STORY OF CEO 第1回 長澤重俊(株式会社はくばく) Vol.2「我が青春のベストゲーム」
新企画はじめます。KING GEARには「スポーツの主役は選手だけではない」というポリシーがあります。スパイクの無い選手、グローブの無いキーパー、スポンサーの無いチームは選手がプレーできません。スポンサーにスポットライトをあてる企画を行うのは以上の理由からです。Vol.2の今回は「一生忘れられない試合」を語って頂きます。
菊池 康平
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2017/06/29
<インタビュー第1回はこちら>
――2年生になり後輩が出来てきて、彼らの指導をしたと思いますが、その経験は仕事をしてからのマネージメント経験にもやはり活きていますか?
長澤 そうですね。監督もOBの弁護士で、土日に来るだけなんでほとんど練習は自主的だったんですよ。後輩の管理もです。
1年生の時は残念ながら全敗して、最後は分裂状態でしたね。一橋大に勝っただけで後は全て負けて。フォワードとバックスがいがみ合っていました。
サッカーもそうかもしれないですけれど、フォワードとバックスの役割分担が明確だからよりラグビーの方がいがみ合うと思います。
バックスは「フォワードがいい球を出さないから前にいけない」と。片やフォワードは「いや、お前達が前に来ないから俺たちが前に行けない」と。お互いが。いがみ合うのを我々1年生は見てて、けっこう辞めちゃったんですよ。
大学生活に対して真面目な人間ほど辞めていきました。この部に4年間いたら大学時代は真っ暗だ!みたいな思いになってしまって。
残った人間達はのんきだったから、なんとかなるんじゃないかって残ってたんですけど。でも2年生になったらキャプテンが「こんなんじゃダメだ」とガラッと意識改革をはじめました。
ちょうどこの1年生の時に慶応が日本一になり刺激を受けました。
慶応が練習で強くなるのを見て、俺らにも出来るんじゃないか!っていう話しになって慶応の練習を見に行ったり、メニューを盗んできて厳しい練習をすることになりガラッと雰囲気が変わったんですよ。そこから4勝したんです。
1年の時は俺達は才能ないからとか愚痴を言っている集団でして、2年になって1番変わったのは厳しい練習をして接戦に強くなったところです。
最後の最後で1年の時のチームは負けたんですよね。でも2年の時はあれだけ練習してきたんだからという自信から最後に接戦を制して4勝できて、その翌年には慶応に勝ったんですよ。
――8-6とかで勝ったそうですね?
長澤 そうそう!
――ある意味ロースコアのすごいゲームですね。
長澤 そういう組織の規律というか勝負強さがでましたね。3年、4年の時は明治にも勝とうと思ってみんなでやってましたしね!3年時の明治戦で私は骨折しましたけど。明治はすごかったですね~!」
――どこを骨折されたんですか?
長澤 右の腓骨を折ったんですけどね。試合中に。
――例の柔道で折られた所ですか?
長澤 そうです(笑)明治は強かったです。あの頃はね。なんていうか暴力的というか激しさが抜きん出てましたね。試合前は本当に怖かったです。
――引退となってしまった大学時代の最後の試合のことは覚えてますか?
長澤 4年の時の京大戦が最後で点差をつけて勝ったんです。そんなに引退っていう感じでもなかったですね。やっぱり3年の時の慶応戦が1番思い出に残ってますね。あれは本当に一生思い出すゲームです。」
ーー慶応にはそれまで1度も勝った事がなかったんですか?
長澤 この勝利は23年ぶりだったと思います!かなり昔に何勝かはしてたんですよ。 だからまさか勝つとは周りも思っていなかったし、俺も思っていなかったんですけどね。
ただいい勝負が出来るんではないかなって気はしてたんですよ。自分達と慶応の力を見比べて。
ファーストスクラムで我々が押したんですよ。三ツ沢競技場の観客がどよめきましたね。『お!東大が押したぞ!』みたいな。自分もビックリしたんですよ。 『あれ?押せたぞ!みたいな』 そして向こうが浮足立ったんですよ。
――あ~、ヤバイと!
長澤 まさにヤバイと。絶対に負けちゃならんって相手なわけじゃないですか。そういうプレッシャーもかかって、慶応はかなりイージーなペナルティゴールを2回外しました。雨も降ってたし、ラッキーもあったんですけれど、2回も外してくれてね(笑)
--運も味方にしたんですかね。
長澤 最後は異様な雰囲気でしたよ。『東大が勝つかもしれない』って。 向こうは顔が青ざめていて、こっちは「行け!行け!」みたいになっていて。 2点差なんだけどこっちは凄く楽しい感じでしたね。
――怖くなかったってことですか?
長澤 そうそう「もっとやっていたい!」って思いましたね。 慶応は完全に青ざめていましたよ。南アフリカと日本戦みたいな感じです。 あの時は南アフリカの選手が青ざめてたでしょ?「やっべー」って感じで。 そんな感じで慶応も「これヤバイぞ。」みたいな感じで。 ここで負けたら俺たちなんて言われるかというプレッシャーがかかっていたんでしょうね。
――20何年ぶりに負けたみたいな…。
長澤 あれがラグビー人生で1番の思い出です。
――負ける気がしなかったんですね。
長澤 途中からね。見事なトライが2本決まったもん。
――先制したんですか?
