【選手ヒストリー】日米通算2730安打を放った“稀代のヒットマン”が現役を引退ー青木宣親(東京ヤクルトスワローズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手
青木宣親選手は、早稲田大学を経て、2003年のドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。ヤクルトとメジャーリーグ7球団に在籍し、通算2730安打を放つ活躍を見せた。※イラスト/これ松えむ
プロ入り2年目で数々のタイトル獲得!“稀代のヒットマン”が現役を引退
早稲田大学から2003年ドラフト4位で東京ヤクルトスワローズに入団した青木宣親選手は、プロ入り2年目から頭角を現すと、2005年にはシーズン200本安打を記録。首位打者、最多安打、盗塁王、最高出塁率、ベストナインなどのタイトルを獲得し、新人王にも輝いた。
走攻守揃った外野手として、球界を代表するスター選手に成長した青木は、2010年には史上初となる2度目の200本安打を達成した。2011年オフには日本での実績を提げてポスティングで、MLBのミルウォーキー・ブリューワーズに移籍。
6年間でブルワーズ、ロイヤルズ、ジャイアンツ、マリナーズ、アストロズ、ブルージェイズ、メッツの7球団を渡り歩いて774本のヒットを積み重ねた青木は、アメリカでも安打製造機ぶりを発揮して2017年には日米通算2000本安打を達成。ロイヤルズ在籍時の2014年にはワイルドカードを勝ち抜いてワールドシリーズに進出するなど、チームの主力として活躍した。
2017年のオフには、FA宣言で古巣の東京ヤクルトスワローズへの復帰を表明。渡米前の変わらない卓越した打撃でチームを牽引した青木は、2020年に就任した高津臣吾監督の元で新たなスタートを切ったチームの主将に就任。2021年にはチームとしては2015年以来、青木としては初のリーグ優勝と日本一を成し遂げ、歓喜の美酒に酔った。
翌年も青木が故障やコロナ感染で3度の登録抹消を強いられる一方、チームはセ・リーグを連覇。精神的な支柱としてチームを支えたが、「自分が思ったようなパフォーマンスをファンに見せることができない」ことを理由に2024年限りでの引退を表明。日米通算2723安打を記録した稀代のヒットマンは21年間の現役生活に幕を下ろした。
キャリアを振り返る
甲子園出場は果たせず…
日向市立日知屋小学校1年生の時に全日知屋スポーツ少年団に入団し、小学校6年生に投手として宮崎県大会に出場し優勝を勝ち取ったが、日向市立富島中学校では周囲の競技レベルが高くなかったこともあり、全国大会に駒を進めることはできなかった。
その後、青木は1997年に宮崎県立日向高校に進学し、2年生からエースとして起用されたものの、甲子園出場は果たせず。3年生時の春季九州大会(1999年)では県予選を勝ち抜いたものの、2回戦で東海大五高にサヨナラ負け。夏の県大会も準々決勝で鵬翔高に敗れて、高校生活を終えた。
投手から野手へー春夏4連覇、3度のベストナイン獲得
早稲田大学に進学した青木は、進学と肩の負傷をきっかけに野手へ転向した。青木が3年生で迎えた2002年の春には、対東京大学1回戦で5打数5安打5打点1死球の活躍で、1試合6得点の6大学野球記録を樹立。秋のリーグ戦では打率.436で首位打者のタイトルを獲得した。
2002年には、青木の1つ上には和田毅(ソフトバンク)、下の学年には田中浩康(ヤクルトなど)、武内晋一(ヤクルト)、越智大祐(巨人)。同期にも鳥谷敬(阪神など)、比嘉寿光(広島)、由田慎太郎(オリックス)ら、のちのプロ野球選手が揃うチームで春夏連覇。翌年も春夏連覇を果たし4連覇を成し遂げたチームで青木も存在感を示し、3度のベストナインを手にした。
数々のタイトル獲得!プロ野球史上初の2度目の200安打を達成
2003年のドラフト4位指名を受けて、ヤクルトスワローズに入団した青木は、ルーキーシーズンの2004年は1軍での起用は10試合にとどまったものの、イースタンリーグを中心に起用され、打率.372で首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得。フレッシュオールスターにも出場し、MVPも獲得した。
2年目の2005年に中堅のレギュラーを獲得した青木は、上位打線で起用されるとイチロー氏以来史上2人目のシーズン200安打(202安打)を達成。打率.344のハイアベレージで首位打者、最多安打、ベストナインなどのタイトルを獲得し、新人王も手にした。
