「強さ」だけじゃない、支える心――植草歩が次世代に託すメッセージ
2021年の東京オリンピックは、コロナ禍という未曾有の状況下で行われ、アスリートたちはこれまでにない孤独と重圧にさらされた。無観客の異例の舞台で、競技の厳しさだけでなく、心の葛藤とも向き合わなければならなかったのだ。植草さんは、勝利を追い求める中で感じた精神的な負担と、その先に見えた「心のケア」の重要性について語る。彼女が経験したプレッシャーや苦悩、そして引退に至るまでの過程を通じて、アスリートとしての成功と人としての幸せのバランスを探る。
無観客の孤独と重圧―前例のないオリンピックがもたらした心の葛藤
2021年、東京で開催されたオリンピックは、通常とは異なる環境の中で進行した。世界中がコロナ禍に苦しむ中、アスリートたちはその影響を大きく受けた。植草さんも、そのプレッシャーを肌で感じていた。
「コロナ禍で安全を第一に行動できたことは良かったと思います。もし感染したら大会に出られないというプレッシャーが常にありました。だから、飛行機に乗ることもなく、公共の場にも行かず、隔離された状態で練習していましたね」と当時を振り返る。
オリンピックは、ただでさえアスリートにとって特別な場であり、結果がすべてを決定する厳しい舞台だ。しかし、無観客という異例の状況は、彼女にとってさらに大きな孤独を感じさせた。
「観客がいない大会は本当に違和感がありました。勝った選手は称賛されるけれど、負けた選手が叩かれているのを見て、それがすごく怖かったんです。『もし負けたらどうしよう』という恐怖が常にあって、当時は負けることが生きる価値がないように感じていました。」
彼女は、勝たなければならないというプレッシャーに苛まれ、その重圧が心の負担となっていた。
壊れた心、どう乗り越える?―セラピストの必要性に気づいた瞬間
東京オリンピックを通じて、彼女は心のケアの重要性を痛感した。メンタルコーチと共に勝利に向けて準備を進めていたものの、心が限界に達した時、どう対処すればいいのか具体的な方法が見つからなかった。
撮影/長田慶
「メンタルコーチはいたけど、心が限界に達した時のケアまでは十分じゃなかった。本を読んだり散歩をしたりするといいって言われたけど、それが全然自分には合わなくて、逆にイライラしてしまった。」
海外ではアスリートに専門のセラピストがつくのは当たり前。でも日本では、まだその重要性が十分に理解されていない。「もっと早く自分に合うセラピストと出会えていたら、リラクゼーション方法を見つけて、パフォーマンスも上げられたと思う。」そう彼女は振り返る。
成功を重ねる中で、メンタル面のサポートが不足していたことで抱え込んでいた苦しみも少なくなかった。日本でも、技術や体力だけじゃなく、心のケアがどれだけ重要かを、彼女は身をもって感じていた。
「自分はどう生きたい?」―アメリカで得た新たな視点と自己発見
その後、植草さんは他国のアスリートとの交流を通じて、競技とは異なる新しい視点を得ていった。特に、アメリカでのホームステイが彼女の心に大きな影響を与えた。
「『歩は、何をしたいの?』と聞かれたことが強く印象に残っています。それまで、あまり自分の『やりたいこと』を考えたことがなかったんです。」
これまでは、栄養士の指示に従い、トレーニングもすべて勝つために最適化された生活を送っていた。しかし、アメリカで「自分はどうしたいのか」と問われた瞬間、初めて自分自身の願いや幸せについて考えるようになったという。
撮影/長田慶
「試合後にお肉とワインを楽しむことが、唯一の楽しみでしたが、それが本当に自分の幸せなのかと疑問に感じるようになりました。」
競技者としての成功だけでなく、人としての幸せも大切にしたい――そのバランスを模索し始めたのは、この経験からだった。
「悔しくない」という感情―引退を決意した瞬間
2024年9月、彼女はついに引退を決意する。その決め手となったのは、2023年の世界選考での敗北だった。負けた瞬間に頭に浮かんだのは悔しさではなく、「ああ、これで終わりなのか」という妙に冷静な感覚だった。心にじわりと広がる寂しさとともに、長い戦いが終わりに近づいていることを感じた。その敗北は、いつもとは違う重みで胸に深く響いた。空手プレミアリーグの最終戦では年間チャンピオンに輝いていたものの、何かが自分の中で区切りを迎えていた。
