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【驚異の復活】南野拓実、逆境を乗り越えた栄光の軌跡

一昨年の夏、プレミアリーグの名門リバプールからモナコへと舞台を移した南野拓実。一時はその輝きを失ったかに見えたが、このシーズン、驚異的なパフォーマンスを見せ、フランスのメディアからも今季のベスト11候補に名を連ねるほどの評価を受けている。特に左WG部門では、名高いエンバペを抑えて現在首位に立っている。この記事では、「モナ王」と称されるようになった南野拓実の足跡を辿り、彼がいかにしてこの地位を築き上げたのかを探る。※メイン画像:清水和良

Icon       池田 鉄平 | 2024/05/07

早くからその才能が認められていた。


1995年1月16日、大阪府泉佐野市に生まれた南野は、地元でサッカーに打ち込み、中学入学と同時にセレッソ大阪のU-15チームへ入団する。中学3年の時にはU-15日本代表に選出されるなど、早くからその才能が認められていた。

セレッソ大阪のU-18チームに昇格後、高校進学直後の関西プリンスリーグ開幕戦にスタメン出場し、ハットトリックを達成する活躍を見せる。この年のAFC U-16選手権では、大会得点王に輝き、クラブだけでなく代表でも結果を残す。
 

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画像提供/アディダス
2011年にはU-17ワールドカップで活躍し、日本を歴代最高の成績であるベスト8に導く。2012年には高校3年生ながらセレッソ大阪のトップチームに2種登録される。翌年、高校卒業後には正式にトップチームへと加わり、リーグ開幕戦からスタメンに抜擢。このときの高卒ルーキーの開幕スタメン入りはクラブ史上初のことであった。こうして、南野拓実のサッカー人生は、多くの困難を乗り越えながらも、彼の才能と努力によって花開いていった。  

セレッソ大阪での飛躍と挑戦


さらに、クラブのリーグ戦において最年少記録を更新し、新人ながら数々の記録を更新する活躍を見せた。前年は残留争いをしていたチームが4位に大躍進を遂げる中、南野自身もJリーグベストヤングプレーヤーに輝く。その活躍と甘いマスクで、一気に世間の注目度が上がった。


2014年の夏、代表戦の出場経験がないにもかかわらず、ブラジルワールドカップの予備登録メンバーに選出される。

しかし、周囲からの期待が高まる中でのプレッシャーもあってか、リーグ戦では前年とは打って変わって低調なパフォーマンスを示す。南野をはじめ、チームメイトの柿谷曜一朗、ディエゴ・フォルラン、扇原貴宏、山口蛍らも本来のプレーを見せることができず、素晴らしいメンバーを擁しながらもチームはJ2に降格してしまう。


散々なシーズンとなったが、10代ながらJ1で2シーズン主力としてプレーした南野の評価は非常に高く、翌年からは海外の舞台へと飛び立つことになる。
 

欧州への挑戦 - レッドブルザルツブルクでの成功


南野の欧州挑戦のスタート地点はオーストリアのレッドブルザルツブルクへ。過去には現サッカー協会会長の宮本恒靖や三都主アレサンドロもプレーしたクラブである。

Jリーグの2014シーズン終了後にチームに加わり、20歳を迎えたばかりの南野は、若い選手を積極的に起用するレッドブルグループの方針もあり、移籍初年度から主力として起用される。

シーズン途中の加入ながら、18試合で3ゴールと3アシストを記録し、リーグと国内カップの2冠に貢献。続く15、16シーズンも開幕から主力としてプレイし、ハリルホジッチ監督率いる日本代表に招集され、2015年1月のイラン戦で待望の日本代表デビューを果たす。
 

2016年1月、南野拓実は五輪予選を兼ねたU23アジアカップのために日本代表に召集される。しかし、リーグ戦の再開に間に合わせるため、決勝戦を前にして代表から離脱。この大会で日本は優勝を果たすが、南野はチームメイトとともにカップを掲げることができなかった。

それでも、21歳にしてクラブに欠かせない存在となっていたことが、この決断からも明らかである。勢いそのままに欧州での2年目は、39試合で13ゴールと5アシストを記録し、チームは3年連続で2冠を達成する。
 

その夏、南野はリオオリンピックに出場し、全3試合に出場して1ゴールを記録する。2016-17シーズンは31試合で14ゴールと3アシストを挙げ、再び2冠に貢献。2017-18シーズンには44試合で11ゴールと9アシストを記録し、チームはリーグ優勝とともにヨーロッパリーグでベスト4に進出するが、南野自身は代表でほとんど起用されず、2015年の召集時には2試合でわずか6分の出場に留まる。
 

