ナイキ・ジャパン突撃インタビュー 第3回「カラースパイクの認知は2006年、ドイツW杯から」
第3回も、ここでしか聞けない裏話をお届けする。いまでは主流となるカラースパイクは、ナイキが2006年のドイツW杯で仕掛けたことから始まった。
多羅 正崇
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2016/08/24
キングギアはナイキ・ジャパン本社に乗り込み、担当者に突撃インタビューを敢行。それまでの印象を覆す、画期的なサッカースパイクで躍進を続けるナイキの現状、そして展望とは――。
――現在、ナイキと契約しているサッカー選手は、海外を含めて何人いるのですか?
担当Aさん「契約選手についての詳細は(ナイキ・ジャパンは)発表しておりません」
――海外の選手に、物品提供だけという話も聴きますが?
担当Aさん「むしろ海外のほうがシビアかもしれません。(契約金が発生する上に商品を渡すのは)少ないと思います。そういう意味で日本は特殊だと思います」
――つまりスパイク契約については、Jリーガーは恵まれている?
担当Aさん「恵まれている方じゃないかな、という感触はあります。しかし海外の事情をすべて把握しているわけではありません」
――そのトップ中のトップの選手の契約金はオフィシャルにはならないのですか?
担当Aさん「ならないです(笑)」
――それはなぜですか?
担当Aさん「機密事項だからです。弊社からそれを発表することはありません」
――たとえばタイガーウッズのナイキとの契約金は、大騒ぎなったじゃないですか(2001年の契約は5年で1億ドル)。あの時「ナイキから幾ら」というのが公になったと思うんですが、あれは?
担当Aさん「推測だと思います。たとえば野球選手の“推定年俸”では、去年のベースが幾らだから大体このくらいだろう、という書き方があると思うんですが、正確かどうかは分からないですよね。おそらくタイガーウッズの件もそうだと思います」
――ほんの十数年前までは、ほとんどが黒のスパイクで、そこを変えたのはナイキさんだと思っているのですが。
担当Aさん「はい。それは我々がマーケットをチェンジしたいと考えていたからです。2006年のドイツW杯で、シルバーとオレンジのスパイクをナイキアスリート全員に履かせたのが、最も印象的だったと思います」
――黒じゃないとギョッとする時代ってありましたよね。
担当Aさん「はい。最初は受け入れられるところまで苦労したんですけど、ある時、マーケットから黒が動かない時期があり、新しいカラーをどんどんチャレンジしようと思い展開しました。店頭に並んだ時に、ナイキのスパイクがすごく非常に映えて見えたのだと思います。それから我々は毎シーズン、カラーを変えて」
――ちなみに、ナイキのスパイクはアメリカで開発をしているのですか?
担当Aさん 「基本的にアメリカで開発されています。ただ要望としてヨーロッパが主流なので、ヨーロッパの意見を吸い上げて、アメリカでプランされています」
さて、最終回となる次回は、ナイキの苦心作である日本専用のHGのアウトソールの話題から、ナイキのサッカースパイクに懸ける思いをお届けする。