棒高跳び日本記録保持者『澤野大地』が伝えたい想いvol.1「跳んでいる時やバーを越えた時が楽しい」
棒高跳び日本代表選手として3度のオリンピックに出場し、2016年のリオでは7位入賞を果たした日本記録保持者(5m83㎝)の澤野大地氏。現役の選手でありながら、日本大学で講師及び棒高跳びの指導者としても大活躍中の澤野氏に、棒高跳びを始めたきっかけや棒高跳びの魅力について熱く語っていただいた。
佐久間秀実
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2018/04/10
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――棒高跳びを始めたきっかけ
澤野:小学校の時から長距離を走るのが好きで、中学では陸上部に入って長距離を本格的に始めました。200mのインターバルとか、10㎞走とかをずっとやっていましたね。そんなに速くはなかったですが、走ることが楽しく好きでしたね。
当時、グラウンドの端っこにあるマットで、棒高跳びをやっている選手がいて、なんとなく「楽しそうだな」と思っていました。たまに棒高跳びのポールを借りて、校庭にある平均台をポールで渡ったり、砂場でポールを使って棒幅跳びしてみたりして遊んでいました。
中学1年生の夏、顧問の先生に「ちょっとお前、棒高跳びやってみないか」と誘われ始めたのがきっかけですね。単純に楽しそうだなと思っていたのが一番で、そこに顧問の後押しがあったのは大きかったです。
本格的に始めても遊びでやっていた頃とほとんど変わらなかったですね。砂場でポールを使ってなるべく遠くに跳んだり、台からマットに落ちる。そこから角度を作っていって上に跳ぶ感覚を覚えていくと、徐々に高く跳べるようになったという感じでした。
――陸上名門高校へ進学
澤野:中学3年の時に全国大会に出場し10位か11位でした。日本中学記録を更新して優勝した選手は筋肉質で背も高くて、ひょろひょろで力もなく足も遅い自分とは全然違いましたね。中学時代はトレーニングというトレーニングはほとんどせず、棒高跳びを遊びとして楽しむだけでした。
中学では全国大会まで経験し、「高校では棒高跳びで全国に出て優勝だ!」という想いが生まれました。それで近所にあった陸上の名門である成田高校へ進学しました。たまたま棒高跳びを誘ってくれた中学の顧問の岩井先生も成田高校の卒業生だったというのもあり、何かの
縁を感じましたね。
――高校で全国大会優勝
澤野:高校で陸上競技の専門的な練習をし始めてみると毎日が面白かったですね。肉体的にとんでもなくきつかったですけど、とにかく楽しかったです。走り方のドリルだったりとか、体力トレーニングだったり色々なことをやるわけですよ。周りの皆は中学校時代にトップでやってきている選手だったりするので、走るのは自分よりもはるかに速かったですね。部に入った当初、私は女子選手よりも足が遅かったので、一緒に走っても女子の背中を追いながら必死について行くのがやっとでしたが、毎日が本当に楽しかったです。
当時の私には筋力はなく走るのもそんなに速くありませんでしたが、練習に慣れてくると、ポールを上手く使って高く跳べるようになっていきましたね。インターハイでは2連覇をし、高校記録も2年次、3年次に2度更新しました。10年ほど残った高校記録ですね。記録は5m40でした。
――オリンピックを目指すようになって
澤野:小学生の時に「オリンピック選手になりたい」という夢がありましたが、オリンピックや棒高跳びがどういったものは知らなかったですよね。記憶にあるのはソウルオリンピックで柔道の田村亮子氏など多くの日本人選手たちが活躍する姿を見て、日本中がワー!と沸いている感じが凄いと思いました。それで、何かの競技でオリンピックに出たいと思っている頃に棒高跳びと出会って、全国大会とか出られるようになって、高校時代に全国でトップになると、「これでオリンピックに行きたい!」と思いました。
高校時代の滝田詔生先生は、室伏広治さんや増田明美さんを育てた方でありました。先生からグラウンドで「澤野お前な、あの2人(全国で1番2番の先輩たち)は5m30を目標にしてるけどお前は違うからな。5m40目指せ。世界目指さなきゃダメだ。」って言っていただいたんですよね。当時の記録はまだ5m22でしたが、不思議と納得することができて、5m40cmを視野に入れ始めるようになりました。
