
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.24 「神も愛した日本製サッカースパイク編」
ミズノは現在、日本製サッカースパイクの中では最も人気ブランドだと思います。しかし、80年代前半ぐらいまで、ミズノのサッカースパイクは国産メーカーの中でもマイナーでした。また、野球からサッカーに転じた者にとって、ミズノ(美津濃)=野球用品のイメージがずっと離れず、未だに食わず嫌いな感があります。

(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/)いきなりサッカーと関係ない写真ですが、後半はサッカースパイクの話題です。
元野球少年にとってプロが使う硬球を初めて触った時は衝撃でした。
「まるで石・・・」
と思ったのと同時に、こんな恐ろしいボールを自由に操るプロ野球選手が一層スゴイ存在に思えました。そして、プロ選手が使う硬球用の野球用品にも憧れました。
ご存じの方も多いと思いますが、70年代後半ぐらいから、ミズノの硬式用グローブには「赤カップ」がつきました。おそらく、これへの憧れが今のスパイク収集病の元凶ではないかと思います。 赤カップ好きは世の中にたくさんおられるようで(おそらく同世代)、とてもレアな未使用品はオークションの落札価格も非常に高額です。雰囲気だけでもと思い、適当な程度の物をいくつか手に入れ、たまに使っています(図1)。
また、ここ数年ミズノは赤カップグローブの復刻ラッシュのようです(巻頭写真はその一例)。近年の野球離れを危惧して、我々世代に再び(ご子息と)キャッチボールをという目的もあるそうですが、正直買ってももったいなくて使えません。 最近は赤カップを使っていた憧れの英雄がこの世を去ることもあり寂しい限りです。
ところで、当時のミズノのシューズは野球に限らずすべてMラインでした。図2挿入写真は世界の盗塁王・福本選手のスパイクです。

