サッカー元日本代表・巻誠一郎の自分を貫いた引き際(後編)
2019年1月15日、Jリーグの舞台から、また1人の個性的な選手が姿を消した。ひたむきなプレーが特徴だったサッカー元日本代表の巻誠一郎(38)だ。ワールドカップ(W杯)ドイツ大会にサプライズ選出された選手といえば、熱心なサッカー・ファンでなくとも、その名前を知っていることだろう。 前編では、巻が引退を決めたきっかけを中心に話を伺った。後編では、現役時代の印象的なエピソード、さらには、引退後のキャリアについて話を伺った。
瀬川 泰祐(せがわたいすけ)
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2019/05/25
前編はこちら
では、少し現役時代の話を聞かせてください。現役時代に最も印象に残った試合はありますか?
(巻)ジェフ千葉にいた頃に、東京ベルディと残留争いをして、残留を決めたFC東京との試合ですかね。 サッカーって11人でやるスポーツですよね。でも、プロサッカーの世界では、ホームゲームとアウェイゲームがあります。たくさんのサポーターが作るホームゲームのスタジアムの雰囲気、または相手チームのサポーターだらけのアウェイゲームの雰囲気。こうなると11対11ではなくて、プラスαの存在があるんです。見えない味方、見えない敵がいる。そういう部分もサッカーの魅力の一つだと思うんですけど、それをすごく感じたのがあの試合でした。普段なら諦めてしまいそうな局面で、それ以上のパワーが出せたり、普段はあり得ないミスが相手に起こったり。あの試合は、スタジアム全体が、サポーターも含めて一つのクラブなんだということを改めて感じた試合の一つですね。僕のサッカー人生の中で、ターニングポイントになった試合と言えるかもしれません。
あとは、ドイツ・ワールドカップのブラジル戦は衝撃的でした。僕は比較的、大舞台に強かったり、苦しい状況で活躍できるタイプの選手で、アドレナリンが出て、普段以上のパフォーマンスが出せると自分では思っていたんです。だけど、プラジルには、世界のトップに君臨するロナウジーニョやカカ、ロナウドらがいて、普段以上の力なんて全く出せない。かき消されるというか、それ以上のクオリティ、メンタリティでプレーされました。でも、一方で、できたこともあるんです。世界の超一流を相手にプレーしてみると、普段からトレーニングでやってきたことしか出せなかった。その時感じたのは、苦しい時とか、切羽詰まった時とか、追い込まれた時には、普段やってきたことだけしか出せないんだなっていうこと。だから、普段から自分が出来ることを一つでも増やしていく。いざという時に出せるように、少しでも努力する。それまでもやってきたつもりでしたが、さらに意識が強くなりましたね。
巻さんといえば、ひたむきで一生懸命なプレーが印象的でしたが、それが報われたと思ったことはありますか。
(巻)4月28日のジェフ千葉のホームゲームで「平成最後のフクアリ劇場」というタイトルのトークショーをさせてもらったんですね。その時は本当にサポーターの方たちに素晴らしい反応をしていただきました。その日は、歴代のユニフォームを着て行こうっていう企画があって、多くのサポーターが過去のユニフォームを着て観戦しに来たんですけど、僕のユニフォームね、言い過ぎかもしれないんですけど、本当に2、3000人くらいいたんじゃないかなと思うくらい。多くの方が僕の18番のユニフォームを着て来場してくれて、本当に感動しました。
子供とボールでコミュニケーションをとる巻誠一郎さん
ファンに何かを訴えかけてきたからこそ、愛されているんでしょうね。
(巻)本当に色々なことに対して、向き合いました。サポーターとも真剣に向き合いましたしね。うまくいっている時もいかないときも。ブーイングも全て受けとめましたし、嬉しい瞬間もたくさん共有しましたね。
メディアとの向き合いはどうでしたか?
(巻)僕は上手じゃなかったですね。ワールドカップに出たあと、少し華麗なプレーをしようと思っていた時期があって、メディアに叩かれたんですよ。実は助けてもらったという方が正しいんですけど。 ワールドカップに出た時は、僕のことをポジティブに伝えてもらい、そのおかげで、ワールドカップを通じて僕のことを知った人もたくさんいたし、みんな応援してくれてました。 でも、ワールドカップが終わって、叩かれて、うまく行かなくなった時にはね。『なんでちょっと前までは持ち上げていたのに』って思って、喋らなくなった時期はありました。でも、パフォーマンスが上がらない選手に対して、そういう伝え方をするのは、いま考えれば当たり前のことなんですけどね。でも、自分の意思とは違う記事を書かれたりして、すごく不本意な思いをさせられて、メディアの方とは向き合えない時期もありました。
それがどのようにしてメディアとの関係が修復されていったのでしょうか?
