
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.38『1990年イタリアW杯のアディダススパイク編』
W杯の歴史上において最も退屈な大会とも言われる90年イタリア大会は、その後のスパイク開発やGKへのバックパス禁止など様々なきっかけを作りました。しかし、今更ですが、スパイク観察をすると面白い事実がいろいろ見つかります。

巻頭写真は当時の雑誌「Number」の表紙です。
2大会連続でアルゼンチンと西ドイツの対戦だった決勝戦の写真で、神とクリンスマン選手のマッチアップです(図1左)。 大会のヒーローのお二人ですから、表紙にふさわしいわけですが、「スパイクおたく」からすると、クリンスマン選手が白いソール(アディパンソール)の固定式を履いているのに違和感を覚えます。
それもそのはずで、この試合の唯一の見せ場で、一般的によく見るシーンである西ドイツが決勝点を入れた試合終盤では、クリンスマン選手は取替え式(ワールドカップ)を履いています(右)。他の試合も取替え式だったと思います。
決勝点は微妙な判定のPKで、ブレーメ選手が右足で決めました。 ブレーメ選手のスパイクはこの大会でデビューしたワールドカップSLでした。

図1 クリンスマン選手は、前半は固定式(左)、後半は取替え式(右及び挿入写真下)を履いていたようです。この頃のアディダスの固定式で白いソールは珍しく、日本ではコパSL、SP(こちらをご参照下さい)がありましたが、日本製なので西ドイツ選手が使っていたとは考えにくいと思います。
ブレーメ選手と同じモデル(ソ連・プロタソフ選手のもの)を拡大したのが右上挿入写真です。

図2 ワールドカップSL(左)。スパイクに生産国の表示はなく、箱に(西ドイツではなく)ドイツ製と記されています(左上)。シュータンは折り返すと真っ黒です。ワールドカップと同じ3マテリアルソールですが配色が異なります。中央下挿入写真がワールドカップのソール。
図2右は試合前のブレーメ選手(左)と主将・マテウス選手です。マテウス選手は所属チームでは主にプーマ愛用選手でしたが、代表ではアディダススパイクを履いていました。この大会ではおそらくすべての試合で取替え式のワールドカップ(こちらをご参照下さい)を使っていたと思っていました。
しかし、決勝戦の試合前と優勝の瞬間は右足のスパイクが違います(図3左、中)。なぜか右だけワールドカップSLを履いていたようです。

図3 決勝戦のマテウス選手。試合前(左)、終了時(中)。折り返したシュータン裏の色が違っています。芝生でプレーして、右だけこれほど黒くなることはないでしょう。途中で右足だけワールドカップSLに履き替えたようです(右)。挿入写真は右足スパイクのソール。

図4 ワールドカップSLの固定式版・ワールドチャンピョン(右)。スタッドの数がかなり多いです。左はこのスパイクを履くカメルーンのムブー選手。
この大会で大々的にデビューしたアディダスモデルは図5のエトルスコシリーズです。W杯で使われていたモデルはユニコ(取替え式)とプリモ(固定式)だと思います。
こちらは日本でも販売されていました。特徴はソール裏まで3本線が描かれていることと、ハイエンドモデルが西ドイツ製ではなく、フランス製だったことでした。

図5 エトルスコユニコ(右上)を履くルーマニアのポペスク選手(黄色)とエトルスコプリモ(右下)を履くカメルーンのマカナキー選手(左上)。あのイギータ選手(コロンビアGK)もユニコを愛用していました(左下)。ユニコのスタッドはチタン製だそうです。
マテウス選手同様、この大会では左右別のスパイクを履いていた選手がまだいました。 Jリーグでも活躍されたチェコスロバキア(チェコ)のハシェック選手がそのお一人です。 右足は図5のエトルスコユニコ、左足は(古風な)アディスーパーソール(こちらをご参照下さい)のワールドカップという変わった組合せでした。
78年にデビューしたアディスーパーソールが好きなお一人として、以前ベルトルト選手(西ドイツ)をご紹介しましたが(こちらをご参照下さい)、この大会のベルトルト選手は両足ともエトルスコユニコのようでした。
しかし、西ドイツGKのイルクナー選手がアディスーパーソールのワールドカップをご愛用でした。この大会ではかなり珍しいと思います。

