冨安健洋(シントトロイデン) インタビュー「Vol.2 中3の時にアビスパのトップチームの練習へ!」
ワールドカップの決勝トーナメント一回戦でベルギー代表と対戦することになった日本代表。そのベルギーで奮闘している冨安健洋選手に、子供の頃からの話と現在のベルギーでの生活についてじっくり聞かせてもらった。Vol.2ではセンターバックになったきっかけや、アビスパ福岡での公式戦デビューの時の話などを聞いた。
菊池 康平
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2018/07/01
Vol.1はこちらから
―― 中学に入ってからはアビスパジュニアユースですよね。これは小学校5年生とか6年生のときに一般のセレクションを受けたんですか?
冨安 はい、小学校6年生のときのセレクションですね。
―― 自分から受けたんですか?
冨安 県トレやとかトレセンにも行っていたんですが、アビスパを受ける人は多いんですよね。
―― もともと小学生の頃からレギュラーでしたよね?上の学年の試合に出たりとかしてたのではないですか?
冨安 二歳上の学年の試合に出ていました。小3のときに小5や小6の試合に出ていました。
―― 当時は背も高くて足も速かったとか身体能力が優れていたんじゃないですか?
冨安 小学校の頃は身体能力の差が出ちゃうので、僕は身体が大きくてちょっとだけ速かったので、ドリブルでバーッといけちゃうんです。
―― クラスでも一番大きかった?
冨安 一番か二番でした!
―― アビスパジュニアユースに入って、いつからディフェンダーに?
冨安 最初の練習試合でいきなりセンターバックでした。多分、身長が高い人をとりあえずセンターバックにおいていたのかも。
同期のFWの選手もセンターバックで試されていたので、それで適正を見ていたんだと思います。
―― 中3の時にアビスパのトップチームの練習に出たんですよね。とんでもなく凄いことだと思いますが、実際に練習してどうでした?
冨安 トップチームのキャンプに行きました。タイミングもあり、僕ともう1人の中3の選手が行きました。
―― 中にはお父さんくらい年齢の離れている選手もいたと思うんですけれど、どうでした?身体の大きさも全然違うと思いますし。
冨安 やっぱりその時はこれが通用したとか出来たという感覚はなかったですね。本当にがむしゃらに頑張った感じです。4~5日間、練習参加しました。
―― 素晴らしい経験ですよね!中学の3年間で履いていたスパイクって覚えてますか?
冨安 ずっとアディダスを履いていました。日本代表の活動に参加したときに提供して頂いたスパイクをそのままアビスパでも使っていました。最初に代表へ入ったのが中1の冬だったので、それからアディダスですね。
―― 当時はあまり細かく選べる状況ではなかったとは思うんですけど、スパイクを選ぶ基準や、一番大事にしていることってありますか?重さだったり、デザインだったり、革についてなど。
冨安 僕はフィット感ですかね。最初に履いてしっくりくるか否か。革についてはこだわりはないです。でも中で足が動いちゃうのは嫌なんで、そういう意味ではあまり伸びすぎる革は嫌いです。
―― ちなみに足のサイズは?背も高いので大きいんじゃないですか。
冨安 27.5cmです!
―― やはり大きい!高校にそのままユースで上がって、ずっとアディダスでナイキにに変わったタイミングはいつですか?
冨安 ナイキに変わったのが高校2年生の春か夏くらいです。
―― Jリーグの公式戦デビューも高2の時でしたっけ?
冨安 はい、天皇杯の町田ゼルビアとの試合です。
―― もともとジュニアユースからアビスパのユニフォームは着てたと思うんですけど、デビューの感動とかその日のことで覚えてることはありますか?
冨安 試合には負けてしまったので、そんなに輝かしいデビューではなかったんです。ただ悔しかったという思いがありました。
―― 出来るなという感じでしたか?高2の頃から練習もトップチームでやっていたじゃないですか。
冨安 でもその頃は苦しみながらやっていた感じでしたね。
―― 高校3年生のいつ頃プロ契約したんですか?
冨安 高3に上がるタイミングなんで、契約は高2の年の2月1日からだと思います。高2の夏からはトップチームで活動していましたが、契約は高3のシーズンインからだと思います。
―― そこで正式にJリーガーとなりましたね!そこで親御さんに言われた事などありますか?
