
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.52「昭和後期の高校選手権編(その2)」
昭和の高校サッカーでトップレベルの選手の間で人気のあったカラースパイクは、現在はなかなか見つからないのが現状です。今回は当時の人気スパイクが復刻されるとのことで、その紹介と、サッカー冬の時代の唯一の華やかな舞台で活躍したスパイクについて今一度振り返りたいと思います。

コロナ禍で様々なスポーツイベントが中止になる中、冬の風物詩の高校サッカー選手権大会はなんとか開催されました。
本来であれば、多くの観衆の声援を浴びてプレーするはずの都道府県代表の選手の方々には大変お気の毒だったと思います。
ただ、高校野球の甲子園大会は春も夏も正式には開催できなかったことを考えれば、全国の舞台があったことはせめてもの救いだったかもしれません。
さて、こちらやこちらでも昭和後期の高校サッカーのスパイクについて紹介させていただきました。 当時はサッカーのプロがなく、冬の高校選手権は国内のサッカーイベントでは最も人気の高い大会でした。
巻頭の画像は昭和55年度の大会で優勝した帝京高校イレブンが、満員の国立のスタンドからなだれこんできた(?)少年ファンに取り囲まれている様子です(富越正秀さん撮影)。
何人もの帝京の選手が、ユニフォーム(黄色)とパンツ(青)と同じ配色のヤスダのスパイクを履いています。
図1 昭和58年度大会で優勝した帝京高校イレブン
図1は満員札止めになった昭和58年度大会決勝で連覇を目指した清水東高校を破って優勝した帝京高校の選手たちです。この大会でも青に黄色ラインのヤスダのスパイクを履いた選手が多く、おそらく平成に変わるころぐらいまで帝京イレブンのどなたかは履いていたと思います。

図2 ヤスダWX76(1985年発売)
ヤスダが市販品として青に黄色のスパイクを販売したのは図2のモデルで、多くのカラースパイクは有名サッカー用品店からオーダーメイドで発注されて製作されていたようです。
カラースパイクは強豪校御用達で、私のような弱小チームの一般選手にとっては実力が伴わずに、気恥ずかしくてとても履く気にはなりませんでした。
図3 1990年代半ばごろのヤスダカラーモデル(モデル名不明)
ヤスダのスパイクはJリーグ開幕後、ブラジル代表ドゥンガ選手も使用されました。また、90年代も(エナメルコートされた)カラースパイクを製造していたようです。
しかし、2002年に廃業してしまい、しばらくヤスダのスパイクでプレーする選手はいなくなりました。 2018年にクラウドファンディングで復活し、現在はプロ選手も徐々に使用するまでになってきたことは大変喜ばしいことです。
さて、巻頭写真の帝京高校の選手で抱き合って喜んでいるお二人のスパイクは見えませんが、図4のように、かつての有名サッカー用品店・ミナミスポーツオリジナルのペラーダを履いていました。
図4 川添選手(左)と名取選手(右)。富越さん撮影。
星形が入った(爆弾マーク?)独特のラインが特徴で、学生の間では人気があったと思います。
ペラーダシリーズはかなりのモデル数があったはずでが、一般のスポーツ店では購入できなかったので、地方で履くには通信販売で手に入れるしかないレアアイテムでした。
当然、現在ではなかなか見つけるのは難しいですが、運良く手に入ったのが図5、6のモデルです。
図5 ど派手なカラーのペラーダスター。帝京高校カラーですが、履いていた選手がおられたかは不明です。ソールはヤスダ製。
図6 2000年代に復刻されたペラーダスター。ソールにはGALEXの印字。中田英寿選手がペルージャに在籍していたころのユニフォームのメーカーだったと思います。
現在、再びペラーダを復活させようというクラウドファンディングが行われています(図7)。すでに目標額は達成されており、復刻版を手にするのが楽しみです。
往年のペラーダファンの方は応援しませんか?
図7 ペラーダスター復刻のクラウドファンディングホームページ
さて、ロングスローなどが話題になった99回大会で個人的に気になったのは審判の足元でした。
プーマが協賛しているこの大会の審判はこれまで上から下までプーマ製品でそろえていたようです。 そして、多くの方のスパイクは名品パラメヒコでした(図8)。
こちらでも書きましたが、2019年末にパラメヒコは生産終了になりました。
昨年度98回大会では新しいKINGの方もおられましたが、まだパラメヒコを履かれる方も多くおられたのですが、今年度はほとんどの方がアディダスのスパイクでした(図9)。
図8 2019年度98回大会の試合から(画像はゲキサカHPより転載させていただきました)。
図9 2020年度99回大会の試合から(画像はゲキサカHPより転載させていただきました)。
とうとうパラメヒコを目にする機会がなくなるんですねえ…。
パラメヒコにかわりコパムンディアル(コパムン)を履かれているのはレトロスパイクファンにとってはまだよいのですが、現役選手でおそらくただ一人のコパムン愛用者の前田選手が引退されることになりました。
時代の流れとは言え、寂しい気持ちですが、これまでのコパムンでの数々のご活躍に敬意を表するばかりです。
指導者になられてもぜひコパムンを使い続けてほしいと思います。
追記 サッカースパイクのことではありませんが、本コラムでも時々話題にしていた美津濃のグローブについて、こちらの雑誌に記事を執筆させていただきました。
昭和40年前後生まれの方はぜひご笑覧ください。
さて、こちらやこちらでも昭和後期の高校サッカーのスパイクについて紹介させていただきました。 当時はサッカーのプロがなく、冬の高校選手権は国内のサッカーイベントでは最も人気の高い大会でした。
巻頭の画像は昭和55年度の大会で優勝した帝京高校イレブンが、満員の国立のスタンドからなだれこんできた(?)少年ファンに取り囲まれている様子です(富越正秀さん撮影)。
何人もの帝京の選手が、ユニフォーム(黄色)とパンツ(青)と同じ配色のヤスダのスパイクを履いています。