図6 種類の違う取替え式アディダスモデルを履くハシェック選手(左)。アディスーパーソールのスパイクを履くイルクナー選手(右)。挿入写真は両選手右足の拡大図。
チェコの選手は結構ユニークで、コスタリカ戦でヘディングシュートのみでハットトリックを達成したスクラビー選手のスパイクは右足がコパムン(固定式)で、左足が3マテリアルソールのワールドカップ(取替え式)でした(図7)。

図7 左右別々のスパイクを履くスクラビー選手(身長192センチ)。この試合はコスタリカの名GKコネホ選手が欠場し、高さに屈してしまったようです。
チェコの3人目はストラカ選手(図8左の赤)で、クリンスマン選手とのこの写真はサッカーマガジンのW杯特集号の表紙でした。クリンスマン選手はイケメンのためか、当時のサッカー雑誌の表紙採用率が高いです。
一見、なんの変哲もないストラカ選手のスパイクはコパムンだと思いますが、スタッドが13本あります。 同じチェコのスクラビー選手の右足のコパムンは12本(図7右上)で、こちらが普通です。 13本黒白2色ソールはソ連製によくあるようで、アレイニコフ選手のコパムンも13本スタッドでした。 もしかしたら違うモデル名だったかもしれません。
スパイクおたくはこんな所にばかり目がいってしまいます。 一度は手にしてみたい珍品です。

図8 何気ない表紙写真ですが、13本スタッドのコパムンは私にとってはかなり珍品スパイクです。右は普通のコパムン(12本スタッド)を履くバルデラマ選手(コロンビア)。
この大会は当時最多のレッドカードが出されたW杯だったそうで、一番印象に残っているのは図9のフェラー選手(西ドイツ)とライカールト選手(オランダ)が二人とも退場になったシーンです。 フェラー選手はこちらでご紹介したヨーロッパカップを履いています。
オランダGKファン・ブロイケレン選手のスパイクはソールにも3本線があるので、図5のエトルスコユニコかと思いきや、かかとの作りが違います。
図9 ファン・ブロイケレン選手(左、背番号1)の右足スパイクはソールに3本線がありますが、左足は一見するとワールドカップ?と思ってしまいます。
右のエトルスコユニコ(カメルーン・アケム選手)とはかかとのデザインが異なります。
このアッパーがワールドカップのようで、ソールに3本線があるモデルは西ドイツの小柄な名選手お二人も履いていました(図10、11)。

図10 西ドイツ・へスラー選手。ソールはエトルスコユニコですが、アッパーはシュータンも含めてワールドカップに似ています。図5のエトルスコシリーズはシュータンを折り返すと真っ黒です。

図11 日本でもおなじみリトバルスキー選手も、へスラー選手と同じモデルだったようです。右だけ見るとワールドカップそのものですが、ソールはエトルスコユニコです。アッパーなどは昔、日本製アディダスモデルにあったJI、JII(スタッドが8本)に似ている気がします。
表紙の固定式や図10、11のモデルなど、欧州にはまだまだ私の知らないアディダスモデルがあったようです。
さて、番外編として図12に載せました。 86年大会でデビューした数多のアディダスモデル(こちらをご覧ください)はこの大会ではほとんど使われていなかったようです。
調べた限りでは、カメルーン代表でFXシリーズを履いている選手がおられたぐらいだったでしょうか…。 そういう意味ではコパムン、ワールドカップはやはり偉大だと思います。 この頃スタッドがセラミックのモデルも各社発売していたと思いますが、コスタリカのカジャッソ選手はアディダスのセラミックモデルを履いていたようです(左)。
今回、カメルーン代表を何人か取り上げていますが、使用スパイクがユニークな選手が多く、図5で、固定式はアディダスを履いているマカナキー選手は、取替え式は別メーカーでした(中)。
しかし、このスパイクのメーカーがわかりません。 W杯でなくて申し訳ないですが、メーカーがわからないと言えば、今は監督で有名なアンチェロッティ選手のスパイクです。90年大会はロットでしたが、88年EUROの使用スパイクメーカーは未だにわかりません。

