙に異なります。
日本でもFXシリーズは販売されましたが、海外製品とはモデルの数字が異なるようです。 ただ、当時の日本代表やJSLで履いていた選手は思い浮かびません。

FXシリーズはイタリアのコレクターさんから譲ってもらいましたが、この方がまた驚きで、20年前からイタリア中のビンテージシューズを探しまわっているそうです。 その方のインスタグラムはスニーカーメインですが、貴重なスパイクの写真もたまに見ることができます。
図5は探し当てたスパイクの山の一部だそうです。 商社が輸入代理していた80年代の日本と違って、ヨーロッパではアディダスもプーマも西ドイツ時代の製品がまだたくさん残っているようです。 うらやましい限りです。

右下はFX1の廉価版FX10で、アッパーデザインや皮革、スタッドの材質がFX1と異なります。
88年EUROでは、アイルランドがイングランドを撃破するなど奮闘しましたが、スパイクも個性的でした。「エメラルド色の島」アイルランドに合わせた(?)ソールカラーのFXシリーズを使う選手がおられたようです(図8)

私が所有している古いスパイクの9割以上はプーマかアディダスで、なぜかこの時代(80年代)の他のメーカーには食指が動きません。
フリット選手が使い始め、その後かなりメジャーになったロットのスパイクもまったく興味がなかったのですが、以前ご紹介したイタリアの名GK、ゾフ選手のモデル(こちらをご覧ください)は懐かしくてつい入手してしまいました。

88年EUROのスパイク(その2)もぜひご期待下さい。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
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