
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.26 「86年W杯の多様なアディダススパイク編」
これまでもご紹介してきた80年代の西ドイツとフランスのスーパースターお二人は86年メキシコ大会が最後のW杯でした。お互い両チームの主将として臨んだ準決勝では同じモデルのスパイクでプレーされました。個人的に一番印象深いW杯なのですが、今さらながら、多種多様なアディダススパイクが使われた大会でした。

(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/)メキシコ大会の決勝や準決勝の会場は芝が長いピッチだったためか、取替え式スパイクの選手が多かったように思います。
この試合で巻頭のお二人は取替え式のストラトスSLをご使用でした(図1右)。
他にも西ドイツ・フェラー選手や、ソ連・ベラノフ選手、大会得点王のリネカー選手なども履いていたので、攻撃的な選手が好んだモデルだったと思います。
プラティニ選手は大会を通してストラトスSLを履いていたようですが、ルムメニゲ選手は準決勝と決勝のみ、このモデルを使用したようです。
ルムメニゲ選手がW杯本戦で3マテリアルソールのスパイクを履いたのは、82年大会の(悪夢の敗戦を喫した)初戦アルジェリア戦以来だったと思います。

図1 細かいことですが、このモデルには側面の「STRATOS SL」の表示場所が異なるタイプが存在するようで、シュータン裏はワールドカップやコパムンと同じく白色です。
市販モデルはラインもソール部分も銀色っぽいですが、当時のW杯出場選手が使用していたのは真っ白に見えます。
86年大会の選手のスパイクはまだ2大メーカー(アディダス、プーマ)が主流でした。 両メーカーともW杯に合わせて新製品を精力的に開発したようですが、特にアディダスは図1のストラトスSLの他にも新旧の様々なモデルが使用されました。
もちろん前大会でデビューした3マテリアルソールのワールドカップや、コパムンを履く選手は86年大会でも多数おられました。
準々決勝のメキシコ戦で西ドイツのブリーゲル選手(図3左の中央白ユニフォーム)はストラトスSLと同様、この大会からデビューしたワールドクラス(日本ではクラッセムンディアル)を使っており、メキシコのアギーレ選手(元日本代表監督)は78年大会でデビューしたアディスーパーソールのスパイクを履いています。
また、ルムメニゲ選手は白いアディパンソールの固定式で、右端のサンチェス選手はコパムンでした。

図2 86年大会では取替え式、固定式ともども様々なアディダスモデルが使われました。プラティニ選手は、ピッチによってストラトスSLのポイントの長さを変えていたようです(右上:準々決勝ブラジル戦、右下:準決勝西ドイツ戦)

図3 ブリーゲル選手(すごいふくらはぎです)などが使っていたワールドクラス。 ストラトスSLとの違いは、かかとの太いメキシコ国旗色のストライプと、シュータン裏も黒い革であることです。つま先のステッチも微妙にSLと異なります。 GKシューマッハー選手(黄色)はソールが白一色の取替え式で、モデル名は不明です。 左写真に写っているブルチャガ選手のプーマも未だナゾのモデルです。
さらに、この大会では新しい取替え式ソールモデルのFX1も登場しました。 どちらかと言えば守備的選手が使っており、西ドイツの屈強なDF陣もご愛用でした(図4)。
取替え式スタッドが従来のねじ式ではなく、ワンタッチ(ひとひねり)で装着できるのが特徴で、かかとのスタッドは普通より1本多い3本でした。

図4 FX1はアウゲンターラー選手(左)、ヤコプス選手(中上)、ブレーメ選手(右上)、そしてフェルスター選手(図5左、6右)などがお使いでした。 ソールはメキシコ国旗カラーです。
右下のシュータン裏は白色なのですが、選手が使っていた物はワールドクラスのように黒いモデルもあったようです。 つま先ステッチはSLやワールドクラスとも異なります。
図5 フランスFWストピラ選手(青)に襲いかかる西ドイツFX1軍団(左)。4番はフェルスター選手。 フランスの守護神バツ選手もFX1を履き、ジーコ選手のPKをストップしました(右)。
しかし、この大会頂点に立った神は、結果的にFX1を履いた各国のDFを粉砕したのでした。

図6 神の突破を止めようとするFX1を履いた選手たち。 (左)ブルガリア・ジャリズコフ選手、(中)5人抜きの時のイングランド・ブッチャー選手(スライディングしている)、スティーブンス選手(足のみ)、(右)西ドイツ・フェルスター選手とシューマッハー選手。
フェルスター選手のスパイクの文字はFX1とは表示されていないようですが、読めません。
実は図5で倒されているストピラ選手もFX1愛用者でした(図7左)。
アルゼンチン・ボルギ選手など攻撃的選手でもFX1を履く選手がいましたが(中)、よく見るとお二人はかかとのポイントを2本にしています(計6本)。
右端の得点後に宙返りをしているサンチェス選手は図2ではコパムンを履いていましたがFX1も使っており(右)、FWでしたがスタッド数はノーマル(7本)でした。

