寄り道欧州サッカー紀行 ~ 神の子よ 永遠に ~ 2018年5月20日 La Liga Santander最終節
アトレティコ・マドリードのホームスタジアム・ワンダメトロポリターノでは、このクラブを愛し、このクラブに愛された、一人の青年が赤と白の縦縞のユニフォームを脱いだ。なぜ、彼はそんなに愛されたのか。ヨーロッパの現地から、KING GEAR編集部がその情報をお届けします。
國友貴文
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2018/06/04
リバプールのスティーブン・ジェラード
ローマのフランチェスコ・トッティ
一つのクラブにその選手生命を捧げ、自身の全てを捧げたレジェンド。
流動の激しい現代のフットボールの世界において、 引退まで一つのクラブで過ごすというのは、実力だけでは実現できないほどに難しい。
だからこそ、そのような稀有なプレイヤーは、ファンからも絶大な寵愛を受ける
Fernando José Torres Sanz
通称、 フェルナンド・トーレス エル・ニーニョという通称で呼ばれており、ファンの間では彼に対する敬意を込め、「神の子」 と呼ばれることが多い。
(少し触れておくと、スペイン語でエル・ニーニョ(El Niño)というのは、単に「子供」という意味である。神の子という意味ではない。)
熱狂的な祖父の影響で、アトレティコを愛するようになったその「子供」にとって、 愛するロヒ・ブランコ(注1)のユニフォームに袖を通すことを希望することは、ごく自然の選択肢だったのかもしれない。
(最後のスピーチ中に大型ビジョンに映し出された、トーレスの入団時の契約書 2018番の少年が2018年に退団するのは、何かを感じる)
そして、アトレティコの応援歌“イムノ”にもでてくる聖地ビセンテ・カルデロンに トップチームとして立ったのが17才の時だった。
年齢的には下部組織にいてもおかしくないその少年が突如トップチームに昇格した時、 誰も名前を知らなかったことから、呼び名として
「エル・ニーニョ」
と呼んだことが、彼がこのニックネームで呼ばれる所以となったという。
アトレティコ・マドリードを愛する人達にとって、 トーレスほど人気がある選手も他にはなかなかいない。
しかし、彼は、ジェラードやトッティのように、 一つのクラブでその選手生命を全うした選手ではない。
アトレティコから、イングランドのリバプール、チェルシーへ移籍。 ACミランを経由して約8年ぶりに、アトレティコに戻ってきた。
クラブへの貢献度から考えると、トーレスよりもアトレティコに貢献した選手はいる。 現主将のガビなどはその筆頭だろう。
しかし、彼はクラブから、そのファンから、 溢れるほどの寵愛を受けた。
彼も同様に、赤と白のロヒ・ブランコのユニフォームに袖を通すことを愛した。
トーレスと同年代で、出身地も同じフエンラブラダで生まれ育った、 熱狂的なレアル・マドリードファンであるアンドレス・ルイスさんに、 トーレス、そしてアトレティコについて聞いてみた。 同じマドリードの人から見るアトレティコ、そしてトーレスとは。
“トーレスはレジェンドだし、同郷だけど、実は僕は応援してはいないんだ(笑) だって、レアルファンだからね。
でも、彼はスペイン代表としてはこの国にたくさんの幸せをもたらせてくれたと思ってるよ。
彼が何であんなに愛されるかって?
