香港・ベトナムで戦ってきた元Jリーガー 井手口正昭「Vol.1 突然の戦力外通告」
イングランドのリーズ・ユナイテッドに移籍した井手口陽介選手の兄である井手口正昭選手の経歴に目を引かれた。横浜FC⇒香港リーグ⇒ベトナムリーグという珍しい経歴だ。Vol.1では弟に対する想いや、ベトナムから帰国した理由などを聞いた。
菊池 康平
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2018/01/30
ーー今回はもちろん正昭さんの話ですけど、弟の井手口陽介選手が同じポジションのボランチで、プロ1年目から物怖じせずに活躍していたじゃないですか。昔から強い気持ちを持っていたんですかね?
井出口:あいつめっちゃ強いと思いますよ!物怖じしないというか。
ーー日本代表の試合の時もメンタルが強そうだなといつも感心して見ています。
井出口:負けん気も強いし、どんどん上の選手達に揉まれながらやるのが好きなタイプですね。
ーー弟は8歳年下で大分差があるじゃないですか。結構可愛がってたんじゃないですか?
井出口:可愛い存在ですね。今はお互いに歳を重ねて話しやすいですし。サッカーの話はあまりしないですけどね(笑)
――先日に弟の海外移籍が決まったじゃないですか。兄として、同じ選手としてどんな感情を持ちましたか?
井手口:素直に嬉しかったです!これから世界で活躍する選手になってほしいです。
ーーでは弟の話はいったんこれまでにして、正昭さんの話を聞かせてもらいます。今は海外から戻られFC大阪でプレーされてますが、昨年の半ばまでベトナムリーグで1年半に渡り活躍されてましたよね。チームが3連敗して流れが変わったみたいですね?
井手口:3連敗して通算4試合勝てなかったんですよ。それで一回スタメンを外されました。そこからチームが3連勝したんです。その後にスタメンへは戻ったんですけど、ポジションがセンターバックになりました。
ーー元々はボランチでしたよね?
井出口:はい。そしてハーフシーズン(前期)が終わったので、オフを利用して日本に帰ってきたんですよ。すると日本にいる時にチームから連絡がありました。「センターバックを補強するからもう大丈夫だよ」と。
ーー突然の戦力外通告ですね。
井出口:そうです。突然でしたので荷物がベトナムにありました。一度ベトナムに戻って、身体を動かしながら、新たなチームを見つける為にその足でタイに行きました。
ーーなるほど。その持参頂いたベトナムリーグで井手口さんが所属していたホアンアイン・ザライFCのユニホームはカッコいいですね!アーセナルと提携してアカデミーに力を入れているクラブみたいですね。
ーータイリーグへはシーズン途中での練習参加だったと思いますが、いかがでしたか?
井出口:契約の目前までいき、あとはサインするだけだったんですけど、メディカルチェックでダメで。帰国せざる終えなくなりました。
ーーそれはショッキングな出来事でしたね。差し支えなければ、何というチームなんですか?
井手口:スコータイです。タイの1部で確かプレミアに所属しています。当時は降格するかしないかみたいなチーム状況だったと思います。
ーー給料などの条件はベトナムの方がいいですか?
井出口:一緒くらいだと思います。タイの1部でプレーしている日本人選手の中では条件は低い方と聞きました。
ーーなるほど。僕もタイに2001年頃に練習参加していましたが、当時は確か多く貰っている選手でも月給2万バーツ(約6万円)くらいだった記憶があります。今は10倍くらい高くなってますよね。タイへはどのくらい滞在したんですか?
井出口:時を経てだいぶ変わったんですね!タイには約10日間いました。
ーー昨年の後半はタイから帰国して、地元のFC大阪に入りましたよね。井手口さんのルーツを聞きたいのですが、福岡出身ですよね?
井出口:福岡出身で大学が大阪でした。弟が中学に上がるタイミングで、母と一緒に福岡から大阪へ来ました。その時、僕は大学生だったので3人で住んでましたよ。
ーー高校は東福岡高校ですよね。当時スパイクは何を履いていたか覚えていますか?
井出口:ナイキだったような気がします。確かチームがナイキかアシックスと契約してました。同級生などみんなが、ナイキを履いてたのでナイキかなあと思い選びました。
ーー同級生でプロに行った人はいますか?
井出口:同世代では東福岡と阪南大学で一緒だった棚橋雄介さんですね。今はVONDS市原でプレーしています。大学卒業後に僕は横浜FCに行き、彼はカターレ富山に行きました。
ーー阪南大では何を履いていましたか?
井出口:阪南の時は、大学生でお金も無いので、安いやつを履いていた記憶があります。2年生の時からアドラーを履かせて頂くことになったんですよ!物品提供頂き、嬉しかったのを覚えています。2年生と3年生時にアドラーを履き、4年生になってからはアンブロを履いていました。
ーー大学生で物品提供をして頂けるのはありがたいですよね。
井出口:2年生ぐらいから大学の試合に出だしたんですけど、そのタイミングで頂きました。 4年生の時は関西学生選抜のチームに入り、メーカーがアンブロでしたのでアンブロから物品提供をしてもらえるんです。それからプロに入ってからもアンブロでした。
ーー昨年5月に日本代表に選ばれた加藤恒平選手とは関西選抜の時に一緒だったんですか?
