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【選手ヒストリー】揺れる背番号55、成長と挫折を繰り返した15年の野球人生ー大田泰示(横浜DeNAベイスターズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

広島県出身の大田泰示は、東海大相模高校を経て、2009年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団し、松井秀喜氏が2002年まで背負い準永久欠番扱いとなっていた55番を付けたことでも話題を呼んだ。その後は2017年にトレードで日本ハムファイターズに移籍して存在感を示すも、FA権を取得した2021年オフにノンテンダー(自由契約)となり、横浜DeNAベイスターズに移籍。2024年まで3シーズンに渡ってプレーした。※イラスト/これ松えむ

Icon kinggear icon KING GEAR編集部 | 2024/12/23

甲子園出場は果たせずもドラフト1位に

広島県三次市出身の大田泰示は、三次高校で投手だった父の影響で幼い頃からキャッチボールを始めると、小学1年生の時にソフトボールチームに加入し、小学5年生の時には鞆古城クラブに籍を移して軟式野球クラブに取り組んだ。中学校では2年生で三塁手と遊撃手、3年次には投手を務め、2年生で出場した秋の大会では優勝を手にした。中学2年生の時に参加した野球教室では、後に巨人の指揮官として大田を1位指名する原辰徳の指導を受けており、原から自身のスイングを褒められたことがきっかけで、原の母校でもある神奈川県の東海大相模高校に進むこととなった。県内屈指の強豪校でもある東海大相模高校に進んだ大田は、1年生の春から三塁手としてベンチ入りすると、1年の秋には早くも4番を任され、2年生で迎えた2007年の秋からは主将としてチームを牽引。1学年上の先輩でもある巨人からオリオールズ入りを決めた菅野智之や広島カープの田中広輔といった豪華な陣容が揃っていたが、大田が在籍していた3年間では甲子園出場は果たせずじまいだった。しかし3年夏に行われた夏の甲子園北神奈川大会決勝(90年の節目の大会だったため、神奈川県の2校が甲子園に出場することができた)では、大会新記録となる5本塁打の活躍。高校通算65本塁打のパワーや最速147kmの強肩が評価され、福岡ソフトバンクホークスとの競合を制した読売ジャイアンツに、ドラフト1位で入団することとなった。

背番号55を背負って、次世代スターとしての期待と苦悩

大田は入団時に、松井秀喜のMLB移籍以来使われていなかった背番号55番を背負うことが決定。その松井や坂本勇人が使った部屋で寮生活をスタートさせるなど、次世代のスター候補としての大きな期待を背負い、ルーキーイヤーを迎えることとなった。3月20日のイースタンリーグ開幕戦には、3番サードで出場。6月には初の一軍昇格を果たすも3試合に出場し、1打数無安打。唯一の打席も三振に倒れ、1年目にプロ初安打を放つことはできなかったが、ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残し、持ち前の長打力や身体能力の高さを示した。翌2010年もファームでは格の違いを見せるものの、1軍ではチャンスを掴めず、2011年も開幕は2軍で迎えたが、5月に1軍昇格を果たすと、18日の楽天戦でプロ初安打となる決勝2点タイムリーを放って存在感を示した。だが、シーズンを通して見ると、わずか4安打で、打率は.154と低迷。守備の不安も露呈し、外野へのコンバートを強いられることとなった。

2012年はオープン戦から外野手として起用されて開幕1軍入りを果たすも、調子は上がらず、4月10日に2軍降格を告げられることに。だが、最昇格後の9月1日には先発出場した横浜DeNA戦で3安打、3打点の活躍。23日のヤクルト戦ではプロ入り初本塁打を放つと、翌日の広島戦でも2試合連続弾で、才能開花の兆しを覗かせたが、翌2013年も定位置の獲得には至らず、4年連続でイースタンの三振王に。この年のオフに背番号を44番に変更し、再起を図ることとなった。

2014年シーズンも、大田はシーズンの序盤を大半を2軍で過ごすこととなったが、8月に再昇格のチャンスを掴むと、9月17日の広島戦で代打逆転2ラン本塁打を放つと、リーグ優勝を手にした翌日(9月27日)には、4番で先発出場を果たし、平成生まれ初の4番打者を務めることとなった。2015年44試合の出場にとどまったが、打率.246、2本塁打、12打点を記録し、翌年以降の飛躍に繋がっていくこととなる。

プロ入り7年目の2015年シーズンは、ようやく1軍に定着。レギュラー獲得までは至らなかったが、60試合に出場、打率.277(138打席36安打)、1本塁打、3打点に。入団当初に期待された姿と比べたらまだまだ物足りなさは残ったものの、それでもチームの一員として存在感を示した。2016年は6月の交流戦で大谷翔平から先頭打者本塁打を放つ活躍を見せたが、長引く不調も経験し、シーズン全体では62試合に出場して打率.202、4本塁打の成績に。この年のシーズンオフに3対3のトレードを告げられ、北海道日本ハムファイターズへと移籍することとなった。

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9年目でキャリアハイ達成、初の規定打席到達

ファイターズに加入した2017年は、シーズン開幕こそ2軍で迎えたものの、4月23日に1軍昇格を果たすと、以降はチームの主軸として活躍。左翼手のレギュラーポジションを掴んだ大田は、プロ入り9年目にして初の規定打席に到達し、118試合に出場、打率.258、15本塁打、46打点のキャリアハイを叩き出した。2018年も外野の定位置を掴んだ大田は、この年も104試合に出場。打率.274、14本塁打、59打点の活躍を見せると、背番号を5に変更。翌2019年には自己最多の132試合に出場し、打率.289、20本塁打、77打点の活躍。その中でも、自身初の20本塁打を放ち、プロ11年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たしたことは、野球ファンの間で大きく話題となった。

2020年もレギュラーとして存在感を示した大田は、自身初のゴールデングラブ賞を獲得。115試合に出場し、打率.275、14本塁打、68打点の成績はいずれも前年に及ばなかったものの、7回を記録した捕殺など、強肩を活かした守備が評価されることに。そしてプロ13年目の2021年は、FA権を取得するも不調に苦しむことに。シーズン終了後に保留手続きを行わないことが発表され、秋吉亮、西川遥輝らとともに自由契約(ノンテンダー)となった。

現役続行を模索も、新たな挑戦は叶わず

2021年12月に横浜DeNAベイスターズへの入団を決めると、1年目は62試合に出場して、打率.278、5本塁打、18打点の活躍。夏場に戦線離脱を強いられたものの、8月9日の阪神戦でのサヨナラ安打や8月30日の中日戦で1試合5安打を記録するなど、明るい性格も相まって数字以上のインパクトを残した。だが2023年は75試合に出場し、打率.217、4本塁打、15打点の低空飛行に終わると、2024年の開幕前には、左ハムストリングの肉離れにより戦線離脱を強いられることに。チームが26年ぶりの日本一を手にする中、シーズンを通じて1軍昇格を果たせずに終わり、オフには戦力外通告を言い渡された。一時は現役続行を模索していたが、獲得に名乗りを上げる球団は現れず、11月に引退が発表された。


プロフィール

名前:大田泰示(おおたたいし)
出身:広島県

生年月日:1990年6月9日
身長/体重:188cm/96kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:外野手
ドラフト:2008年ドラフト1位

通算成績

実働15年:907試合 打率.259 打数2768 安打718 本塁打84 打点343 盗塁29

獲得タイトル

2020年:ゴールデングラブ賞

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)