それでインターハイで高校新記録となる5m40を跳んで優勝した高校3年生の時、周りは「この先10年以上抜かれないだろう」「高校生が5m40跳ぶなんて」という反応でした。ただ、その時同時に行われていた世界ジュニア選手権の優勝記録が5m50位で、5m40だと3位くらいだったので、「このままでは銅メダルしか獲れないし、世界では勝てない」と思いましたね。
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――棒高跳びで一番楽しいと思う瞬間
澤野:跳んでいる時やバーを越えた時が楽しいですね。棒高跳びは高いところから落ちますが、でもその5m、6mのところからぽん落ちるのではなくて、いったん上に跳ばされてから落ちます。つまり、ポールを真上に投げたら一旦止まって落ちてくる「無重力空間」が一瞬あるんですよね。あの感覚が本当に飛んでいるみたいで楽しくて仕方ないですね。
試合会場の中で自分が1番高い所まで跳んで優勝して、お客さんが沢山いればいるほど一緒にその空間を楽しむことができます。歓声と一緒になって跳ぶことができるので凄く面白いですね。
――元世界記録保持者セルゲイ・ブブカについて
澤野:棒高跳びにおいては神様みたいな存在で、「鳥人」と呼ばれていましたし本当に凄い人です。以前一緒に試合をしたり、食事をしながら色んなお話をさせていただきました。彼は、とにかく「棒高跳びで勝つ」ことに執着していて、「棒高跳びで跳ぶ」ことを真剣に考えてやってきたんだなと感じています。あの跳躍を真似できる選手はほとんどいませんね。
vol.2へ続く
澤野大地 (さわの だいち)
~プロフィール~
棒高跳び選手(富士通所属) 日本大学スポーツ科学部講師
1980年生まれ 大阪府出身
出身校:印西中(千葉) 成田高(千葉) 日本大学
自己ベスト:5m83㎝(日本記録)
主な代表歴:オリンピック(16リオ、08北京、04アテネ)
世界選手権(13モスクワ、11テグ、09ベルリン、07大阪、05ヘルシンキ、03パリ)
取材協力/日本大学スポーツ科学部
写真提供/富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション
取材写真/佐久間秀実
――棒高跳びを始めたきっかけ
澤野:小学校の時から長距離を走るのが好きで、中学では陸上部に入って長距離を本格的に始めました。200mのインターバルとか、10㎞走とかをずっとやっていましたね。そんなに速くはなかったですが、走ることが楽しく好きでしたね。
当時、グラウンドの端っこにあるマットで、棒高跳びをやっている選手がいて、なんとなく「楽しそうだな」と思っていました。たまに棒高跳びのポールを借りて、校庭にある平均台をポールで渡ったり、砂場でポールを使って棒幅跳びしてみたりして遊んでいました。
中学1年生の夏、顧問の先生に「ちょっとお前、棒高跳びやってみないか」と誘われ始めたのがきっかけですね。単純に楽しそうだなと思っていたのが一番で、そこに顧問の後押しがあったのは大きかったです。
本格的に始めても遊びでやっていた頃とほとんど変わらなかったですね。砂場でポールを使ってなるべく遠くに跳んだり、台からマットに落ちる。そこから角度を作っていって上に跳ぶ感覚を覚えていくと、徐々に高く跳べるようになったという感じでした。
――陸上名門高校へ進学
澤野:中学3年の時に全国大会に出場し10位か11位でした。日本中学記録を更新して優勝した選手は筋肉質で背も高くて、ひょろひょろで力もなく足も遅い自分とは全然違いましたね。中学時代はトレーニングというトレーニングはほとんどせず、棒高跳びを遊びとして楽しむだけでした。
中学では全国大会まで経験し、「高校では棒高跳びで全国に出て優勝だ!」という想いが生まれました。それで近所にあった陸上の名門である成田高校へ進学しました。たまたま棒高跳びを誘ってくれた中学の顧問の岩井先生も成田高校の卒業生だったというのもあり、何かの
縁を感じましたね。
