
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.63 「GON中山選手のパラメヒコ編」
本年もコロナに翻弄され、なにかと制限の多い一年だったと思います。もともとインドアな趣味のヴィンテージサッカースパイク収集はコロナ禍にさほど影響されないので、今年も興味深いスパイクがいくつか入手できました。その中から今回はW杯日本代表初得点を記録したモデルを中心に紹介します。

現在、カタールW杯に向けた日本代表の厳しい戦いが続いていますが、ぜひとも初出場した98年大会からの連続出場を継続してほしいと思います。
その98年フランス大会で日本チーム唯一、しかもW杯での日本代表の歴史的初得点をあげたのがパラメヒコデュエを履いた中山選手でした(表紙画像)。
パラメヒコデュエは市販もされましたが、中山選手のモデルはシュータンに「GON」の刺繍が入り、つま先のステッチが少し多い特注品でした(図1)
図1 パラメヒコデュエの中山選手モデル(上)と市販品(下)。上の方がつま先横のステッチが細かくなっています。発売当初は「デュオ」だったそうですが、その後「デュエ」に変更されたそうです(ご参考)。
図2は最近フリマサイトで入手した中山選手モデルです。一応、非売品だそうですが、どのような経緯で製造され、前所有者が入手されたのかは不明です。 製造年月日や品番等のタグはありませんが、26.5センチのサイズシールが貼ってありました。
図2 パラメヒコデュエ・中山選手モデル。
きっと珍しいモデルだと思いますので、この機会に中山選手とパラメヒコデュエの歴史を調べてみました。 中山選手はユース代表だった筑波大学時代、つまり市販が開始された86年ごろからパラメヒコの愛用者でした(こちらをご参照ください)。
日本代表の点取り屋として活躍され始めた「ドーハの悲劇」で有名な94年アメリカW杯予選でもパラメヒコでプレーされましたが、そのころはまだ白一色ソールのノーマルパラメヒコだったと思います(「GON」の刺繍は入っていたはず)。 いつから赤ポイントのデュエにされたかが気になって調べてみると、95年のシーズン途中からだったようです(図3、4)。
図3 1995年9月30日Jリーグ対ジェフ市原戦。
図4 1995年10月21日Jリーグ対セレッソ大阪戦。10月14日横浜フリューゲルス戦、18日清水エスパルス戦ですでにデュエだった可能性もあります。
次に、中山選手がいつまでデュエをお使いだったかを調べてみました(図5)
図5 2009年ジュビロ磐田でのホーム最終戦(左)、コンサドーレ札幌移籍後(右)、当時J1最年長出場時(2012年)の中山選手。
というわけで、1995年から2012年までパラメヒコデュエを愛用しておられました。一つのモデルをこれだけ長く使われたのはおどろきですが、おそらくプロ選手で中山選手しか「デュエ」ソールのパラメヒコユーザーがいなかったのも不思議です(他におられたらお許しください)。
中山選手モデルは基本的に黒に白ラインで赤いポイントのモデルでしたが、違うカラーの時もありました(図6)。
図6 2002年W杯日韓大会(左)と2005年シーズンの中山選手。
2002年W杯の時のレプリカ(つま先ステッチはノーマル)と白に赤ラインの「デュエ」は市販されましたが、図6右の黒に赤ラインのカラーは特注だったと思います。
さて、ここからはJリーグ開始当初は多くのプロ選手が愛用していたパラメヒコの特別モデルのご紹介です。 これまでもいくつか特注パラメヒコをご紹介しましたが(第一弾、第二弾)、今回は3回目になります。 図7はこちらに続き、メキシコライトではない取替え式のパラメヒコです。
図7 ソール自体は80年代からあったパターンですが、取替え式なのにパラメヒコと表示されています。
調べてみると図7のモデルの愛用者は意外に多く、代表的な選手の方々を図8に挙げました。
図8 グランパス加入当初のストイコビッチ選手(左)、ヴェルディ川崎時代の都並選手(中央)、アメリカW杯最終予選時の福田選手(右)。ストイコビッチ選手の有名な雨中リフティングドリブルはこのスパイクだったと思います。
今年かなり驚いたこととして、2000年ごろの浦和レッズの多くの選手(図9)のスパイクが一挙にフリマやオークションサイトに出品されたことがありました。 いずれもかなり安価で出品されており、気づいた時はほとんど売却済みでしたが、石井俊也選手と吉野智行選手のパラメヒコは特注品のようだったので入手しました。
図9 2000年ごろの浦和レッズイレブン(上)。石井選手モデル(左下)は、つま先のステッチが多い「播戸選手タイプ」で、吉野選手モデル(右下)は、わかりにくいですが、ソールがノーマルとは異なるタイプでした。ちなみに、元横浜フリューゲルスの前田選手もパラメヒコのソールを変更していたそうです。
最後に、中山選手(一応現役引退はしておられなかったはず)は、現在はジュビロのコーチですが、めでたく今年J2優勝し、J1復帰を果たされました。ご自身のSNSや動画サイトでチームやパラメヒコのことも発信されておられます。 コーチ業で激しく使用された結果、ソールがはがれ、それを修理されたことも報告されていました(図10)。
図10 中山コーチのパラメヒコの修理前(左)と後(右)。
ソール再接着というより交換されたようです。 中山コーチであれば、廃版になったパラメヒコが現在も支給されるのでしょうが、壊れても新品再支給ではなく修理されている現状なんですね。 再販売は難しそうですねえ。 プーマジャパンによると、パラメヒコ用のソール交換もサイズによってはなくなっているらしいです。
アルゼンチンのパラメヒコとも言える「ボルシア」は、まだ製造されており、ソールはパラメヒコそっくりですので、ぜひ日本にも輸入してほしいです。
来年も往年の名プレーヤーのスパイクについて紹介できればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどより引用)
パラメヒコデュエは市販もされましたが、中山選手のモデルはシュータンに「GON」の刺繍が入り、つま先のステッチが少し多い特注品でした(図1)