図12 90年W杯で珍しいスパイクを履く選手お二人と、88年EUROで珍しいスパイクを履くアンチェロッティ選手(右)。所属していたASローマでは同じスパイクを履く選手が何人かおられました。
90年大会のプーマ(神以外)についてもいずれご紹介します。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、アフロ、ゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
◆小西博昭オフィシャルブログhttps://maradonaboots.com/
2大会連続でアルゼンチンと西ドイツの対戦だった決勝戦の写真で、神とクリンスマン選手のマッチアップです(図1左)。 大会のヒーローのお二人ですから、表紙にふさわしいわけですが、「スパイクおたく」からすると、クリンスマン選手が白いソール(アディパンソール)の固定式を履いているのに違和感を覚えます。
それもそのはずで、この試合の唯一の見せ場で、一般的によく見るシーンである西ドイツが決勝点を入れた試合終盤では、クリンスマン選手は取替え式(ワールドカップ)を履いています(右)。他の試合も取替え式だったと思います。
決勝点は微妙な判定のPKで、ブレーメ選手が右足で決めました。 ブレーメ選手のスパイクはこの大会でデビューしたワールドカップSLでした。

図1 クリンスマン選手は、前半は固定式(左)、後半は取替え式(右及び挿入写真下)を履いていたようです。この頃のアディダスの固定式で白いソールは珍しく、日本ではコパSL、SP(こちらをご参照下さい)がありましたが、日本製なので西ドイツ選手が使っていたとは考えにくいと思います。
ブレーメ選手と同じモデル(ソ連・プロタソフ選手のもの)を拡大したのが右上挿入写真です。

図2 ワールドカップSL(左)。スパイクに生産国の表示はなく、箱に(西ドイツではなく)ドイツ製と記されています(左上)。シュータンは折り返すと真っ黒です。ワールドカップと同じ3マテリアルソールですが配色が異なります。中央下挿入写真がワールドカップのソール。
図2右は試合前のブレーメ選手(左)と主将・マテウス選手です。マテウス選手は所属チームでは主にプーマ愛用選手でしたが、代表ではアディダススパイクを履いていました。この大会ではおそらくすべての試合で取替え式のワールドカップ(こちらをご参照下さい)を使っていたと思っていました。
しかし、決勝戦の試合前と優勝の瞬間は右足のスパイクが違います(図3左、中)。なぜか右だけワールドカップSLを履いていたようです。

図3 決勝戦のマテウス選手。試合前(左)、終了時(中)。折り返したシュータン裏の色が違っています。芝生でプレーして、右だけこれほど黒くなることはないでしょう。途中で右足だけワールドカップSLに履き替えたようです(右)。挿入写真は右足スパイクのソール。

図4 ワールドカップSLの固定式版・ワールドチャンピョン(右)。スタッドの数がかなり多いです。左はこのスパイクを履くカメルーンのムブー選手。
この大会で大々的にデビューしたアディダスモデルは図5のエトルスコシリーズです。W杯で使われていたモデルはユニコ(取替え式)とプリモ(固定式)だと思います。
こちらは日本でも販売されていました。特徴はソール裏まで3本線が描かれていることと、ハイエンドモデルが西ドイツ製ではなく、フランス製だったことでした。

図5 エトルスコユニコ(右上)を履くルーマニアのポペスク選手(黄色)とエトルスコプリモ(右下)を履くカメルーンのマカナキー選手(左上)。あのイギータ選手(コロンビアGK)もユニコを愛用していました(左下)。ユニコのスタッドはチタン製だそうです。
マテウス選手同様、この大会では左右別のスパイクを履いていた選手がまだいました。 Jリーグでも活躍されたチェコスロバキア(チェコ)のハシェック選手がそのお一人です。 右足は図5のエトルスコユニコ、左足は(古風な)アディスーパーソール(こちらをご参照下さい)のワールドカップという変わった組合せでした。
78年にデビューしたアディスーパーソールが好きなお一人として、以前ベルトルト選手(西ドイツ)をご紹介しましたが(こちらをご参照下さい)、この大会のベルトルト選手は両足ともエトルスコユニコのようでした。
しかし、西ドイツGKのイルクナー選手がアディスーパーソールのワールドカップをご愛用でした。この大会ではかなり珍しいと思います。

