発起人Kの独り言VOL6「コロンビア戦のオウンゴールは、地獄を見た藤春廣輝の覚醒をうながすか?」
人間、取り返しのつかない失態のあとは「顔色をなくす」と言われるが、あのオウンゴール以降、藤春の表情がまさにそれだった。 ただ、だからこそ、これからの藤春には期待できそうな気がする。
金子 達仁
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2016/08/08
やっちまった、なんてもんじゃない。
絶体絶命の1対1をGKがビッグセーブで食い止めてくれたってのに、蹴ろうか流そうか迷った末が、小学生でもちょっとやらないようなオウンゴール。
何が起こったのか。何をしようとしたのか。
何度も何度も繰り返されるリプレー画面。そのたびに写し出されるアンブロのスパイク。
もちろん、一番ショックというか、言葉を失っていたのは藤春だろうけど、アンブロの担当者も、むちゃくちゃ辛かっただろうなあ。
そうそう、オウンゴールと言えば、忘れられない取材がある。
あれは03年だったか04年だったか、コロンビアへ取材に行った。南米の中でも治安は最悪と言われていたこともあり、結構ビビリながらの渡航だった。
ロス経由だったかマイアミ経由だったか、ようやくたどり着いたボゴダの空港で、いきなりの洗礼が待っていた。
「渡航目的は?」
「インタビューです」
「誰の?」
答えた瞬間、そうでなくても強面だった入国審査官の顔色がサッと変わった。
控室から飛び出してくる屈強な男たち。踏んだことはないけれど、なんかこう、とんでもない地雷を踏んでしまったらしいことはすぐわかった。
「もう一度聞く。渡航目的は?」
「ですから、エスコバルの取材です。というか、わかるでしょ、本人に取材はできないので、彼のお父さんに」
両腕をガッとつかまれた。
いちおうわたくし、179センチほどあるのですが、両足はぶらんぶらん状態。そのまま、控室に連行され、持っていたタバコを1本1本切り裂いて調べられ、パンツを脱がされ‥‥そこでやっと、大きな誤解があったことに気づいた。
「あ、あのお、エスコバルって、サッカーのエスコバルですけど」
その瞬間、目の前に吉本新喜劇が現れた。全員、マジでずっこけ。
フルチンで立ち尽くすわたくし。でもって、一人を除いて全員大爆笑。
「すまんすまん、えっと‥‥セニョール・カネコ。でもな、これだけはわかってくれ。俺たちの立場だと、エスコバルだと聞けば誰だって麻薬王を想像する。日本人がアンドレス・エスコバルの事件について取材に来るなんて、思いもしないからな」
いくら謝られても、タバコを台無しにされ、なによりお粗末なものを衆人のもとにさらされた屈辱は消えない。
というわけで、少しも笑う気持ちにはなれなかったわたしだが、ま、時間が経てばそれもいい思い出ということで。
そもそも、なんではるばるコロンビアまで屈辱を味わいに行ったかというと──。
94年のワールドカップ。優勝候補としてアメリカに乗り込んだコロンビアだったが、まさかのグループリーグ敗退を喫してしまう。
その大きな要因となったのが、まず負けるはずがないとされていたアメリカ戦で、アンドレス・エスコバルが決めてしまったオウンゴールだった。
帰国後、彼はメデジンのナイトクラブで「自殺点をありがとよ」との捨てゼリフと、12発もの銃弾を浴びた。犯人は狂信的なファンとも、賭博絡みのマフィアともされたが、背後関係はうやむやのままだった。
なぜエスコバルは殺されたのか。
わたしがコロンビアまで乗り込んだのは、それが知りたかったからだった。
無事入国を許されてからは、あらかじめアポをとっておいた彼の両親や友人、さらには地元にジャーナリストと会い、たっぷりと話を聞くこともできた。
結局「なぜ?」の疑問が解消されることはなかったが「もう二度とサッカー絡みでこんなことは起こってほしくない」というお父さんの言葉は強く印象に残っている。
それにしても、射殺されちゃうほどの自殺点ってどんなんだったんだろうと、改めて動画で見直してみた。
全然、ひどくない。
確かこの試合、現場で取材してたと思うのだが、衝撃的だったのは自殺点をエスコバルが、沈着冷静で知られた男がやらかしたことであって、自殺点そのものではなかった記憶がある。
