STORY OF CEO 第1回 長澤重俊(株式会社はくばく) Vol.3『驚きの提案!「チーム名をヴァンフォーレじゃなくて信玄’Sにしろ」 』
新企画はじめます。KING GEARには「スポーツの主役は選手だけではない」というポリシーがあります。スパイクの無い選手、グローブの無いキーパー、スポンサーの無いチームは選手がプレーできません。スポンサーにスポットライトをあてる企画を行うのは以上の理由からです。Vol.3では「ヴァンフォーレ甲府のサポートをはじめたきっかけ」などを聞かせて頂きました。
菊池 康平
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2017/06/30
<インタビュー第1回はこちら>
<インタビュー第2回はこちら>
――大学を卒業した後にラグビーは社会人でも3年くらい続けたんでしたっけ?
長澤 そうです!よく知ってますね(笑) 住友商事だったので商社リーグだったからそんなにレベルは高くはなかったんですけど、そこで面白かったのは色々な大学の人とプレーできた事ですね。早稲田は早稲田でやっぱりよく考えてたんだなって。住商に入って分かりましたよ。
――対戦していた当時の話しが聞けるのは面白いですね! ラグビーも住友商事さんも辞められた理由ってあるんですか?
長澤 飲み会で上司から「なんかお前の実家は仕事してるの?」って言われて、「ちょっとやってますよ」って言って。すると「大丈夫なのか?継がなくて」って言われまして。
「いつか継ぐかもしれないですけど、まだ大丈夫ですよ!うちの親父も元気ですから。」と回答したんですけどね。それが社会人2年目のカラオケ屋での出来事だったと思います。
しかしその上司が真面目な人で「ちゃんと1回家で相談してこい」って言われて、連休明けに部長同席の中、「一生勤めるのは難しいと思います。」って言ったら「そっか、分かった。」と。
その1年後くらいに「後任が決まった」と言われて、引き継ぎが始まっちゃいました(笑)もうちょっといてもいいんだけどな~と思いながら、でもしょうがないなって思ってそれで辞めることになりました(笑) 本当はね、海外駐在とかしたかったですけどね。
――そうですよね、商社の醍醐味ですもんね。ちょっと話がそれますけど、ヴァンフォーレ甲府を2001年からサポートされてますよね。サポートを始めたきっかけはなんですか?
長澤 ずっとラグビーをやってきたので、サッカーに対してあんまり興味はなかったんですよ。ヴァンフォーレの存在はもちろん知っていましたけれど、全然応援する気もなくてね。
2000年に経営危機になった時は関心はちょっとありましたが、大変だな~って他人事のように見てたんですよ。そしたら海野一幸さんがヴァンフォーレの社長になる事が決まったんですよ。
海野さんとは知り合いだったので、海野さんがヴァンフォーレの社長になった以上は何か応援しなきゃいけないなって、私自身にスイッチが入りました。それがきっかけです。
サッカーっていうよりは海野さんに対して何かしてあげないとマズいなっていうのがまずあったんですよ。そうは言っても調べてみたらヴァンフォーレは大変な経営状況だからスポンサーっていうのは最初考えてなかったんです。
その当時は我々もお金が潤沢にはなかったので、お金を出すにしても沈みゆく船に出すのは無駄金になっちゃうので、少しでも経営として良くなる所にお金を出すんだったら社員の理解も得られるかなっていうことを考えていました。
だから最初は「ブランドコンサルティング会社を紹介します!」っていう話を海野さんにしに行ったんですよ。
我々の会社のマークなどを作ってくれた会社がブランドコンサルティング会社とお付き合いがありまして。横浜ベイスターズって昔はオレンジと緑のユニホームの大洋ホエールズだったでしょ。べイスターズは縦縞のユニホームで横浜市民の球団になりましたよね。
あの時にブランドコンセプトを変えてユニフォームを作った会社だったんですよ。そういう仕事をされてたから、私は彼らの力を借りてヴァンフォーレのブランドをガラッと変えて、県民がもっと応援するチームに生まれ変われれば経営として成り立つのではないかと思って、その会社の社長を連れて行ったんです。
その人もプレゼンする為にJリーグの歴史やコンセプトなどをちゃんと準備をしていったんですよ。Jリーグのコンセプトは元々、企業色を排除して全国に地域が支えるチームを作るんだということなどを。
ヴァンフォーレこそクラブチームで元々立ち上がって、教員などのサッカーの好きな人達が集まってできたチームですから、Jリーグに所属できたこと自体が奇跡だったんですよ。
「そのチームを失ってはいけないんだ!」という県民の意識を集める為の仕組みを作りましょうという話になりました。
ただ最後に彼が言ったのは「チーム名をヴァンフォーレじゃなくて信玄’Sにしろ」って言ったんですよ(笑)
そばで聞いてて、ちょっとそれはないんじゃないかなって思ったけど、案の定、向こうもポカーンとしてました(笑)
それまでは乗ってたんですよ。「なるほど、なるほど」って言って。 最後にちょっとガクーンってなってましたね。シーズインのほぼ直前でしたからね。 流石に向こうもちょっとそれは難しいって(笑)
山梨の方々は武田信玄などが好きだから、信玄っていうのを全面的に出すべきだと。 ヴァンフォーレも風林だけどね。わかりにくいので信玄’Sにしろと(笑)
vol.4に続く 7月2日公開予定。
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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<インタビュー第2回はこちら>
――大学を卒業した後にラグビーは社会人でも3年くらい続けたんでしたっけ?
