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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.16 『80年代前半の西ドイツ代表選手のスパイク』

82年W杯の西ドイツ代表選手のスパイクは見事に全員3本線で、この頃のプーマと異なりアッパーだけ見たらどれも同じモデルに見えると思います。しかし、全員はさすがに把握していませんが、割とソールタイプ(4、8、15話をご参照下さい)にこだわる選手がおられたようです。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2018/07/18
きっと今回のW杯の結果は旧西ドイツ代表OBもお嘆きのことと思います。

80年代、既に皇帝は引退され西ドイツの象徴と言えば、カール=ハインツ(KH)・ルムメニゲ選手でした。ミスターヨーロッパとも呼ばれ、アディダス、デサントの広告塔で、いつもサッカー雑誌のどこかに必ず載っていた記憶があります。
現在はバイエルンミュンヘンの取締役だそうです。 

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図1 82年と07年頃のKH・ルムメニゲ選手。名選手は年をとられてもサッカーをする姿は変わらない感じです。

右はコパムンを履かれていますが、現役時代のルムメニゲ選手は意外とコパムン使用率が低かったと思います(後述)。弟ミヒャエル選手も西ドイツ代表で、晩年は浦和レッズで活躍されました。
  

82年W杯でのルムメニゲ選手は、年齢的には絶頂期でしたが、ケガの影響からか本調子ではありませんでした。

また、初戦のアルジェリア戦で西ドイツ代表は歴史的敗北を喫しました。アルジェリア戦のルムメニゲ選手はこの大会から登場した3マテリアルソールのスパイクを履いていましたが(図2左上)、この大会の以後の試合で、同じソールのスパイクを履くことはありませんでした。

左下は伝説の死闘(準決勝フランス戦)で追撃ゴールを決めるルンメニゲ選手ですが、アディスーパーソールのスパイクです(左下及び図1左)。

予選リーグのチリ戦、オーストリア戦、決勝のイタリア戦もこのスパイクだったと思います。
ルムメニゲ選手はスピード豊かなFWで取替え式を好みそうなプレースタイルでしたが、意外と固定式もよく使われていました。

図2中央は84年EUROですが、82年W杯でも2次リーグのスペイン、イングランド戦は同じようなアディパンソールの固定式を履いていました。さらに、84年EUROではこの当時では珍しいシンプルなソールの取替え式もお使いでした(右)。

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図2 82年W杯(左)と84年EURO(中、右)のルムメニゲ選手。スパイクはアディダスしか履かない選手でしたが、使用モデル数は多かったと思います。86年W杯についてはいずれ書くつもりです。   

アディダスもプーマも昔から名選手の名前や顔が描かれたシグネチャーモデルがたくさんありました。 プーマがヨーロッパ、南米の選手、監督などバラエティーに富んでいたのに対し、アディダスの場合は西ドイツ選手の割合が極めて高かったと思います。 

古くは、皇帝、爆撃機、左足の芸術家などの名前が入ったモデルが多数存在しました。 80年代ですと、図3~5に載せた選手のモデルなどがあります。敢えて名前を出す必要もないぐらい有名な方たちですが、シグネチャーモデルがなくても素晴らしい選手が多くおられました。 

元十種競技選手だった重戦車、元韓国代表監督、リオオリンピック銀メダルの代表監督、そして、日本でもお馴染み、長谷部選手、内田選手がお世話になった鬼軍曹。ただ、何となく玄人好みで、シグネチャーモデルの対象にならなかったのでしょうか?もし他メーカー等で存在していたらご容赦下さい。 

また、これもインスタフォロワーの方に教えていただいたのですが、GKシューマッハー選手のキーパーグローブはロイッシュ製なのにトレフォイルマークもついています。共同開発だったのでしょうか?   

