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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.21 『少し微妙な監督のシグネチャーモデル編』

このお二人はとても有名な監督ですが、昨今ですと、昔からのサッカーファンでないと誰だかわからないかもしれません。背景にプーマのロゴが見えますが、お二人ともプレーはしないのに、お名前の入ったスパイクがありました。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2018/09/05
(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/昨今の自然災害の頻度の多さ、規模の大きさに恐れおののくしだいです。
台風の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

さて、日本でもサッカー解説者で、契約会社のロゴバッチを私服につける方をよく見ますが、巻頭右のレーハーゲル氏はこの頃(多分80年代)からプーマのバッチをつけています。 

巻頭左はメノッティ氏で、78年、82年W杯のアルゼンチン代表監督で、その後バルサでも監督をされました。また、78年大会と日本で行われた79年Wユースの優勝監督でもあり、当時最も優秀な指導者のお一人だったと思います。 

そのため、メノッティ監督の意見を取り入れたというキャッチフレーズで、いくつものメノッティモデルのプーマスパイクがありました(5話などもご参照下さい)。 

メノッティモデルの特徴はずばり「すべて高い」でした。 その中でも一番高額だったのが図1の「メノッティスター」です。

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図1 白シュータンの西ドイツ製で黒・黄色2色取替え式は最も好きなタイプのため、いつのまにか数が増え、メノッティスターは確かもう1足あったと思います。

スタッドが白い方が古く、それぞれ革の形状や中敷きなどが微妙に異なります。モデル番号は497
です。つま先部分が2枚革のキングと異なり、ステッチのみの1枚革(カンガルー)です。
  

メノッティシリーズで一番有名なのは固定式の「シーザーメノッティ」だと思います。シュータンのパターンはいろいろありますが、アッパーはボックスカーフで、つま先は他のメノッティシリーズと同じくステッチのみの一枚革です(214話もご参照下さい)。

最大の特徴はスタッドが10本だったことで、70年代終盤にデビューし、国内外のトップ選手が愛用していたと思います。しかし、実際に履いている選手を見つけるのは結構難しいです。

Thumb efbc93図2 10本スタッドのモデルを履くタランティーニ選手と奥田選手。かかと3本スタッドは今見ても斬新です。

ただ、国内版プロフェッショナルも10
本スタッドだったようで、奥田選手のスパイクはどちらだったのかは不明です。
  

10本スタッドのプーマ固定式スパイクは80年代前半までは使用選手がおられたようですが、私が知る限り最後に使っていたトップ選手として確認できるのは86年W杯のグティエレス選手です(図3左)。

神もアルヘンチノス時代に使用したことがあるようです(右)。

Thumb efbc94図3 86年W杯決勝T1回戦で神をマークするウルグアイ代表のグティエレス選手(左)。78年頃の神(右)。   

ここから巻頭両名監督シグネチャーモデルの微妙な関係についてです。 シーザーメノッティはモデル番号370ですが、ほぼ同じ仕様のスパイクがレーハーゲル氏のシグネチャーモデル(モデル番号371)として存在しました。スタッドも10本だったようです(図4)。

Thumb efbc95図4 シーザーメノッティ(左)、オットー・レーハーゲルコーチ(右)。どちらも元々は10本スタッドでしたが、入手時には剥がされており、パラメヒコのソールをつけてもらいました。見た目はそっくりです。

右は日本のカタログにはなかったと思いますが、84
年ぐらいのサッカー用品店の広告に10本スタッドの写真と価格が短期間載っていました。
  

もう一つのメノッティシリーズとして、黒シュータンで黒・黄色2色ソールのWMメノッティが同時期に販売されていました。このモデルは後に、ソールが新型になりますが、モデル番号は一貫して470でした(図5左上)。

こちらも固定式同様、モデル番号が一つ違い(471)のレーハーゲルモデルが存在します(左下及び右)。固定式と違ってアッパーはまったく同じではないようですが、仕様はよく似ています。

Thumb efbc96図5 (新型)WMメノッティ(左上)、オットー・レーハーゲル(右)。右は白シュータンで、ヒモ穴を形成する革が白く縁どられています。   

レーハーゲル氏は80年代に奥寺さんも所属していたブレーメンを強豪チームにした監督として名を馳せ、その後、ギリシャ監督として2004年ユーロを制覇した名伯楽です。

同時期のブレーメンでは西ドイツ代表の点取り屋フェラー選手も活躍していました(図6左上)。

マテウス選手と同様、代表ではアディダススパイクを履いていましたが、クラブチームではプーマを使用し、シグネチャーモデルもあります。そのモデルの一つが図6のフェラースターで、図1のメノッティスターととてもよく似ていますが、モデル番号は495です。

また、固定式のシグネチャーモデル(モデル番号596)は日本ではWM82(モデル番号595)という名前で販売されていました。

Thumb efbc97図6 (左上)ブレーメン時代のレーハーゲル監督とフェラー選手。メノッティスターにそっくりなフェラースター(右上)。

下は国内外で違う名前で販売されたWM82(左下
、別名アリバ)とフェラーモデル(右下)。アッパーはトレロ(3話をご参照下さい)と同じようです。
  

(図1のような)プーマの黒・黄色2色ソールはおそらく88年頃に見かけなくなりましたが、色は黒・白に変更となり製造され続けます。 

神はこのソールがお好きだったようで、80年代後半からこのソールのモデルを使用し始めます(図7左)。

アッパーはつま先2枚革のキングと同じですが、多分特注品で、一部のコレクターさんが所有されているようです(右上)。モデル番号495もフェラー選手の名前はなくなりますが、ソールは黒・白になったようです(右下)。

Thumb efbc98図7 (左)80年代後期のナポリ時代の神。多分、手にしているスパイクと同じモデル(右上)を中央右のVignati氏らがお持ちです。

この方はイタリアのマラドーナグッズコレクターで中央左の神の弟・ウーゴ氏と展示会をされているようです。

右下は80
年代後期のモデル番号495のスパイク。つま先が2枚革であれば上のモデルと同じなのですが…。
  

最後は80年代の他の監督シリーズです。バイスバイラーモデルは14話で少しご紹介しましたが、知る限りでは宇佐美選手の天敵ハインケス氏(図8上)モデルや、神のバルサ入団時の監督、ラテック氏のシグネチャーモデルがあります。 

昨今では監督の名の入ったスパイクはないと思いますが、昔はチーム全員がユニフォームと同じメーカーのスパイクを使っていましたので、監督と契約することで、選手のサプライヤー権利を獲得するのに有利だったのかもしれません。

今は使用スパイクのメーカーは選手によってバラバラですが、W杯優勝チームのプーマ愛用選手(グリーズマン選手、ジルー選手、デシャン監督も現役時はプーマ)の活躍や、世界的点取り屋(ルカク選手、スアレス選手)がプーマと契約し、プーマファンには喜ばしいことです。

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図8 (上)ハインケス氏とそのシグネチャーモデル。バイエルンでプーマロゴが入った衣類はかなり珍しいかも…。

スパイクは18
話のマラドーナ10とよく似ています。(下)メノッティ氏から神を強奪する(?)ラティク氏。プーマのラティクモデルはスパイクよりスニーカーの方が有名なようです。
  

さて、次回は80年代前半のフランスの英雄のスパイクをご紹介したいと思います。   

(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)



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80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。