(巻)妻の話では、叩かれていた時期は、やっぱり僕が暗〜い感じで家に帰ってきていたらしいんです。家でも会話が少なくなったり。妻は僕が叩かれていることを、他の人から聞いたらしくて。それでメディアとのことを妻に聞かれたので、メディアと向き合っていないということを話ししたら、めっちゃ説教されまして(笑)。 「メディアの人は嫌いかもしれないけど、その後ろにはアンタの話を聞きたい人がいっぱいいると思うよ。一人でもそういう人がいたら、プロとして伝えなきゃいけないんじゃない?」って言われて。 僕もそんなこと言われるなんて思わなかったんで、びっくりしました。そこからですね。ちゃんとメディアの方とも向き合おうと思うようになったのは。
とはいえ、すぐにはメディアの方々も話を聞きに来ないですよね?
(巻)はい。いざ話をしようってスタンスを変えても、それまで線を引いていたので、いきなりメディアの方が来てくれるわけもなく。だから、最初のうちはやっぱりうまくいかなかったです。ただ、1人でも2人でもメディアの方が来てくれたら、なるべく真摯に向き合って答えようって意識はしていました。でもやっぱり3年くらいかかりました。中には、ずっとね、僕と向き合ってくれた記者もいたので、そういう方から徐々に。それ以来、メディアの方とは良好にお付き合いさせていただくようになりました。
引退されて3〜4ヶ月経ちました。これまでに見えてきたことや、これからやろうとしていることがあれば聞かせてください。
(巻)スタンス的には、誰かのためになることをやっていくつもりです。社会のためっていうと規模が大きくなりすぎちゃうので、そうじゃなくて、誰かの助けになることですね。僕は、『誰かのために』っていうのが一番力を発揮するんです。自分がエネルギーを注げることに対して、アプローチをしようと思っています。
トークショーで今後の目標を語る巻誠一郎さん
具体的には、何か決まっているのでしょうか?
(巻)1つ目は、子供達の夢をサポートするっていう意味で、サッカースクール事業ですね。2つ目は、社会的弱者と言われる、障害者だったり高齢者の方々にアプローチできたらいいなと思っています。最後の3つ目は、アスリートの社会的な価値を作り出すというセカンドキャリアへのアプローチですね。
現役時代から行ってきたことを活かしていけそうですね。
(巻)そうですね。自分の中では、だいぶ道筋が見えてきて、自分の価値を発揮できるなという手応えは感じています。今後は、今までやってきたことを、どんどん自分色にしていくというフェーズなんです。そのためにも、世の中の人たちに、巻誠一郎はこういう人間なんだよっていうことを発信していかないといけないですね。もう少ししたら、またいろんな発表ができると思いますので、楽しみにしていてください。
取材・文・写真:瀬川泰祐
では、少し現役時代の話を聞かせてください。現役時代に最も印象に残った試合はありますか?
(巻)ジェフ千葉にいた頃に、東京ベルディと残留争いをして、残留を決めたFC東京との試合ですかね。 サッカーって11人でやるスポーツですよね。でも、プロサッカーの世界では、ホームゲームとアウェイゲームがあります。たくさんのサポーターが作るホームゲームのスタジアムの雰囲気、または相手チームのサポーターだらけのアウェイゲームの雰囲気。こうなると11対11ではなくて、プラスαの存在があるんです。見えない味方、見えない敵がいる。そういう部分もサッカーの魅力の一つだと思うんですけど、それをすごく感じたのがあの試合でした。普段なら諦めてしまいそうな局面で、それ以上のパワーが出せたり、普段はあり得ないミスが相手に起こったり。あの試合は、スタジアム全体が、サポーターも含めて一つのクラブなんだということを改めて感じた試合の一つですね。僕のサッカー人生の中で、ターニングポイントになった試合と言えるかもしれません。
あとは、ドイツ・ワールドカップのブラジル戦は衝撃的でした。僕は比較的、大舞台に強かったり、苦しい状況で活躍できるタイプの選手で、アドレナリンが出て、普段以上のパフォーマンスが出せると自分では思っていたんです。だけど、プラジルには、世界のトップに君臨するロナウジーニョやカカ、ロナウドらがいて、普段以上の力なんて全く出せない。かき消されるというか、それ以上のクオリティ、メンタリティでプレーされました。でも、一方で、できたこともあるんです。世界の超一流を相手にプレーしてみると、普段からトレーニングでやってきたことしか出せなかった。その時感じたのは、苦しい時とか、切羽詰まった時とか、追い込まれた時には、普段やってきたことだけしか出せないんだなっていうこと。だから、普段から自分が出来ることを一つでも増やしていく。いざという時に出せるように、少しでも努力する。それまでもやってきたつもりでしたが、さらに意識が強くなりましたね。
巻さんといえば、ひたむきで一生懸命なプレーが印象的でしたが、それが報われたと思ったことはありますか。
(巻)4月28日のジェフ千葉のホームゲームで「平成最後のフクアリ劇場」というタイトルのトークショーをさせてもらったんですね。その時は本当にサポーターの方たちに素晴らしい反応をしていただきました。その日は、歴代のユニフォームを着て行こうっていう企画があって、多くのサポーターが過去のユニフォームを着て観戦しに来たんですけど、僕のユニフォームね、言い過ぎかもしれないんですけど、本当に2、3000人くらいいたんじゃないかなと思うくらい。多くの方が僕の18番のユニフォームを着て来場してくれて、本当に感動しました。
子供とボールでコミュニケーションをとる巻誠一郎さん
ファンに何かを訴えかけてきたからこそ、愛されているんでしょうね。
(巻)本当に色々なことに対して、向き合いました。サポーターとも真剣に向き合いましたしね。うまくいっている時もいかないときも。ブーイングも全て受けとめましたし、嬉しい瞬間もたくさん共有しましたね。
メディアとの向き合いはどうでしたか?
