平昌五輪メダリストたちが語る、ファンへの感謝と新たな決意Vol.2【日本代表帰国報告会〜スノーボード選手編〜】
東京・六本木の東京ミッドタウンにて開催された平昌五輪の日本代表選手団による帰国報告会。日本を熱く盛り上げたメダリストたちが、一般観衆約5000人を前に五輪に対する想いと、ファンへの感謝を口にした。今回のVol.2では、男子ハーフパイプで2大会連続の銀メダルを獲得した平野歩夢選手らスノーボード選手団のインタビューをお届けする。
佐藤 主祥
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2018/03/12
<Vol.1はこちら>
平昌五輪第6日目の2月14日に行われたスノーボード男子ハーフパイプ決勝。2014年のソチ五輪で銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、2本目に五輪史上初の「ダブルコーク1440」の4回転を連続で決めて95.25点の高得点をたたき出したが、最後の3本目に97.75点を出した“絶対王者”ショーン・ホワイトに逆転を許した。
しかし、平野自身「楽しかった。今までで一番の大会だった」と話すように、今ある力を全て出し切った大会となった。
この2人の激闘は、間違いなく五輪のスノーボード史上最高レベルの戦いとなっただろう。
そんなハイレベルなパフォーマンスを披露した平野選手だが、ここに至るまでは決して順調な道のりではなかった。
昨年3月の大会で「ダブルコーク1440」に挑むも転倒し、左膝の内側側副じん帯損傷に加えて肝臓を損傷するほど腹部を強打。選手生命を脅かす大怪我を負い、約2ヶ月にも及ぶリハビリ生活が続いた。
これほど長い期間競技から離れることになれば、翌年の五輪に最高のコンディションで臨むのは難しくなる。
それでも平野選手は懸命なリハビリを重ね、5月に練習を再開。怪我をしてから左膝の痛みが完全になくなるまでに5ヶ月を要した。
そして9月のシーズン開幕戦から徐々に実戦を重ね、12月のW杯では怪我をして以降、初めて4回転を成功させて優勝。さらに五輪シーズンとなる2018年1月の「ウインターXゲーム」では史上初の4回転の連続技を成功させるなど、完全復活どころかそれ以上の進化した姿を見せていた。
表彰台の頂点に立つことは叶わなかったが、大怪我を乗り越えての銀メダルは、4年前以上に重く、様々な想いの詰まったメダルとなったはずだ。
そんな五輪に対する想いを日本代表の応援団長・松岡修造さんが聞いてみると、平野選手らしくゆっくりとした口調で答えていった。
松岡:ハーフパイプの決勝は僕も見てましたが、銀メダルという結果には悔しさはあるけど、ベストのパフォーマンスを出せたことは本当にすごいと思うんです。歩夢さん、今回の五輪を振り返ってみていかがですか?
平野:2大会連続でメダルを取れたので、そういう部分では今まで練習をやってきて良かったと思いますね。
松岡:ただ、失礼だと思いますが、歩夢さんは4年前のインタビューではほとんど喋ることができませんでした。それを踏まえると、アスリートとしても、一人の人間としてもすごく成長した4年間だと思うんですよ。2度の五輪を通して、自分自身どう変わってきたと思われます?
平野:前回の五輪以降、本当にやりたくないことに挑戦して、それを乗り越えていくことで自分自身変わっていくことができたのかなと思います。ただ、この4年間は楽しいことより嫌なことの方が多かったですね。
松岡:嫌なことが多かった?おい、子供たち聞いたか!?夢を叶えるためには楽しいことだけじゃダメなんだ。やはり、ここまで来るのに苦労してきた歩夢さんの言葉っていうのは、みんなに勇気を与えてくれますね。では最後に、いろんな夢を追っている人たちに向けて一言いただけますか?
