J3リーガーに告ぐ! 「藤澤典隆(FC琉球)の好き勝手やっちゃって、言っちゃってすんません。~ドイツに挑戦したからこそ得た、準備の大切さ~」
J3のプロのサッカー選手があらゆるギアを試しまくる企画。 プロサッカー選手とはいえ、メーカーのしがらみもない選手達が独自の感覚で本音でギアを評価し合う! 果たして最高の評価を得るギアは?それとも最悪な評価を下されるギアは?
KING GEAR編集部
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2017/05/23
ダンボールが届くというのはいつ見てもワクワクするもので
なんか写ってますけどハイ届きました!
この企画の本業であるスパイク等を実際に履いて、感じて好き勝手言わせてもらおうと
今回は事前に実際に下北沢にある
「サッカーマリオ」さんにて試し履きをして戴いてきました!
自分は普段からミズノを履いてますが、履いたことがなくずっと気になっていた
「バサラ 101 JAPAN」
もう1つはアディダス
アディダスや他のメーカーは実はほとんど履いたことがなくて
このスパイクは実際に履いてみて
「フィット感」がヤバすぎると即決した次第です。
「コパ 17.1 ジャパン」
第1弾はこの二足を好き勝手言ってやろうと思います。
本来なら全く履いたことも好きでもないスパイクを試すことで、食わず嫌いならぬ履かず嫌いでした!
是非皆様もどうぞ!!の流れが理想なんでしょうが
そこは第2弾があることを信じて、第1弾は実際に履いてみたいと思ったこの二足からお届けします!
乞うご期待! って言うか見て下さい!笑
さてスパイクを語る前にもう1つ、自分が実際に経験をして感じた話をさせて下さい。
「ドイツに挑戦した話」です。
時はさかのぼり今から5年前。
(当時は24歳になる年)
大学を卒業して無所属にて膝の手術~リハビリを経て
次の年にJFLの強豪佐川滋賀FCに入団。
開幕スタメンを勝ち取り
意気揚々と意気込む自分に舞い降りたのは
開始5分での「全治3ヶ月の足首の怪我」だった。
スタートダッシュに失敗した自分のポジションはなくなっていた。
それ以上に大きな出来事が秋口に発表された
「チームの廃部」である。
今あるチームがいきなりなくなり選手スタッフ全員がいきなり宙ぶらりん状態になることを想像できますか?
実際に話をされたのは夏から秋口にかけてで、公に発表されたのは冬の時期だ。
発表されるまで話を漏らしてはいけない、動いてはいけない状態だった。
試合にコンスタントにでて活躍してたメンバーは他のJFLチームから話はあるけど、自分を含めたそれ以外のメンバーはカテゴリーを下げざる得なかった。
どうしてもプロになりたい、Jでプレイしたい自分にとってこれ以上カテゴリーを下げるのは出来なかった。
そこでふと話がちらついたのが「ドイツの話」である。
実際話を聞いてドイツに渡るまでの期間は一ヶ月もなかったと思う。
その時自分にあったのは
「ドイツで絶対成り上がってやる」
「ドイツに行けば何かが変わる、自分に足りないモノがわかるはず」
「サッカーの実力さえあれば上に行けるやろ」などなど。
実際にドイツでお世話になった人は、自分の友達の知り合いの知り合いで、もちろん初対面でその人頼みで俺はドイツに渡った。
これがまず反省の一つ。
初対面で信用に足る足らないの話ではない、自分自身の「準備」の不足、甘さにだ。
その人頼みという他力本願さとサッカーが全てと思い込んでいた甘さ。
まずは 「言葉」
英語は片言程度。ドイツ語は全く勉強せず行き勉強本すら持ってかずにこれはマズイと現地にて購入する始末。
現地で世話をしてくれた人は色々やってた人で忙しくほとんどが自分一人だった。
そんな自分が監督と選手とコミュニケーションとれるはずもない。
次に「ビザ」に対する意識。
書類やらなんやらの準備でこれを発行されるのに2ヶ月くらい。
更には「選手登録」
日本サッカー協会からドイツサッカー協会への選手登録の移行。
これも2ヶ月くらい。
ドイツでは日本と違いドイツサッカー協会に登録してない限りチーム練習は出来ても、練習試合ですら参加することは出来ない。
今この写真みるとなんか全ての感情が出てる感じしません?(笑)
問題はサッカー外のことが全てだった。
自分の認識、考え方の甘さが全てを生んでいた。
それらの事が重なり考えた結果、チームは早々と獲得したけど
自分はドイツの熱、ドイツのサッカーを感じることなく日本に帰ってきました。
よく「まず飛び込め」とか「チャレンジしろ」とか聞きます。
それで上手くいく人は一握りじゃないかな?
やっぱり何事も「準備」
これが全て。
ただドイツに挑戦したからこそ感じれたことはもちろん沢山あって
こうじゃない
もっとこうしないといけないなど
自己否定を繰り返す中で
自分に足りないものは何だったのか、その答えとサッカーに対する価値観。言葉が通じることの素晴らしさ。
自分一人では生きられない。
色々な人に支えられて生きれているという感謝の気持ち。
サッカーをする以前に人としての在り方。
繋がり。
全てを出したらきりがないくらいに自分の人生にとって大きな影響を与えたのはドイツでの生活でした。
海外にチャレンジする人問わず自分も含めて色々な事に対し
しっかり「準備」して行きましょ^ - ^
好き勝手ペラペラ言っちゃってすみません!