それは、アトレティコサポーターの特性もあるんじゃないかな。 レアル(やバルサ)は世界中から注目されるクラブだから、ファンクラブの所属も、国外の人が多いんだ。
だから、ベルナベウ(注2)で応援する人も、少し観光気分で来てる人も多いし、いなくなった選手を何年も覚えてるほどの真のレアルファンも、最近は減ってきてるような気もしてる。
でも、アトレティコは“違う”んだ。
彼らのファンクラブは、地元の熱心なファンが多いし、
勝っても負けても、彼らは選手とクラブを信じてる。
それがレアルとは違うところかもしれないね。
だから、アトレティコだけでなく、スペインにも幸せを運んでくれたトーレスは、 他の選手より信頼され、愛されてるのかもしれないね。“
(試合直前練習のトーレス 彼の次の舞台はどこなのだろうか)
そして、2018年5月20日。 トーレスがアトレティコのユニフォームを着て戦う最後の試合。
対するは、 日本代表・乾貴士が所属する(2018年5月時点)、 バスク地方のクラブ エイバルである。
チームメイトが、ファンが今期から本拠地となった新しい劇場にいる全ての人が、トーレスの得点を望んでいたと思う。
そして、さすが千両役者と言うべきだろうか、
“エル・ニーニョ”もその期待に応えた。
特に2点目は、全盛期の彼を彷彿とさせるようなスピードで、 相手DFを振り切って決めた美しいゴールだった。
2点目のゴールを決めた時、彼はそのままファンの元へ駆け込み、 彼はその群衆の一部として飲み込まれていった。
もしかしたら、直感的に分かったのかもしれない。
これが、“最後のゴール”であると。
だからこそ、 彼は、 愛するアトレティコを愛する人達と、一つになりたかったのかもしれない。
彼は、しばらくその群衆から出てこようとはしなかった。
(2点目の後、観客に飲み込まれるトーレス)
そして、最後のホイッスルが、少し寂しそうに鳴り響く。
彼の、“ロヒ・ブランコ”での歴史は一旦ここで幕を閉じた。
(最後のスピーチ前に、花道を歩むトーレス)
最後のセレモニー、 彼は愛するチームメイト、愛する家族、愛するファンに見守られ、最後のメッセージを残した。(内容は要約)
(3人の子供と一緒にファンに感謝するトーレス)
“アトレティコ愛するきっかけをくれた祖父に感謝したい。
アトレティコで過ごすために全力でサポートしてくれた両親にも感謝したい。
どんな苦しい時も支えてくれた妻、そして3人の宝物にも感謝したい。
3年半という素敵な時間をくれたチームメイト、そして全てのファン達にも。
世界で最も愛されたチームのメンバーである幸せは、
タイトルを取る幸せとは関係のないものだった。
このユニフォームを着ることのできる名誉・プライド・幸せを感じることができた。 今後、どのような苦難が待ち受けていても、けして忘れないでほしい。
僕たちは、“アトレティ”なんだ。
この幸せは、他の人では分からない。
最後に一つだけお願いがあるんだ。
僕たちの歌。 “イムノ” を聞かせてほしい。
世界で一番美しいその歌を”
(サポーターは、しばらくの間、トーレスのために歌うことをやめなかった)
トーレスのアトレティコとしての人生は一旦ここで幕を閉じた。
100ゴール以上をクラブにもたらし、404試合出場という記録と共に。
熱狂的なアトレティコ・マドリードのソシオに加入する、フリアン・イダルゴさんに、 「アトレティにとってのトーレス」、「トーレスが愛される理由」を聞いてみた。
“フェルナンドは、アトレティに取って忘れられない
「悲しい記憶」
の終わりを意味するんだ。
当時、2部に降格してしまっていたクラブに、 新たな力と、未来への希望を与えてくれたんだよ。(注3)”
“なぜフェルナンドがアトレティから愛されるかだって?
いろんな理由があるけど、全ての試合・全てのプレイ・全てのボールに対して彼が見せてくれる”
「負けない気持ち」 じゃないかな。
彼は低迷するチームにおいて、ゴールというプレゼントを与え続けたんだ。 それはとても素敵なプレゼントだったね。
彼は7年間僕たちの家族だったけど、彼のピーク時のパフォーマンスにクラブのレベルが伴っていなかった。
悲しいけど、たくさんの幸せをアトレティに与えてくれたフェルナンドを愛していたから、彼が輝ける別のキャリアへ進むことを温かく見守ったんだと思うよ。“
(セレモニー中に本拠地外に設置されたトーレスの足跡を記録するモニュメント)
クラブからもファンからも愛されるプレイヤーというのはどのようなプレイヤーなのだろうか。
1つのクラブに人生を捧げたプレイヤー
最も貢献したプレイヤー
最もクラブを愛したプレイヤー
全て正しいかもしれない。
Fernando José Torres Sanz
通称、 フェルナンド・トーレス
彼は、1つのクラブに人生を捧げたプレイヤーではない。
彼は、最もクラブに貢献したプレイヤーでもない
