
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.27 ~プーマの大定番・ベルトマイスター編~
キングギア開始当時は何度か話題になったプーマ固定式トップモデル「ベルトマイスター」ですが、パラメヒコが有名な日本では、こちらは既に名前すらご存じない世代の方が多いと思います。今後このモデルについて語る方も多くはないと思いますので、この機会に徹底的に語らせていただこうと思います。

(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/)ベルトマイスターの登場は78年頃だと思います。当時のシュータンは白ではなく、プーママーク入りの比較的短いものだったようです。
モデル番号は「380」で、取替え式は「480」のWM74でした。 海外ではこのモデルは「WORLD CUP」と呼ばれていたようで、80年代になってこの取替え式版は「WM」となりました。 「WM」はおそらく「ベルトマイスター」なのでしょうが、固定式にはフルネームで「WELT MEISTER」と表示されていた時期もあったようです。
アディダスに有名な「ワールドカップ」というモデルがあったので、日本では「ベルトマイスター」が定着したと思われます。 翌年79年には白シュータンモデルが発売されたようです。

図1 ベルトマイスターの広告。 デビュー当時(左)。
海外版カタログ(右上)。
白シュータンになった直後(右下)。
非常にオーソドックスなモデルにもかかわらず高価な憧れのスパイクでした。
神ももちろん「ベルトマイスター」(及び類似モデル)は愛用し、82年、86年W杯でも履いていました。 80年前後もシュータン中央に白いラインが入ったり、T字型白シュータンの固定式を使っていました。それらの正式なモデル名は不明ですが、アッパーはベルトマイスターに似ていたようです
(こちらをご参照下さい。 http://king-gear.com/articles/864 )。

図2 82年大会ブラジル戦(左)。
このスパイクは本当に足に合っているんでしょうか? 右は86年大会イタリア戦。神がW杯で固定式を履いて挙げた唯一の得点シーンですが、すごい高さです。
こちらはヒモのしばり方もノーマルで足にフィットしているようです。 ベルトマイスターではなく、カンガルー革の特別モデル(マラドーナプロ1)かもしれません。
国内でも愛用者が多かったモデルだったはずですが、昔の固定式スパイクはソールが劣化してしまうことが多く、取替え式に比べて現存する物が少ないと思われます。 図3は筆者がこれまでに拝見したベルトマイスターです。

図3 左は東海地方の老舗サッカーショップに展示されているベルトマイスター。ソールは劣化していましたが未使用品のようでした。 右はプーマジャパン所蔵の物。こちらもソールが劣化してしまい、片方だけパラメヒコのソールをつけたそうです。
シュータン西ドイツ製表示は小文字入りのタイプで、側面にはモデル名の表示がありません。

図4 国内で見つけるのは難しいと思い、海外から手に入れたベルトマイスター(左)。
こちらは側面に「WORLD CUP」の表示があります。ソールは今にも崩壊しそうですが、そのままにしています。 右は10数年前に偶然ネットで見つけた画像。
これを見たことが古いプーマスパイクへの興味が再燃したきっかけの一つでした。こちらは大文字の西ドイツ製表示です。
ご存じのように日本国内では86年頃に名品パラメヒコが発売され(こちらをご参照ください。 http://king-gear.com/articles/774)、ベルトマイスターは一気に影が薄くなってしまいました。
そして、西ドイツが統合され、90年代になってプーマスパイクのデザインも大きく変わり、ベルトマイスターは廃盤になったと思っていました。しかし、少なくとも93年頃までは日本でも販売されていたようです。
図5上は当時のサッカー雑誌中の広告記事です。まだ色は黒に白ラインが主流ですが、他のスパイク(特にソール)は以前に比べ、随分個性的になっています。
しかし、ベルトマイスター(ワールドカップ)は形も価格もそのままで載っています。
下はマレーシアから手に入れた西ドイツ製表示がない「WORLD CUP」2種です。 一見、同じに見えますが、左下は昔のパラメヒコ同様「DESIGN PUMA WEST GERMANY」の表示があり、右下は「DESIGN BY PUMA GERMANY」で92年に台湾で製造されたようです。

