
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.74 「ペレ選手のスパイク編」
昨年末、まるでW杯を見届けたかのようにサッカーの王様・ペレさんが亡くなられました。選手としてW杯3回優勝、プロ通算1000ゴールなどなど、王様にふさわしいご経歴はご存じの方も多いと思いますが、キングギアでは王様のスパイクについて語らせていただきたいと思います。

私がペレ選手のプレーをリアルタイムで見たのは84年の釜本さんの引退試合が最初で最後でした。
世代の違いもあり、スパイクおたくの私にも王様の履いていたモデルは不明なことが多く、特にW杯については70年大会のことぐらいしか語ることができません。
それより前の58、62、66年大会のブラジル代表選手全員のスパイクは黒一色でメーカーすら判別できず、70年大会からプーマやアディダスのスパイクを使うようになったようです。
ただ、ペレ選手だけはグループリーグの3試合では、アッパーが黒い固定式のスパイクを履いていました(図1左)。
準々決勝ペルー戦ではじめてプーマのラインの固定式スパイクを使い始め、準決勝ウルグアイ戦も同じようなモデルでプレーされたようです(図1右)。

図1 (左)グループリーグ、チェコ戦前のブラジル代表。右から2人目のペレ選手のみ黒いスパイクです。(右)準決勝ウルグアイ戦。プーマのラインですが、いかにも後付けされた感じがします。70年当時のスパイク画像で、ここまで鮮明なのは驚きです。
ペレ選手が70年大会の決勝までの5試合で履いていた固定式モデルはおそらく、アディダスのWEMBLEY SLではないかと思われます(図2)。

図2 WEMBLEY SLと2000(取替え式)、右は当時のアディダスの固定式ソール。かかとのステッチやソール中央のラインは図1のペレ選手のモデルに似ています。
決勝のイタリア戦ではやたらシュータンの長い取替え式モデルでしたが、これまたツッコミどころ満載の不思議なモデルでした(図3)。

図3 70年大会決勝前のペレ選手。プーマラインの取替え式ですが、かかとにスタッドが4本ある変わったモデルでした。プーマラインもなんとなく違和感がある太さと形です。
右上は80年代のプーマの広告に載っていた、70年W杯でペレ選手が履いたスパイク。なぜかソールの色が白で、スタッドの数は6本…。
結局、70年大会決勝のペレ選手のスパイクが本当にプーマのモデルだったのかは定かではありませんが、この大会前にかかとにスタッドが3本あるモデルなども愛用していたようで、割と変則的なソールを好まれる傾向だったようです。
71年にブラジル代表を引退されてから、プーマは本格的にペレモデルを生産するようになり、その最高峰が多くのサッカー少年が憧れた「キングペレ」でした(図4、5)。

図4 71年ごろの初代「キングペレ」(右)。70年W杯決勝のモデルと同じく、かかと4本スタッドの取替え式タイプでした。サントスでキングペレを履いてプレーされるペレ選手(73年ごろ、富越正秀さん撮影)。

図5 74年ごろのプーマペレシリーズ広告(右)。モデルによっては白ラインバージョンもあったようです。キングペレ(右上)は6本スタッドになりました。きれいなキングペレをご覧になりたい方はこちらがおすすめです。右下は固定式ペレメキシコ。
6本スタッドにモデルチェンジした後のキングペレはご自身よりもクライフ選手やリベリーノ選手など他のスター選手が愛用していたと思われます。
私は80年代になってからサッカーに興味を持ち、そのころすでにペレさんは現役を引退されて久しかったのですが、相変わらずプーマのペレモデルはたくさん販売されていました。 その中でも、当時26000円もした高級モデルが「ペレキング」でした(図6)。

図6 ペレキング(82年ごろ発売)。
近年、古いスパイクを集め始めてあらたに知った、変わったハイエンドモデルが図7のハイカットモデルです。

図7 たぶんペレ選手が出場したW杯開催国の都市名のモデル。どちらも当時2万円越えの高級モデルでした。右下はペレロンドンと同じモデルナンバーで80年代後半に製造されたスパイク。ソールの色が黒白に変わっています。
西ドイツ製のプーマモデルが大好きで、昔憧れたペレキングや図7のモデルを入手しましたが、当のペレさんご本人はおそらくこれらのモデルは使わなかったと思います。
どちらかというと廉価版のプリメイロを表紙画像の釜本さん引退試合で使用し、北米リーグでは時々真っ黒のモデルを履いていたこともありました(図8)。

図8 日本製のプリメイロ(左上)。かかと部分はパラメヒコの原形のようなモデルでした。モデル名不明の黒モデル(左下)。一応、プーマ社製ですが、ラインすらありません。右は2000年以降にプーマジャパンが発売したキングペレ復刻モデル。おそらくプーマの最後のペレモデルです。
さて、サッカーの王様はスパイク業界でも王様らしく、プーマ以外にもたくさんのメーカーからシグネチャーモデルが発売されました。
75年からは当時サッカー不毛の地であったアメリカの北米リーグ「NYコスモス」で活躍され、その間はポニーのスパイクを履くことが多かったようです(図9)。

図9 アメリカでは人工芝のグランドなどでもプレーされました。右はポニーのペレシグネチャーモデル。
引退後プーマ以外にもアンブロやご自身のブランドのシグネチャーモデルがありましたが(図10)、意外なメーカーの「キングペレ」モデルもあったようです。

