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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.70 「ボンバー55と66の違い編」

往年の名選手たちがお若いころ愛用したスパイクを語るときに、必ずといっていいほど登場するのが、アッパーの半分が布地でできた「ボンバー」ですが、個人的にはナゾが多いモデルでした。今回のコラムはボンバーシリーズで最も安かったにもかかわらず、人気は高かったモデルについてです。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2022/09/07
以前、こちらのコラムでボンバーシリーズのことを書かせていただきましたが、「ボンバー」とはアシックス(及びオニツカ)の「シャぺ」(取替え式)、「インジェクター」(固定式)の下位モデルに位置づけられたシリーズです。 価格は5000円前後で、どちらかと言うと入門用、少年用スパイクでしたが、種類によっては全国レベルの選手も愛用していました。

図1は1983年のサッカーマガジンの表紙ですが、インターハイ決勝と関東大学1部リーグで、いずれもボンバー66を履いた選手の写真が掲載されており、高校と大学のトップクラスの選手が愛用していたのがわかります。

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図1 サッカーマガジン1983年10月、12月号の表紙。10月号はインターハイ決勝の四日市中央工業(四中工)対水戸商業戦。12月号は関東大学1部リーグ、順天堂大対筑波大戦。四中工・江川選手(後にホンダやグランパスでご活躍)、順天大・湯田選手(後に読売クラブでご活躍)と、足だけ見えている筑波大の選手はボンバー66を履いています。

さて、ボンバーシリーズがどれぐらいの種類があったのかは定かではありませんが、主なモデルが載った広告が図2です。

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図2
 ボンバーシリーズ(82年ごろ)。それ以前、オニツカからアシックスに変わるころまで455577があったようです(45は72年ごろには55に替わっていたそうです)。 

以前のコラムでも触れましたが、ボンバーシリーズは安価で使い勝手がよいモデルとして練習、試合で使い倒されたはずですので、約40年後の昨今に状態の良いものを見つけるは至難の業です。

さらに人工皮革でできている部分は例外なく劣化しており、これまでになんとか見つけることができましたが、図3のようなありさまでした。

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図3
 ボンバーシリーズでもっとも人気が高かった(と思われる)66(左)と55。66は数年前に未使用品を入手しましたが、それ以降なかなか見つかりません。右は今年になってヤフオクで一挙に5足入手できた55の一部。5足とも未使用でしたが、すべてつま先部分が劣化していました。66はつま先部分と、ヒモを通す部分も劣化していました。 

ボンバー55は40年以上前の人気スパイクとして、私より少し上の世代の方がよく話題にされるのですが、正直、私自身は詳細を存じ上げませんでした。

図3右のモデルを入手した時も、すべて元箱はなく、出品者の説明にモデル名が記されておらず、これが55なのか確証はありませんでしたが、5足中1足に「ボンバー55」のタグが入っていました(図4)。  
せっかく55と66がそろったので、いつもお世話になっている「匠」のリペアショップで劣化部分の修復をお願いしました(表紙画像及び図4、5)。

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図4
 ボンバー55。劣化した人工皮革部分は本革で修復してもらいました。このタグのおかげで55であることがわかりました。リペア工房アモール様いつもありがとうございます。

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図5
 ボンバー66 つま先とヒモを通す穴のある部分を修復してもらいました。
 

もともと人工皮革だった部分が革になり、豪華仕様のボンバーになりました。 せっかくですので、55と66の違いを挙げますと、以下ぐらいだと思います。
・メーカーのマーク。55はOnitsukaで66はasics。
・つま先のステッチ。どちらも2本あるが、55の方は末広がり。
・55はかかと部分にプルストラップがあるが、66はない。
・ラインの重ね方。55は縦2本が上、66は下になっている(70年代のオニツカの特徴)。  

おそらくオニツカからアシックスに社名が変更された時期に、55の後継モデルとして66が製造され始めたのだと思います。
 
ほとんどのボンバーシリーズのソールは天然ゴム製のためか、今でも劣化がなく、当時のままの状態であるのはすごいことだと思います。 軽量化のため採用された当時のウレタンソールは軒並み劣化が進み、スパイクコレクターの悩みの種です。
今のご時世には反しますが、天然素材ってやはり偉大ですね。

さて、83年以前は強豪チームの選手でも高額なトップモデルではなく、試合でもボンバー66でプレーする方々が多くおられたようです。
図6は以前のコラムにも載せた画像ですが、清水東高校の新旧のエースプレーヤーです。

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図6 
長谷川健太選手(左)と望月達也選手。時期的に長谷川選手は66、望月選手は55(プルストラップがある)を履いていたようです。
 

清水東高校は高校選手権大会80年度準優勝、82年度優勝、83年度準優勝の超強豪校でした。さすがに82年、83年度本大会でボンバー66を履いていたのは長谷川選手だけだったと思いますが、静岡県予選決勝のボンバー66使用率はかなり高かったようです(図7)。

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図7
 82年度大会静岡県予選決勝、清水東対東海大一戦。画像の選手はみなさんボンバー66を履いていたようです。
 

83年度大会の静岡予選決勝は清水東対静岡学園(静学)でした。当時の静学にはカズ選手のお兄さん・三浦泰年選手や、こちらのコラムで「ボンバー55」のことを熱く語られていた向島建選手がおられました。

図8のように、向島選手のみならず、静学ではボンバー(時期的には66だと思われる)を履いている選手が多かったようです。

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図8
 三浦選手がキャプテンだった当時の静学サッカー部の練習(左)。ほとんどの選手のスパイクがボンバーに見えます。こちらは当時の貴重な練習映像です。三浦選手とともに、小柄ながら当時から注目されていた向島選手(右)。
 

ボンバーは当時の少年たちにも御用達モデルで、83年度の全国少年大会優勝の清水FCのメンバーにもボンバー愛用者がおられました(図9)。

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図9
 清水FCの9番の選手はボンバー66を履いています(左)。その向こう側の選手もアシックスですが、ボンバー66ではないようです。その後、このお二人は日本を代表する選手に成長されました(右)。藤田選手はコパムンディアルを長く愛用し、相馬選手は長くアシックスユーザーだったと思います。
 

ボンバー66は図2のように画像付き広告を見たことがありますが、55の広告は私が調べた限りほとんどなく、図10のように小さく価格のみ記されている程度でした。

ミーハーな当時の私は一番高額なモデルばかり興味を持っていましたが、見たこともありませんでした。

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図10
 80年ごろのサッカー雑誌中の広告。下は縁あって入手できた当時の最高峰モデルコレクター仲間に感謝です)。ただ、トップ選手でシャぺTX-IIを使っている選手を見たことがなく、圧倒的に安価なボンバーシリーズの方が人気があったのは不思議です。
 

ボンバー55、66は80年代前半まで、日本中の広い層のサッカープレーヤーに愛された名品でしたが、前述の通り、当時のサッカー王国・静岡での人気は特に高かったようです。

自分たちのスパイクより安いボンバーを履いた静岡のチームと試合をして、チンチンにされた逸話を聞くことがよくあります。  
しかし、84年ぐらいからは不思議とユーザーが少なくなり、向島選手が語られているように指導者も部分的に布地で作られているようなモデルを選手に薦めなくなったのかもしれません。
そのため、現在残っているボンバーの数は多くはないようですので、劣化している場合はリペアして大事にされてはいかがでしょうか。

(写真はサッカーマガジン、サッカーダイジェスト、アフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)