図1 ミズノ赤カップグローブ。 赤カップの赤い部分はエナメルで、40年近く経つと劣化していることが多いです。 捕球面にはワールドウィンと記され(右挿入写真)、グレードが4つあり、上から「Professional」、「All Star」、「World Winのみ」、「Title Cup」となります。
硬球用で赤カップのつかない廉価版はワールドチャンピョンでした。アディダスサッカースパイクではワールドチャンピョンは最高グレードでしたが…。 アディダスの昔のグローブもすごく高額です(特に江川選手モデル)。
この頃から捕手、一塁手以外もポジション別グローブが登場したと思います。 写真は投手、内野(セカンド)、外野、オールラウンド用で、自分は右利きなのに、左用もあります。巻頭右のライナーバックにクロスウェブのタイプは元巨人の高田選手モデルです。このタイプは最も人気があるようで、オリジナルはなかなか手に入りません。
84年頃、Mラインから現在のランバードに変更されたミズノサッカースパイクの広告には水島武蔵選手(図2左)がよく載っていました。
86年W杯で、後にナポリで神のチームメートとなるブラジルのカレッカ選手がミズノスパイクを履いて5得点の活躍をし、それ以降はカレッカ選手がミズノの広告塔でした(こちらも(http://king-gear.com/articles/837)ご参照下さい)。 水島選手とカレッカ選手はブラジル時代にサンパウロFCでお知り合いだったようです。
W杯本戦でピッチ内を走り回った最初の日本人は、86年大会で主審をされた高田さんだと思いますが(線審はそれ以前にもおられました)、日本製スパイクのW杯デビューはカレッカ選手のミズノ製品だったかもしれません。
90年代前半まではアシックス(オニツカ)が、国産で唯一の日本代表用品サプライヤーで、スパイクに関しても80年代半ばまでの国内需要は他の国産メーカーを圧倒していたと思います。
しかし、アシックスは国産スパイクのW杯デビュー及び初ゴールもミズノに先を越されてしまいました。(1974年W杯でオーストラリアのオールストン選手はオニツカタイガーのスパイクを使用していたようです。調査不足でいい加減なことを書いてしまい大変申し訳ありませんでした。)
図2 水島選手はブラジルから帰国後、カレッカ選手も所属した柏レイソルの前身の日立でプレーされました。
図2左は当時のオールスター戦の水島選手で、カレッカモデル(右上)を履いています(後ろの審判は高田さん。無観客試合ではありません)。
梶野選手(2番)も同じスパイクです。 右はカレッカモデルの一例。この頃のカタログでは名品モレリアよりも、違うモデルの方が目立っていたと思います。
図3 余談ですが、図2左の試合では日立に所属していたゼ・セルジオ選手(上)と古河の越後和男選手(下)が得点を決められましたが、セルジオ越後さんを紹介するテレビ番組で、ご本人が決めた得点として、このシーンが流されていたことがあります(https://www.youtube.com/watch?v=fC2x769OqC4)。よく怒られなかったですね。
話は変わって88年頃、神はスパイクのアッパーを黒く塗って使用することがありました。
黒塗りの場合、取替え式はプーマSPAキングが多かったのですが、88年11月末、セリエAのACミラン戦では見慣れない固定式を黒塗りでご使用でした(図4左)。
また、89年のコパアメリカ時のトレーニングでも同様の固定式を履かれています(右)。かかとのポイントパターンはミズノスパイクによくある感じで、図2右下のスパイクのソールがよく似ています。
カンガルー革製にしては比較的安価で、こんなコスパの良さそうな神使用モデルがあったとは改めてミズノの偉大さを認識しました。
図4 黒塗りミズノスパイクを履く神(80年代後半)
その後の神とミズノスパイクについても調べてみました。92年のセビージャ(昔はセビリアと書いてありました)や、95年ボカ時代ではラインも消さずに履いていました(図5)。
また、トレシューもミズノ製をご使用だった時もあるようです(右)。
図5 ミズノスパイクを履く神(90年代)。
以前、アルヘンティノスでご活躍されたサワダさん(現在のご活動などはこちら(http://sposic.com/sawatatu/ )をどうぞ)が神に会われた時の写真が右2枚です(こちら(https://sawatatu.hamazo.tv/e4355192.html)をご参照下さい)。この状況で足元の写真を撮られたのはさすがサッカー選手です。
神が現役晩年にご使用のミズノスパイクはJリーグモデルで、取替え式はマラドーナ博物館(2003年ブエノスアイレス開催)でも展示されました(図6)。
図6 博物館展示モデルは8本スタッドの取替え式のようです。
博物館級のモデルであれば、食わず嫌いなどと言っている場合ではありませんので、初めてミズノのサッカースパイクを手にしてみました。(図7)。
噂に違わず、この頃のモデルも、どれもとても軽いです。今度ミズノのスパイクでプレーしてみたくなりました(もちろん現行品で)。
(図7) Jリーグ開幕時のユニフォームが全チームミズノだったのが不思議だったのですが、スパイクもこんなモデルがあったのは最近知りました。
今回は野球とサッカーの道具について少しご紹介させていただきましたが、野球は往年の名選手の使用品がしっかり残され(http://www.baseball-museum.or.jp/showcase/storage/display/glove/index.html)、今でも見ることができるのは、やはり昔からプロ化されていたからだと思います。
最近のサッカーグッズについては充実した展示物を見ることができますが、昔(特にプロ化以前)の物は、ユニフォーム以外(特にスパイク)はとても少ないのが残念です。
さて、ミズノに遅れること4年、アシックスも90年大会ではW杯デビューしました。
次回はそのあたりのことを書きたいと思います。
(画像はサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゲッティイメージズ、アフロなどから引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
ご存じの方も多いと思いますが、70年代後半ぐらいから、ミズノの硬式用グローブには「赤カップ」がつきました。おそらく、これへの憧れが今のスパイク収集病の元凶ではないかと思います。 赤カップ好きは世の中にたくさんおられるようで(おそらく同世代)、とてもレアな未使用品はオークションの落札価格も非常に高額です。雰囲気だけでもと思い、適当な程度の物をいくつか手に入れ、たまに使っています(図1)。
また、ここ数年ミズノは赤カップグローブの復刻ラッシュのようです(巻頭写真はその一例)。近年の野球離れを危惧して、我々世代に再び(ご子息と)キャッチボールをという目的もあるそうですが、正直買ってももったいなくて使えません。 最近は赤カップを使っていた憧れの英雄がこの世を去ることもあり寂しい限りです。
ところで、当時のミズノのシューズは野球に限らずすべてMラインでした。図2挿入写真は世界の盗塁王・福本選手のスパイクです。

