
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.21 『少し微妙な監督のシグネチャーモデル編』
このお二人はとても有名な監督ですが、昨今ですと、昔からのサッカーファンでないと誰だかわからないかもしれません。背景にプーマのロゴが見えますが、お二人ともプレーはしないのに、お名前の入ったスパイクがありました。

(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/)昨今の自然災害の頻度の多さ、規模の大きさに恐れおののくしだいです。
台風の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、日本でもサッカー解説者で、契約会社のロゴバッチを私服につける方をよく見ますが、巻頭右のレーハーゲル氏はこの頃(多分80年代)からプーマのバッチをつけています。
巻頭左はメノッティ氏で、78年、82年W杯のアルゼンチン代表監督で、その後バルサでも監督をされました。また、78年大会と日本で行われた79年Wユースの優勝監督でもあり、当時最も優秀な指導者のお一人だったと思います。
そのため、メノッティ監督の意見を取り入れたというキャッチフレーズで、いくつものメノッティモデルのプーマスパイクがありました(5話などもご参照下さい)。
メノッティモデルの特徴はずばり「すべて高い」でした。 その中でも一番高額だったのが図1の「メノッティスター」です。

図1 白シュータンの西ドイツ製で黒・黄色2色取替え式は最も好きなタイプのため、いつのまにか数が増え、メノッティスターは確かもう1足あったと思います。
スタッドが白い方が古く、それぞれ革の形状や中敷きなどが微妙に異なります。モデル番号は497です。つま先部分が2枚革のキングと異なり、ステッチのみの1枚革(カンガルー)です。
メノッティシリーズで一番有名なのは固定式の「シーザーメノッティ」だと思います。シュータンのパターンはいろいろありますが、アッパーはボックスカーフで、つま先は他のメノッティシリーズと同じくステッチのみの一枚革です(2、14話もご参照下さい)。
最大の特徴はスタッドが10本だったことで、70年代終盤にデビューし、国内外のトップ選手が愛用していたと思います。しかし、実際に履いている選手を見つけるのは結構難しいです。
図2 10本スタッドのモデルを履くタランティーニ選手と奥田選手。かかと3本スタッドは今見ても斬新です。
ただ、国内版プロフェッショナルも10本スタッドだったようで、奥田選手のスパイクはどちらだったのかは不明です。
10本スタッドのプーマ固定式スパイクは80年代前半までは使用選手がおられたようですが、私が知る限り最後に使っていたトップ選手として確認できるのは86年W杯のグティエレス選手です(図3左)。
神もアルヘンチノス時代に使用したことがあるようです(右)。
図3 86年W杯決勝T1回戦で神をマークするウルグアイ代表のグティエレス選手(左)。78年頃の神(右)。
ここから巻頭両名監督シグネチャーモデルの微妙な関係についてです。 シーザーメノッティはモデル番号370ですが、ほぼ同じ仕様のスパイクがレーハーゲル氏のシグネチャーモデル(モデル番号371)として存在しました。スタッドも10本だったようです(図4)。
図4 シーザーメノッティ(左)、オットー・レーハーゲルコーチ(右)。どちらも元々は10本スタッドでしたが、入手時には剥がされており、パラメヒコのソールをつけてもらいました。見た目はそっくりです。
右は日本のカタログにはなかったと思いますが、84年ぐらいのサッカー用品店の広告に10本スタッドの写真と価格が短期間載っていました。
もう一つのメノッティシリーズとして、黒シュータンで黒・黄色2色ソールのWMメノッティが同時期に販売されていました。このモデルは後に、ソールが新型になりますが、モデル番号は一貫して470でした(図5左上)。
こちらも固定式同様、モデル番号が一つ違い(471)のレーハーゲルモデルが存在します(左下及び右)。固定式と違ってアッパーはまったく同じではないようですが、仕様はよく似ています。
図5 (新型)WMメノッティ(左上)、オットー・レーハーゲル(右)。右は白シュータンで、ヒモ穴を形成する革が白く縁どられています。
レーハーゲル氏は80年代に奥寺さんも所属していたブレーメンを強豪チームにした監督として名を馳せ、その後、ギリシャ監督として2004年ユーロを制覇した名伯楽です。
同時期のブレーメンでは西ドイツ代表の点取り屋フェラー選手も活躍していました(図6左上)。
マテウス選手と同様、代表ではアディダススパイクを履いていましたが、クラブチームではプーマを使用し、シグネチャーモデルもあります。そのモデルの一つが図6のフェラースターで、図1のメノッティスターととてもよく似ていますが、モデル番号は495です。
また、固定式のシグネチャーモデル(モデル番号596)は日本ではWM82(モデル番号595)という名前で販売されていました。
図6 (左上)ブレーメン時代のレーハーゲル監督とフェラー選手。メノッティスターにそっくりなフェラースター(右上)。
下は国内外で違う名前で販売されたWM82(左下、別名アリバ)とフェラーモデル(右下)。アッパーはトレロ(3話をご参照下さい)と同じようです。
(図1のような)プーマの黒・黄色2色ソールはおそらく88年頃に見かけなくなりましたが、色は黒・白に変更となり製造され続けます。
神はこのソールがお好きだったようで、80年代後半からこのソールのモデルを使用し始めます(図7左)。
アッパーはつま先2枚革のキングと同じですが、多分特注品で、一部のコレクターさんが所有されているようです(右上)。モデル番号495もフェラー選手の名前はなくなりますが、ソールは黒・白になったようです(右下)。
図7 (左)80年代後期のナポリ時代の神。多分、手にしているスパイクと同じモデル(右上)を中央右のVignati氏らがお持ちです。
この方はイタリアのマラドーナグッズコレクターで中央左の神の弟・ウーゴ氏と展示会をされているようです。
右下は80年代後期のモデル番号495のスパイク。つま先が2枚革であれば上のモデルと同じなのですが…。
最後は80年代の他の監督シリーズです。バイスバイラーモデルは14話で少しご紹介しましたが、知る限りでは宇佐美選手の天敵ハインケス氏(図8上)モデルや、神のバルサ入団時の監督、ラテック氏のシグネチャーモデルがあります。
昨今では監督の名の入ったスパイクはないと思いますが、昔はチーム全員がユニフォームと同じメーカーのスパイクを使っていましたので、監督と契約することで、選手のサプライヤー権利を獲得するのに有利だったのかもしれません。
今は使用スパイクのメーカーは選手によってバラバラですが、W杯優勝チームのプーマ愛用選手(グリーズマン選手、ジルー選手、デシャン監督も現役時はプーマ)の活躍や、世界的点取り屋(ルカク選手、スアレス選手)がプーマと契約し、プーマファンには喜ばしいことです。

