カトリエの「マイ・ファースト・スパイク」 第4回 エドゥアルド ネット(川崎)vol.1 「初めて買ってもらったスパイクは、ブラジルの“ストライキ”」
「あなたが初めて履いたスパイクはなんですか?」をキーワードに、外国籍選手のルーツを探る企画。それが「マイ・ファースト・スパイク」です。今回のゲストは川崎フロンターレのボランチとして、移籍1年目から活躍中のエドゥアルド ネット選手。インタビュアーは女優の加藤理恵さんです。
鈴木 智之
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2016/11/21
キングギアをご覧のみなさん、加藤理恵です。
突然ですが、ブラジルでは“強盗は靴を見てターゲットを選ぶ”と言われています。 私たちにとってはカジュアルな靴であるアディダスやナイキもお金持ちの証。
“つまり日本はブラジルより裕福なのか!”
いやいや、そういう単純な話ではないんです。 そこには、ブラジル人と日本人の靴に対する感覚や習慣の違いが影響しています。
今回お話を伺ったのは、カラフルで賑やかなサルバドール出身の、陽気なジェントルマン。エドゥアルド ネット選手。
ネット選手の子供の頃のお茶目なエピソードから、ブラジルの子供たちがどんな風にサッカーを楽しんでいるのかなど、鮮やかに浮かび上がってきました。
加藤:(ポルトガル語で)はじめまして。わたし、少しですがポルトガル語を話せるんです。
ネット:ほんとうですか?
加藤:ほんの少しですけどね(笑)。(と言いながら、しばらく通訳を介さずに会話を進める)。今日はネット選手に、たくさん聞きたいことがあって来ました。(持参したブラジルの地図を広げながら)ネット選手はバイーア州の出身ですよね?
ネット:はい、サルバドールという都市です。ここですね。(と言って地図を指さす)
加藤:サルバドールなんですか! わたし、サルバドールには叔父さんが住んでいるので、大好きな街なんです。とくにステラマリスというビーチが。ネット選手は、サルバドールの中心に住んでいたのですか?
ネット:いいえ。空港から中心とは逆に行った海岸沿いの街、コッコ通りと言うところです。
加藤:どういう雰囲気の街ですか?
ネット:海岸があって、きれいな街ですよ。大きな高速道路が走っていて、海があって、自然に恵まれたところです。アウトレットもあります。
加藤:サッカーをする環境は整っていたのですか?
ネット:ブラジルですから、街のいたるところにグラウンドがあります。バイーア州はサッカーが盛んで、みんな情熱を持って取り組んでいます。
加藤:ブラジルには、日本で例えると交番ほどのペースで土のグラウンドがあり、そこで子供から大人まで、みんなサッカーをしていますよね。
ネット:そう、そう。芝のグラウンドはクラブの持ち物であることが多いのですが、街のいたるところにある土のグラウンドには、誰が入ってサッカーをしても良いんです。
加藤:ネット選手がサッカーを始めたのは、どういう場所でしたか?
ネット:最初はストリートでしたが、5歳頃からサッカースクールに通いました。ストリートでは裸足でボールを蹴ることが多く、履いて行ったサンダルをゴールに見立てて、友達と毎日のようにサッカーをしていました。こうやってね。(と言ってサンダルを脱いでゴールに見立てる)
加藤:裸足!? 痛くないのですか?
ネット:子供なので、痛くはないんです(笑)。ただ、足の裏は常に傷だらけで、たまに爪がはがれることもありましたけどね。
加藤:それでも、靴を履こうと思わない?
ネット:思わないんです。学校に行く時は靴を履きますが、サッカーは裸足でやるものだったんですよね。その方がやりやすかったですし。いまとなっては、自分でも信じられないのですが(笑)
加藤:子供の頃はどんなボールを使っていましたか?
ネット:なんでもボールにしていました。サッカーボールを持って外に行こうとすると、お母さんから「サッカーばかりしないで勉強をしなさい」と怒られるので、手ぶらで家を出て、靴下を丸めてボール代わりにしていました。“靴下ボール”は家の中でも使っていましたね、
加藤:最初はみんなストリートサッカーをしていて、その中から選ばれた人たちが、プロをめざして本格的にトレーニングをするのですか?