図1 ミズノ赤カップグローブ。 赤カップの赤い部分はエナメルで、40年近く経つと劣化していることが多いです。 捕球面にはワールドウィンと記され(右挿入写真)、グレードが4つあり、上から「Professional」、「All Star」、「World Winのみ」、「Title Cup」となります。
硬球用で赤カップのつかない廉価版はワールドチャンピョンでした。アディダスサッカースパイクではワールドチャンピョンは最高グレードでしたが…。 アディダスの昔のグローブもすごく高額です(特に江川選手モデル)。
この頃から捕手、一塁手以外もポジション別グローブが登場したと思います。 写真は投手、内野(セカンド)、外野、オールラウンド用で、自分は右利きなのに、左用もあります。巻頭右のライナーバックにクロスウェブのタイプは元巨人の高田選手モデルです。このタイプは最も人気があるようで、オリジナルはなかなか手に入りません。
84年頃、Mラインから現在のランバードに変更されたミズノサッカースパイクの広告には水島武蔵選手(図2左)がよく載っていました。
86年W杯で、後にナポリで神のチームメートとなるブラジルのカレッカ選手がミズノスパイクを履いて5得点の活躍をし、それ以降はカレッカ選手がミズノの広告塔でした(こちらも(http://king-gear.com/articles/837)ご参照下さい)。 水島選手とカレッカ選手はブラジル時代にサンパウロFCでお知り合いだったようです。
W杯本戦でピッチ内を走り回った最初の日本人は、86年大会で主審をされた高田さんだと思いますが(線審はそれ以前にもおられました)、日本製スパイクのW杯デビューはカレッカ選手のミズノ製品だったかもしれません。
90年代前半まではアシックス(オニツカ)が、国産で唯一の日本代表用品サプライヤーで、スパイクに関しても80年代半ばまでの国内需要は他の国産メーカーを圧倒していたと思います。
しかし、アシックスは国産スパイクのW杯デビュー及び初ゴールもミズノに先を越されてしまいました。(1974年W杯でオーストラリアのオールストン選手はオニツカタイガーのスパイクを使用していたようです。調査不足でいい加減なことを書いてしまい大変申し訳ありませんでした。)

図2左は当時のオールスター戦の水島選手で、カレッカモデル(右上)を履いています(後ろの審判は高田さん。無観客試合ではありません)。
梶野選手(2番)も同じスパイクです。 右はカレッカモデルの一例。この頃のカタログでは名品モレリアよりも、違うモデルの方が目立っていたと思います。

話は変わって88年頃、神はスパイクのアッパーを黒く塗って使用することがありました。
黒塗りの場合、取替え式はプーマSPAキングが多かったのですが、88年11月末、セリエAのACミラン戦では見慣れない固定式を黒塗りでご使用でした(図4左)。
また、89年のコパアメリカ時のトレーニングでも同様の固定式を履かれています(右)。かかとのポイントパターンはミズノスパイクによくある感じで、図2右下のスパイクのソールがよく似ています。
カンガルー革製にしては比較的安価で、こんなコスパの良さそうな神使用モデルがあったとは改めてミズノの偉大さを認識しました。

その後の神とミズノスパイクについても調べてみました。92年のセビージャ(昔はセビリアと書いてありました)や、95年ボカ時代ではラインも消さずに履いていました(図5)。
また、トレシューもミズノ製をご使用だった時もあるようです(右)。

神が現役晩年にご使用のミズノスパイクはJリーグモデルで、取替え式はマラドーナ博物館(2003年ブエノスアイレス開催)でも展示されました(図6)。

博物館級のモデルであれば、食わず嫌いなどと言っている場合ではありませんので、初めてミズノのサッカースパイクを手にしてみました。(図7)。
噂に違わず、この頃のモデルも、どれもとても軽いです。今度ミズノのスパイクでプレーしてみたくなりました(もちろん現行品で)。

今回は野球とサッカーの道具について少しご紹介させていただきましたが、野球は往年の名選手の使用品がしっかり残され(http://www.baseball-museum.or.jp/showcase/storage/display/glove/index.html)、今でも見ることができるのは、やはり昔からプロ化されていたからだと思います。
最近のサッカーグッズについては充実した展示物を見ることができますが、昔(特にプロ化以前)の物は、ユニフォーム以外(特にスパイク)はとても少ないのが残念です。
さて、ミズノに遅れること4年、アシックスも90年大会ではW杯デビューしました。
次回はそのあたりのことを書きたいと思います。
(画像はサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゲッティイメージズ、アフロなどから引用)
著者 小西博昭の作品はバナーをクリック!

『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。