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【選手ヒストリー】プロ野球の荒波を乗り越えて、最後まで挑戦を続けた男ー二保旭(千葉ロッテマリーンズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

福岡県行橋市生まれの二保旭は、九州国際大付属高校から育成ドラフト2位で福岡ソフトバンクに入団して中継ぎ投手として活躍した後、阪神千葉ロッテにも在籍し、16年間の選手生活を過ごした。※イラスト/これ松えむ

Icon kinggear icon KING GEAR編集部 | 2024/12/16

地道な努力がつないだ夢への道

福岡県行橋市生まれの二保旭は、小学2年生の時に投手として野球を始める。中学校時代に所属していた行橋シニアでは、3年時に九州大会に出場し、チームの優勝に貢献した。九州国際大付属高では1年生の夏にベンチ入りを果たすと、同年秋にはエースとしてチームを支えた。股関節を柔らかくする練習に取り組み、入学時には127kmだった球速は145kmにまで上昇し、プロからの視線を集めることとなった。

2008年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスの育成2位指名を受け、二保はプロの世界に足を踏み入れたが、最初の3年間は二軍や三軍で過ごす日々が続いた。ウエスタン・リーグで6試合に登板し、3勝0敗、防御率2.35の成績を収めて月間MVP(2012年5月度)を獲得した2012年7月に支配下登録を勝ち取ると、9月23日の楽天戦でプロ入り初登板を記録。この年は3試合に登板し、6回を投げて勝敗つかずの1失点、防御率1.44という成績だった。なお、ウエスタンリーグではで11勝0敗、防御率1.44の好成績を残し、最多勝と最高勝率(10割)に輝いた。

リリーフから先発、そして移籍

2013年から14年にかけては一軍と二軍を行き来する時期が続いたものの、オープン戦から好調が続いた2015年は自身初の開幕1軍を掴むと、8回途中のビハインドの場面で登板し、吉村裕基の逆転三塁打を呼び込んだ5月3日にはプロ入り初勝利を記録。中継ぎとして44試合に登板し、6勝1敗、防御率3.25の成績を残した。2016年4月にトミー・ジョン手術を受けた影響で、以後1年間は登板のないシーズンを過ごしたが、2017年5月に三軍戦で復帰を果たすと、その後は二軍の中継ぎとして16試合に登板、18回を投げ、防御率2.00の記録するも、1軍での登板機会はなく、翌年以降の本格復帰に向けた調整でシーズンを終えた。

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2018年は、4月10日の日本ハム戦で3年ぶりの一軍登板を果たすと、リリーフとして35試合に登板。1勝0敗、防御率5.34の成績で中継ぎ陣を支えた。2019年には、登板こそ8試合にとどまったものの、谷間の先発としても起用され、7月5日のオリックス戦では先発として初勝利も記録。コロナ禍の影響で6月に開幕を向けた2020年も先発として起用され、登板した全ての試合で先発としてマウンドに上がり、56回2/3を投げ、4勝5敗、防御率4.92の成績を残したが、翌年は1軍でわずか2試合の登板に終わり、2021年7月に中谷将大とのトレードで阪神タイガースに移籍することとなる。

再起をかけた挑戦の果て、現役生活に終止符

阪神に移籍した2021年は先発のマウンドに上がった8月14日の広島戦では6回途中3失点の粘投で移籍後の初勝利をマークしたが、勝ち星はこの1勝のみ。移籍後は4試合に登板し、1勝1敗、防御率5.28の成績でシーズンを終えた。だが、ウエスタンリーグで最多セーブのタイトルを記録した2022年、2023年は一軍登板の機会がなく、戦力外通告を受けることとなった。

2023年11月に千葉ロッテに育成契約で入団した二保は、翌年3月に支配下登録を勝ち取るも、8試合に登板するも防御率12.19の成績に終わり、再び戦力外通告を受けることに。これを受けて自身のインスタグラムで引退の意思を表明し、16年間の現役生活に幕を下ろした。

プロフィール

名前:二保 旭(にほあきら)
出身:福岡県
生年月日:1990年05月18日
身長/体重:182cm/74kg
投打:右投げ/右打ち
ポジション:投手
ドラフト年:2008年育成選手2位

通算成績

実働16年:121試合 13勝12敗 防御率4.73

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)