図8 (上)ハインケス氏とそのシグネチャーモデル。バイエルンでプーマロゴが入った衣類はかなり珍しいかも…。
スパイクは18話のマラドーナ10とよく似ています。(下)メノッティ氏から神を強奪する(?)ラティク氏。プーマのラティクモデルはスパイクよりスニーカーの方が有名なようです。
さて、次回は80年代前半のフランスの英雄のスパイクをご紹介したいと思います。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
台風の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、日本でもサッカー解説者で、契約会社のロゴバッチを私服につける方をよく見ますが、巻頭右のレーハーゲル氏はこの頃(多分80年代)からプーマのバッチをつけています。
巻頭左はメノッティ氏で、78年、82年W杯のアルゼンチン代表監督で、その後バルサでも監督をされました。また、78年大会と日本で行われた79年Wユースの優勝監督でもあり、当時最も優秀な指導者のお一人だったと思います。
そのため、メノッティ監督の意見を取り入れたというキャッチフレーズで、いくつものメノッティモデルのプーマスパイクがありました(5話などもご参照下さい)。
メノッティモデルの特徴はずばり「すべて高い」でした。 その中でも一番高額だったのが図1の「メノッティスター」です。

図1 白シュータンの西ドイツ製で黒・黄色2色取替え式は最も好きなタイプのため、いつのまにか数が増え、メノッティスターは確かもう1足あったと思います。
スタッドが白い方が古く、それぞれ革の形状や中敷きなどが微妙に異なります。モデル番号は497です。つま先部分が2枚革のキングと異なり、ステッチのみの1枚革(カンガルー)です。
メノッティシリーズで一番有名なのは固定式の「シーザーメノッティ」だと思います。シュータンのパターンはいろいろありますが、アッパーはボックスカーフで、つま先は他のメノッティシリーズと同じくステッチのみの一枚革です(2、14話もご参照下さい)。
最大の特徴はスタッドが10本だったことで、70年代終盤にデビューし、国内外のトップ選手が愛用していたと思います。しかし、実際に履いている選手を見つけるのは結構難しいです。