ネット:そうですね。最初は遊びでサッカーを始めて、10歳から12歳頃になるとサッカー選手になるための練習をし始めます。私の場合は両親とも働いていたので、お母さんがいない時間にサッカースクールに通っていました。その後、13歳の頃にリオデジャネイロのジーコ・サッカーセンターに行ったり、サルバドールのECバイーアというクラブに入り、プロへの道を進み始めました。
加藤:幼少期に通っていたサッカースクールの月謝は、いくらぐらいでしたか?
ネット:1ヶ月で5千円ぐらいだったと思います。いまは1万円ぐらいしますよ。すごく高いです。だから、お金が払えない家の子は、ストリートでサッカーをするしかないですよね。
加藤:ネット選手のご実家はお金持ちだったんですね。
ネット:父親は元サッカー選手で、母親も働いていたので、スクールには通うことができていました。でも、常にスクールでサッカーをしていたわけではなく、ストリートでサッカーをすることもありました。スクールは人工芝だったので、さすがに靴を履きましたけどね(笑)
加藤:では、初めてスパイクを履いたのもその頃?
ネット:そうですね。今でも覚えています。サッカーをしていた親戚のおじさんが「スクールに入った記念に、シューズをあげよう」とプレゼントしてくれたんです。
加藤:なんというメーカーでしたか?
ネット:「ストライク」というブラジルのメーカーです。ただ、当時の自分はそのメーカーを知りませんでした。値段はたしか5千円ぐらいだったと思います。子供用の安い、遊ぶときに履くようなスパイクでした。でも、うれしかったです。(Vol.2に続く)
<プロフィール>
エドゥアルド ネット 1988年10月24日生まれ。ブラジル・バイーア州出身。ブラジルのECバイーア、ボタフォゴ、SCブラガ、ECヴィトーリア、ABC FC、アヴァイFC、ウクライナのSCタフリヤ シンフェロポリでプレーした後、2016年より川崎フロンターレに加入。タイミングの良いボール奪取から、的確なパスで攻撃のリズムを作るボランチ。
加藤理恵(俳優・キャスター)東京都出身。日系ブラジル人の母を持ち、サッカーとJリーグをこよなく愛する。俳優として様々な映画、ドラマ、CMに出演。「totoONE」ではレギュラー予想家として登場(http://www.totoone.jp)。公式ブログ http://ameblo.jp/kato-rie/ Twitter @vi729
突然ですが、ブラジルでは“強盗は靴を見てターゲットを選ぶ”と言われています。 私たちにとってはカジュアルな靴であるアディダスやナイキもお金持ちの証。
“つまり日本はブラジルより裕福なのか!”
いやいや、そういう単純な話ではないんです。 そこには、ブラジル人と日本人の靴に対する感覚や習慣の違いが影響しています。
今回お話を伺ったのは、カラフルで賑やかなサルバドール出身の、陽気なジェントルマン。エドゥアルド ネット選手。
ネット選手の子供の頃のお茶目なエピソードから、ブラジルの子供たちがどんな風にサッカーを楽しんでいるのかなど、鮮やかに浮かび上がってきました。
加藤:(ポルトガル語で)はじめまして。わたし、少しですがポルトガル語を話せるんです。
ネット:ほんとうですか?
加藤:ほんの少しですけどね(笑)。(と言いながら、しばらく通訳を介さずに会話を進める)。今日はネット選手に、たくさん聞きたいことがあって来ました。(持参したブラジルの地図を広げながら)ネット選手はバイーア州の出身ですよね?
ネット:はい、サルバドールという都市です。ここですね。(と言って地図を指さす)
加藤:サルバドールなんですか! わたし、サルバドールには叔父さんが住んでいるので、大好きな街なんです。とくにステラマリスというビーチが。ネット選手は、サルバドールの中心に住んでいたのですか?
ネット:いいえ。空港から中心とは逆に行った海岸沿いの街、コッコ通りと言うところです。
加藤:どういう雰囲気の街ですか?
ネット:海岸があって、きれいな街ですよ。大きな高速道路が走っていて、海があって、自然に恵まれたところです。アウトレットもあります。
加藤:サッカーをする環境は整っていたのですか?