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図3 ルムメニゲ選手のシグネチャーモデル。西ドイツ製、日本製、様々なモデルがありました。   

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図4 ブライトナー選手(左上)、リトバルスキー選手(右上)、カルツ選手(左下)と、そのシグネチャーモデル。カルツ選手についてはこちらにも記されています(http://king-gear.com/articles/127 )。 

右下はKH・フェルスター選手のシグネチャーモデルで、これ以外にも複数あったと思います。種類の多さは人気の高さを表しているのかもしれません。フェルスター選手のお兄さん(ベルント)も代表選手でしたが、シグネチャーモデルがあったかは存じ上げません。

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図5 フィッシャー選手(左上)、ハンジ・ミュラー選手(右上)、シュスター選手(左下)のシグネチャーモデル。フィッシャー選手についてもこちらをどうぞ(http://king-gear.com/articles/127)。 

シュスター選手はバルセロナで神とチームメートでした。大活躍した80年EURO以降は、西ドイツ代表招集を拒否していましたが、(人気の高さからか)シグネチャーモデルがあります。

右下はシューマッハー選手の不思議なグローブ。スパイクはシンプルな1
色ソールの取替え式が多かったと思います(当然アディダス)。
  

シグネチャースパイクはメーカーによってはトップモデルの場合もありましたが、アディダスの場合は一般プレーヤー向けで、比較的手ごろな価格であることが多かったと思います。実際の試合では自分のシグネチャーモデルを履く西ドイツ選手はおらず、トップモデル(取替え式はワールドカップなど)を使っていました。 

82年W杯では固定式トップモデルのコパムンがデビューしたと思います。しかし、ルムメニゲ選手のみならず、固定式を履く西ドイツ選手のスパイクは黒スタッドのコパムンそのものではありませんでした。

図6のミュラー選手(右)、ブライトナー選手(左)の固定式スパイクのソールは白一色のアディパンソールです。この頃まだ販売していたワールドカップウィナーに見えますが、つま先の作りはコパムンと同じです。

Thumb efbc97 図6 82年W杯でアディパンソールの固定式スパイクを履いているブライトナー選手(左)、ミュラー選手(右)。挿入写真下はそれぞれのスパイク拡大図。つま先にご注目下さい。挿入写真上はコパムン(左)とワールドカップウィナー(右)のつま先の構造。明らかにお二人のスパイクはコパムンタイプと思われます。

別件で、82
年W杯の西ドイツ代表のユニフォームですが、シャツがアディダスで、パンツはエリマでした。GKはどちらもアディダスでした(巻頭写真参照)。
  

86年W杯では、コパムンを履く西ドイツ選手は増えましたが(いずれご紹介します)、ブライトナー選手は引退後もアディパンソールのスパイクを長く愛用されたようです(図7)。   


Thumb efbc98 図7 現役引退後のブライトナー選手。アッパーがコパムンで、ソールが1色タイプのモデルは、(前回ご紹介した)日本製のコパシリーズ(SL、SP)が登場する数年前から西ドイツ本国では存在していたようです。今もあれば手にしてみたいものです。   

82年W杯で、生産国の選手は2マテリアルソールを意外と避けていた感じですが、コパムンを履く選手は西ドイツ以外にはおられました。 

図8はブラジルのエデル選手の強烈なFKを防ぐイタリア代表選手達です。 右端のオリアリ選手はコパムンを履いています。中央のカブリーニ選手もコパムンに見えますが、こちらはスーパーカップです。

前回80年代のコパムンは今となってはレアであることを書きましたが、コパムンデビュー以前の固定式フラッグシップモデルのワールドカップウィナーとスーパーカップはさらに現存数が少ないと思われます。いずれ、その2種類についても書きたいと思います。
  


Thumb efbc99 図8 82年W杯でのイタリア選手のスパイクについては9話でご紹介しました。左上がカブリーニ選手(右中央)のスーパーカップで、左下がオリアリ選手(右端)のコパムン。(同じに見えるかもしれませんが)違いについてはいずれご紹介します。   

次回はプーマのシグネチャーモデル(ペレモデルを除く)について書きたいと思います(予定変更もありますがご容赦下さい)。 


(写真は「THE LOVE OF FOOTBALL 」清水和良著、当時のサッカーマガジン、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)   




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