しかし、彼は、最もクラブを愛し、
クラブとファンから愛されたプレイヤーだった。
だからこそ、15年以上前、“子供“という名で呼ばれ始めたその少年は、
その後、
このクラブに降り立った
“神の子”
となったのかもしれない。
注1:ロヒ・ブランコ(Los Rojiblancos)
アトレティコ・マドリードの愛称。ロヒ・ブランコは赤と白という意味合いがあるが、アトレティコのユニフォームが、赤と白の縦縞であったことから、このような呼び名がついている。
注2:ベルナベウ マドリードのフットボールクラブでアトレティコ・マドリードと人気を二分する世界有数のメガクラブ、レアルマドリードの本拠地 サンティアゴ・ベルナベウ(Estadio Santiago Bernabéu)。
注3:2部への降格 アトレティコ・マドリードは2000-2001シーズンから2年間、2部リーグへ降格している。1年での1部復帰はならなかったが、降格初年度の終盤にフェルナンド・トーレスがトップチームでデビューを飾っている
ローマのフランチェスコ・トッティ
一つのクラブにその選手生命を捧げ、自身の全てを捧げたレジェンド。
流動の激しい現代のフットボールの世界において、 引退まで一つのクラブで過ごすというのは、実力だけでは実現できないほどに難しい。
だからこそ、そのような稀有なプレイヤーは、ファンからも絶大な寵愛を受ける
Fernando José Torres Sanz
通称、 フェルナンド・トーレス エル・ニーニョという通称で呼ばれており、ファンの間では彼に対する敬意を込め、「神の子」 と呼ばれることが多い。
(少し触れておくと、スペイン語でエル・ニーニョ(El Niño)というのは、単に「子供」という意味である。神の子という意味ではない。)
熱狂的な祖父の影響で、アトレティコを愛するようになったその「子供」にとって、 愛するロヒ・ブランコ(注1)のユニフォームに袖を通すことを希望することは、ごく自然の選択肢だったのかもしれない。
(最後のスピーチ中に大型ビジョンに映し出された、トーレスの入団時の契約書 2018番の少年が2018年に退団するのは、何かを感じる)
そして、アトレティコの応援歌“イムノ”にもでてくる聖地ビセンテ・カルデロンに トップチームとして立ったのが17才の時だった。
年齢的には下部組織にいてもおかしくないその少年が突如トップチームに昇格した時、 誰も名前を知らなかったことから、呼び名として
「エル・ニーニョ」
と呼んだことが、彼がこのニックネームで呼ばれる所以となったという。
アトレティコ・マドリードを愛する人達にとって、 トーレスほど人気がある選手も他にはなかなかいない。
しかし、彼は、ジェラードやトッティのように、 一つのクラブでその選手生命を全うした選手ではない。
アトレティコから、イングランドのリバプール、チェルシーへ移籍。 ACミランを経由して約8年ぶりに、アトレティコに戻ってきた。
クラブへの貢献度から考えると、トーレスよりもアトレティコに貢献した選手はいる。 現主将のガビなどはその筆頭だろう。
しかし、彼はクラブから、そのファンから、 溢れるほどの寵愛を受けた。
彼も同様に、赤と白のロヒ・ブランコのユニフォームに袖を通すことを愛した。
トーレスと同年代で、出身地も同じフエンラブラダで生まれ育った、 熱狂的なレアル・マドリードファンであるアンドレス・ルイスさんに、 トーレス、そしてアトレティコについて聞いてみた。 同じマドリードの人から見るアトレティコ、そしてトーレスとは。
“トーレスはレジェンドだし、同郷だけど、実は僕は応援してはいないんだ(笑) だって、レアルファンだからね。
でも、彼はスペイン代表としてはこの国にたくさんの幸せをもたらせてくれたと思ってるよ。
彼が何であんなに愛されるかって?
それは、アトレティコサポーターの特性もあるんじゃないかな。 レアル(やバルサ)は世界中から注目されるクラブだから、ファンクラブの所属も、国外の人が多いんだ。
だから、ベルナベウ(注2)で応援する人も、少し観光気分で来てる人も多いし、いなくなった選手を何年も覚えてるほどの真のレアルファンも、最近は減ってきてるような気もしてる。
でも、アトレティコは“違う”んだ。
彼らのファンクラブは、地元の熱心なファンが多いし、
勝っても負けても、彼らは選手とクラブを信じてる。
それがレアルとは違うところかもしれないね。
だから、アトレティコだけでなく、スペインにも幸せを運んでくれたトーレスは、 他の選手より信頼され、愛されてるのかもしれないね。“
(試合直前練習のトーレス 彼の次の舞台はどこなのだろうか)
そして、2018年5月20日。 トーレスがアトレティコのユニフォームを着て戦う最後の試合。
対するは、 日本代表・乾貴士が所属する(2018年5月時点)、 バスク地方のクラブ エイバルである。
