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冨安健洋(シントトロイデン) インタビュー「Vol.1 衝撃を受けたアトレティコマドリード戦」

年代別の日本代表で活躍してきた冨安健洋選手。2018年にアビスパ福岡からベルギーリーグのシントトロイデンへ移籍し、5月に移籍後初出場を果たした。サッカーをはじめたきっかけから、現在の生活に至るまでじっくり話を聞かせてもらった。

Icon 16466945 810048175800857 1247399717 n 菊池 康平 | 2018/06/28
―― 練習後に時間を頂きありがとうございます!早速ですが、サッカーはいつ始めたんですか? 

冨安    幼稚園のころですね。 

―― 何かきっかけがあったんですか? 

冨安 2人いる姉が水泳をやっていて、僕もその流れで水泳を始める予定だったんですが、あるとき祖母の家にあったランニングマシンで遊んでいたら転んで顎を縫ってしまって……。

「怪我しているから水泳は出来ないね」という話になり、そこで水泳とは縁がなくなりました。 

そのタイミングで、幼稚園のサッカーチームの体験募集に行ったんですが、それが楽しくて始めたのがきっかけです。顎を縫っていなかったらサッカーではなく水泳をしていたかもしれません。 

―― ご両親からサッカーを始めることに対して何かお話はありましたか? 

冨安 特に厳しく干渉するような親ではなかったので、一貫して自由にやらせてくれました。 

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―― 小学校は福岡の小学校ですよね? 

冨安 ずっと福岡です。 

―― 小学校の時はクラブチームですか? 

冨安 クラブチームではなく、小学校のチームでしたね。 

―― 一番はじめに履いたスパイクって覚えていますか? 

冨安 アディダスもナイキも履いていました。最初の一足ではないと思うんですけど、ナイキのトータル90を履いていたのは覚えています。 

―― 例えば、憧れている選手が履いているスパイクを買ってくれなどをご両親に伝えたことはありますか? 

冨安 ベッカムのモデルだったかな、ゴムが付いているペタッとしたスパイクですね。小学校3~4年の時に流行っていて僕も履いていました。 

―― ベッカムが履いていたプレデターですかね。バルセロナスクールはいつから通っていたんですか? 

冨安 小学4年か5年の頃です。福岡でバルサスクールが開校されて最初に入って、小6までやりました。選ばれた選手だけが行けるスペイン遠征に中学校に進学したばかりの4月に参加しました。

中1からアビスパに入ったので、バルサスクールは退団していたんですけど、僕ともう1人はオーバーエイジ枠で行ったんです。 

―― その年齢でバルセロナに行けるのは貴重な機会ですね!海外を味わえてどうでしたか? 

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冨安 試合結果は忘れてしまいましたが、アトレティコとやってボコボコにやられて、「こんなに違うんだ」って衝撃を受けました。 

―― 何が違うと思いましたか? 

冨安 アフリカ系の選手が2人いて、最初は温存されていて出ていなかったんです。試合終盤に出てきて、体格も全然違ったし、他の選手を蹴散らしていて、レベルの差を痛感しました。 

―― どれくらいの期間に渡り滞在したんですか? 

冨安 10日間くらいですね。その時のバルセロナが初めての海外でした。 

―― 得たものは大きかったのでは?もちろんサッカーもそうですし、言葉や環境が違うことも初めての経験じゃないですか。 

冨安 そういえば、初めて時差ぼけを感じましたね。現地に着いて、練習試合の時に「なんでこんなきついんやろ~」って感じたのを覚えています。

すごく息が上がって、帰って親にその話をしたら「それが時差ぼけじゃない?」って言われて。こういうことかって思いましたね。 

―― プレーで手応えがあったことや、これなら負けてないなっていう点は? 

冨安 手応えというか、とにかく凄く楽しかったです!その頃、僕はドリブラーになりたいって言っていたみたいなんですよね、実際はボランチのアンカーをやっていたんですけどね(笑) 

昨年、バルセロナスクールでお世話になったコーチがアビスパに取材に来てくれた時、「お前はドリブラーになりたいって言ってたんだよ」って教えてくれて。僕は覚えてなかったんですけどね(笑)。

どちらかというと当時は前の選手だったんです。ボランチの位置から攻め上がっていくタイプだったと思います。

Vol.2へ続く

写真:菊池康平