図7 FX1を履いていた攻撃的選手達。

図8 ちなみにポイント数の使い分けができるスパイクは83年頃にミズノ(まだMラインの頃)が発売していました。
16話(http://king-gear.com/articles/872)でも書きましたが、ルムメニゲ選手は白一色の固定式アディパンソールのスパイクを好まれたようで、86年大会でも何試合かお使いでした。この頃出演されたフジフィルムの広告でもこのタイプを履かれています(図9右)。
ただ、このモデルが結構ナゾで、時期的にワールドカップウィナーとは考えにくく、アッパーの細かい特徴もよくわかりませんが、かかとのロゴは昔のタイプでトレフォイルとadidas文字のようです。

図9 ルムメニゲ選手は86年大会もケガを抱え、予選リーグ3試合はすべて途中出場で、決勝Tも途中交代が多かったのですが、おそらく4試合ぐらいはその頃のアディダスでは珍しい白いソールの固定式を使っていたと思います(左はウルグアイ戦)。
右上のように、この頃すでに、かかとに大きなトレフォイルがついたモデル(挿入写真右はコパムン)が登場していましたが、ルムメニゲ選手(白ソックス)のスパイクは旧タイプのロゴでした。
ルムメニゲ選手以外でこのモデルを使っていたのは、同じ西ドイツのベルトルト選手ぐらいで、他はほとんどいなかったと思います。 87年頃発売されたNATIOがこれとよく似ていますが、かかとマークが違うようです。 (追記:西ドイツ背番号6のDFエデル選手はNATIOを履いていたようです)
最近、イタリアから入手したスパイクはかかとマークも同じで、モデル名は薄くて読みにくいのですが「NATIO NOCKEN」と書いてあるようです。

図10 86年大会でルムメニゲ選手が使っていたと思われるモデル(上と右下)。構造はとてもシンプルですが、3本線も革製の西ドイツ製です。 左下は90年代に販売されたVALLS(日本製)で、上の復刻版と思われます。
86年大会では固定式ニューモデルももちろんデビューしました。 ストラトスSLの固定式版、ストラトス2000はリトバルスキー選手が履いていました(図11左)。ただ、SLに比べ使用者は多くありませんでした。

図11 ストラトス2000は右上が最初に出たモデルで、その後、下のようにソールが改良されたようです。また、西ドイツ製の他、オーストリア製もあり、側面の表示場所もSL同様、2パターンあるようです。
この大会はコパムンを履く選手も多かったのですが(特に予選リーグの試合)、FX1使用者のストピラ選手(図12左)、ストラトスSLを履いていたリネカー選手(左から2番目)、ミューレル選手(中央)も固定式はコパムンでした。
また、図12右の西ドイツのお二人はコパムンも履いており、結局、固定式を2種類お使いでした。ルムメニゲ選手がW杯でコパムンを履いたのはこの試合だけだったと思います。
対戦相手のスコットランド・クーパー選手のスパイクはワールドクラスの固定式版メキシコウィナーで、ベルギーのシーフォ選手も使っていたようです(訂正で、これはワールドチャンピョンという固定式ニューモデルだったようです)。

図12 86年大会で固定式の名品コパムンを履く名選手達。右端のクーパー選手のみメキシコウィナー。
最後は86年大会の番外編で、ポーランドのエース・ボニエク選手は、決勝T1回戦ではおそらく所属クラブ(ユベントス、ローマ)で使っていた「Brasilen」(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/802)のスパイクを3本線にして使っていたようです(図13左)。 予選リーグでは3マテリアルソールのワールドカップを履いており(2枚目)、コパムン、FX1を使用したサンチェス選手はこのモデルでも宙返りをしました(中央と下挿入写真)。 英国系チームのスパイク事情も実に興味深く、スコットランドのエイトキン選手のスパイクは普通すぎて、逆にモデル名が思い浮かばないです(図13右から2番目)。
また、以前書きましたが、フランスのボッシ選手はこの大会でもイベリカ(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/910)を履いていました。
スタッドが一つ取れた試合もあったようです(図13右端)。

