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倒産の危機から復活!なぜ国産中小メーカー・ベルガードが野球先進国・日本で生き残れたのか。

一流メジャーリーガーの肘に輝く、「B」のマークー。野球において、キャッチャーはもちろんのこと、最近では主に硬式野球において打者もデッドボールや自打球による怪我を防ぐため、防具を使用する選手が増えてきた。 そういった野球防具の分野において、国産野球メーカー・ベルガードファクトリージャパン製用品がメジャーリーガーを中心に人気を集めていることをご存知だろうか。 一度は倒産の危機に瀕したベルガードを立て直し、丁寧な商品づくりとSNSでの発信で地道に事業を拡大させてきた代表・永井和人氏に再建までのストーリーと今後の展望を伺う。

Icon 19441337 1436670123094269 1330815580 n 森 大樹 | 2018/01/26

入社のきっかけはカタログのモデル役。

東武スカイツリーライン・蒲生駅から徒歩15分ほど行った、閑静な住宅街の合間に見えてくる「Belgard」の白い看板。建物は一見普通の住宅だが、引き戸を開けると1階部分は工場になっている。常時4〜5人ほどの職人が作業を行っており、ここで何十億もの年俸を得るメジャーリーガーの野球防具が制作される。 

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代表の永井氏は小さいころからずっと野球に関わってきた。小学生のころは草チームに所属し、中学からは野球部に入部。その後当時新設校だった小平西高校に進学し、野球部の創設を画策するも、近所からの苦情で実現はしなかったという。そこからの球歴は草野球だけだが、メーカーという立場から長年プレーヤーを支え続けてきている。

「私が入った草野球チームは印刷会社の人が集まってやっているところでした。そこがベルガードのカタログの印刷をやっていて、キャッチャーのモデルとしてガタイのいいやつはいないかということで撮影に関わるようになっていったんです。それでそのまますんなりベルガードに就職が決まりました(笑)」

  当時ベルガードにはプロ野球チームからのオーダーもあり、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)などの道具も製造していた。永井氏が入社して最初に任されたのはレガースの製造の最終工程である、組み立ての部分。一番始めに制作に携わったのは80年代を中心にヤクルトで活躍した八重樫幸雄選手の防具だったという。

それまでベルガードは独自のブランドとしての営業活動はほとんど行わず、大手メーカーにいわゆるOEMという形で商品を納めていた。OEM体制が進んだ背景には野球中継の仕方の変化が大きく関係している。

「大手メーカーさんも最初はそのままベルガードの名前で売ってくれていたんです。というのも昔のテレビ中継というのは今のようにセンター側ではなく、キャッチャー側から撮っていたんです。でもそれがセンター側から撮られるようになってキャッチャーがすごく目立つようになりました。古田(敦也)さんが出てきたくらいのころからです。それで大手メーカーさんが自社のロゴを付けて商品を売り始めました。
その流れを追うような形で他のメーカーも自社のロゴを入れるようになっていったんです。 それまで往年の選手達は道具を自分で買っている人が多かったですし、防具の場合は球団が買って支給していたりもしていたんですけどね。」

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突然の倒産。一社員から社長に。

そんなベルガードが倒産の危機に直面したのは永井氏が入社して29年目の2012年のことである。 徐々に大手メーカーが海外を中心としたコストの安い製造元に発注をかけるようになり、OEMを軸としていたベルガードは大きく売り上げを落としていた。そしてその日は突然訪れる。

  「いつも通り働いていたら会社に知らない人が社長と一緒に入ってきて、会議室で話がありますと。その知らない人は弁護士で、『今日で会社はおしまいです。明日から入れないので、荷物を片付けて出ていってください』と言われました。たしかその場には12〜3人いたのですが、皆呆気にとられていました。」  

当時のベルガードに在籍していたのは15人程度。職人やパートのおばさんといった年配者ばかりだった。それでも社内では倒産への危機感が少しずつ高まってきており、OEMだけに頼らない、独自ブランド開発に向けて動き始めていた。 ベルガードブランドを確立するため、新たな「B」のマークを作って、よりメーカーとしての露出が高くなるグローブやバットなども企画が進められていたのだ。そんな矢先の倒産だったのである。

永井氏は会社の業績不振に伴って独立を視野に入れながら、起業家養成講座に通っていたが、愛するブランド消滅の危機にベルガードの再建を決意する。

「(独立に向けて)想定していたタイミングよりは2、3年早かったんですけどね。 会社が倒産すると管財人が入ります。その方は商標や商品などをできるだけ高く売って、債権者にお金を回さないといけないので権利獲得の交渉には時間がかかりました。 韓国企業から会社を買い取り、再建したいという話もあったのですが、他の会社に買収されれば技術だけ習得した後に元のメンバーを切られてしまう恐れもあったので、お断りしました。」  

管財人との交渉を経て、永井氏は倒産から4ヶ月後に新しいベルガードをスタートさせた。再建にあたって、自社で製造していたマスクのフレームやヘルメットについては他社に委託するなど、事業縮小にも着手。それらは検査のために自社で保管する必要があり、場所を取ってしまうからだ。
会社として4ヶ月間の空白が生まれたことで、大手との取引も止まってしまった。再スタートは野球のシーズンと時期が重なり、OEMについて大手メーカーと交渉するのは難しい状況。そうなると自社ブランドの確立が急務になる。

「会社を軌道に乗せるまでは半年くらいかかりましたね。どうしてもOEMは利幅が狭く、薄利多売が前提になってきますが、自社ブランドであれば利益を確保しながらしっかりとしたものを作って出せるのでそちらに移行したという形です。」

こうして永井氏を中心に一からの再スタートを切った新生ベルガード。再建の鍵となる自社ブランド確立に追い風となったのはメジャーリーガーの間で広がった口コミだった。

<続く> http://king-gear.com/articles/670


【ベルガードファクトリージャパン株式会社】 
埼玉県にある国産野球用品メーカー。2012年に前身企業が倒産し、当時社員だった永井和人氏が権利を引き継ぐ形で創立した。防具を中心にメジャーリーガーからプロ野球、アマチュア選手に至るまで幅広い層に根強い人気を持つ。 
Facebook:https://www.facebook.com/belgardfactoryjapan/ 
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