ただ、国内版プロフェッショナルも10本スタッドだったようで、奥田選手のスパイクはどちらだったのかは不明です。
10本スタッドのプーマ固定式スパイクは80年代前半までは使用選手がおられたようですが、私が知る限り最後に使っていたトップ選手として確認できるのは86年W杯のグティエレス選手です(図3左)。
神もアルヘンチノス時代に使用したことがあるようです(右)。

ここから巻頭両名監督シグネチャーモデルの微妙な関係についてです。 シーザーメノッティはモデル番号370ですが、ほぼ同じ仕様のスパイクがレーハーゲル氏のシグネチャーモデル(モデル番号371)として存在しました。スタッドも10本だったようです(図4)。

右は日本のカタログにはなかったと思いますが、84年ぐらいのサッカー用品店の広告に10本スタッドの写真と価格が短期間載っていました。
もう一つのメノッティシリーズとして、黒シュータンで黒・黄色2色ソールのWMメノッティが同時期に販売されていました。このモデルは後に、ソールが新型になりますが、モデル番号は一貫して470でした(図5左上)。
こちらも固定式同様、モデル番号が一つ違い(471)のレーハーゲルモデルが存在します(左下及び右)。固定式と違ってアッパーはまったく同じではないようですが、仕様はよく似ています。

レーハーゲル氏は80年代に奥寺さんも所属していたブレーメンを強豪チームにした監督として名を馳せ、その後、ギリシャ監督として2004年ユーロを制覇した名伯楽です。
同時期のブレーメンでは西ドイツ代表の点取り屋フェラー選手も活躍していました(図6左上)。
マテウス選手と同様、代表ではアディダススパイクを履いていましたが、クラブチームではプーマを使用し、シグネチャーモデルもあります。そのモデルの一つが図6のフェラースターで、図1のメノッティスターととてもよく似ていますが、モデル番号は495です。
また、固定式のシグネチャーモデル(モデル番号596)は日本ではWM82(モデル番号595)という名前で販売されていました。

下は国内外で違う名前で販売されたWM82(左下、別名アリバ)とフェラーモデル(右下)。アッパーはトレロ(3話をご参照下さい)と同じようです。
(図1のような)プーマの黒・黄色2色ソールはおそらく88年頃に見かけなくなりましたが、色は黒・白に変更となり製造され続けます。
神はこのソールがお好きだったようで、80年代後半からこのソールのモデルを使用し始めます(図7左)。
アッパーはつま先2枚革のキングと同じですが、多分特注品で、一部のコレクターさんが所有されているようです(右上)。モデル番号495もフェラー選手の名前はなくなりますが、ソールは黒・白になったようです(右下)。

この方はイタリアのマラドーナグッズコレクターで中央左の神の弟・ウーゴ氏と展示会をされているようです。
右下は80年代後期のモデル番号495のスパイク。つま先が2枚革であれば上のモデルと同じなのですが…。
最後は80年代の他の監督シリーズです。バイスバイラーモデルは14話で少しご紹介しましたが、知る限りでは宇佐美選手の天敵ハインケス氏(図8上)モデルや、神のバルサ入団時の監督、ラテック氏のシグネチャーモデルがあります。
昨今では監督の名の入ったスパイクはないと思いますが、昔はチーム全員がユニフォームと同じメーカーのスパイクを使っていましたので、監督と契約することで、選手のサプライヤー権利を獲得するのに有利だったのかもしれません。
今は使用スパイクのメーカーは選手によってバラバラですが、W杯優勝チームのプーマ愛用選手(グリーズマン選手、ジルー選手、デシャン監督も現役時はプーマ)の活躍や、世界的点取り屋(ルカク選手、スアレス選手)がプーマと契約し、プーマファンには喜ばしいことです。

図8 (上)ハインケス氏とそのシグネチャーモデル。バイエルンでプーマロゴが入った衣類はかなり珍しいかも…。
スパイクは18話のマラドーナ10とよく似ています。(下)メノッティ氏から神を強奪する(?)ラティク氏。プーマのラティクモデルはスパイクよりスニーカーの方が有名なようです。
さて、次回は80年代前半のフランスの英雄のスパイクをご紹介したいと思います。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。