長澤 先制したと思います。綺麗なトライでした! 向こうはノートライでしたからね。ペナルティゴールが2本で。
――ベストマッチは3年生の時の慶応戦!
長澤 そうだね。4年の時は逆に期待されちゃって辛かったです。キャプテンを選ぶ時に私がキャプテンになれって言われたんですよ。上の代のキャプテンから。
私はビビっちゃって成績残せなかったらヤバイなって思って逃げちゃったんですよね。それが人生の最初の逃げっていうのかな。今までそういう事はなかったんだけど。
違う人をキャプテンにして私は副将みたいになって。 やっぱり自分がキャプテンをやっておくべきだったなって今になって思うんですけどね。
それだけプレッシャーがあったんですよ。その前の代の青山キャプテンの時にものすごい辛そうなキャプテンの姿を見てたんで。
あの役は嫌だなって思って。
――4年の時の成績はいかがでしたか?
長澤 結果的には4勝で終わったんです。 慶応には前半同点だったんですけどね。後半にちょっと力負けした感じで負けたんです。でも4勝越えだったんで東大としてはいい成績なんですよ。だから何とかそこで終わったんですけど。4年はどちらかというと辛いシーズン、3年の時は楽しかったですね。
――ラグビーは本当にポジションで個性が全然違いますよね?
長澤 全然違うんですよ!
――体格も違いますもんね。
長澤 それなりにタレントというか揃ってないと勝てないんですよ。1人スタープレーヤーがいても、平尾さんだけでは勝てないですからね。
スクラムもしっかりしてないと勝てないし、フランカーだっていないとダメだし。色んな個性が組み合わさってチームになるんで。それがラグビーの面白さじゃないですかね!サッカーよりさらに個性は際立っているかもしれないです。
――そうですね。サッカーだとちょっと似ている選手もいますしね。
長澤 フォワードとバックスがポジションを交換してとかあるじゃないですか。バックスの選手がフォワードになったりとか。
――そうですね、フォワードがセンターバックをやったりとか。そういう事はラグビーはなかなか無いですよね?
長澤 ないですねー!プロップは絶対にバックスはできない(笑) その変わりバックスの人間がプロップはできないですね、絶対にね。
――そうですよね。これは仕事でもそうですもんね!会社でも色んな人がいて成り立ってますもんね。
長澤 そうですね。プロップなんて縁の下の力持ちですからね。やっぱそういう人間が必要だってことも分かったし。
vol.3に続く http://king-gear.com/articles/390
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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――2年生になり後輩が出来てきて、彼らの指導をしたと思いますが、その経験は仕事をしてからのマネージメント経験にもやはり活きていますか?
長澤 そうですね。監督もOBの弁護士で、土日に来るだけなんでほとんど練習は自主的だったんですよ。後輩の管理もです。
1年生の時は残念ながら全敗して、最後は分裂状態でしたね。一橋大に勝っただけで後は全て負けて。フォワードとバックスがいがみ合っていました。
サッカーもそうかもしれないですけれど、フォワードとバックスの役割分担が明確だからよりラグビーの方がいがみ合うと思います。
バックスは「フォワードがいい球を出さないから前にいけない」と。片やフォワードは「いや、お前達が前に来ないから俺たちが前に行けない」と。お互いが。いがみ合うのを我々1年生は見てて、けっこう辞めちゃったんですよ。
大学生活に対して真面目な人間ほど辞めていきました。この部に4年間いたら大学時代は真っ暗だ!みたいな思いになってしまって。
残った人間達はのんきだったから、なんとかなるんじゃないかって残ってたんですけど。でも2年生になったらキャプテンが「こんなんじゃダメだ」とガラッと意識改革をはじめました。
ちょうどこの1年生の時に慶応が日本一になり刺激を受けました。
慶応が練習で強くなるのを見て、俺らにも出来るんじゃないか!っていう話しになって慶応の練習を見に行ったり、メニューを盗んできて厳しい練習をすることになりガラッと雰囲気が変わったんですよ。そこから4勝したんです。
1年の時は俺達は才能ないからとか愚痴を言っている集団でして、2年になって1番変わったのは厳しい練習をして接戦に強くなったところです。
最後の最後で1年の時のチームは負けたんですよね。でも2年の時はあれだけ練習してきたんだからという自信から最後に接戦を制して4勝できて、その翌年には慶応に勝ったんですよ。
――8-6とかで勝ったそうですね?
長澤 そうそう!
――ある意味ロースコアのすごいゲームですね。
長澤 そういう組織の規律というか勝負強さがでましたね。3年、4年の時は明治にも勝とうと思ってみんなでやってましたしね!3年時の明治戦で私は骨折しましたけど。明治はすごかったですね~!」
――どこを骨折されたんですか?
