鉄人・永田克彦が4年ぶりの現役復帰! 〜父親の背中を子供たちに〜
シドニー五輪レスリング・グレコローマン69kg級銀メダリストの永田克彦が、4年ぶりに公式戦のマットにかえってきた。永田が復帰戦に選んだのは、レスリング全国社会人オープン選手権大会。優勝すれば、12月に東京・駒沢体育館で行われる全日本レスリング選手権大会への出場権を獲得することが出来る大会だ。永田は、4年前と同じ道で、再び日本一を目指す。
瀬川 泰祐(せがわたいすけ)
|
2019/11/03
前回出場した2015年は、11年ぶりのレスリング復帰で、どこまで全盛期の動きが戻るのかは未知数だった。しかし周囲の予想を覆し、42歳と思えぬ動きで、強豪を次々と破り、全日本選手権を制覇した。その偉業は、レスリング界で大きな話題となり、多くのメディアに取り上げられたのは記憶に新しい。
永田は、「チャレンジャー精神で挑むことができた」ことを勝因の一つに挙げていたが、この結果に、全国の強者たちが苦虫を噛む想いをしたのは、想像に難くない。そして今回は、45歳(数日後に46歳)での再挑戦となるが、対戦相手は、前回のようにはいかせまいと、死にもの狂いで挑んでくることだろう。
コンディションはまずまず。試合前も落ち着いて過ごす。
筆者が午前10時に埼玉県和光市総合体育館に着くと、既に館内は、多くのレスラーたちが入り乱れた雑多な世界が広がっていた。何の変哲も無い小さな体育館の中に2つの試合会場が設けられ、それぞれのマットでは、試合を控えた選手たちが思い思いに体を動かしている。その中に永田もいた。すでに大量に汗をかいている。試合に向けて、心拍数を上げているところのようだ。
10時30分から公式戦がスタートすると、永田は、試合会場の周辺に設置されたパイプ椅子に腰かけながら、他の選手たちの試合に視線を送った。特に気になる選手がいる様子はなく、あくまでも試合に向けて、気持ちを作っているのだろう。
落ち着いて時間を過ごしているところを見計らって、永田に、試合前の心境を聞くと、笑顔でこう答えた。
「コンディションはまずまずです。緊張も全くしていないです。ただ、やっぱり久しぶりなんで、試合勘を戻さないとね」。
ルール変更後初めての試合
数々の経験を積んできたはずの永田だが、実は、試合勘以上に大きな不安材料があった。計量である。これまで計量といえは、試合前日に行われ、リミットをクリアすれば、試合当日は体重を戻して試合をしてきた。しかし、昨年に、世界レスリング連盟がルールを変更したことにより、試合日2日間の早朝に計量を行うルールになったのだ。4年間のブランクから復帰した永田にとっては、初めての経験だった。そして、それは、想像以上にパフォーマンスに影響した。
この日、準決勝から登場した永田は、応援に駆けつけたジムの関係者たちの視線を集めながら、マットの中央に立った。他の階級の選手たちも、もうじき46歳になるレジェンドの動きが気になるのか、試合の準備を止めては、チラチラと永田に視線を送っている。
試合が始まった。永田は、丁寧に感覚を確かめるかのように、そして相手の出かたを探るかのように試合に入った。だが、相手とコンタクトした時の感覚がこれまでと異なるのか、想像以上にパワーを感じる。組み手の対処に苦しみ、相手の崩しに苦悶の表情を浮かべる。その後、相手の攻撃を許し、ポイントで先行されてしまう予想外の展開。
1ー4とビハインドを負い、時間は終盤に突入する。残り2分を切ったあたりから、応援する周囲の人たちの表情にも変化が見受けられた。
「今回はヤバいかもしれない」
こう思ったのは、筆者だけではないはずだ。
そんな周囲の心配をよそに、永田は、冷静に残り時間をみながら、逆転のチャンスを虎視眈々と伺う。マットの脇で応援している家族たちは、食い入るように試合を見つめていたが、痺れを切らした妻・優華さんの祈るような声が響く。
「ここから!ここから! まだ時間はあるから落ち着いて!」
次男の聖魁(セカイ)くんは、強い父親が負けるはずがないと思っているのだろう。残り時間を気にしながら、祈るようにこうつぶやいた。
「イヤだ、イヤだ。見たくない」。
残り1分を切り、誰もが永田の敗戦を覚悟し始めたその時、家族たちの願いが通じたのか、永田は、相手選手の両脇を指してグラウンドに持ち込む。渾身の力を振り絞り、なんとかローリングを成功させ、連続してポイントを奪取。 ギリギリのところで、逆転に成功した。
試合終了のブザーが鳴ると、応援していた家族や関係者は、喜びと安堵が入り混じった表情をみせた。
