Puma

PUMA HISTORY

プーマの創業者、ルドルフ・ダスラーは、「ダスラー兄弟商会」を設立し、スポーツ選手にあった靴を提供することによって多くのアスリートに金メダルをもたらした。ペレ、クライフ、マラドーナが愛したプーマスパイクの歴史を紹介します。

Icon kinggear icon KING GEAR編集部 | 2016/05/18
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1924年、ルドルフ・ダスラーは弟・アドルフとともにニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラハに『ダスラー兄弟商会』を設立。本格的なアスリートシューズの開発に乗り出すと、4年後のアムステルダム五輪では多くのドイツ人アリスリートがダスラー製スパイクを着用。さらに36年のベルリン五輪において、ダスラー製品を履いた各国のアスリートによって7つの金メダルと5つの銅メダル、また2つの世界新記録と5つの大会記録が樹立され、ダスラー兄弟の名はスポーツ界に轟くこととなった。
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1948年、ルドルフは意見の相違から弟・ルドルフと袂を分かち、『ルドルフ・ダスラー・シュー・ファクトリー』を設立。当初のブランド名は「ルーダ」だったが、すぐにピューマをロゴマークとし、社名を『プーマ』に改めた。同年、プーマ初のサッカースパイク「アトム」を発表している。
ルドルフ率いるプーマは先進的だった。52年には当時西ドイツを率いていた

セップ・ヘルベルガーらの協力を得、世界初となるねじ込み式スタッドを備えたサッカースパイク「スーパーアトム」の開発に成功。

55年には、プロトタイプではあるものの、アッパー部分に無数の突起を配置したホワイトカラーの「ホワイト・プレデター・プロトタイプ」を製作。ボールの制御力向上のためにアッパーを突起で覆うアイデアは、当時のプーマの先進性を今に伝えている。

King’s  Gear -歴代の王が愛したスパイク-

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 66年のサッカーW杯イングランド大会。北朝鮮が1次リーグでイタリアを破る快挙を演じ(1-0)、リーグ戦敗退を喫したイタリア代表は母国でトマトを投げつけられた。そんな波乱の大会で北朝鮮の快進撃に終止符を打ったのが、ポルトガルの絶対的エース・エウゼビオ。準々決勝、ポルトガルは前半途中まで北朝鮮に3点差のリードを許していたが、エウゼビオの4連続ゴールで大逆転。その後1点を加えて5-3で逆転勝利を収めた。
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同大会で9ゴールを記録したエウゼビオ。その足元には名品「プーマキング」が光っていた。
  

 









Thumb   70年のメキシコW杯。セレソンのエースとして君臨していた王様ペレが選んだのは、カンガルーレザーを使用した新生「プーマキング」だった。1次リーグを3連勝で突破したブラジル代表は、準々決勝でペルーを退け(4-2)、準決勝ではウルグアイを撃破(3-1)。決勝ではイタリアのカテナチオをスペクタクルなサッカーで凌駕し、4-1で3度目の頂点に輝いた。

ペレはこの試合で大会4得点目を挙げたが、これはブラジルのW杯通算100ゴール目だった。世界の人々は、ペレの驚異的なスピードと曲芸的なアイデアに驚嘆すると同時に、カラーテレビを通してプーマのシンボル・フォームストライプを目にした。








Thumb      時代を代表する“キングたち”とプーマの蜜月は続いた。メキシコ大会から4年後のドイツW杯。大会MVPに選ばれたのは、プーマキングを履いたオランダ代表FWヨハン・クライフだった。

当時のオランダ代表はアディダスのユニフォームを採用していたが、クライフはプーマと契約していたため、ユニフォームに描かれた3本線を2本線に変えた特注ユニフォームで登場、話題を集めた。












Thumb parame85年、W杯メキシコ大会に参加する日本代表のために開発さ
れ、後に多くのプレイヤーに愛されることとなった名品「パラメヒコ」が誕生。

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その翌年に開催されたW杯本大会で伝説の域にのぼりつめたのが、アルゼンチンの絶対的エース、ディエゴ・マラドーナ。準々決勝イングランド戦での「6人抜き」、78年以来2度目となるアルゼンチン優勝、大会MVPの獲得-。サッカー史に輝くこれらの偉業は、プーマキングを履いた時代の王によってもたらされた。









新世紀とプーマ

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参加32チーム中12チームがプーマを着用、大会最大のチームサプライヤーとなった06年のドイツW杯。プーマ史上初めてサポートチーム(イタリア代表)がW杯制覇。また当時世界最軽量となる200グラムのサッカースパイク「スピードブーツV1.06」を同大会で登場させるなど、プーマのサッカー事業が浮揚する大会となった。













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 陸上競技では、08年に開催された北京オリンピックにおいてプーマの「コンプリート テセウス2」を着用したウサイン・ボルトが、100メートルで9秒69の世界記録(当時)を樹立。さらに200メートルでは19秒30、最終ランナーとして出場した4×100メートルリレーでは37秒10と、1大会で3つの世界記録を更新する快挙を達成した。
 





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 14年、「プーマ史上最もパワフル」なサッカースパイクとして「エヴォパワー」が登場。素足感覚の自然なキックを実現し、キック時のパワーと正確性を高めた同製品は幅広い支持を集めている。