チームメイトが、ファンが今期から本拠地となった新しい劇場にいる全ての人が、トーレスの得点を望んでいたと思う。
そして、さすが千両役者と言うべきだろうか、
“エル・ニーニョ”もその期待に応えた。
特に2点目は、全盛期の彼を彷彿とさせるようなスピードで、 相手DFを振り切って決めた美しいゴールだった。
2点目のゴールを決めた時、彼はそのままファンの元へ駆け込み、 彼はその群衆の一部として飲み込まれていった。
もしかしたら、直感的に分かったのかもしれない。
これが、“最後のゴール”であると。
だからこそ、 彼は、 愛するアトレティコを愛する人達と、一つになりたかったのかもしれない。
彼は、しばらくその群衆から出てこようとはしなかった。
(2点目の後、観客に飲み込まれるトーレス)
そして、最後のホイッスルが、少し寂しそうに鳴り響く。
彼の、“ロヒ・ブランコ”での歴史は一旦ここで幕を閉じた。
(最後のスピーチ前に、花道を歩むトーレス)
最後のセレモニー、 彼は愛するチームメイト、愛する家族、愛するファンに見守られ、最後のメッセージを残した。(内容は要約)
(3人の子供と一緒にファンに感謝するトーレス)
“アトレティコ愛するきっかけをくれた祖父に感謝したい。
アトレティコで過ごすために全力でサポートしてくれた両親にも感謝したい。
どんな苦しい時も支えてくれた妻、そして3人の宝物にも感謝したい。
3年半という素敵な時間をくれたチームメイト、そして全てのファン達にも。
世界で最も愛されたチームのメンバーである幸せは、
タイトルを取る幸せとは関係のないものだった。
このユニフォームを着ることのできる名誉・プライド・幸せを感じることができた。 今後、どのような苦難が待ち受けていても、けして忘れないでほしい。
僕たちは、“アトレティ”なんだ。
この幸せは、他の人では分からない。
最後に一つだけお願いがあるんだ。
僕たちの歌。 “イムノ” を聞かせてほしい。
世界で一番美しいその歌を”
(サポーターは、しばらくの間、トーレスのために歌うことをやめなかった)
トーレスのアトレティコとしての人生は一旦ここで幕を閉じた。
100ゴール以上をクラブにもたらし、404試合出場という記録と共に。
熱狂的なアトレティコ・マドリードのソシオに加入する、フリアン・イダルゴさんに、 「アトレティにとってのトーレス」、「トーレスが愛される理由」を聞いてみた。
“フェルナンドは、アトレティに取って忘れられない
「悲しい記憶」
の終わりを意味するんだ。
当時、2部に降格してしまっていたクラブに、 新たな力と、未来への希望を与えてくれたんだよ。(注3)”
“なぜフェルナンドがアトレティから愛されるかだって?
いろんな理由があるけど、全ての試合・全てのプレイ・全てのボールに対して彼が見せてくれる”
「負けない気持ち」 じゃないかな。
彼は低迷するチームにおいて、ゴールというプレゼントを与え続けたんだ。 それはとても素敵なプレゼントだったね。
彼は7年間僕たちの家族だったけど、彼のピーク時のパフォーマンスにクラブのレベルが伴っていなかった。
悲しいけど、たくさんの幸せをアトレティに与えてくれたフェルナンドを愛していたから、彼が輝ける別のキャリアへ進むことを温かく見守ったんだと思うよ。“
(セレモニー中に本拠地外に設置されたトーレスの足跡を記録するモニュメント)
クラブからもファンからも愛されるプレイヤーというのはどのようなプレイヤーなのだろうか。
1つのクラブに人生を捧げたプレイヤー
最も貢献したプレイヤー
最もクラブを愛したプレイヤー
全て正しいかもしれない。
Fernando José Torres Sanz
通称、 フェルナンド・トーレス
彼は、1つのクラブに人生を捧げたプレイヤーではない。
彼は、最もクラブに貢献したプレイヤーでもない
しかし、彼は、最もクラブを愛し、
クラブとファンから愛されたプレイヤーだった。
だからこそ、15年以上前、“子供“という名で呼ばれ始めたその少年は、
その後、
このクラブに降り立った
“神の子”
となったのかもしれない。
注1:ロヒ・ブランコ(Los Rojiblancos)
アトレティコ・マドリードの愛称。ロヒ・ブランコは赤と白という意味合いがあるが、アトレティコのユニフォームが、赤と白の縦縞であったことから、このような呼び名がついている。
注2:ベルナベウ マドリードのフットボールクラブでアトレティコ・マドリードと人気を二分する世界有数のメガクラブ、レアルマドリードの本拠地 サンティアゴ・ベルナベウ(Estadio Santiago Bernabéu)。
注3:2部への降格 アトレティコ・マドリードは2000-2001シーズンから2年間、2部リーグへ降格している。1年での1部復帰はならなかったが、降格初年度の終盤にフェルナンド・トーレスがトップチームでデビューを飾っている