図13 ボニエク選手は強敵ブラジルとの一戦だったので、勝負スパイクとしていつも使っているモデルを履いたのかもしれません。 サンチェス選手はスパイク裏がよく見えるので有難いです。
結局、86年大会でデビューしたモデルはどれも短命で、次の90年W杯まで使い続けられたモデルはなく、FXソールも88年EUROぐらいまでしか続かなかったと思います。
これまでのW杯で一番良く知っていると思っていた86年大会でしたが、調べてみると知らなかったことが多すぎて驚きました。 神のスパイク以外あまり興味がなかったのですが、随分深みにハマってしまいました。
いずれ、プーマ編も書きたいと思います。
(画像はサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゲッティイメージズなどから引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
他にも西ドイツ・フェラー選手や、ソ連・ベラノフ選手、大会得点王のリネカー選手なども履いていたので、攻撃的な選手が好んだモデルだったと思います。
プラティニ選手は大会を通してストラトスSLを履いていたようですが、ルムメニゲ選手は準決勝と決勝のみ、このモデルを使用したようです。
ルムメニゲ選手がW杯本戦で3マテリアルソールのスパイクを履いたのは、82年大会の(悪夢の敗戦を喫した)初戦アルジェリア戦以来だったと思います。

図1 細かいことですが、このモデルには側面の「STRATOS SL」の表示場所が異なるタイプが存在するようで、シュータン裏はワールドカップやコパムンと同じく白色です。
市販モデルはラインもソール部分も銀色っぽいですが、当時のW杯出場選手が使用していたのは真っ白に見えます。
86年大会の選手のスパイクはまだ2大メーカー(アディダス、プーマ)が主流でした。 両メーカーともW杯に合わせて新製品を精力的に開発したようですが、特にアディダスは図1のストラトスSLの他にも新旧の様々なモデルが使用されました。
もちろん前大会でデビューした3マテリアルソールのワールドカップや、コパムンを履く選手は86年大会でも多数おられました。
準々決勝のメキシコ戦で西ドイツのブリーゲル選手(図3左の中央白ユニフォーム)はストラトスSLと同様、この大会からデビューしたワールドクラス(日本ではクラッセムンディアル)を使っており、メキシコのアギーレ選手(元日本代表監督)は78年大会でデビューしたアディスーパーソールのスパイクを履いています。
また、ルムメニゲ選手は白いアディパンソールの固定式で、右端のサンチェス選手はコパムンでした。

図2 86年大会では取替え式、固定式ともども様々なアディダスモデルが使われました。プラティニ選手は、ピッチによってストラトスSLのポイントの長さを変えていたようです(右上:準々決勝ブラジル戦、右下:準決勝西ドイツ戦)

図3 ブリーゲル選手(すごいふくらはぎです)などが使っていたワールドクラス。 ストラトスSLとの違いは、かかとの太いメキシコ国旗色のストライプと、シュータン裏も黒い革であることです。つま先のステッチも微妙にSLと異なります。 GKシューマッハー選手(黄色)はソールが白一色の取替え式で、モデル名は不明です。 左写真に写っているブルチャガ選手のプーマも未だナゾのモデルです。
さらに、この大会では新しい取替え式ソールモデルのFX1も登場しました。 どちらかと言えば守備的選手が使っており、西ドイツの屈強なDF陣もご愛用でした(図4)。
取替え式スタッドが従来のねじ式ではなく、ワンタッチ(ひとひねり)で装着できるのが特徴で、かかとのスタッドは普通より1本多い3本でした。

図4 FX1はアウゲンターラー選手(左)、ヤコプス選手(中上)、ブレーメ選手(右上)、そしてフェルスター選手(図5左、6右)などがお使いでした。 ソールはメキシコ国旗カラーです。
右下のシュータン裏は白色なのですが、選手が使っていた物はワールドクラスのように黒いモデルもあったようです。 つま先ステッチはSLやワールドクラスとも異なります。

図5 フランスFWストピラ選手(青)に襲いかかる西ドイツFX1軍団(左)。4番はフェルスター選手。 フランスの守護神バツ選手もFX1を履き、ジーコ選手のPKをストップしました(右)。
しかし、この大会頂点に立った神は、結果的にFX1を履いた各国のDFを粉砕したのでした。

図6 神の突破を止めようとするFX1を履いた選手たち。 (左)ブルガリア・ジャリズコフ選手、(中)5人抜きの時のイングランド・ブッチャー選手(スライディングしている)、スティーブンス選手(足のみ)、(右)西ドイツ・フェルスター選手とシューマッハー選手。
フェルスター選手のスパイクの文字はFX1とは表示されていないようですが、読めません。
実は図5で倒されているストピラ選手もFX1愛用者でした(図7左)。
アルゼンチン・ボルギ選手など攻撃的選手でもFX1を履く選手がいましたが(中)、よく見るとお二人はかかとのポイントを2本にしています(計6本)。
右端の得点後に宙返りをしているサンチェス選手は図2ではコパムンを履いていましたがFX1も使っており(右)、FWでしたがスタッド数はノーマル(7本)でした。