(巻)僕は上手じゃなかったですね。ワールドカップに出たあと、少し華麗なプレーをしようと思っていた時期があって、メディアに叩かれたんですよ。実は助けてもらったという方が正しいんですけど。 ワールドカップに出た時は、僕のことをポジティブに伝えてもらい、そのおかげで、ワールドカップを通じて僕のことを知った人もたくさんいたし、みんな応援してくれてました。 でも、ワールドカップが終わって、叩かれて、うまく行かなくなった時にはね。『なんでちょっと前までは持ち上げていたのに』って思って、喋らなくなった時期はありました。でも、パフォーマンスが上がらない選手に対して、そういう伝え方をするのは、いま考えれば当たり前のことなんですけどね。でも、自分の意思とは違う記事を書かれたりして、すごく不本意な思いをさせられて、メディアの方とは向き合えない時期もありました。
それがどのようにしてメディアとの関係が修復されていったのでしょうか?
(巻)妻の話では、叩かれていた時期は、やっぱり僕が暗〜い感じで家に帰ってきていたらしいんです。家でも会話が少なくなったり。妻は僕が叩かれていることを、他の人から聞いたらしくて。それでメディアとのことを妻に聞かれたので、メディアと向き合っていないということを話ししたら、めっちゃ説教されまして(笑)。 「メディアの人は嫌いかもしれないけど、その後ろにはアンタの話を聞きたい人がいっぱいいると思うよ。一人でもそういう人がいたら、プロとして伝えなきゃいけないんじゃない?」って言われて。 僕もそんなこと言われるなんて思わなかったんで、びっくりしました。そこからですね。ちゃんとメディアの方とも向き合おうと思うようになったのは。
とはいえ、すぐにはメディアの方々も話を聞きに来ないですよね?
(巻)はい。いざ話をしようってスタンスを変えても、それまで線を引いていたので、いきなりメディアの方が来てくれるわけもなく。だから、最初のうちはやっぱりうまくいかなかったです。ただ、1人でも2人でもメディアの方が来てくれたら、なるべく真摯に向き合って答えようって意識はしていました。でもやっぱり3年くらいかかりました。中には、ずっとね、僕と向き合ってくれた記者もいたので、そういう方から徐々に。それ以来、メディアの方とは良好にお付き合いさせていただくようになりました。
引退されて3〜4ヶ月経ちました。これまでに見えてきたことや、これからやろうとしていることがあれば聞かせてください。
(巻)スタンス的には、誰かのためになることをやっていくつもりです。社会のためっていうと規模が大きくなりすぎちゃうので、そうじゃなくて、誰かの助けになることですね。僕は、『誰かのために』っていうのが一番力を発揮するんです。自分がエネルギーを注げることに対して、アプローチをしようと思っています。
トークショーで今後の目標を語る巻誠一郎さん
具体的には、何か決まっているのでしょうか?
(巻)1つ目は、子供達の夢をサポートするっていう意味で、サッカースクール事業ですね。2つ目は、社会的弱者と言われる、障害者だったり高齢者の方々にアプローチできたらいいなと思っています。最後の3つ目は、アスリートの社会的な価値を作り出すというセカンドキャリアへのアプローチですね。
現役時代から行ってきたことを活かしていけそうですね。
(巻)そうですね。自分の中では、だいぶ道筋が見えてきて、自分の価値を発揮できるなという手応えは感じています。今後は、今までやってきたことを、どんどん自分色にしていくというフェーズなんです。そのためにも、世の中の人たちに、巻誠一郎はこういう人間なんだよっていうことを発信していかないといけないですね。もう少ししたら、またいろんな発表ができると思いますので、楽しみにしていてください。
取材・文・写真:瀬川泰祐