以後ヤクルトのリードオフマンとしての地位を確固たるものにした青木は、盗塁王(2006年)、首位打者(2007年)などのタイトルを獲得。3番で起用された2010年にはプロ野球史上初の2度目の200安打を達成し、3度目の首位打者にも輝いた。
MLBへ。世界一は逃すも7球団を渡り歩く
2011年オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグへの移籍を表明し、ミルウォーキー・ブルワーズへの入団が決定。5月頃から徐々に先発ポジションを掴むと、151試合に出場し、打率.288、10本塁打、50打点、30盗塁の活躍で存在感を示した。
ミルウォーキー・ブルワーズ在籍時(2012年)出典/Getty Images
2013年オフにカンザスシティ・ロイヤルズへのトレード移籍を果たした青木は、シーズン前半こそ肉離れによる負傷離脱を強いられたものの、後半戦で打棒が爆発。29年ぶりのプレーオフ進出を目指して勢いに乗るチームの中で、9月15日から22にかけての1週間で、14安打を固め打ち(週間打率.636)し、存在感を示した。
ワイルドカードでポストシーズンへの進出を決めたロイヤルズは、リーグディビジョンシリーズでエンゼルスと対戦し、3連勝。ボルティモア・オリオールズと顔を合わせたアメリカンリーグチャンピオンシップも4連勝を成し遂げて1985年以来のワールドシリーズへと駒を進めたが、サンフランシスコ・ジャイアンツと最終戦までもつれる激闘の末に3勝4敗で敗れ、惜しくも世界一の座は逃した。
シーズン終了後にFA権を獲得した青木は、対戦相手のサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。その後も、シアトル・マリナーズ(2016年)、ヒューストン・アストロズ、トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・メッツ(2017年)と、野茂英雄氏と並ぶ7球団を渡り歩いた後、2018年オフにFAで古巣の東京ヤクルトスワローズへの復帰を決断した。
東京ヤクルトスワローズに復帰。球団史上ワーストから2位へ導く
前年は球団史上ワーストの96敗戦を喫し、最下位に沈んだヤクルト復帰を果たした青木は、日本復帰後の2018年もかつてと同様の安定した打撃を見せ、打率.327 10本塁打、キャリアハイの67打点を叩き出し、チームを2位(75勝66敗2分 勝率.532)に押し上げた。
2019年に再びチームが最下位に沈むと、2020年からは高津臣吾氏が監督に就任。青木はチームのキャプテンを任された。
高津体制2年目の2021年には、混戦を制してセリーグを制覇。チームとしては2015年以来8年ぶり、青木はキャリア初の優勝を成し遂げると、オリックス・バファローズと対戦した日本シリーズでは、第2戦でタイムリーを放つ活躍を見せ、自身初の日本一を成し遂げた(チームとしては青木が入団する前の2001年以来、20年ぶりの快挙)。
2022年のセ・リーグ連覇に貢献した青木は、徐々に出場機会を減らしながらも安定した打撃を披露していたが、2024年シーズン限りでの引退を決断。日米通算2730安打を放った21年間の選手生活に幕を下ろした。
プロフィール
名前:青木 宣親(あおき・のりちか)
出身:宮崎県
生年月日:1982年1月5日(42歳)
身長/体重:175cm/80kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
ドラフト年:2003年4巡目
経歴:日向高-早稲田大-ヤクルト-ブルワーズ-ロイヤルズ-ジャイアンツ-マリナーズ-アストロズ-ブルージェイズ-メッツ-ヤクルト
通算成績
NPB通算:1724試合(打率.313/145本塁打/667打点/177盗塁/1956安打)
MLB通算:759試合(打率.285/33本塁打/219打点/98盗塁/774安打)
日米通算:2483試合(打率.305/178本塁打/886打点/375盗塁/2730安打)
獲得タイトル
首位打者:05年、07年、10年
最多安打:05年、06年
最高出塁率:07年、09年
盗塁王:06年
新人王:05年
ベストナイン:05年~11年
ゴールデングラブ:06年~11年、20年
※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年11月現在)