ネット:ブラジルですから、街のいたるところにグラウンドがあります。バイーア州はサッカーが盛んで、みんな情熱を持って取り組んでいます。
加藤:ブラジルには、日本で例えると交番ほどのペースで土のグラウンドがあり、そこで子供から大人まで、みんなサッカーをしていますよね。
ネット:そう、そう。芝のグラウンドはクラブの持ち物であることが多いのですが、街のいたるところにある土のグラウンドには、誰が入ってサッカーをしても良いんです。
加藤:ネット選手がサッカーを始めたのは、どういう場所でしたか?
ネット:最初はストリートでしたが、5歳頃からサッカースクールに通いました。ストリートでは裸足でボールを蹴ることが多く、履いて行ったサンダルをゴールに見立てて、友達と毎日のようにサッカーをしていました。こうやってね。(と言ってサンダルを脱いでゴールに見立てる)
加藤:裸足!? 痛くないのですか?
ネット:子供なので、痛くはないんです(笑)。ただ、足の裏は常に傷だらけで、たまに爪がはがれることもありましたけどね。
加藤:それでも、靴を履こうと思わない?
ネット:思わないんです。学校に行く時は靴を履きますが、サッカーは裸足でやるものだったんですよね。その方がやりやすかったですし。いまとなっては、自分でも信じられないのですが(笑)
加藤:子供の頃はどんなボールを使っていましたか?
ネット:なんでもボールにしていました。サッカーボールを持って外に行こうとすると、お母さんから「サッカーばかりしないで勉強をしなさい」と怒られるので、手ぶらで家を出て、靴下を丸めてボール代わりにしていました。“靴下ボール”は家の中でも使っていましたね、
加藤:最初はみんなストリートサッカーをしていて、その中から選ばれた人たちが、プロをめざして本格的にトレーニングをするのですか?
ネット:そうですね。最初は遊びでサッカーを始めて、10歳から12歳頃になるとサッカー選手になるための練習をし始めます。私の場合は両親とも働いていたので、お母さんがいない時間にサッカースクールに通っていました。その後、13歳の頃にリオデジャネイロのジーコ・サッカーセンターに行ったり、サルバドールのECバイーアというクラブに入り、プロへの道を進み始めました。
加藤:幼少期に通っていたサッカースクールの月謝は、いくらぐらいでしたか?
ネット:1ヶ月で5千円ぐらいだったと思います。いまは1万円ぐらいしますよ。すごく高いです。だから、お金が払えない家の子は、ストリートでサッカーをするしかないですよね。
加藤:ネット選手のご実家はお金持ちだったんですね。
ネット:父親は元サッカー選手で、母親も働いていたので、スクールには通うことができていました。でも、常にスクールでサッカーをしていたわけではなく、ストリートでサッカーをすることもありました。スクールは人工芝だったので、さすがに靴を履きましたけどね(笑)
加藤:では、初めてスパイクを履いたのもその頃?
ネット:そうですね。今でも覚えています。サッカーをしていた親戚のおじさんが「スクールに入った記念に、シューズをあげよう」とプレゼントしてくれたんです。
加藤:なんというメーカーでしたか?
ネット:「ストライク」というブラジルのメーカーです。ただ、当時の自分はそのメーカーを知りませんでした。値段はたしか5千円ぐらいだったと思います。子供用の安い、遊ぶときに履くようなスパイクでした。でも、うれしかったです。(Vol.2に続く)
<プロフィール>
エドゥアルド ネット 1988年10月24日生まれ。ブラジル・バイーア州出身。ブラジルのECバイーア、ボタフォゴ、SCブラガ、ECヴィトーリア、ABC FC、アヴァイFC、ウクライナのSCタフリヤ シンフェロポリでプレーした後、2016年より川崎フロンターレに加入。タイミングの良いボール奪取から、的確なパスで攻撃のリズムを作るボランチ。
加藤理恵(俳優・キャスター)東京都出身。日系ブラジル人の母を持ち、サッカーとJリーグをこよなく愛する。俳優として様々な映画、ドラマ、CMに出演。「totoONE」ではレギュラー予想家として登場(http://www.totoone.jp)。公式ブログ http://ameblo.jp/kato-rie/ Twitter @vi729