冨安 僕からもあまり言わないんで(笑)特に何も言われずです。お互いそんなに干渉しない感じでしたね。
Vol.3に続く
写真:菊池康平
―― 中学に入ってからはアビスパジュニアユースですよね。これは小学校5年生とか6年生のときに一般のセレクションを受けたんですか?
冨安 はい、小学校6年生のときのセレクションですね。
―― 自分から受けたんですか?
冨安 県トレやとかトレセンにも行っていたんですが、アビスパを受ける人は多いんですよね。
―― もともと小学生の頃からレギュラーでしたよね?上の学年の試合に出たりとかしてたのではないですか?
冨安 二歳上の学年の試合に出ていました。小3のときに小5や小6の試合に出ていました。
―― 当時は背も高くて足も速かったとか身体能力が優れていたんじゃないですか?
冨安 小学校の頃は身体能力の差が出ちゃうので、僕は身体が大きくてちょっとだけ速かったので、ドリブルでバーッといけちゃうんです。
―― クラスでも一番大きかった?
冨安 一番か二番でした!
―― アビスパジュニアユースに入って、いつからディフェンダーに?
冨安 最初の練習試合でいきなりセンターバックでした。多分、身長が高い人をとりあえずセンターバックにおいていたのかも。
同期のFWの選手もセンターバックで試されていたので、それで適正を見ていたんだと思います。
―― 中3の時にアビスパのトップチームの練習に出たんですよね。とんでもなく凄いことだと思いますが、実際に練習してどうでした?
冨安 トップチームのキャンプに行きました。タイミングもあり、僕ともう1人の中3の選手が行きました。
―― 中にはお父さんくらい年齢の離れている選手もいたと思うんですけれど、どうでした?身体の大きさも全然違うと思いますし。
冨安 やっぱりその時はこれが通用したとか出来たという感覚はなかったですね。本当にがむしゃらに頑張った感じです。4~5日間、練習参加しました。
―― 素晴らしい経験ですよね!中学の3年間で履いていたスパイクって覚えてますか?
冨安 ずっとアディダスを履いていました。日本代表の活動に参加したときに提供して頂いたスパイクをそのままアビスパでも使っていました。最初に代表へ入ったのが中1の冬だったので、それからアディダスですね。
―― 当時はあまり細かく選べる状況ではなかったとは思うんですけど、スパイクを選ぶ基準や、一番大事にしていることってありますか?重さだったり、デザインだったり、革についてなど。
冨安 僕はフィット感ですかね。最初に履いてしっくりくるか否か。革についてはこだわりはないです。でも中で足が動いちゃうのは嫌なんで、そういう意味ではあまり伸びすぎる革は嫌いです。
―― ちなみに足のサイズは?背も高いので大きいんじゃないですか。
冨安 27.5cmです!
―― やはり大きい!高校にそのままユースで上がって、ずっとアディダスでナイキにに変わったタイミングはいつですか?
冨安 ナイキに変わったのが高校2年生の春か夏くらいです。
―― Jリーグの公式戦デビューも高2の時でしたっけ?
冨安 はい、天皇杯の町田ゼルビアとの試合です。
―― もともとジュニアユースからアビスパのユニフォームは着てたと思うんですけど、デビューの感動とかその日のことで覚えてることはありますか?
冨安 試合には負けてしまったので、そんなに輝かしいデビューではなかったんです。ただ悔しかったという思いがありました。
―― 出来るなという感じでしたか?高2の頃から練習もトップチームでやっていたじゃないですか。
冨安 でもその頃は苦しみながらやっていた感じでしたね。
―― 高校3年生のいつ頃プロ契約したんですか?
冨安 高3に上がるタイミングなんで、契約は高2の年の2月1日からだと思います。高2の夏からはトップチームで活動していましたが、契約は高3のシーズンインからだと思います。
―― そこで正式にJリーガーとなりましたね!そこで親御さんに言われた事などありますか?
冨安 僕からもあまり言わないんで(笑)特に何も言われずです。お互いそんなに干渉しない感じでしたね。
Vol.3に続く
写真:菊池康平