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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.45「74年W杯の西ドイツ代表のadidas編」」

これまで自分にとっては未知の領域だった70年代のサッカースパイクですが、前回ご紹介した「先生」からのおめぐみにより、一気に興味が湧いてきました。今回は今もサッカー界の英雄として名高い皇帝・ベッケンバウアー選手ら、当時の西ドイツ代表選手のアディダスモデルについて書かせていただきます。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2020/07/17
前回のコラムはこちらです。  

当時9歳だった私にとって1974年(昭和49年)といえば、ミスター(長嶋選手)が引退した年としての印象が強く、野球に目覚めた年でもありました。


ちょうどその頃、日本からはるか遠くの西ドイツで行われていた、サッカー界の歴史的スーパースターお二人が直接対決したW杯について知ったのは、ようやくサッカーに目覚めた80年代でした。
その頃はすでにお二人とも監督になられており、特に皇帝は母国をW杯で優勝(90年)、準優勝(86年)に導き、名選手としてのみならず、名監督としての地位を確立されていました。  

一方、空飛ぶオランダ人・クライフ選手は74年大会でもっとも強いインパクトを残した伝説の名選手ですが、惜しくも2016年に亡くなられました。もちろん、選手としてのみならず監督としても古巣のクラブで手腕を発揮されました。
 

74年大会ではプーマのスパイクを履いたクライフ選手が、チームでお一人だけ2本線のユニフォームを着て、皇帝をはじめ全員アディダススパイクの西ドイツと戦ったことがよく知られています。
   

Thumb efbc92図1 英雄の対決。プーマのクライフ選手とアディダスの皇帝の戦いを象徴するようなシーンです。西ドイツ代表はジャージはアディダスでしたが、ユニフォームは3本線がなく、エリマかもしれません。  

先生はこの頃の西ドイツ代表のファンで、74年大会当時の貴重なアディダスモデルをいくつもお持ちでした。
そのひとつが図2のWM-トップスターです。

ただ、かかとの白い部分の一部が黒く塗られていました。 先生曰く、西ドイツ代表の何人かの選手はそうしていたので、ご自身で塗ってみたとのことでした。 

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図2 足入れの横の一部分が黒く塗られたWM-トップスター。スタッドは金属ネジ式です。  

そう言われて74年大会当時の皇帝の画像をよく見ると、確かにそう見えます。

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図3 右は大会前にアディ・ダスラーさんとスパイク談義をする皇帝。手にしているモデルは塗られていませんが、右下に置いてあるモデルはすでに塗られている感じです。左は決勝戦で、塗られた部分がかなりうすくなっているようです(それぞれ図中の拡大図をご参照下さい)。   

74年頃のアディダスのトップモデルはいくつかあって、横の部分が白くない普通のタイプもありました。

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図4 左はWM-トップスター。白以外のラインもあったようです。右下はワールドカップ74。同じモデルで革がカンガルーとカーフの2種類があったようです。この頃登場したレッドポイントはネジ部分もプラスチック製で(右上)、普通のポイント(ネジ部分が金属)用もありました。  

いくらファンとは言え、こんなレアなモデルをわざわざ塗ってしまうなんてと思ったら、先生はちゃんと同じモデルをいくつもお持ちでした。
(訂正で、先生はこの状態で入手されたそうです。もしかしたら当時の選手用なのかもしれません)

図5、6はポイントの仕様が異なるWM-トップスターです。また、つま先部分は図2のタイプと異なっています。同じモデル名でも細部がいろいろ違うのは80年代にはない特徴かと思います。

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図5 WM-トップスターの新型レッドポイントタイプ。

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図6 WM-トップスターの金属ネジのポイントタイプ。  

図7、8は前回も載せたモデルですが、先生は74年大会のアディダスモデルをコンプリートされていました。あらためてすごいコレクションです。

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図7 ワールドカップ74  

74年W杯ではかかとの白い部分が図7のワールドカップ74よりも少し大きい、次世代モデルのワールドチャンピョンもデビューしていたようです(図8)。
 Thumb efbd87図8 ワールドチャンピョン。デビュー間もない頃はかかとにトレフォイルやアディダスのマークがなかったようです。  Thumb efbc91efbc91

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 西ドイツ代表GKマイヤー選手(上)、FWヘーネス選手(下)の74年W杯実使用スパイク。さすがドイツは70年代の名選手の重要なアーカイブもしっかりと残され、現在も見ることができるようです。ヘーネス選手のスパイクは白い部分の一部が塗られたような跡があります。
 

さて、WM-トップスターですが、釜本選手も一時期お使いで、皇帝もクラブチームでは普通に履いていたようです(図10)。
 Thumb efbc99図10 日本リーグ100得点目を決める釜本選手(左)。バイエルン・ミュンヘンでの皇帝(右)。同じ頃にもかかわらず、スタンドのお客さんの違いがスゴイです。  

では、皇帝のみならず、なぜ西ドイツ選手は74年W杯でWM-トップスターの横を黒く塗って履いていたのでしょうか?
  もしかしたら東ドイツとの兼ね合いもあったのかもしれません。

74年W杯ではアディダススパイク使用選手が圧倒的に多かったようですが、WM-トップスターをそのまま履いているチームは東ドイツだけ(?)だったような気がします(違っていたらすいません)。

 Thumb 10図11 フォックツ選手とオベラート選手(12)。オベラート選手は皇帝と同様、横の部分を塗っているようです。東西ドイツ対決前の皇帝とブランシュ選手(右)。
   Thumb 12図12 74年W杯東ドイツ代表。半数ぐらいはWM-トップスターでしょうか。

以前、こちらでもご紹介ならびに訂正させていただいたのですが、日本製スパイクが初めてW杯にデビューしたのは86年大会のブラジル代表・カレッカ選手が履いたミズノ製ではないかと思っていました。


しかし、74年大会のオーストラリア代表・オールストン選手はオニツカタイガーのスパイクを履いていました(図13)。
ただ、昔のオニツカタイガーは西ドイツ製もあったらしく、オールストン選手は現地調達したかもしれないので、厳密には日本製ではないかもしれません。

Thumb 13図13 74年W杯オーストラリア代表。WM-トップスターはおられませんが、オールストン選手(左から4番目)はオニツカタイガー!なぜお一人だけ?  

Thumb 15図14 オランダ代表はクライフ選手以外にもプーマのスパイクを履く方がおられました。しかし、アディダスはやはりWM-トップスター使用選手はおられなかったようです。

  デザインの問題か、はたまたスタッドの好みか?東西ドイツでアディダスモデルの使用協定などがあったのでしょうか? ナゾです。  

今回はスパイクのご提供のみならず、当時の逸話についても先生から様々お教えいただきました。あらためて深く感謝いたします。

(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、Alamy stock photo及びゲッティイメージズなどより引用)
 


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神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。                    


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