いま見直してみても、左からのクロスが入ってきた、クリアしようとしたら、ちょっと足が届かず、自らのゴールに押し込んでしまった‥‥割とよくあるパターンなのだ。
言っちゃなんだが、藤春の方がはるかに痛い。
もちろん、そんなことは本人が一番よくわかってるはず。普段の精神状態だったら絶対にやらなかっただろうし、たぶん、二度と同じ失敗をすることもない。
人生で一度あるかないか。それぐらいのミスだった。
人間、取り返しのつかない失態のあとは「顔色をなくす」と言われるが、あのオウンゴール以降、藤春の表情がまさにそれだった。
ただ、だからこそ、これからの藤春には期待できそうな気がする。
コロンビアは、エスコバルの自殺点を取り返せなかった。結果、エスコバルは許されなかった。
日本は、藤春のオウンゴールを取り戻した。結果、彼にはリベンジの機会が与えられた。
自殺点をしたから射殺する? イカれているとしか言いようがない。
でも、世界最高峰と言われるチームの選手たちは、それに近しい重圧を、毎週受けながらプレーしている。一つのミスが命取り──いろんな意味で命取りになるパーセンテージは、Jリーグよりはるかに高い。
ミスに不寛容な日常は、選手を磨く。 ミスに寛容な日常は、選手を甘やかす。
持って生まれた才能に大差はない。ただ、Jリーグが発足して20年以上が経ってもなお、日本サッカーの現状はヨーロッパや南米ほどにはミスに不寛容ではない。
だが、心ならずも決めてしまったオウンゴールによって、藤春は地獄を見たはずだ。
このまま終わればどうなるか──それは、Jリーグではまず味わえない類の恐怖だっただろう。
彼は、凄まじく磨かれた。
本人はまだ気づいていないだろうが、重圧に対する耐性は、試合前とは別人といっていいぐらいの次元に達している──きっと。
もちろん、ヨーロッパにだって南米にだって、一つの大きなミスから立ち直れず、消えていってしまう選手も数多くいる。本人が立ち直ろうとしても、チームやファンが許さず、追い払われる選手もいる。
勝者か、それとも、敗残者か。 どちらの道を進むのか。決めるのは、藤春廣輝自身である。
なんにせよ──。
もし、あのエスコバルの温厚なお父さんがこの試合を見ていたら、きっと、青いユニフォームを着た背番号4のために祈ってくれただろうな、という気はしている。
「たとえコロンビアの勝利につながるものであっても、プロピア・プエルタ(自殺点)はもう見たくないんだ」
そう言って静かに微笑んだ人だったから。
絶体絶命の1対1をGKがビッグセーブで食い止めてくれたってのに、蹴ろうか流そうか迷った末が、小学生でもちょっとやらないようなオウンゴール。
何が起こったのか。何をしようとしたのか。
何度も何度も繰り返されるリプレー画面。そのたびに写し出されるアンブロのスパイク。
もちろん、一番ショックというか、言葉を失っていたのは藤春だろうけど、アンブロの担当者も、むちゃくちゃ辛かっただろうなあ。
そうそう、オウンゴールと言えば、忘れられない取材がある。
あれは03年だったか04年だったか、コロンビアへ取材に行った。南米の中でも治安は最悪と言われていたこともあり、結構ビビリながらの渡航だった。
ロス経由だったかマイアミ経由だったか、ようやくたどり着いたボゴダの空港で、いきなりの洗礼が待っていた。
「渡航目的は?」
「インタビューです」
「誰の?」
答えた瞬間、そうでなくても強面だった入国審査官の顔色がサッと変わった。
控室から飛び出してくる屈強な男たち。踏んだことはないけれど、なんかこう、とんでもない地雷を踏んでしまったらしいことはすぐわかった。
「もう一度聞く。渡航目的は?」
「ですから、エスコバルの取材です。というか、わかるでしょ、本人に取材はできないので、彼のお父さんに」
両腕をガッとつかまれた。
いちおうわたくし、179センチほどあるのですが、両足はぶらんぶらん状態。そのまま、控室に連行され、持っていたタバコを1本1本切り裂いて調べられ、パンツを脱がされ‥‥そこでやっと、大きな誤解があったことに気づいた。
「あ、あのお、エスコバルって、サッカーのエスコバルですけど」
その瞬間、目の前に吉本新喜劇が現れた。全員、マジでずっこけ。
フルチンで立ち尽くすわたくし。でもって、一人を除いて全員大爆笑。