平野:はい。スノーボードじゃなくてもいいですし、スポーツじゃなくてもいいんですけど、それぞれ目標を大きく持ってもらいたいです。夢に向かって努力することに年齢は関係ありません。なので、一人ひとり何か夢や目標を持ってもらいたい、そういう想いです。
それは、15歳で銀メダルを獲得したことによる周りからのプレッシャーや、大怪我を乗り越えた平野選手だからこその言葉だった。
常に夢や目標を掲げることで、怪我による不安や恐怖にも打ち勝つことができることを、平野選手は証明してみせた。
次の4年間で、一体どんな成長をみせてくれるのだろうか。
続いてインタビューに答えたのは、今回の五輪から採用となった新種目スノーボード女子ビッグエアの岩渕麗楽選手。今回の日本選手団で女子最年少の16歳で挑んだ初の五輪は、147.50点でメダルまであと一歩の4位入賞だった。
競技終了後には「悔しい気持ちでいっぱいです」と唇をかんだ岩渕選手だったが、改めて今回の五輪について問うと、既に4年後を見据えて気持ちを切り替えていた。
松岡:麗楽さんの名前にも「楽」という字がありますけど、楽しく競技に臨みたいと話していました。実際に五輪で滑ってみて、いかがでしたか?
岩渕:やはり結果も大事だと思うんですけど、私はそれ以前に五輪という舞台をすごく楽しんで滑ることができたので、良かったなと思います。
松岡:麗楽さんは五輪を楽しむとともに、五輪という舞台に対してどういうことを感じました?
岩渕:一番感じたことは、今までの出場してきた大会よりもすごくレベルが高かったということです。収穫としては、その高いレベルの試合に「自分もついていかなきゃ!」と思って臨むことで、自分自身の限界に近づけたことが良かったなと思います。
松岡:限界に近づけたことで、何か得るものはありましたか?
岩渕:五輪を経験することで、自分のやりたいことを色々見つけることができました。今後は、その見つけたことを一つずつ達成できるようにしていきたいと思います。
松岡:麗楽さんは16歳とお若いですが、同じ若い世代に対して、夢を追っていってほしいという想いを一言お願いします。
岩渕:はい。何か夢を見つけて、それに向かって頑張れば楽しいこともたくさんあるので、みなさんも色々チャレンジしてほしいと思います。▼JOC - 日本オリンピック委員会
https://www.joc.or.jp/
平昌五輪第6日目の2月14日に行われたスノーボード男子ハーフパイプ決勝。2014年のソチ五輪で銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、2本目に五輪史上初の「ダブルコーク1440」の4回転を連続で決めて95.25点の高得点をたたき出したが、最後の3本目に97.75点を出した“絶対王者”ショーン・ホワイトに逆転を許した。
しかし、平野自身「楽しかった。今までで一番の大会だった」と話すように、今ある力を全て出し切った大会となった。
この2人の激闘は、間違いなく五輪のスノーボード史上最高レベルの戦いとなっただろう。
そんなハイレベルなパフォーマンスを披露した平野選手だが、ここに至るまでは決して順調な道のりではなかった。
昨年3月の大会で「ダブルコーク1440」に挑むも転倒し、左膝の内側側副じん帯損傷に加えて肝臓を損傷するほど腹部を強打。選手生命を脅かす大怪我を負い、約2ヶ月にも及ぶリハビリ生活が続いた。
これほど長い期間競技から離れることになれば、翌年の五輪に最高のコンディションで臨むのは難しくなる。
それでも平野選手は懸命なリハビリを重ね、5月に練習を再開。怪我をしてから左膝の痛みが完全になくなるまでに5ヶ月を要した。
そして9月のシーズン開幕戦から徐々に実戦を重ね、12月のW杯では怪我をして以降、初めて4回転を成功させて優勝。さらに五輪シーズンとなる2018年1月の「ウインターXゲーム」では史上初の4回転の連続技を成功させるなど、完全復活どころかそれ以上の進化した姿を見せていた。
表彰台の頂点に立つことは叶わなかったが、大怪我を乗り越えての銀メダルは、4年前以上に重く、様々な想いの詰まったメダルとなったはずだ。
そんな五輪に対する想いを日本代表の応援団長・松岡修造さんが聞いてみると、平野選手らしくゆっくりとした口調で答えていった。
松岡:ハーフパイプの決勝は僕も見てましたが、銀メダルという結果には悔しさはあるけど、ベストのパフォーマンスを出せたことは本当にすごいと思うんです。歩夢さん、今回の五輪を振り返ってみていかがですか?