代表チームとの関係


代表監督ハリルホジッチは、南野の試合視察にすら行っていなかったとの報道があり、南野も後に「ハリルには全然好かれていなかった」と語っている。このことから、彼のプレイスタイルがハリルの好みに合っていなかったことが伺える。

ハリルがロシアワールドカップ直前に解任され、後任の西野監督が就任するも、南野を召集することはなく、ワールドカップメンバー入りもならなかった。  

この時期、海外での活躍にもかかわらず代表に呼ばれず、ステップアップ移籍も果たせなかったため、サポーターからは「オーストリア幽閉期間」との異名を付けられたこともある。

しかし、ロシアワールドカップ後に森保監督が指揮官に就任すると、代表チームの序列が大きく変化する。本田圭佑や香川真司といったワールドカップまでの主力が一新され、新たなチャンスが南野に訪れた。
 
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画像/清水和良
森保監督の初陣となったコスタリカ戦では、右サイドに堂安律、左サイドに中島翔哉、トップ下に南野拓実が配置された。約3年ぶりの代表復帰でスタメン出場を果たすと、南野は代表初ゴールを記録し、続くパナマ、ウルグアイ戦でもゴールを挙げることで、一気に代表の主力選手としての地位を確立した。

堂安、中島、南野という2列目の3人に大迫勇也を加えた攻撃陣の迫力は凄まじく、南野は大迫と並ぶチームの得点源となった。
 

2019年のアジアカップでは代表に欠かせない選手として選ばれ、クラブでも2018-19シーズンは43試合で14ゴールと6アシストを記録し、引き続き国内2冠に貢献。ヨーロッパリーグ(EL)でもベスト16に進出し、充実した日々を送った。

しかし、優勝候補の主力選手でありながら、海外の他クラブからの関心は高まらず、気づけば加入から4年半が経過しており、オーストリアリーグにおける若手選手の登竜門としては、少し停滞感がある長期在籍となっていた。
南野自身も、早く結果を出し、「2、3年でのステップアップを望んでいた」と後に語る。  

そんな中、2年連続でELの決勝トーナメント進出を果たし、リーグランキングの向上に貢献。2019-20シーズンは、これまで毎年予選で敗退していたチャンピオンズリーグ(CL)にストレートインし、94-95シーズン以来の本選出場を果たす。

CL初出場となったグループステージの第1節では、2アシストを記録し、対戦相手であるベルギー王者ヘンクの伊藤純也、ザルツブルクの奥川昌也と共に日本人3人がCLデビューを飾った記念すべき試合となった。
 

日本代表でも9月から始まった6連戦のはじめの5試合で連続ゴールを挙げ、絶好調を維持した。CLグループステージ第2節のリバプール戦では、試合は3対4で敗れたものの、南野はアンフィールドで1ゴール1アシストの大活躍を見せ、欧州王者に冷や汗をかかせた。この活躍がきっかけで、冬の移籍市場でリバプールへの加入が決定する。

リバプールへの移籍とその影響


シーズン途中の加入で初年度は控えの立場が多かったが、リバプールはCL制覇に続き、圧倒的な強さでリーグ優勝を果たし、南野は稲本潤一、香川真司、岡崎慎二に続く、日本人として4人目のプレミアリーグチャンピオンとなった。その年のリバプールの7試合を残しての優勝は歴代最速記録であり、新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が2ヶ月中断されたこともあって、6月の終わりに最も早くかつ最も遅い優勝となった。主力としての貢献は限られていたものの、今後の飛躍に期待が集まった。  

2021シーズンに入り、リーグ開幕を告げるコミュニティシールドで移籍後初ゴールを記録した南野拓実は、その調子の良さをアピールする。カラバオ・カップ初戦では2ゴール1アシストという顕著な活躍を見せ、試合後には指揮官のクロップ監督から「タキが大好きなんだ」と大絶賛された。

しかし、リバプールの前線にはモハメド・サラー、サディオ・マネ、ロベルト・フィルミーノといった絶対的な存在が揃っており、南野の出場機会は依然として限られたものであった。
 

この状況に対して、日本のファンは「タキのことを大好きちゃうんか?」「タキはカップ戦要員なんだ」といったクロップの発言を茶化すことが多かった。冬の移籍市場を通じて、南野はサウサンプトンへの期限付き移籍を果たす。サウサンプトンでのプレーは、クラブでの厳しい時期とは異なり、日本代表での活躍が続いた。