図10 アンブロ、 Pelé Sports のスパイクで親善試合でプレーするペレさん。 Pelé Sports のスパイク一例(右上)。右下はヒュンメルのペレモデル。いまだに見たことがありません。
プーマが誇るレジェンド、エウゼビオさん、クライフさん、ペレさん、そしてディエゴ様がすべて天国に逝ってしまいました。
とても寂しい現実ですが、レジェンドたちが愛したスパイクはこれからも大事にしたいと思います。
(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)
世代の違いもあり、スパイクおたくの私にも王様の履いていたモデルは不明なことが多く、特にW杯については70年大会のことぐらいしか語ることができません。
それより前の58、62、66年大会のブラジル代表選手全員のスパイクは黒一色でメーカーすら判別できず、70年大会からプーマやアディダスのスパイクを使うようになったようです。
ただ、ペレ選手だけはグループリーグの3試合では、アッパーが黒い固定式のスパイクを履いていました(図1左)。
準々決勝ペルー戦ではじめてプーマのラインの固定式スパイクを使い始め、準決勝ウルグアイ戦も同じようなモデルでプレーされたようです(図1右)。

図1 (左)グループリーグ、チェコ戦前のブラジル代表。右から2人目のペレ選手のみ黒いスパイクです。(右)準決勝ウルグアイ戦。プーマのラインですが、いかにも後付けされた感じがします。70年当時のスパイク画像で、ここまで鮮明なのは驚きです。
ペレ選手が70年大会の決勝までの5試合で履いていた固定式モデルはおそらく、アディダスのWEMBLEY SLではないかと思われます(図2)。

図2 WEMBLEY SLと2000(取替え式)、右は当時のアディダスの固定式ソール。かかとのステッチやソール中央のラインは図1のペレ選手のモデルに似ています。
決勝のイタリア戦ではやたらシュータンの長い取替え式モデルでしたが、これまたツッコミどころ満載の不思議なモデルでした(図3)。

図3 70年大会決勝前のペレ選手。プーマラインの取替え式ですが、かかとにスタッドが4本ある変わったモデルでした。プーマラインもなんとなく違和感がある太さと形です。
右上は80年代のプーマの広告に載っていた、70年W杯でペレ選手が履いたスパイク。なぜかソールの色が白で、スタッドの数は6本…。
結局、70年大会決勝のペレ選手のスパイクが本当にプーマのモデルだったのかは定かではありませんが、この大会前にかかとにスタッドが3本あるモデルなども愛用していたようで、割と変則的なソールを好まれる傾向だったようです。
71年にブラジル代表を引退されてから、プーマは本格的にペレモデルを生産するようになり、その最高峰が多くのサッカー少年が憧れた「キングペレ」でした(図4、5)。

図4 71年ごろの初代「キングペレ」(右)。70年W杯決勝のモデルと同じく、かかと4本スタッドの取替え式タイプでした。サントスでキングペレを履いてプレーされるペレ選手(73年ごろ、富越正秀さん撮影)。

図5 74年ごろのプーマペレシリーズ広告(右)。モデルによっては白ラインバージョンもあったようです。キングペレ(右上)は6本スタッドになりました。きれいなキングペレをご覧になりたい方はこちらがおすすめです。右下は固定式ペレメキシコ。
6本スタッドにモデルチェンジした後のキングペレはご自身よりもクライフ選手やリベリーノ選手など他のスター選手が愛用していたと思われます。
私は80年代になってからサッカーに興味を持ち、そのころすでにペレさんは現役を引退されて久しかったのですが、相変わらずプーマのペレモデルはたくさん販売されていました。 その中でも、当時26000円もした高級モデルが「ペレキング」でした(図6)。

図6 ペレキング(82年ごろ発売)。
近年、古いスパイクを集め始めてあらたに知った、変わったハイエンドモデルが図7のハイカットモデルです。

図7 たぶんペレ選手が出場したW杯開催国の都市名のモデル。どちらも当時2万円越えの高級モデルでした。右下はペレロンドンと同じモデルナンバーで80年代後半に製造されたスパイク。ソールの色が黒白に変わっています。
西ドイツ製のプーマモデルが大好きで、昔憧れたペレキングや図7のモデルを入手しましたが、当のペレさんご本人はおそらくこれらのモデルは使わなかったと思います。
どちらかというと廉価版のプリメイロを表紙画像の釜本さん引退試合で使用し、北米リーグでは時々真っ黒のモデルを履いていたこともありました(図8)。

図8 日本製のプリメイロ(左上)。かかと部分はパラメヒコの原形のようなモデルでした。モデル名不明の黒モデル(左下)。一応、プーマ社製ですが、ラインすらありません。右は2000年以降にプーマジャパンが発売したキングペレ復刻モデル。おそらくプーマの最後のペレモデルです。
さて、サッカーの王様はスパイク業界でも王様らしく、プーマ以外にもたくさんのメーカーからシグネチャーモデルが発売されました。
75年からは当時サッカー不毛の地であったアメリカの北米リーグ「NYコスモス」で活躍され、その間はポニーのスパイクを履くことが多かったようです(図9)。

図9 アメリカでは人工芝のグランドなどでもプレーされました。右はポニーのペレシグネチャーモデル。
引退後プーマ以外にもアンブロやご自身のブランドのシグネチャーモデルがありましたが(図10)、意外なメーカーの「キングペレ」モデルもあったようです。

図10 アンブロ、 Pelé Sports のスパイクで親善試合でプレーするペレさん。 Pelé Sports のスパイク一例(右上)。右下はヒュンメルのペレモデル。いまだに見たことがありません。
プーマが誇るレジェンド、エウゼビオさん、クライフさん、ペレさん、そしてディエゴ様がすべて天国に逝ってしまいました。
とても寂しい現実ですが、レジェンドたちが愛したスパイクはこれからも大事にしたいと思います。
(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)