試合を終えた永田は、マットから降り、家族の元へ戻ると、一瞬だけ安堵の表情を見せたようにも感じたが、浮かれることもなく、また思わぬ苦戦にも動揺する様子は見せない。これが、いくつもの修羅場をくぐってきた百戦錬磨の男のメンタリティなのだろうか。それとも、父親としての威厳なのだろうか。
永田の背中を押すのは家族の絆
決勝進出を決めた永田は、他の階級の試合を横目に、水分補給をしながら、コンディションを整えていた。相変わらず、表情は自然体そのもので、決してピリピリした様子はみせない。
階級ごとの決勝戦が始まる前に、30分ほどの中断期間が設けられることが場内に放送されると、永田はすぐに誰もいないマットに移動し、顔にタオルをかけて体を仰向けに倒した。短い時間も体力の回復を図るなど、コンディション調整に余念がない。
そして、30分の「昼休憩」が終わり、もう一度身体をしっかり動かし終えたら、いよいよ決勝戦だ。
「お父さん、頑張れ!」
「お父さん、次も勝ったら優勝?」
次々に寄せられる子供たちからの激励に、言葉少なめに返事をしながら、マットに向かった永田。
試合感覚を取り戻したのか、新しいルールに身体が馴染んだのか、試合開始から、相手を圧倒していく。前の試合より動きが軽やかだ。
相手の崩しに耐えながら得意のグラウンドに持ち込むと、ローリングを奪取。相手のリフト技により一瞬ヒヤリとする場面もあったが、再びローリングで連続してポイントを奪い、危なげなく勝利を収めた。
この大会を制した永田は、目標の第一段階としていた全日本選手権への切符を手にした。
永田は、試合後、この日の難しさをこのように語った。
「早朝2日間の計量なんて、今まで経験したことがなかったですからね。ある程度はシュミレーションしましたが、前日計量で試合をしてた時と、こんなにも違うものかと感じました」。
また妻の優華さんも、負けを覚悟した時間帯もあったようで、
「途中ほんとに、ヒヤヒヤしましたけど、なんとか勝ててよかったです」
と安堵の表情を浮かべた。
12月の全日本選手権では、さらにハイレベルな戦いが繰り広げられる。その手応えを得ることはできたのだろうか。
「今日みたいな動きじゃ、全日本選手権では戦えないので、次までにもう一度鍛え直してきます」。
こう言って笑顔を見せると、久しぶりの勝利にホッとしたように、集まってくる息子やジムの生徒たちと笑顔で写真撮影に応じていた。
この日、最優秀選手賞に輝き、4年前と同じように復活の第一歩を踏み出した永田。12月の全日本選手権でも再び、頂点に上り詰めることができるだろうか。父親である永田克彦は、46歳での挑戦を通して、物心ついた子供達にどんな姿をみせることができるだろうか。
取材・文・写真:瀬川泰祐
永田は、「チャレンジャー精神で挑むことができた」ことを勝因の一つに挙げていたが、この結果に、全国の強者たちが苦虫を噛む想いをしたのは、想像に難くない。そして今回は、45歳(数日後に46歳)での再挑戦となるが、対戦相手は、前回のようにはいかせまいと、死にもの狂いで挑んでくることだろう。
コンディションはまずまず。試合前も落ち着いて過ごす。
筆者が午前10時に埼玉県和光市総合体育館に着くと、既に館内は、多くのレスラーたちが入り乱れた雑多な世界が広がっていた。何の変哲も無い小さな体育館の中に2つの試合会場が設けられ、それぞれのマットでは、試合を控えた選手たちが思い思いに体を動かしている。その中に永田もいた。すでに大量に汗をかいている。試合に向けて、心拍数を上げているところのようだ。
10時30分から公式戦がスタートすると、永田は、試合会場の周辺に設置されたパイプ椅子に腰かけながら、他の選手たちの試合に視線を送った。特に気になる選手がいる様子はなく、あくまでも試合に向けて、気持ちを作っているのだろう。
落ち着いて時間を過ごしているところを見計らって、永田に、試合前の心境を聞くと、笑顔でこう答えた。
「コンディションはまずまずです。緊張も全くしていないです。ただ、やっぱり久しぶりなんで、試合勘を戻さないとね」。
ルール変更後初めての試合
数々の経験を積んできたはずの永田だが、実は、試合勘以上に大きな不安材料があった。計量である。これまで計量といえは、試合前日に行われ、リミットをクリアすれば、試合当日は体重を戻して試合をしてきた。しかし、昨年に、世界レスリング連盟がルールを変更したことにより、試合日2日間の早朝に計量を行うルールになったのだ。4年間のブランクから復帰した永田にとっては、初めての経験だった。そして、それは、想像以上にパフォーマンスに影響した。