その夜、海外の選手たちと話す機会があった。彼らは驚いた表情で尋ねる。
「なぜ引退するんだ?まだ若いのに。」
その言葉に、植草さんは一瞬息を飲んだ。32歳の自分にはもう十分だとずっと思っていた。けれど、そう言われるとふと考え込んでしまう。「私は本当にここで終わるべきなのだろうか?次はどうなるんだろう?」心の奥で、何かがざわめき始めた。
しかし、決定的な瞬間はその後に訪れる。パリの大会で敗北した時、これまでとは違う感情に包まれていた。いつもなら、負けた瞬間に湧き上がるはずの悔しさが、どこにも見当たらなかった。代わりに、心の中にただ静かな空虚感が広がる。
「悔しくない……」彼女は自分自身に驚いていた。それまでは、負ければ必ず「次はどうすればいい?」と頭の中で次の一手を考え続けていた。だが、その時は何も浮かばなかった。無理に奮い立たせようとする自分がいないことに気づいた時、ついに悟った。
「もう終わりだな。」
その言葉が、心の中で確かに響いた。それだけではなかった。
引退を決める最後の一押しは、6月にあった日本代表の選考会の合宿の日程が、自分が指導する生徒たちのインターハイ予選と重なっていたことだった。インターハイの準備をする生徒たちへと心は、傾いていた。
「「彼女たち、彼らの試合を見たい……」その思いが、次第に強まっていった。
自分の戦いはここで終わった。これからは生徒たちのために――そう決意した瞬間、長い間感じていた心の重圧がふっと軽くなるのを感じた。
強さだけではなく、心に寄り添う―若い選手たちへの新たな使命
引退後、植草さんは日体大柏高校の空手部監督として、若い世代に空手を教える道を歩み始めた。彼女は競技者としての経験を生かし、ただ技術を教えるだけではなく、生徒たちの心のケアにも注力している。
本人提供画像
「今、私の生徒が千葉県で1番の実力を持っていて、男子相手にも勝つほど強い女の子がいます。でも、ある日突然、泣きながらトイレに駆け込んでしまいました。彼女の不安や恐怖が限界に達していたんです。」
植草さんはその生徒に寄り添い、こう伝えた。
「『私も同じだったよ。負けるのが怖いのは当たり前だから、そんなに気にしなくていいんだよ』と話しました。自分が同じ経験をしてきたからこそ、彼女の気持ちがよく分かりました。」
この経験を通して、彼女は「選手に寄り添う存在」がどれほど大切かを改めて実感している。
「誰がそばにいてくれるかが本当に大事なんです。私も、辛い時に寄り添ってくれる存在になりたいと思っています。それが監督やコーチの役割だと思います。」
次世代へのメッセージ
撮影/長田慶
「勝つことが全てだと思っていましたが、それだけでは続かないことを今は痛感しています。心のケアがどれほど大切か、今はそれを若い選手たちに伝えることが私の使命だと感じています。」
植草さんは、次世代のアスリートたちに向けて、心のケアの重要性を力強く訴えている。勝利を追い求めることだけではなく、自分自身の心を大切にすることが、競技生活を長く続けるための鍵であり、それが人としての本当の幸せにつながると彼女は信じている。
植草歩(うえくさ・あゆみ)
1992年7月25日生まれ、千葉県出身。
8歳から空手を始め、高校3年で千葉国体で優勝し、帝京大学に進学後、大学1年で日本代表入りを果たす。2012年東アジア選手権優勝、2014年世界学生大会優勝など国内外で輝かしい実績を重ねた。2015年から全日本空手選手権で4連覇を達成し、「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」と称されるように。東京五輪にも出場し、2023年の世界選手権を最後に空手道に区切りをつけ、2024年9月に引退した。168cmの長身を活かし、現在はla farfa専属モデルとして活動中。
Hair&make:Yuzuka Murasawa(PUENTE Inc.)
Photo:Kei Osada