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フットサル日本代表キャプテン滝田学が、失意や苦難を乗り越えた先に描く未来vol.1『苦難の始まり』

サッカー日本代表がオーストラリアに勝利し、ワールドカップ出場権を獲得した2017年9月1日。日本中が歓喜に酔いしれたこの日の夜、筆者のもとに一本の電話がかかってきた。 「ようやく復帰の目途がたちました。もうじき復帰できそうで、いま最後の調整をしています。」 物静かながらも、人懐っこさと大胆さを合わせ持つような口調の電話の主は、大怪我からの早期復帰を目指して人知れず努力を続けてきた、ペスカドーラ町田所属、元フットサル日本代表キャプテンの滝田学だった。

Icon segawa.taisuke1 瀬川 泰祐(せがわたいすけ) | 2017/09/08
フットサルワールドカップ2016コロンビア大会の出場権をかけたAFCフットサル選手権2016。ウズベキスタンで行われたこの大会で、滝田は日本代表のキャプテンという重責を担った。だがチームは、準決勝でベトナムに敗れ、さらにプレーオフでキルギスにまさかの大敗を喫し、第1回大会より3大会連続で出場していたワールドカップ出場権を獲り逃した。


日本フットサル界の歴史を途絶えさせてしまった責任を誰よりも強く感じ、2020年ワールドカップでのリベンジを誓って帰国した滝田にとって、2017年は非常に重要な年だった。2020年ワールドカップ出場権をかけた「AFCフットサル選手権2018」が、いよいよ、11月から始まるからだ。


最大の目標を見据え、2017/2018シーズンのFリーグ開幕を迎えようとしていた矢先に起きた出来事だった。2017年5月19日に行われたオーシャンカップ準々決勝のバルドラール浦安戦で、滝田は相手選手と交錯し、左腓骨粉砕骨折、脛腓靱帯損傷、三角靭帯損傷の大怪我を負ってしまったのだ。

フットサル界全体が2020年ワールドカップ出場に向けて動き出している中で、フットサル日本代表キャプテンの怪我は、日本のフットサル界にとって大きな痛手だった。

そして、翌日、滝田の怪我のことは、フットサル専門メディアを始め、多くのメディアでこぞって取り上げられる……。と思っていた。少なくとも、筆者はそう思っていた。

だが、現実は違った。大きく違った。ほとんどの媒体で、滝田の怪我が取り上げられることはなかったのだ。

「これが今の俺の存在価値か。」  

「これが日本のフットサル界の現状か。」  

分かってはいても、実際に現実を突き付けられると、人は目を背けたくなるものだ。ましてや、精神的に弱っているような時ならなおさらだろう。だが、滝田は違った。

自問自答を繰り返しながらも自分の立ち位置を再認識するとともに、「絶対に復帰してやるんだ」という強い決意が芽生えたのだ。そして、その時から、滝田の長いリハビリ生活が始まった。常人には想像できない生活が……。  


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