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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.75 「マリノスレジェンドのスパイク編」

今から30年前の1993年に開幕したJリーグですが、横浜Fマリノスはいまだに一度も降格がなく、近年は上位常連の名門チームです。今では、前身の日産時代をご存じないファンの方も多いかもしれませんが、私にとってのマリノスのレジェンドたちのスパイクについて紹介します。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2023/02/24
今年もJリーグが始まりました。制約はまだありますが、ようやくコロナ禍前の状態に戻りつつあり、サポーターにとってもうれしいシーズン開幕だと思います。
さて、30年前もサッカーファンではありましたが、今のようなスパイクオタクではなく、当時の選手のスパイクについて注目したことはまったくありませんでした。
図1は開幕戦の横浜マリノスのイレブンです。

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図1 日産から生え抜きの選手のスパイクはアディダスが多いですが、野田選手、平川選手はパトリック、小泉選手、勝矢選手はミズノ、エバートン選手、ビスコンティ選手はプーマ、ディアス選手は隣の水沼選手も出場した79年のWユースの時からアディダスユーザーでした。  

今回の内容は図1の左端の3選手のスパイクについてですが、まずはレジェンド中のレジェンド、ミスター日産(マリノス)木村和司さんのスパイクです。

和司さんのスパイクと言えば、「コパムンディアル」ですが、ある日、和司さんファンでコパムン大好きの私にとっては驚愕のモデルが動画サイトで紹介されました(図2、3)。

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図2 和司さんがトークンを発行するということで、盟友・金田さんと共演された紹介動画

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図3
 その動画の中で、なんと和司さんの現役時代の実使用スパイクが登場。 

トークンの意味は私もよくわかりませんでしたが、和司さん実使用スパイクが購入特典としてもらえるとのことで、慌てふためいて登録して購入し、なんとか動画のモデルをゲットしました(図4)。

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図4
 和司さん実使用スパイク。現役を引退するころに使用していたとのことです。両足かかとにサイン入りです。95年の和司さん引退試合の記念Tシャツとともに。
 

このモデルはシュータンとかかとのトレフォイルマークが現行モデルと異なる90年代初めのタイプです。
 
ちなみに動画では紹介されなかったトークン購入特典のコパムンがもう一足ありましたが、こちらは現行版に似たタイプでした(図5)。

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図5
 もう一足のトークン特典用コパムン。こちらはもしかしたらJリーグ開幕時に履いていたものだったかもしれません(詳細は不明)。
 

Jリーグ開幕戦は水沼選手もコパムンを履いていました。こちらは3本線がソールまで伸びている旧型タイプ(たぶん西ドイツ製)でした(図6)。

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図6
  Jリーグ開幕戦の水沼選手。スパイクは右図上のタイプのコパムンでした。図4は下のタイプと同じです。
 

和司さんがレジェンドMFならば、レジェンドDFのお一人が井原正巳選手です。

和司さんのスパイクを入手できそうなころ、井原選手の実使用スパイクがオークションに出品されていました。 これは何かの縁と思い、かなり無理してなんとか落札できたのが図7です。

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図7
 井原選手実使用スパイク。93年のJリーグや、あの「ドーハの悲劇」のアメリカW杯予選で使っていたモデルです。ソールには少し土がついていますが、カタールのもの?三ツ沢?
 

ただ、井原選手はJリーグの開幕戦では図7ではない違うモデルを履いていました(図8右)。

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図8
 井原選手は93年の6月後半から図7のモデルを使うようになりました(左)。開幕戦(5月15日)から数試合は右の画像のモデルを使っていました。 

図8右の画像の井原選手のスパイクについての詳細はわかりませんが、80年代後半に販売されていたアステカというモデルに似ています。

図7のモデルもソールはアステカと同じパターンで、井原選手はこのタイプのソールが好みだったのかもしれません。
このモデルは井原さん専用モデルではなく、他にも履いているJリーガーはおられたようです。  

また、スパイクと一緒にシューズ袋とシンガードが付いていました(図9)。確かにシンガードのトレフォイルマークは図1の開幕戦の時と同じように見えます。

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図9
 井原さんは昔から漢字のサインをする時に「IHARA」のローマ字も一緒に入れることが多かったようです。
シューズ袋は92
年にアルゼンチン代表が来日したキリンカップの時のものでした。
 

最後はあの川口能活さんもマリノス歴代No.1GKに選んでいた松永成立さんのスパイク「EURO PRO」です(図10)。

私は知識が乏しくてずっとワールドカップだと思っていたのですが、昔から日本での取替え式モデルのニーズが少なく、西ドイツ(後にドイツ)製の「ワールドカップ」は80年代半ばから、おそらくアディダスジャパンができた98年ごろまで正規輸入されなかったようです。
その間、ワールドカップにそっくりな日本製のモデルが販売され、その一つが「EURO PRO」でした。私には側面の表示がないとワールドカップと見分けがつきません。

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図10
 93年アメリカW杯最終予選の松永選手と井原選手。右のEURO PROは松永さんの実使用ではなく、ただの中古です。
 

このころ、井原さんも代表で、和司さん、水沼さんもマリノスで「ワールドカップ」のような取替え式を履いていた時がありますが(図11)、これらもEURO PROだったのでしょうか?

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図11
 マリノスの試合でアディダスの取替え式モデルでプレーする和司さん(左)と水沼さん。水沼さんのモデルは図6のコパムンと同様、3本線がソールまで伸びている西ドイツ時代のものだと思われます。
 

今回、運よくレジェンド実使用モデルが入手でき、Jリーグ開始当時のスパイクをあらためて調べてみました。


水沼さんや井原さんがJリーグ開幕当時に履いていたスパイクは、そのころにしては古いモデルだったようで、こだわりのようなものがあったのかもしれません。

やはり、JSL時代から日本サッカーをけん引されてきた選手たちは、華やかなプロサッカーへの意気込みとともに、スパイクにもそれぞれ思い入れがあったように感じます。

(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)