コロナウイルスの影響で代表活動が約1年間停止していたが、活動再開後には背番号10を背負い、日本のエースとしての役割を果たす。
 

2019年から続くワールドカップアジア2次予選での連続ゴール記録を7試合に伸ばし、サウサンプトンでの適度な出場機会を経て、2021-22シーズンにはリバプールに復帰。

しかし、リバプールでの役割は変わらず、カップ戦要員としての扱いが続いた。これにより、ワールドカップ最終予選を控えた重要な年にもかかわらず、南野はチーム内の序列を変えることができず、代表での立場も厳しいものになった。


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画像/清水和良
代表チームでは鎌田大地、三笘薫、伊藤純也などのライバルたちが台頭し、試合には出場するものの、重要な役割は他の選手が担うこととなった。しかし、南野は決してくじけず、カップ戦での結果を残し続けた。

FAカップでは4試合で3ゴール、カラバオ・カップでは5試合で4ゴール1アシストという成績を挙げ、特にカラバオ・カップのレスター戦での後半アディショナルタイムの同点弾は、試合を救う重要なものであった。
 

このシーズン、リバプールはFAカップとカラバオ・カップで2冠を達成し、南野もFAカップのベストイレブンに選ばれた。それでも、重要なカップ戦の決勝ではベンチに回されることが多く、チーム内競争に打ち勝つことはできなかった。

これにより、目前に控えるワールドカップに向けて自身の将来を考えざるを得なくなり、2022-23シーズン開幕前の夏には、より多くの出場機会を求めてリバプールを去ることを決意する。

ASモナコでの再出発     


移籍に際して、クロップ監督は「タキを見送るのは辛い。彼は監督にとっての夢だった」と賛辞を送った。南野はフランスのリーグ・アン、ASモナコへ移籍することが決定し、前シーズンのリバプールでの活躍を背景に、即戦力としての期待を一身に受ける。

しかし、開幕から時間が経過してもチームにフィットするまでには苦労し、9月のスタートランス戦で移籍後初ゴールを挙げた後も得点を上げることができず、代表でも不振が続いた。ワールドカップ入りが危ぶまれる中での選出には疑問の声が多く、スポンサーへの配慮が影響しているとの批判も受けた。


ワールドカップ本番では、ドイツ戦で堂安律の同点弾につながるシュートを放ち、久々に代表での活躍を見せたが、PK戦での敗北で悲願のベスト8には届かなかった。特にクロアチア戦での自らのPK失敗は、南野にとって大きな試練であった。彼自身が「人生最悪の日」と語るほどの出来事で、満足のいく大会とはならなかった。
 

ワールドカップ後、南野はモナコに戻ったが、成績は伸び悩み、シーズンを通じて1ゴールも挙げることができなかった。この低迷したパフォーマンスにより、メディアからは「今季のワースト補強」として厳しい評価を受けた。この結果、南野は第2次森保ジャパンのメンバーからも外れ、多くのサポーターからは彼のキャリアが終わったと見なされた。
 

しかし、最悪のシーズンを経た後、モナコの監督が解任され、アドルフ・ヒュッターが新監督として就任した。ヒュッター監督は南野のザルツブルク時代の恩師であり、彼は日本人選手に対して理解が深いことで知られている。

ヒュッター監督の下で南野は新たなスタートを切り、シーズン開幕戦からアシストを記録し、第2節では2ゴール1アシストを挙げる大活躍を見せた。第3節でゴールを追加し、第4節では再びアシストを決め、続くリーグ戦で月間MVPに選ばれるなど、昨シーズンの不調が嘘のような活躍を展開した。

Thumb  shi3429画像/清水和良

この見事な復活により、南野は「モナ王」として称賛され、10月には約10カ月ぶりに日本代表に復帰した。新年の代表戦では、約11カ月ぶりに得点を挙げ、アジアカップのメンバーにも選ばれた。

アジアカップでは2ゴール1アシストを記録し、チームのベスト8進出に貢献した。クラブに戻ってからも好調を維持し、5月上旬時点での成績は
リーグ戦29試合で9ゴール6アシスト。フランスメディア『GFFN』の選ぶ今季リーグ・アンのベストイレブン候補にノミネートされた。代表でも3月の北朝鮮戦でスタメン出場を果たし、森保監督からも戦力として高く評価されている。  

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画像/清水和良
南野拓実の物語は、逆境を乗り越えて再びトップレベルでの活躍を見せる例として、多くの人々に勇気と希望を与えている。現在29歳の南野にとって、次のワールドカップがラストチャンスとなるかもしれないが、2014年ブラジルワールドカップの予備登録メンバーに選ばれてからの長い道のりを経て、彼が次こそ本大会で輝くことを期待している。