平野:2大会連続でメダルを取れたので、そういう部分では今まで練習をやってきて良かったと思いますね。
松岡:ただ、失礼だと思いますが、歩夢さんは4年前のインタビューではほとんど喋ることができませんでした。それを踏まえると、アスリートとしても、一人の人間としてもすごく成長した4年間だと思うんですよ。2度の五輪を通して、自分自身どう変わってきたと思われます?
平野:前回の五輪以降、本当にやりたくないことに挑戦して、それを乗り越えていくことで自分自身変わっていくことができたのかなと思います。ただ、この4年間は楽しいことより嫌なことの方が多かったですね。
松岡:嫌なことが多かった?おい、子供たち聞いたか!?夢を叶えるためには楽しいことだけじゃダメなんだ。やはり、ここまで来るのに苦労してきた歩夢さんの言葉っていうのは、みんなに勇気を与えてくれますね。では最後に、いろんな夢を追っている人たちに向けて一言いただけますか?
平野:はい。スノーボードじゃなくてもいいですし、スポーツじゃなくてもいいんですけど、それぞれ目標を大きく持ってもらいたいです。夢に向かって努力することに年齢は関係ありません。なので、一人ひとり何か夢や目標を持ってもらいたい、そういう想いです。
それは、15歳で銀メダルを獲得したことによる周りからのプレッシャーや、大怪我を乗り越えた平野選手だからこその言葉だった。
常に夢や目標を掲げることで、怪我による不安や恐怖にも打ち勝つことができることを、平野選手は証明してみせた。
次の4年間で、一体どんな成長をみせてくれるのだろうか。
続いてインタビューに答えたのは、今回の五輪から採用となった新種目スノーボード女子ビッグエアの岩渕麗楽選手。今回の日本選手団で女子最年少の16歳で挑んだ初の五輪は、147.50点でメダルまであと一歩の4位入賞だった。
競技終了後には「悔しい気持ちでいっぱいです」と唇をかんだ岩渕選手だったが、改めて今回の五輪について問うと、既に4年後を見据えて気持ちを切り替えていた。
松岡:麗楽さんの名前にも「楽」という字がありますけど、楽しく競技に臨みたいと話していました。実際に五輪で滑ってみて、いかがでしたか?
岩渕:やはり結果も大事だと思うんですけど、私はそれ以前に五輪という舞台をすごく楽しんで滑ることができたので、良かったなと思います。
松岡:麗楽さんは五輪を楽しむとともに、五輪という舞台に対してどういうことを感じました?
岩渕:一番感じたことは、今までの出場してきた大会よりもすごくレベルが高かったということです。収穫としては、その高いレベルの試合に「自分もついていかなきゃ!」と思って臨むことで、自分自身の限界に近づけたことが良かったなと思います。
松岡:限界に近づけたことで、何か得るものはありましたか?
岩渕:五輪を経験することで、自分のやりたいことを色々見つけることができました。今後は、その見つけたことを一つずつ達成できるようにしていきたいと思います。
松岡:麗楽さんは16歳とお若いですが、同じ若い世代に対して、夢を追っていってほしいという想いを一言お願いします。
岩渕:はい。何か夢を見つけて、それに向かって頑張れば楽しいこともたくさんあるので、みなさんも色々チャレンジしてほしいと思います。▼JOC - 日本オリンピック委員会
https://www.joc.or.jp/