図5 上は92年のサッカー雑誌中のスパイク広告です。JRはジュニアサイズもあるという意味です。
この頃のシュータンには「MADE IN GERMANY」と書かれていたのでしょうか? 下の2つは、型はベルトマイスターですが革の質は低そうで、少なくともボックスカーフではないと思います。
平成以降のいつ頃までベルトマイスターが販売されていたかは不明ですが、78年から15年位は製造されていたわけで、当時としては驚異的なロングセラーモデルだったと思います。
ところが、パラメヒコは既に30年以上日本のサッカープレーヤーに愛されているため、今日ではベルトマイスターを知る人はかなり少ないと思われます。
プーマは2000年ぐらいまではベルトマイスター似のモデルを発売していましたが、最近はさすがに登場しないようです。
図6 ベルトマイスターの復刻版らしきモデル。
左はWMスター(モデル番号126、93年製、革はオリジナルで使われているボックスカーフではなくステア)。 中央は多分380(モデル番号252、99年製、革はカンガルー)。
右はキングペレの復刻版(01年製)ですが、オリジナルは取替え式なので、これもベルトマイスターに型はよく似ています。ペレモデルなので、ラインや内張りは黄色が主流でしたが、個人的には白が好みです。
ベルトマイスターを愛用した英雄も数多くおられ、当時はアディダスのコパムンと並ぶ固定式の名品でした。少なくともW杯使用頻度ではパラメヒコより上だと思います。
82年大会ではブラジル代表のお三方(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/874)をはじめ、数多の選手が使用していました。
86年大会でも図7の選手たちが履いています。この大会、ジュニオール選手は他にもSPAキング、メキシコフィナーレも使用しており、そちらのモデルはいずれご紹介するつもりです。
サンソム選手は個人的に好きな左サイドバックで、代表86試合出場の名DFでしたが、晩年はアルコール依存症で苦しまれたそうです(現在は克服済みのようです)。
図7 86年大会のベルトマイスター愛用選手。
左からアルサメンディ選手(ウルグアイ)、ジュニオール選手(ブラジル)、サンソム選手(イングランド)、クーレマンス選手(ベルギー)とガジェゴ選手(スペイン)。
ウルグアイ、スペインの選手はプーマ使用者が多く、他にもベルトマイスターを履いている方が多くおられました。
ジュニオール選手、サンソム選手、クーレマンス選手は現役を通じてほとんどプーマスパイクを愛用していたと思います(訂正 クーレマンス選手は80年EUROはアディダスでした)。
個人的にはベルトマイスター=西ドイツ製のイメージが強いのですが、オーストリア製の「WORLD CUP」もあります。アッパーはそれなりに良さそうな牛革のようですが、ソールはマルチスタッドです。
図8 オーストリア製「WORLD CUP」(左)。
シュータンの印字がかなり雑です。オーストリア代表は最近W杯には縁がないですが、FIFAランクは日本よりかなり上です。
昔のオーストリア代表は全員、上から下までプーマです(こちらにも書かれています。 http://king-gear.com/articles/89)。
右は82年大会ですが、90年、98年大会の選手もかなり渋いプーマスパイクをお使いでした。
日本で上から下までプーマのチームと言えば読売クラブです。ベルトマイスター使用選手もたくさんおられ、とても憧れました。

図9 (左)戸塚選手はベルトマイスター、ラモス選手のスパイクは少し変わっています。こちらについてはいずれ書きたいと思います。 (右)武田選手が入団した80年代中頃の読売クラブの練習風景。
GK藤川選手はメノッティスターを履いています。読売黄金期を支えたPKに強い名GKでした。ご冥福をお祈りいたします。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
モデル番号は「380」で、取替え式は「480」のWM74でした。 海外ではこのモデルは「WORLD CUP」と呼ばれていたようで、80年代になってこの取替え式版は「WM」となりました。 「WM」はおそらく「ベルトマイスター」なのでしょうが、固定式にはフルネームで「WELT MEISTER」と表示されていた時期もあったようです。
アディダスに有名な「ワールドカップ」というモデルがあったので、日本では「ベルトマイスター」が定着したと思われます。 翌年79年には白シュータンモデルが発売されたようです。

図1 ベルトマイスターの広告。 デビュー当時(左)。
海外版カタログ(右上)。
白シュータンになった直後(右下)。
非常にオーソドックスなモデルにもかかわらず高価な憧れのスパイクでした。
神ももちろん「ベルトマイスター」(及び類似モデル)は愛用し、82年、86年W杯でも履いていました。 80年前後もシュータン中央に白いラインが入ったり、T字型白シュータンの固定式を使っていました。それらの正式なモデル名は不明ですが、アッパーはベルトマイスターに似ていたようです
(こちらをご参照下さい。 http://king-gear.com/articles/864 )。

図2 82年大会ブラジル戦(左)。
このスパイクは本当に足に合っているんでしょうか? 右は86年大会イタリア戦。神がW杯で固定式を履いて挙げた唯一の得点シーンですが、すごい高さです。
こちらはヒモのしばり方もノーマルで足にフィットしているようです。 ベルトマイスターではなく、カンガルー革の特別モデル(マラドーナプロ1)かもしれません。
国内でも愛用者が多かったモデルだったはずですが、昔の固定式スパイクはソールが劣化してしまうことが多く、取替え式に比べて現存する物が少ないと思われます。 図3は筆者がこれまでに拝見したベルトマイスターです。

図3 左は東海地方の老舗サッカーショップに展示されているベルトマイスター。ソールは劣化していましたが未使用品のようでした。 右はプーマジャパン所蔵の物。こちらもソールが劣化してしまい、片方だけパラメヒコのソールをつけたそうです。
シュータン西ドイツ製表示は小文字入りのタイプで、側面にはモデル名の表示がありません。

