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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.76 「ミッシェル・プラティニ選手のスパイク編」

今では2度のW杯優勝経験国で、今後しばらくは世界のトップに君臨し続けそうなフランス代表ですが、1980年代唯一のタイトルが84年の欧州選手権でした。その大会のみならず、82年、86年W杯ベスト4など、80年代のフランス代表を牽引した「将軍」プラティニ選手のスパイク遍歴は意外とユニークでした。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2023/03/28
80年代は、代表もクラブもチーム全員同じメーカーのスパイクを履くことが多かったのはご存じかと思います。
当時はまだ個人専用モデルのスパイクはまれで、スーパースターといえども、おそらく市販品のもっとも高級なモデルを使っていたと思います。
西ドイツ製のハイエンドモデルは今でも見つかることがありますが、84年EUROでプラティニ選手が使っていたスパイクは個人的にこれまで幻のモデルでしたが、とうとう実際に見ることができました(図1、2)。


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図1 84年EUROでフランス初優勝に導いたプラティニ選手は得点王(9得点)も獲得し、全試合フランス製アディダス「EUROPA」を履いてプレーされました。

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図2 1985年のメキシコW杯予選でも同じモデルを履いていました(左)。モデル番号AA2763のフランス製adidas EUROPA(右)。

プラティニ選手は長めのシュータンが好きではなかったようで、84年EUROではシュータンを短くしていたようですが、85年のW杯予選では普通だったようです。  

さて、80年代初めまでのプラティニ選手のスパイクは個人的にはあまり存じ上げなかったので、この機会に調べてみました。
70年代のフランス代表でのプラティニ選手のスパイクは白い3本線のアディダスがほとんどだったようですが、79年のW杯予選では珍しく緑ラインの「Penarol」らしきモデルを履いていました(図3)。

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図3
 79年W杯予選で緑ラインのアディダス取替え式モデルを履くプラティニ選手。右はフランス製「Penarol」。82年W杯でジレス選手も使用していたモデルです。

「Penarol」は白ライン版もあったようなので、70年代後半のフランス代表選手はそちらも使用していたかもしれません。 
70年代からW杯初優勝した98年大会ぐらいまでのフランス代表はユニフォームのメーカーと同じアディダスのスパイクを選手全員が履いていたと思います。 しかし、78年にプラティニ選手が所属していたAS Nancyの選手のスパイクは全員「HUNGA」製でした。
プラティニ選手はそのスパイクがお気に入りだったのか、そのころの代表戦でも「HUNGA」に3本線をつけて使っていたようです(図4)。

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図4
 78年のAS Nancyイレブン(左)。ジャージはルコック、ユニフォームはアディダスですが、スパイクは全員「HUNGA」でした。79年の代表戦(バイエルン・ミュンヘンとの親善試合)では「HUNGA」のスパイクを3本線にしているように見え、試合前(中央)は3本ですが、試合中(右)に真ん中の線が取れかかっていたようです。

また、80年ごろに在籍していたAS Saint Etienneはユニフォームもスパイクも全員ルコック製でした(図5)。
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図5 80/81年シーズンのAS Saint Etienneの選手達(左)とルコックのスパイクを履いているプラティニ選手(右)。

このスパイクも気に入っていたのか、スペインW杯予選(81年)のプラティニ選手は、ルコックのスパイクに3本線をつけて使っていたようです(図6)。

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図6
 81年W杯予選ベルギー戦(右)、82年ペルーとの親善試合のプラティニ選手。
何か違和感のある3本線とかかとには鶏のマークがあるような…。 以前、アディダスのProfiと思っていたモデルはルコック製だったようです。

お恥ずかしながら、私がプラティニ選手を初めて知ったのは82年のスペインW杯からでした。

この大会でのフランス選手の多くは図7の「Iberica」を使っていました。

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図7
 82年W杯で、当時アディダスでは珍しかった7本スタッドの「Iberica」を履いてプレーするプラティニ選手。「Iberica」に限らず、フランス製のシュータンマークは青と黒がありました。

82年大会後、イタリア・セリエAのユベントスに移籍し、パトリックのスパイクを履いて大活躍しました(3年連続得点王など)。
85年トヨタカップで来日し、幻のボレーシュートゴールなど、華麗なプレーを披露し、日本のファンにはこの時の雄姿が印象深いのではないでしょうか(図8左)。

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図8 85年トヨタカップで、パトリックのスパイクでプレーするプラティニ選手。ただ、ユベントスに移籍した直後は82年W杯で使っていた「Iberica」にパトリックの2本製をつけて使っていたようです(右上)。また、そのころの代表戦ではそのスパイクにまた3本線をつけて(計5本線)履いていたようです(右下)。

「Iberica」の次にプラティニ選手が愛用したのが、最初にご紹介した「EUROPA」ですが、プラティニ選手の他にも84年EUROのフランスやポルトガル代表選手の何人かは使っておられました(図9)。

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図9
 83年暮れのフランス代表合宿のメンバー。多くの選手が「EUROPA」を履いて撮影されたようです。

繰返しになりますが、プラティニ選手は84年EURO後も「EUROPA」を愛用していましたが、ユベントスでもパトリックの2本線をつけて使っていたようです(図10)。

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図10 80年代のサッカー界において最悪の惨事になったヘイゼルの悲劇の時(85年チャンピョンズカップ決勝、対リバプール)、プラティニ選手はおそらく「EUROPA」にパトリックの2本線をつけて使っていたようです。

プラティニ選手は代表ではヨーロッパチャンピョン、クラブでも世界一を獲得し、満を持して86年メキシコW杯に臨みましたが、前回大会同様、準決勝で西ドイツに屈してしまいました。

結局、この大会がプラティニ選手の最後の国際大会で、全試合「Stratos SL」でプレーされました。 「Stratos SL」はこちらでもご紹介しましたが、86年W杯用にデビューし、多くの名選手が使ったモデルですが、私が知る限りかなり多様性があるモデルです(図11~14)。

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図11
 86年W杯準決勝・フランス対西ドイツ戦試合前(左)。当時のヨーロッパの二大スターのルムメニゲ選手(西ドイツ)とプラティニ選手は「Stratos SL」を履いていました。
右はどちらもプラティニ選手の「Stratos SL」ですが、右上の西ドイツ戦と右下のブラジル戦では芝の状態に合わせてスタッドの長さを変えていたようです。また、3本線もソールも白色です。

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図12
 予選リーグのカナダ戦。カナダの選手も「Stratos SL」ですが、3本線は銀色のようです。

「Stratos SL」の市販品は図13の右上のような3本線、ソール、かかとのマーク部分が銀色のタイプで、シュータンマークは黒地に赤のトレフォイルが一般的だったと思います。
稀にシュータンマークが青地に白のトレフォイルのモデルもありました(図13右下)。 最近、3本線とかかとマークが白の「Stratos SL」も入手しましたが、ソールは市販品と同じ銀色です(図13左)。

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図13
 様々な「Stratos SL」。これらは西ドイツ製ですが、オーストリア製、ポルトガル製もありました。3本線が白い方は縁にギザギザがありますが、銀色の方はありません。

「Stratos SL」の多様性については少しマニアックですので、続きは個人ブログでいつか紹介できればと思います。   

以上、我々世代のフランスサッカー界最大のスター、ミッシェル・プラティニ選手のスパイク紹介でした。

(写真はアフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)