図1は満員札止めになった昭和58年度大会決勝で連覇を目指した清水東高校を破って優勝した帝京高校の選手たちです。この大会でも青に黄色ラインのヤスダのスパイクを履いた選手が多く、おそらく平成に変わるころぐらいまで帝京イレブンのどなたかは履いていたと思います。

図2 ヤスダWX76(1985年発売)
ヤスダが市販品として青に黄色のスパイクを販売したのは図2のモデルで、多くのカラースパイクは有名サッカー用品店からオーダーメイドで発注されて製作されていたようです。
カラースパイクは強豪校御用達で、私のような弱小チームの一般選手にとっては実力が伴わずに、気恥ずかしくてとても履く気にはなりませんでした。

ヤスダのスパイクはJリーグ開幕後、ブラジル代表ドゥンガ選手も使用されました。また、90年代も(エナメルコートされた)カラースパイクを製造していたようです。
しかし、2002年に廃業してしまい、しばらくヤスダのスパイクでプレーする選手はいなくなりました。 2018年にクラウドファンディングで復活し、現在はプロ選手も徐々に使用するまでになってきたことは大変喜ばしいことです。
さて、巻頭写真の帝京高校の選手で抱き合って喜んでいるお二人のスパイクは見えませんが、図4のように、かつての有名サッカー用品店・ミナミスポーツオリジナルのペラーダを履いていました。

星形が入った(爆弾マーク?)独特のラインが特徴で、学生の間では人気があったと思います。
ペラーダシリーズはかなりのモデル数があったはずでが、一般のスポーツ店では購入できなかったので、地方で履くには通信販売で手に入れるしかないレアアイテムでした。
当然、現在ではなかなか見つけるのは難しいですが、運良く手に入ったのが図5、6のモデルです。


現在、再びペラーダを復活させようというクラウドファンディングが行われています(図7)。すでに目標額は達成されており、復刻版を手にするのが楽しみです。
往年のペラーダファンの方は応援しませんか?

さて、ロングスローなどが話題になった99回大会で個人的に気になったのは審判の足元でした。
プーマが協賛しているこの大会の審判はこれまで上から下までプーマ製品でそろえていたようです。 そして、多くの方のスパイクは名品パラメヒコでした(図8)。
こちらでも書きましたが、2019年末にパラメヒコは生産終了になりました。
昨年度98回大会では新しいKINGの方もおられましたが、まだパラメヒコを履かれる方も多くおられたのですが、今年度はほとんどの方がアディダスのスパイクでした(図9)。


とうとうパラメヒコを目にする機会がなくなるんですねえ…。
パラメヒコにかわりコパムンディアル(コパムン)を履かれているのはレトロスパイクファンにとってはまだよいのですが、現役選手でおそらくただ一人のコパムン愛用者の前田選手が引退されることになりました。
時代の流れとは言え、寂しい気持ちですが、これまでのコパムンでの数々のご活躍に敬意を表するばかりです。
指導者になられてもぜひコパムンを使い続けてほしいと思います。
追記 サッカースパイクのことではありませんが、本コラムでも時々話題にしていた美津濃のグローブについて、こちらの雑誌に記事を執筆させていただきました。
昭和40年前後生まれの方はぜひご笑覧ください。