図4 国内で見つけるのは難しいと思い、海外から手に入れたベルトマイスター(左)。
こちらは側面に「WORLD CUP」の表示があります。ソールは今にも崩壊しそうですが、そのままにしています。 右は10数年前に偶然ネットで見つけた画像。
これを見たことが古いプーマスパイクへの興味が再燃したきっかけの一つでした。こちらは大文字の西ドイツ製表示です。
ご存じのように日本国内では86年頃に名品パラメヒコが発売され(こちらをご参照ください。 http://king-gear.com/articles/774)、ベルトマイスターは一気に影が薄くなってしまいました。
そして、西ドイツが統合され、90年代になってプーマスパイクのデザインも大きく変わり、ベルトマイスターは廃盤になったと思っていました。しかし、少なくとも93年頃までは日本でも販売されていたようです。
図5上は当時のサッカー雑誌中の広告記事です。まだ色は黒に白ラインが主流ですが、他のスパイク(特にソール)は以前に比べ、随分個性的になっています。
しかし、ベルトマイスター(ワールドカップ)は形も価格もそのままで載っています。
下はマレーシアから手に入れた西ドイツ製表示がない「WORLD CUP」2種です。 一見、同じに見えますが、左下は昔のパラメヒコ同様「DESIGN PUMA WEST GERMANY」の表示があり、右下は「DESIGN BY PUMA GERMANY」で92年に台湾で製造されたようです。

図5 上は92年のサッカー雑誌中のスパイク広告です。JRはジュニアサイズもあるという意味です。
この頃のシュータンには「MADE IN GERMANY」と書かれていたのでしょうか? 下の2つは、型はベルトマイスターですが革の質は低そうで、少なくともボックスカーフではないと思います。
平成以降のいつ頃までベルトマイスターが販売されていたかは不明ですが、78年から15年位は製造されていたわけで、当時としては驚異的なロングセラーモデルだったと思います。
ところが、パラメヒコは既に30年以上日本のサッカープレーヤーに愛されているため、今日ではベルトマイスターを知る人はかなり少ないと思われます。
プーマは2000年ぐらいまではベルトマイスター似のモデルを発売していましたが、最近はさすがに登場しないようです。

右はキングペレの復刻版(01年製)ですが、オリジナルは取替え式なので、これもベルトマイスターに型はよく似ています。ペレモデルなので、ラインや内張りは黄色が主流でしたが、個人的には白が好みです。
ベルトマイスターを愛用した英雄も数多くおられ、当時はアディダスのコパムンと並ぶ固定式の名品でした。少なくともW杯使用頻度ではパラメヒコより上だと思います。
82年大会ではブラジル代表のお三方(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/874)をはじめ、数多の選手が使用していました。
86年大会でも図7の選手たちが履いています。この大会、ジュニオール選手は他にもSPAキング、メキシコフィナーレも使用しており、そちらのモデルはいずれご紹介するつもりです。
サンソム選手は個人的に好きな左サイドバックで、代表86試合出場の名DFでしたが、晩年はアルコール依存症で苦しまれたそうです(現在は克服済みのようです)。

左からアルサメンディ選手(ウルグアイ)、ジュニオール選手(ブラジル)、サンソム選手(イングランド)、クーレマンス選手(ベルギー)とガジェゴ選手(スペイン)。
ウルグアイ、スペインの選手はプーマ使用者が多く、他にもベルトマイスターを履いている方が多くおられました。
ジュニオール選手、サンソム選手、クーレマンス選手は現役を通じてほとんどプーマスパイクを愛用していたと思います(訂正 クーレマンス選手は80年EUROはアディダスでした)。
個人的にはベルトマイスター=西ドイツ製のイメージが強いのですが、オーストリア製の「WORLD CUP」もあります。アッパーはそれなりに良さそうな牛革のようですが、ソールはマルチスタッドです。

シュータンの印字がかなり雑です。オーストリア代表は最近W杯には縁がないですが、FIFAランクは日本よりかなり上です。
昔のオーストリア代表は全員、上から下までプーマです(こちらにも書かれています。 http://king-gear.com/articles/89)。
右は82年大会ですが、90年、98年大会の選手もかなり渋いプーマスパイクをお使いでした。
日本で上から下までプーマのチームと言えば読売クラブです。ベルトマイスター使用選手もたくさんおられ、とても憧れました。

図9 (左)戸塚選手はベルトマイスター、ラモス選手のスパイクは少し変わっています。こちらについてはいずれ書きたいと思います。 (右)武田選手が入団した80年代中頃の読売クラブの練習風景。
GK藤川選手はメノッティスターを履いています。読売黄金期を支えたPKに強い名GKでした。ご冥福をお祈りいたします。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。