次回のスパイク編もよろしくお願いしますm(_ _)m
今回はこの辺で失礼します。
なんか写ってますけどハイ届きました!
この企画の本業であるスパイク等を実際に履いて、感じて好き勝手言わせてもらおうと
今回は事前に実際に下北沢にある
「サッカーマリオ」さんにて試し履きをして戴いてきました!
自分は普段からミズノを履いてますが、履いたことがなくずっと気になっていた
「バサラ 101 JAPAN」
もう1つはアディダス
アディダスや他のメーカーは実はほとんど履いたことがなくて
このスパイクは実際に履いてみて
「フィット感」がヤバすぎると即決した次第です。
「コパ 17.1 ジャパン」
第1弾はこの二足を好き勝手言ってやろうと思います。
本来なら全く履いたことも好きでもないスパイクを試すことで、食わず嫌いならぬ履かず嫌いでした!
是非皆様もどうぞ!!の流れが理想なんでしょうが
そこは第2弾があることを信じて、第1弾は実際に履いてみたいと思ったこの二足からお届けします!
乞うご期待! って言うか見て下さい!笑
さてスパイクを語る前にもう1つ、自分が実際に経験をして感じた話をさせて下さい。
「ドイツに挑戦した話」です。
時はさかのぼり今から5年前。
(当時は24歳になる年)
大学を卒業して無所属にて膝の手術~リハビリを経て
次の年にJFLの強豪佐川滋賀FCに入団。
開幕スタメンを勝ち取り
意気揚々と意気込む自分に舞い降りたのは
開始5分での「全治3ヶ月の足首の怪我」だった。
スタートダッシュに失敗した自分のポジションはなくなっていた。
それ以上に大きな出来事が秋口に発表された
「チームの廃部」である。
今あるチームがいきなりなくなり選手スタッフ全員がいきなり宙ぶらりん状態になることを想像できますか?
実際に話をされたのは夏から秋口にかけてで、公に発表されたのは冬の時期だ。
発表されるまで話を漏らしてはいけない、動いてはいけない状態だった。
試合にコンスタントにでて活躍してたメンバーは他のJFLチームから話はあるけど、自分を含めたそれ以外のメンバーはカテゴリーを下げざる得なかった。
どうしてもプロになりたい、Jでプレイしたい自分にとってこれ以上カテゴリーを下げるのは出来なかった。
そこでふと話がちらついたのが「ドイツの話」である。
実際話を聞いてドイツに渡るまでの期間は一ヶ月もなかったと思う。
その時自分にあったのは
「ドイツで絶対成り上がってやる」
「ドイツに行けば何かが変わる、自分に足りないモノがわかるはず」
「サッカーの実力さえあれば上に行けるやろ」などなど。
実際にドイツでお世話になった人は、自分の友達の知り合いの知り合いで、もちろん初対面でその人頼みで俺はドイツに渡った。
これがまず反省の一つ。
初対面で信用に足る足らないの話ではない、自分自身の「準備」の不足、甘さにだ。
その人頼みという他力本願さとサッカーが全てと思い込んでいた甘さ。
まずは 「言葉」
英語は片言程度。ドイツ語は全く勉強せず行き勉強本すら持ってかずにこれはマズイと現地にて購入する始末。
現地で世話をしてくれた人は色々やってた人で忙しくほとんどが自分一人だった。
そんな自分が監督と選手とコミュニケーションとれるはずもない。
次に「ビザ」に対する意識。
書類やらなんやらの準備でこれを発行されるのに2ヶ月くらい。
更には「選手登録」
日本サッカー協会からドイツサッカー協会への選手登録の移行。
これも2ヶ月くらい。
ドイツでは日本と違いドイツサッカー協会に登録してない限りチーム練習は出来ても、練習試合ですら参加することは出来ない。
今この写真みるとなんか全ての感情が出てる感じしません?(笑)
問題はサッカー外のことが全てだった。
自分の認識、考え方の甘さが全てを生んでいた。
それらの事が重なり考えた結果、チームは早々と獲得したけど
自分はドイツの熱、ドイツのサッカーを感じることなく日本に帰ってきました。
よく「まず飛び込め」とか「チャレンジしろ」とか聞きます。
それで上手くいく人は一握りじゃないかな?
やっぱり何事も「準備」
これが全て。
ただドイツに挑戦したからこそ感じれたことはもちろん沢山あって
こうじゃない
もっとこうしないといけないなど
自己否定を繰り返す中で
自分に足りないものは何だったのか、その答えとサッカーに対する価値観。言葉が通じることの素晴らしさ。
自分一人では生きられない。
色々な人に支えられて生きれているという感謝の気持ち。
サッカーをする以前に人としての在り方。
繋がり。
全てを出したらきりがないくらいに自分の人生にとって大きな影響を与えたのはドイツでの生活でした。
海外にチャレンジする人問わず自分も含めて色々な事に対し
しっかり「準備」して行きましょ^ - ^
好き勝手ペラペラ言っちゃってすみません!
次回のスパイク編もよろしくお願いしますm(_ _)m
今回はこの辺で失礼します。