長澤 そうです!よく知ってますね(笑) 住友商事だったので商社リーグだったからそんなにレベルは高くはなかったんですけど、そこで面白かったのは色々な大学の人とプレーできた事ですね。早稲田は早稲田でやっぱりよく考えてたんだなって。住商に入って分かりましたよ。
――対戦していた当時の話しが聞けるのは面白いですね! ラグビーも住友商事さんも辞められた理由ってあるんですか?
長澤 飲み会で上司から「なんかお前の実家は仕事してるの?」って言われて、「ちょっとやってますよ」って言って。すると「大丈夫なのか?継がなくて」って言われまして。
「いつか継ぐかもしれないですけど、まだ大丈夫ですよ!うちの親父も元気ですから。」と回答したんですけどね。それが社会人2年目のカラオケ屋での出来事だったと思います。
しかしその上司が真面目な人で「ちゃんと1回家で相談してこい」って言われて、連休明けに部長同席の中、「一生勤めるのは難しいと思います。」って言ったら「そっか、分かった。」と。
その1年後くらいに「後任が決まった」と言われて、引き継ぎが始まっちゃいました(笑)もうちょっといてもいいんだけどな~と思いながら、でもしょうがないなって思ってそれで辞めることになりました(笑) 本当はね、海外駐在とかしたかったですけどね。
――そうですよね、商社の醍醐味ですもんね。ちょっと話がそれますけど、ヴァンフォーレ甲府を2001年からサポートされてますよね。サポートを始めたきっかけはなんですか?
長澤 ずっとラグビーをやってきたので、サッカーに対してあんまり興味はなかったんですよ。ヴァンフォーレの存在はもちろん知っていましたけれど、全然応援する気もなくてね。
2000年に経営危機になった時は関心はちょっとありましたが、大変だな~って他人事のように見てたんですよ。そしたら海野一幸さんがヴァンフォーレの社長になる事が決まったんですよ。
海野さんとは知り合いだったので、海野さんがヴァンフォーレの社長になった以上は何か応援しなきゃいけないなって、私自身にスイッチが入りました。それがきっかけです。
サッカーっていうよりは海野さんに対して何かしてあげないとマズいなっていうのがまずあったんですよ。そうは言っても調べてみたらヴァンフォーレは大変な経営状況だからスポンサーっていうのは最初考えてなかったんです。
その当時は我々もお金が潤沢にはなかったので、お金を出すにしても沈みゆく船に出すのは無駄金になっちゃうので、少しでも経営として良くなる所にお金を出すんだったら社員の理解も得られるかなっていうことを考えていました。
だから最初は「ブランドコンサルティング会社を紹介します!」っていう話を海野さんにしに行ったんですよ。
我々の会社のマークなどを作ってくれた会社がブランドコンサルティング会社とお付き合いがありまして。横浜ベイスターズって昔はオレンジと緑のユニホームの大洋ホエールズだったでしょ。べイスターズは縦縞のユニホームで横浜市民の球団になりましたよね。
あの時にブランドコンセプトを変えてユニフォームを作った会社だったんですよ。そういう仕事をされてたから、私は彼らの力を借りてヴァンフォーレのブランドをガラッと変えて、県民がもっと応援するチームに生まれ変われれば経営として成り立つのではないかと思って、その会社の社長を連れて行ったんです。
その人もプレゼンする為にJリーグの歴史やコンセプトなどをちゃんと準備をしていったんですよ。Jリーグのコンセプトは元々、企業色を排除して全国に地域が支えるチームを作るんだということなどを。
ヴァンフォーレこそクラブチームで元々立ち上がって、教員などのサッカーの好きな人達が集まってできたチームですから、Jリーグに所属できたこと自体が奇跡だったんですよ。
「そのチームを失ってはいけないんだ!」という県民の意識を集める為の仕組みを作りましょうという話になりました。
ただ最後に彼が言ったのは「チーム名をヴァンフォーレじゃなくて信玄’Sにしろ」って言ったんですよ(笑)
そばで聞いてて、ちょっとそれはないんじゃないかなって思ったけど、案の定、向こうもポカーンとしてました(笑)
それまでは乗ってたんですよ。「なるほど、なるほど」って言って。 最後にちょっとガクーンってなってましたね。シーズインのほぼ直前でしたからね。 流石に向こうもちょっとそれは難しいって(笑)
山梨の方々は武田信玄などが好きだから、信玄っていうのを全面的に出すべきだと。 ヴァンフォーレも風林だけどね。わかりにくいので信玄’Sにしろと(笑)
vol.4に続く 7月2日公開予定。
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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