――高校で全国大会優勝
澤野:高校で陸上競技の専門的な練習をし始めてみると毎日が面白かったですね。肉体的にとんでもなくきつかったですけど、とにかく楽しかったです。走り方のドリルだったりとか、体力トレーニングだったり色々なことをやるわけですよ。周りの皆は中学校時代にトップでやってきている選手だったりするので、走るのは自分よりもはるかに速かったですね。部に入った当初、私は女子選手よりも足が遅かったので、一緒に走っても女子の背中を追いながら必死について行くのがやっとでしたが、毎日が本当に楽しかったです。
当時の私には筋力はなく走るのもそんなに速くありませんでしたが、練習に慣れてくると、ポールを上手く使って高く跳べるようになっていきましたね。インターハイでは2連覇をし、高校記録も2年次、3年次に2度更新しました。10年ほど残った高校記録ですね。記録は5m40でした。
――オリンピックを目指すようになって
澤野:小学生の時に「オリンピック選手になりたい」という夢がありましたが、オリンピックや棒高跳びがどういったものは知らなかったですよね。記憶にあるのはソウルオリンピックで柔道の田村亮子氏など多くの日本人選手たちが活躍する姿を見て、日本中がワー!と沸いている感じが凄いと思いました。それで、何かの競技でオリンピックに出たいと思っている頃に棒高跳びと出会って、全国大会とか出られるようになって、高校時代に全国でトップになると、「これでオリンピックに行きたい!」と思いました。
高校時代の滝田詔生先生は、室伏広治さんや増田明美さんを育てた方でありました。先生からグラウンドで「澤野お前な、あの2人(全国で1番2番の先輩たち)は5m30を目標にしてるけどお前は違うからな。5m40目指せ。世界目指さなきゃダメだ。」って言っていただいたんですよね。当時の記録はまだ5m22でしたが、不思議と納得することができて、5m40cmを視野に入れ始めるようになりました。
それでインターハイで高校新記録となる5m40を跳んで優勝した高校3年生の時、周りは「この先10年以上抜かれないだろう」「高校生が5m40跳ぶなんて」という反応でした。ただ、その時同時に行われていた世界ジュニア選手権の優勝記録が5m50位で、5m40だと3位くらいだったので、「このままでは銅メダルしか獲れないし、世界では勝てない」と思いましたね。
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――棒高跳びで一番楽しいと思う瞬間
澤野:跳んでいる時やバーを越えた時が楽しいですね。棒高跳びは高いところから落ちますが、でもその5m、6mのところからぽん落ちるのではなくて、いったん上に跳ばされてから落ちます。つまり、ポールを真上に投げたら一旦止まって落ちてくる「無重力空間」が一瞬あるんですよね。あの感覚が本当に飛んでいるみたいで楽しくて仕方ないですね。
試合会場の中で自分が1番高い所まで跳んで優勝して、お客さんが沢山いればいるほど一緒にその空間を楽しむことができます。歓声と一緒になって跳ぶことができるので凄く面白いですね。
――元世界記録保持者セルゲイ・ブブカについて
澤野:棒高跳びにおいては神様みたいな存在で、「鳥人」と呼ばれていましたし本当に凄い人です。以前一緒に試合をしたり、食事をしながら色んなお話をさせていただきました。彼は、とにかく「棒高跳びで勝つ」ことに執着していて、「棒高跳びで跳ぶ」ことを真剣に考えてやってきたんだなと感じています。あの跳躍を真似できる選手はほとんどいませんね。
vol.2へ続く
澤野大地 (さわの だいち)
~プロフィール~
棒高跳び選手(富士通所属) 日本大学スポーツ科学部講師
1980年生まれ 大阪府出身
出身校:印西中(千葉) 成田高(千葉) 日本大学
自己ベスト:5m83㎝(日本記録)
主な代表歴:オリンピック(16リオ、08北京、04アテネ)
世界選手権(13モスクワ、11テグ、09ベルリン、07大阪、05ヘルシンキ、03パリ)
取材協力/日本大学スポーツ科学部
写真提供/富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション
取材写真/佐久間秀実