Mizuno

MIZUNO HISTORY

1906年、日本で近代スポーツが本格的に受け入れられ始めた頃、ミズノは「水野兄弟商会」として創業しました。以来、ミズノは日本そして世界中のスポーツの発展のために貢献。ハイテクスパイク戦国時代の現代においても「モレリア」シリーズは00年代以降におけるJリーガーの着用率では常時トップクラスを維持している。

| 2016/05/18
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1906年(明治39年)、日露戦争から帰還した水野利八が、弟・利三とともに大阪北区で洋品店『水野兄弟商会』を創業。洋品雑貨などを販売するかたわら、学生用品やオーダーメイドの運動服の生産を始めた。

 創業者・水野利八は野球(スポーツ)に心酔していた。丁稚奉公を始めた12歳から商売一筋だった利八は、19歳の時に三高(現・京都大学)で野球を初観戦、スポーツの尊さに大変な感動を覚えたという。
 
 1910年、店舗を梅田新道(大阪)に移転。出身地である美濃(岐阜)をもじって社名を『美津濃商店』すると、1913年、美津濃は野球グラブとボールの生産をスタート。同年には町の商店ながら「関西学生連合野球大会」を主催、大会を成功に導いた(この大会は2年後に朝日新聞社の主催となり、全国大会に発展する。これが現在の“夏の甲子園”となった)。
 
 利八のアイデアから生まれた「カッター(勝った)シャツ」などがヒットし、美津濃は大手スポーツ用品店に成長。また硬式野球ボールの規格化を提唱するなど、初期から日本野球の発展に貢献した。

 1927年、大阪・淀屋橋に8階建ての新社屋を竣工。ゴルフクラブやスキー板など野球以外のスポーツ用品の開発に着手し、事業規模を拡大していく。特にゴルフ用品は野球用品と並ぶミズノの主力商品となり、戦後の高度経済成長期においてはゴルフ場造成ブームの波に乗り、国内ゴルフ市場において高いシェアを誇った。
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 利八はその後、野球用具の開発生産、ならびに各年代の野球大会を積極的に主催、現在の甲子園大会の先鞭をつけるなどの業績を評価され、1971年、野球殿堂入りを果たしている。

世紀の傑作・モレリア

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 ミズノのサッカースパイクを語る上で欠かせない名品が、1985年発売の「モレリア」だ。「軽量・柔軟・素足感覚」というコンセプトのもと誕生した片方245グラム(当時最軽量/片方26センチ)のスパイク。その素晴らしさをある外国人選手は「神がつくったスパイク」と表現した。
 
 1991年には軽量性、柔軟性、フィット感をさらに進化させた「モレリアⅡ」を発表。2年後の93年に開幕したJリーグでは多くのJリーガーがモレリアシリーズを履いて開幕年を戦った。
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元ブラジル代表のカレカなど海外スター選手にも愛され、99年にはモレリアを着用した元ブラジル代表FW・リバウドがバロンドールを受賞した。
 

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2003年には「モレリア・ウェーブ」が登場。

波型のプレートを採用し、安定性とクッション性を高めた。

2011年には軽量化を追求した次世代スパイク「モレリア・ネオ」がリリースされている。

これらモレリアシリーズに対するプロ選手の支持は、ハイテクスパイク戦国時代の現代においても翳ることはない。00年代以降におけるJリーガーの着用率では常時トップクラスを維持している。
 
2015年にはシリーズ生誕30周年を記念して「モレリアⅡ」がリニューアル。
45グラム(片方27センチ)もの軽量化を実現、ホールド感もさらなる進化を遂げている。
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2009年には本田圭佑と共同開発した初代「イグニタス」がデビュー。無回転キックをサポートする「バイオコントロールパネル」が話題となった。本田は学生時代からミズノスパイクを愛用し、名古屋グランパス入団と同時にミズノと契約。「イグニタス3」は本田が縦回転シュートを練習していたことから製作されるなど、本田圭佑がイグニタスシリーズの顔となっている。
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2014年には岡崎慎司がブラジルW杯で着用したスピード系スパイク「バサラ」を一般発売。直線方向の加速、高速ターンをサポートする新スパイクは、アッパー部分に二種類の特殊素材(「プライムスキン」「R-ファイバーコントロール」)を使用するなどミズノの知恵が詰め込まれている。2010年代からミズノのサッカースパイクへの探求心はより増しているようだ。