図2は最近フリマサイトで入手した中山選手モデルです。一応、非売品だそうですが、どのような経緯で製造され、前所有者が入手されたのかは不明です。 製造年月日や品番等のタグはありませんが、26.5センチのサイズシールが貼ってありました。

きっと珍しいモデルだと思いますので、この機会に中山選手とパラメヒコデュエの歴史を調べてみました。 中山選手はユース代表だった筑波大学時代、つまり市販が開始された86年ごろからパラメヒコの愛用者でした(こちらをご参照ください)。
日本代表の点取り屋として活躍され始めた「ドーハの悲劇」で有名な94年アメリカW杯予選でもパラメヒコでプレーされましたが、そのころはまだ白一色ソールのノーマルパラメヒコだったと思います(「GON」の刺繍は入っていたはず)。 いつから赤ポイントのデュエにされたかが気になって調べてみると、95年のシーズン途中からだったようです(図3、4)。


次に、中山選手がいつまでデュエをお使いだったかを調べてみました(図5)

というわけで、1995年から2012年までパラメヒコデュエを愛用しておられました。一つのモデルをこれだけ長く使われたのはおどろきですが、おそらくプロ選手で中山選手しか「デュエ」ソールのパラメヒコユーザーがいなかったのも不思議です(他におられたらお許しください)。
中山選手モデルは基本的に黒に白ラインで赤いポイントのモデルでしたが、違うカラーの時もありました(図6)。

図6 2002年W杯日韓大会(左)と2005年シーズンの中山選手。
2002年W杯の時のレプリカ(つま先ステッチはノーマル)と白に赤ラインの「デュエ」は市販されましたが、図6右の黒に赤ラインのカラーは特注だったと思います。
さて、ここからはJリーグ開始当初は多くのプロ選手が愛用していたパラメヒコの特別モデルのご紹介です。 これまでもいくつか特注パラメヒコをご紹介しましたが(第一弾、第二弾)、今回は3回目になります。 図7はこちらに続き、メキシコライトではない取替え式のパラメヒコです。

調べてみると図7のモデルの愛用者は意外に多く、代表的な選手の方々を図8に挙げました。

今年かなり驚いたこととして、2000年ごろの浦和レッズの多くの選手(図9)のスパイクが一挙にフリマやオークションサイトに出品されたことがありました。 いずれもかなり安価で出品されており、気づいた時はほとんど売却済みでしたが、石井俊也選手と吉野智行選手のパラメヒコは特注品のようだったので入手しました。

図9 2000年ごろの浦和レッズイレブン(上)。石井選手モデル(左下)は、つま先のステッチが多い「播戸選手タイプ」で、吉野選手モデル(右下)は、わかりにくいですが、ソールがノーマルとは異なるタイプでした。ちなみに、元横浜フリューゲルスの前田選手もパラメヒコのソールを変更していたそうです。
最後に、中山選手(一応現役引退はしておられなかったはず)は、現在はジュビロのコーチですが、めでたく今年J2優勝し、J1復帰を果たされました。ご自身のSNSや動画サイトでチームやパラメヒコのことも発信されておられます。 コーチ業で激しく使用された結果、ソールがはがれ、それを修理されたことも報告されていました(図10)。

ソール再接着というより交換されたようです。 中山コーチであれば、廃版になったパラメヒコが現在も支給されるのでしょうが、壊れても新品再支給ではなく修理されている現状なんですね。 再販売は難しそうですねえ。 プーマジャパンによると、パラメヒコ用のソール交換もサイズによってはなくなっているらしいです。
アルゼンチンのパラメヒコとも言える「ボルシア」は、まだ製造されており、ソールはパラメヒコそっくりですので、ぜひ日本にも輸入してほしいです。
来年も往年の名プレーヤーのスパイクについて紹介できればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどより引用)