井出口:関西学生選抜で一緒でしたね。あまり喋っては無かったですが(笑)今はブルガリアでプレーしてますよね。
ーーブルガリアで活躍して代表に入ったじゃないですか。海外でプレーして活躍したらチャンスあるなって思ったんじゃないですか?
井出口:そうですね!おそらく海外組の全員が勇気をもらったと思いますね。
Vol.2へ続く
井出口:あいつめっちゃ強いと思いますよ!物怖じしないというか。
ーー日本代表の試合の時もメンタルが強そうだなといつも感心して見ています。
井出口:負けん気も強いし、どんどん上の選手達に揉まれながらやるのが好きなタイプですね。
ーー弟は8歳年下で大分差があるじゃないですか。結構可愛がってたんじゃないですか?
井出口:可愛い存在ですね。今はお互いに歳を重ねて話しやすいですし。サッカーの話はあまりしないですけどね(笑)
――先日に弟の海外移籍が決まったじゃないですか。兄として、同じ選手としてどんな感情を持ちましたか?
井手口:素直に嬉しかったです!これから世界で活躍する選手になってほしいです。
ーーでは弟の話はいったんこれまでにして、正昭さんの話を聞かせてもらいます。今は海外から戻られFC大阪でプレーされてますが、昨年の半ばまでベトナムリーグで1年半に渡り活躍されてましたよね。チームが3連敗して流れが変わったみたいですね?
井手口:3連敗して通算4試合勝てなかったんですよ。それで一回スタメンを外されました。そこからチームが3連勝したんです。その後にスタメンへは戻ったんですけど、ポジションがセンターバックになりました。
ーー元々はボランチでしたよね?
井出口:はい。そしてハーフシーズン(前期)が終わったので、オフを利用して日本に帰ってきたんですよ。すると日本にいる時にチームから連絡がありました。「センターバックを補強するからもう大丈夫だよ」と。
ーー突然の戦力外通告ですね。
井出口:そうです。突然でしたので荷物がベトナムにありました。一度ベトナムに戻って、身体を動かしながら、新たなチームを見つける為にその足でタイに行きました。
ーーなるほど。その持参頂いたベトナムリーグで井手口さんが所属していたホアンアイン・ザライFCのユニホームはカッコいいですね!アーセナルと提携してアカデミーに力を入れているクラブみたいですね。
ーータイリーグへはシーズン途中での練習参加だったと思いますが、いかがでしたか?
井出口:契約の目前までいき、あとはサインするだけだったんですけど、メディカルチェックでダメで。帰国せざる終えなくなりました。
ーーそれはショッキングな出来事でしたね。差し支えなければ、何というチームなんですか?
井手口:スコータイです。タイの1部で確かプレミアに所属しています。当時は降格するかしないかみたいなチーム状況だったと思います。
ーー給料などの条件はベトナムの方がいいですか?
井出口:一緒くらいだと思います。タイの1部でプレーしている日本人選手の中では条件は低い方と聞きました。
ーーなるほど。僕もタイに2001年頃に練習参加していましたが、当時は確か多く貰っている選手でも月給2万バーツ(約6万円)くらいだった記憶があります。今は10倍くらい高くなってますよね。タイへはどのくらい滞在したんですか?
井出口:時を経てだいぶ変わったんですね!タイには約10日間いました。
ーー昨年の後半はタイから帰国して、地元のFC大阪に入りましたよね。井手口さんのルーツを聞きたいのですが、福岡出身ですよね?
井出口:福岡出身で大学が大阪でした。弟が中学に上がるタイミングで、母と一緒に福岡から大阪へ来ました。その時、僕は大学生だったので3人で住んでましたよ。
ーー高校は東福岡高校ですよね。当時スパイクは何を履いていたか覚えていますか?
井出口:ナイキだったような気がします。確かチームがナイキかアシックスと契約してました。同級生などみんなが、ナイキを履いてたのでナイキかなあと思い選びました。
ーー同級生でプロに行った人はいますか?
井出口:同世代では東福岡と阪南大学で一緒だった棚橋雄介さんですね。今はVONDS市原でプレーしています。大学卒業後に僕は横浜FCに行き、彼はカターレ富山に行きました。
ーー阪南大では何を履いていましたか?
井出口:阪南の時は、大学生でお金も無いので、安いやつを履いていた記憶があります。2年生の時からアドラーを履かせて頂くことになったんですよ!物品提供頂き、嬉しかったのを覚えています。2年生と3年生時にアドラーを履き、4年生になってからはアンブロを履いていました。
ーー大学生で物品提供をして頂けるのはありがたいですよね。
井出口:2年生ぐらいから大学の試合に出だしたんですけど、そのタイミングで頂きました。 4年生の時は関西学生選抜のチームに入り、メーカーがアンブロでしたのでアンブロから物品提供をしてもらえるんです。それからプロに入ってからもアンブロでした。
ーー昨年5月に日本代表に選ばれた加藤恒平選手とは関西選抜の時に一緒だったんですか?
井出口:関西学生選抜で一緒でしたね。あまり喋っては無かったですが(笑)今はブルガリアでプレーしてますよね。
ーーブルガリアで活躍して代表に入ったじゃないですか。海外でプレーして活躍したらチャンスあるなって思ったんじゃないですか?
井出口:そうですね!おそらく海外組の全員が勇気をもらったと思いますね。
Vol.2へ続く