図7 FX1を履いていた攻撃的選手達。

図8 ちなみにポイント数の使い分けができるスパイクは83年頃にミズノ(まだMラインの頃)が発売していました。
16話(http://king-gear.com/articles/872)でも書きましたが、ルムメニゲ選手は白一色の固定式アディパンソールのスパイクを好まれたようで、86年大会でも何試合かお使いでした。この頃出演されたフジフィルムの広告でもこのタイプを履かれています(図9右)。
ただ、このモデルが結構ナゾで、時期的にワールドカップウィナーとは考えにくく、アッパーの細かい特徴もよくわかりませんが、かかとのロゴは昔のタイプでトレフォイルとadidas文字のようです。

図9 ルムメニゲ選手は86年大会もケガを抱え、予選リーグ3試合はすべて途中出場で、決勝Tも途中交代が多かったのですが、おそらく4試合ぐらいはその頃のアディダスでは珍しい白いソールの固定式を使っていたと思います(左はウルグアイ戦)。
右上のように、この頃すでに、かかとに大きなトレフォイルがついたモデル(挿入写真右はコパムン)が登場していましたが、ルムメニゲ選手(白ソックス)のスパイクは旧タイプのロゴでした。
ルムメニゲ選手以外でこのモデルを使っていたのは、同じ西ドイツのベルトルト選手ぐらいで、他はほとんどいなかったと思います。 87年頃発売されたNATIOがこれとよく似ていますが、かかとマークが違うようです。 (追記:西ドイツ背番号6のDFエデル選手はNATIOを履いていたようです)
最近、イタリアから入手したスパイクはかかとマークも同じで、モデル名は薄くて読みにくいのですが「NATIO NOCKEN」と書いてあるようです。

図10 86年大会でルムメニゲ選手が使っていたと思われるモデル(上と右下)。構造はとてもシンプルですが、3本線も革製の西ドイツ製です。 左下は90年代に販売されたVALLS(日本製)で、上の復刻版と思われます。
86年大会では固定式ニューモデルももちろんデビューしました。 ストラトスSLの固定式版、ストラトス2000はリトバルスキー選手が履いていました(図11左)。ただ、SLに比べ使用者は多くありませんでした。

図11 ストラトス2000は右上が最初に出たモデルで、その後、下のようにソールが改良されたようです。また、西ドイツ製の他、オーストリア製もあり、側面の表示場所もSL同様、2パターンあるようです。
この大会はコパムンを履く選手も多かったのですが(特に予選リーグの試合)、FX1使用者のストピラ選手(図12左)、ストラトスSLを履いていたリネカー選手(左から2番目)、ミューレル選手(中央)も固定式はコパムンでした。
また、図12右の西ドイツのお二人はコパムンも履いており、結局、固定式を2種類お使いでした。ルムメニゲ選手がW杯でコパムンを履いたのはこの試合だけだったと思います。
対戦相手のスコットランド・クーパー選手のスパイクはワールドクラスの固定式版メキシコウィナーで、ベルギーのシーフォ選手も使っていたようです(訂正で、これはワールドチャンピョンという固定式ニューモデルだったようです)。

図12 86年大会で固定式の名品コパムンを履く名選手達。右端のクーパー選手のみメキシコウィナー。
最後は86年大会の番外編で、ポーランドのエース・ボニエク選手は、決勝T1回戦ではおそらく所属クラブ(ユベントス、ローマ)で使っていた「Brasilen」(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/802)のスパイクを3本線にして使っていたようです(図13左)。 予選リーグでは3マテリアルソールのワールドカップを履いており(2枚目)、コパムン、FX1を使用したサンチェス選手はこのモデルでも宙返りをしました(中央と下挿入写真)。 英国系チームのスパイク事情も実に興味深く、スコットランドのエイトキン選手のスパイクは普通すぎて、逆にモデル名が思い浮かばないです(図13右から2番目)。
また、以前書きましたが、フランスのボッシ選手はこの大会でもイベリカ(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/910)を履いていました。
スタッドが一つ取れた試合もあったようです(図13右端)。

図13 ボニエク選手は強敵ブラジルとの一戦だったので、勝負スパイクとしていつも使っているモデルを履いたのかもしれません。 サンチェス選手はスパイク裏がよく見えるので有難いです。
結局、86年大会でデビューしたモデルはどれも短命で、次の90年W杯まで使い続けられたモデルはなく、FXソールも88年EUROぐらいまでしか続かなかったと思います。
これまでのW杯で一番良く知っていると思っていた86年大会でしたが、調べてみると知らなかったことが多すぎて驚きました。 神のスパイク以外あまり興味がなかったのですが、随分深みにハマってしまいました。
いずれ、プーマ編も書きたいと思います。
(画像はサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゲッティイメージズなどから引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。