「すまんすまん、えっと‥‥セニョール・カネコ。でもな、これだけはわかってくれ。俺たちの立場だと、エスコバルだと聞けば誰だって麻薬王を想像する。日本人がアンドレス・エスコバルの事件について取材に来るなんて、思いもしないからな」
いくら謝られても、タバコを台無しにされ、なによりお粗末なものを衆人のもとにさらされた屈辱は消えない。
というわけで、少しも笑う気持ちにはなれなかったわたしだが、ま、時間が経てばそれもいい思い出ということで。
そもそも、なんではるばるコロンビアまで屈辱を味わいに行ったかというと──。
94年のワールドカップ。優勝候補としてアメリカに乗り込んだコロンビアだったが、まさかのグループリーグ敗退を喫してしまう。
その大きな要因となったのが、まず負けるはずがないとされていたアメリカ戦で、アンドレス・エスコバルが決めてしまったオウンゴールだった。
帰国後、彼はメデジンのナイトクラブで「自殺点をありがとよ」との捨てゼリフと、12発もの銃弾を浴びた。犯人は狂信的なファンとも、賭博絡みのマフィアともされたが、背後関係はうやむやのままだった。
なぜエスコバルは殺されたのか。
わたしがコロンビアまで乗り込んだのは、それが知りたかったからだった。
無事入国を許されてからは、あらかじめアポをとっておいた彼の両親や友人、さらには地元にジャーナリストと会い、たっぷりと話を聞くこともできた。
結局「なぜ?」の疑問が解消されることはなかったが「もう二度とサッカー絡みでこんなことは起こってほしくない」というお父さんの言葉は強く印象に残っている。
それにしても、射殺されちゃうほどの自殺点ってどんなんだったんだろうと、改めて動画で見直してみた。
全然、ひどくない。
確かこの試合、現場で取材してたと思うのだが、衝撃的だったのは自殺点をエスコバルが、沈着冷静で知られた男がやらかしたことであって、自殺点そのものではなかった記憶がある。
いま見直してみても、左からのクロスが入ってきた、クリアしようとしたら、ちょっと足が届かず、自らのゴールに押し込んでしまった‥‥割とよくあるパターンなのだ。
言っちゃなんだが、藤春の方がはるかに痛い。
もちろん、そんなことは本人が一番よくわかってるはず。普段の精神状態だったら絶対にやらなかっただろうし、たぶん、二度と同じ失敗をすることもない。
人生で一度あるかないか。それぐらいのミスだった。
人間、取り返しのつかない失態のあとは「顔色をなくす」と言われるが、あのオウンゴール以降、藤春の表情がまさにそれだった。
ただ、だからこそ、これからの藤春には期待できそうな気がする。
コロンビアは、エスコバルの自殺点を取り返せなかった。結果、エスコバルは許されなかった。
日本は、藤春のオウンゴールを取り戻した。結果、彼にはリベンジの機会が与えられた。
自殺点をしたから射殺する? イカれているとしか言いようがない。
でも、世界最高峰と言われるチームの選手たちは、それに近しい重圧を、毎週受けながらプレーしている。一つのミスが命取り──いろんな意味で命取りになるパーセンテージは、Jリーグよりはるかに高い。
ミスに不寛容な日常は、選手を磨く。 ミスに寛容な日常は、選手を甘やかす。
持って生まれた才能に大差はない。ただ、Jリーグが発足して20年以上が経ってもなお、日本サッカーの現状はヨーロッパや南米ほどにはミスに不寛容ではない。
だが、心ならずも決めてしまったオウンゴールによって、藤春は地獄を見たはずだ。
このまま終わればどうなるか──それは、Jリーグではまず味わえない類の恐怖だっただろう。
彼は、凄まじく磨かれた。
本人はまだ気づいていないだろうが、重圧に対する耐性は、試合前とは別人といっていいぐらいの次元に達している──きっと。
もちろん、ヨーロッパにだって南米にだって、一つの大きなミスから立ち直れず、消えていってしまう選手も数多くいる。本人が立ち直ろうとしても、チームやファンが許さず、追い払われる選手もいる。
勝者か、それとも、敗残者か。 どちらの道を進むのか。決めるのは、藤春廣輝自身である。
なんにせよ──。
もし、あのエスコバルの温厚なお父さんがこの試合を見ていたら、きっと、青いユニフォームを着た背番号4のために祈ってくれただろうな、という気はしている。
「たとえコロンビアの勝利につながるものであっても、プロピア・プエルタ(自殺点)はもう見たくないんだ」
そう言って静かに微笑んだ人だったから。