長澤 右の腓骨を折ったんですけどね。試合中に。
――例の柔道で折られた所ですか?
長澤 そうです(笑)明治は強かったです。あの頃はね。なんていうか暴力的というか激しさが抜きん出てましたね。試合前は本当に怖かったです。
――引退となってしまった大学時代の最後の試合のことは覚えてますか?
長澤 4年の時の京大戦が最後で点差をつけて勝ったんです。そんなに引退っていう感じでもなかったですね。やっぱり3年の時の慶応戦が1番思い出に残ってますね。あれは本当に一生思い出すゲームです。」
ーー慶応にはそれまで1度も勝った事がなかったんですか?
長澤 この勝利は23年ぶりだったと思います!かなり昔に何勝かはしてたんですよ。 だからまさか勝つとは周りも思っていなかったし、俺も思っていなかったんですけどね。
ただいい勝負が出来るんではないかなって気はしてたんですよ。自分達と慶応の力を見比べて。
ファーストスクラムで我々が押したんですよ。三ツ沢競技場の観客がどよめきましたね。『お!東大が押したぞ!』みたいな。自分もビックリしたんですよ。 『あれ?押せたぞ!みたいな』 そして向こうが浮足立ったんですよ。
――あ~、ヤバイと!
長澤 まさにヤバイと。絶対に負けちゃならんって相手なわけじゃないですか。そういうプレッシャーもかかって、慶応はかなりイージーなペナルティゴールを2回外しました。雨も降ってたし、ラッキーもあったんですけれど、2回も外してくれてね(笑)
--運も味方にしたんですかね。
長澤 最後は異様な雰囲気でしたよ。『東大が勝つかもしれない』って。 向こうは顔が青ざめていて、こっちは「行け!行け!」みたいになっていて。 2点差なんだけどこっちは凄く楽しい感じでしたね。
――怖くなかったってことですか?
長澤 そうそう「もっとやっていたい!」って思いましたね。 慶応は完全に青ざめていましたよ。南アフリカと日本戦みたいな感じです。 あの時は南アフリカの選手が青ざめてたでしょ?「やっべー」って感じで。 そんな感じで慶応も「これヤバイぞ。」みたいな感じで。 ここで負けたら俺たちなんて言われるかというプレッシャーがかかっていたんでしょうね。
――20何年ぶりに負けたみたいな…。
長澤 あれがラグビー人生で1番の思い出です。
――負ける気がしなかったんですね。
長澤 途中からね。見事なトライが2本決まったもん。
――先制したんですか?
長澤 先制したと思います。綺麗なトライでした! 向こうはノートライでしたからね。ペナルティゴールが2本で。
――ベストマッチは3年生の時の慶応戦!
長澤 そうだね。4年の時は逆に期待されちゃって辛かったです。キャプテンを選ぶ時に私がキャプテンになれって言われたんですよ。上の代のキャプテンから。
私はビビっちゃって成績残せなかったらヤバイなって思って逃げちゃったんですよね。それが人生の最初の逃げっていうのかな。今までそういう事はなかったんだけど。
違う人をキャプテンにして私は副将みたいになって。 やっぱり自分がキャプテンをやっておくべきだったなって今になって思うんですけどね。
それだけプレッシャーがあったんですよ。その前の代の青山キャプテンの時にものすごい辛そうなキャプテンの姿を見てたんで。
あの役は嫌だなって思って。
――4年の時の成績はいかがでしたか?
長澤 結果的には4勝で終わったんです。 慶応には前半同点だったんですけどね。後半にちょっと力負けした感じで負けたんです。でも4勝越えだったんで東大としてはいい成績なんですよ。だから何とかそこで終わったんですけど。4年はどちらかというと辛いシーズン、3年の時は楽しかったですね。
――ラグビーは本当にポジションで個性が全然違いますよね?
長澤 全然違うんですよ!
――体格も違いますもんね。
長澤 それなりにタレントというか揃ってないと勝てないんですよ。1人スタープレーヤーがいても、平尾さんだけでは勝てないですからね。
スクラムもしっかりしてないと勝てないし、フランカーだっていないとダメだし。色んな個性が組み合わさってチームになるんで。それがラグビーの面白さじゃないですかね!サッカーよりさらに個性は際立っているかもしれないです。
――そうですね。サッカーだとちょっと似ている選手もいますしね。
長澤 フォワードとバックスがポジションを交換してとかあるじゃないですか。バックスの選手がフォワードになったりとか。
――そうですね、フォワードがセンターバックをやったりとか。そういう事はラグビーはなかなか無いですよね?
長澤 ないですねー!プロップは絶対にバックスはできない(笑) その変わりバックスの人間がプロップはできないですね、絶対にね。
――そうですよね。これは仕事でもそうですもんね!会社でも色んな人がいて成り立ってますもんね。
長澤 そうですね。プロップなんて縁の下の力持ちですからね。やっぱそういう人間が必要だってことも分かったし。
vol.3に続く http://king-gear.com/articles/390
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