図6 種類の違う取替え式アディダスモデルを履くハシェック選手(左)。アディスーパーソールのスパイクを履くイルクナー選手(右)。挿入写真は両選手右足の拡大図。
チェコの選手は結構ユニークで、コスタリカ戦でヘディングシュートのみでハットトリックを達成したスクラビー選手のスパイクは右足がコパムン(固定式)で、左足が3マテリアルソールのワールドカップ(取替え式)でした(図7)。

図7 左右別々のスパイクを履くスクラビー選手(身長192センチ)。この試合はコスタリカの名GKコネホ選手が欠場し、高さに屈してしまったようです。
チェコの3人目はストラカ選手(図8左の赤)で、クリンスマン選手とのこの写真はサッカーマガジンのW杯特集号の表紙でした。クリンスマン選手はイケメンのためか、当時のサッカー雑誌の表紙採用率が高いです。
一見、なんの変哲もないストラカ選手のスパイクはコパムンだと思いますが、スタッドが13本あります。 同じチェコのスクラビー選手の右足のコパムンは12本(図7右上)で、こちらが普通です。 13本黒白2色ソールはソ連製によくあるようで、アレイニコフ選手のコパムンも13本スタッドでした。 もしかしたら違うモデル名だったかもしれません。
スパイクおたくはこんな所にばかり目がいってしまいます。 一度は手にしてみたい珍品です。

図8 何気ない表紙写真ですが、13本スタッドのコパムンは私にとってはかなり珍品スパイクです。右は普通のコパムン(12本スタッド)を履くバルデラマ選手(コロンビア)。
この大会は当時最多のレッドカードが出されたW杯だったそうで、一番印象に残っているのは図9のフェラー選手(西ドイツ)とライカールト選手(オランダ)が二人とも退場になったシーンです。 フェラー選手はこちらでご紹介したヨーロッパカップを履いています。
オランダGKファン・ブロイケレン選手のスパイクはソールにも3本線があるので、図5のエトルスコユニコかと思いきや、かかとの作りが違います。

右のエトルスコユニコ(カメルーン・アケム選手)とはかかとのデザインが異なります。
このアッパーがワールドカップのようで、ソールに3本線があるモデルは西ドイツの小柄な名選手お二人も履いていました(図10、11)。

図10 西ドイツ・へスラー選手。ソールはエトルスコユニコですが、アッパーはシュータンも含めてワールドカップに似ています。図5のエトルスコシリーズはシュータンを折り返すと真っ黒です。

図11 日本でもおなじみリトバルスキー選手も、へスラー選手と同じモデルだったようです。右だけ見るとワールドカップそのものですが、ソールはエトルスコユニコです。アッパーなどは昔、日本製アディダスモデルにあったJI、JII(スタッドが8本)に似ている気がします。
表紙の固定式や図10、11のモデルなど、欧州にはまだまだ私の知らないアディダスモデルがあったようです。
さて、番外編として図12に載せました。 86年大会でデビューした数多のアディダスモデル(こちらをご覧ください)はこの大会ではほとんど使われていなかったようです。
調べた限りでは、カメルーン代表でFXシリーズを履いている選手がおられたぐらいだったでしょうか…。 そういう意味ではコパムン、ワールドカップはやはり偉大だと思います。 この頃スタッドがセラミックのモデルも各社発売していたと思いますが、コスタリカのカジャッソ選手はアディダスのセラミックモデルを履いていたようです(左)。
今回、カメルーン代表を何人か取り上げていますが、使用スパイクがユニークな選手が多く、図5で、固定式はアディダスを履いているマカナキー選手は、取替え式は別メーカーでした(中)。
しかし、このスパイクのメーカーがわかりません。 W杯でなくて申し訳ないですが、メーカーがわからないと言えば、今は監督で有名なアンチェロッティ選手のスパイクです。90年大会はロットでしたが、88年EUROの使用スパイクメーカーは未だにわかりません。

図12 90年W杯で珍しいスパイクを履く選手お二人と、88年EUROで珍しいスパイクを履くアンチェロッティ選手(右)。所属していたASローマでは同じスパイクを履く選手が何人かおられました。
90年大会のプーマ(神以外)についてもいずれご紹介します。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、アフロ、ゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
◆小西博昭オフィシャルブログhttps://maradonaboots.com/