この日、準決勝から登場した永田は、応援に駆けつけたジムの関係者たちの視線を集めながら、マットの中央に立った。他の階級の選手たちも、もうじき46歳になるレジェンドの動きが気になるのか、試合の準備を止めては、チラチラと永田に視線を送っている。
試合が始まった。永田は、丁寧に感覚を確かめるかのように、そして相手の出かたを探るかのように試合に入った。だが、相手とコンタクトした時の感覚がこれまでと異なるのか、想像以上にパワーを感じる。組み手の対処に苦しみ、相手の崩しに苦悶の表情を浮かべる。その後、相手の攻撃を許し、ポイントで先行されてしまう予想外の展開。
1ー4とビハインドを負い、時間は終盤に突入する。残り2分を切ったあたりから、応援する周囲の人たちの表情にも変化が見受けられた。
「今回はヤバいかもしれない」
こう思ったのは、筆者だけではないはずだ。
そんな周囲の心配をよそに、永田は、冷静に残り時間をみながら、逆転のチャンスを虎視眈々と伺う。マットの脇で応援している家族たちは、食い入るように試合を見つめていたが、痺れを切らした妻・優華さんの祈るような声が響く。
「ここから!ここから! まだ時間はあるから落ち着いて!」
次男の聖魁(セカイ)くんは、強い父親が負けるはずがないと思っているのだろう。残り時間を気にしながら、祈るようにこうつぶやいた。
「イヤだ、イヤだ。見たくない」。
残り1分を切り、誰もが永田の敗戦を覚悟し始めたその時、家族たちの願いが通じたのか、永田は、相手選手の両脇を指してグラウンドに持ち込む。渾身の力を振り絞り、なんとかローリングを成功させ、連続してポイントを奪取。 ギリギリのところで、逆転に成功した。
試合終了のブザーが鳴ると、応援していた家族や関係者は、喜びと安堵が入り混じった表情をみせた。
試合を終えた永田は、マットから降り、家族の元へ戻ると、一瞬だけ安堵の表情を見せたようにも感じたが、浮かれることもなく、また思わぬ苦戦にも動揺する様子は見せない。これが、いくつもの修羅場をくぐってきた百戦錬磨の男のメンタリティなのだろうか。それとも、父親としての威厳なのだろうか。
永田の背中を押すのは家族の絆
決勝進出を決めた永田は、他の階級の試合を横目に、水分補給をしながら、コンディションを整えていた。相変わらず、表情は自然体そのもので、決してピリピリした様子はみせない。
階級ごとの決勝戦が始まる前に、30分ほどの中断期間が設けられることが場内に放送されると、永田はすぐに誰もいないマットに移動し、顔にタオルをかけて体を仰向けに倒した。短い時間も体力の回復を図るなど、コンディション調整に余念がない。
そして、30分の「昼休憩」が終わり、もう一度身体をしっかり動かし終えたら、いよいよ決勝戦だ。
「お父さん、頑張れ!」
「お父さん、次も勝ったら優勝?」
次々に寄せられる子供たちからの激励に、言葉少なめに返事をしながら、マットに向かった永田。
試合感覚を取り戻したのか、新しいルールに身体が馴染んだのか、試合開始から、相手を圧倒していく。前の試合より動きが軽やかだ。
相手の崩しに耐えながら得意のグラウンドに持ち込むと、ローリングを奪取。相手のリフト技により一瞬ヒヤリとする場面もあったが、再びローリングで連続してポイントを奪い、危なげなく勝利を収めた。
この大会を制した永田は、目標の第一段階としていた全日本選手権への切符を手にした。
永田は、試合後、この日の難しさをこのように語った。
「早朝2日間の計量なんて、今まで経験したことがなかったですからね。ある程度はシュミレーションしましたが、前日計量で試合をしてた時と、こんなにも違うものかと感じました」。
また妻の優華さんも、負けを覚悟した時間帯もあったようで、
「途中ほんとに、ヒヤヒヤしましたけど、なんとか勝ててよかったです」
と安堵の表情を浮かべた。
12月の全日本選手権では、さらにハイレベルな戦いが繰り広げられる。その手応えを得ることはできたのだろうか。
「今日みたいな動きじゃ、全日本選手権では戦えないので、次までにもう一度鍛え直してきます」。
こう言って笑顔を見せると、久しぶりの勝利にホッとしたように、集まってくる息子やジムの生徒たちと笑顔で写真撮影に応じていた。
この日、最優秀選手賞に輝き、4年前と同じように復活の第一歩を踏み出した永田。12月の全日本選手権でも再び、頂点に上り詰めることができるだろうか。父親である永田克彦は、46歳での挑戦を通して、物心ついた子供達にどんな姿をみせることができるだろうか。
取材・文・写真:瀬川泰祐