平昌五輪メダリストたちが語る、ファンへの感謝と新たな決意Vol.5【日本代表帰国報告会〜フィギュアスケート選手編〜】
平昌五輪の日本代表選手団による帰国報告会が東京・六本木の東京ミッドタウンで行われ、日本中を感動の渦に巻き込んだメダリストたちが、熱戦が繰り広げられた今大会を振り返った。最後となるVol.5では、多くの競技の中でも、その演技で特に世界を沸かせたフィギュアスケート選手団のインタビューをお届けする。最後に登場した羽生結弦選手の言葉には、五輪2連覇に懸けた想いの全てが詰まっていた。
佐藤 主祥
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2018/03/31
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これほど期待に応えてくれる選手が他にいるだろうか。
平昌五輪フィギュアスケート男子で、日本の羽生結弦選手は得点合計317.85点で2014年のソチ五輪に続く2大会連続の金メダルを獲得。男子フィギュアとしては66年ぶりの快挙を成し遂げた。
ただ、忘れていけないのが、昨年の11月に行われたNHK杯前日の公式練習。羽生選手は、挑んだ4ルッツの着氷で右足を変な角度でつき、バランスを崩して開脚に近い状態で転倒した。
その翌日、発表された診断名は「右足関節外側靭帯損傷」。
全治およそ4~5週間と診断され、約3カ月間、公の場に出ることはなかった。
23歳という若さなら、このまま出場を辞退しても、彼の実力なら次の大会に出られる可能性は十分ある。ファンとしても、もっともっと長く競技で滑る姿を見ることができる。
それでも羽生選手は、ケガを押して平昌五輪への出場を決めた。
もちろん彼自身の「やりたい」「勝ちたい」気持ちもあるが、それ以上に「みんなの期待に応えたい」という思いが人一倍大きかったのだ。
「羽生結弦ならやってくれる」
ぶっつけ本番で臨む五輪でも、そんな期待を寄せる声は多かった。
そして、本当に日本中の期待に応えてくれた。
今思えば、NHK杯でのケガも金メダルへの前触れだったように見えてしまう。
それほど劇的な演技で、ものすごいドラマだった。
平昌五輪の男子フィギュアスケートにおいて、この選手も忘れてはいけない。得点合計306.90点で、銀メダルを掴み取った宇野昌磨選手だ。
ショートプログラム(SP)で104.17点と100点越えで3位につけ、翌日のフリースケーティング(FS)の最終滑走で登場した宇野選手。
立ち上がりの4回転ループで転倒するも、次の4回転フリップ、その後の自らが世界で初めて成功させた4回転フリップを跳び、すぐさま立ち直りを見せた。
後半もトリプルアクセル、4回転トウループのコンビネーションジャンプなど全てのジャンプを成功させ、五輪という大舞台でも物怖じしないメンタルを見せつけた。
フィギュアスケート選手団ではじめにインタビューを受けた宇野選手は、日本代表の応援団長・松岡修造さんの質問にもマイペースに答えていった。
松岡:昌磨さんは、五輪を「他の試合と違いを感じない」と仰っていました。でも実際に五輪で滑って、たくさんの方々が応援してくれました。今率直にどう感じていますか?
宇野:自分の演技がこれだけの方に見ていただけたのかと思うと、すごく嬉しいです。
松岡:多分、昌磨さん自身が一番気づいてないと思うんです。五輪銀メダルですよ!?すごいことなんですよ!自分でどう捉えていますか?
宇野:あまり実感がないっていうのが正直なところなんですけれども。皆さんがそうやって言っていただけるだけで、すごく嬉しいです。
松岡:でも、これが昌磨さんの強さだと思うんですよ。何があっても前に向かって行ける。五輪を通してどんなことに気づきました?
宇野:どの試合でも、どんな状態でも、僕が今までやってきたことを全力でやるっていうことが間違っていなかった。それで、最後のゴールを考えるんじゃなくて、自分は常に100%でい続けるっていうことが正解だったんだなって思いました。本当にありがとうございます。
続いてインタビューに答えたのは、フィギュアスケート女子で4位に入賞した宮原知子選手。
表彰台にはあと一歩届かなかったものの、憧れの舞台で得点合計222.38点と自己ベストを更新して見せた。
だが、宮原選手もここまで順風満帆で来たわけではない。
昨年1月に左股関節の疲労骨折が判明し、1年間通して苦しいシーズンを送った。
それでも、周りから「努力の天才」と呼ばれているように、懸命なリハビリを重ね、同年12月の全日本選手権で4連覇を果たすまでに回復。
氷上の「ミスパーフェクト」が、ケガを乗り越え見事な復活を果たした。
そして、努力で勝ち取った五輪の舞台について聞いてみると、宮原選手らしく一言ずつ丁寧に返していった。
松岡:演技が終わって、「自己ベスト出したよ!おめでとう!」って周りが喜んでいる中で、僕が一番嬉しかったのは「悔しかった」って言ってくれたこと。何故そう感じたのでしょうか?
宮原:自分の自己ベストを出せたにもかかわらず、表彰台には一歩届かなかったので、やはりまだまだやることはあるなと感じたからです。
松岡:僕はこれ以上努力できる人はいないと思ってた。でも知子さんは、これ以上の努力を積み重ねていくんだと思います。自分の中で、今後の目標としては今どんなものが見えてます?
宮原:もっとスケートを自分の理想に近づけるように頑張りたいです。
松岡:知子さんの言葉や行動によって、人には限界のない可能性があるっていうことを感じたんです。最後に、たくさんの人たち見てると思うので、努力をすることで可能性が広がる。そういう想いを伝えてあげてください。
宮原:はい。自分を信じて、「必ずできる」って思いながら頑張り続ければ絶対大丈夫だと思います。自分自身も、そういう気持ちを心にずっと留めて頑張っていきたいです。
そして最後に登場したのは、羽生結弦選手。
金メダルを嬉しそうに握りしめながら、笑顔でマイクを受け取った。
松岡さんが、強行出場してまで臨んだ五輪について聞くと、自身2連覇がかかる五輪に対する想いは並々ならぬものがあった。
松岡:日本に帰国して、たくさんのファンの方々がこうやって出迎えてくれました。率直に、今どんな想いですか?
羽生:すごい嬉しいですね。こうやって外でインタビューされることがあまりないですし、フラッシュもすごいですし(笑)。でも五輪と違って、皆さんの顔も近くで見れるので、それもすごく嬉しいです。
松岡:「絶対勝ちたい」と仰っていましたけど、どんなことがあっても今回は勝たなきゃいけないってプレッシャーもあったと思うんです。そう考えると、今回の五輪は苦しかった部分が多かったのではないでしょうか?
羽生:苦しかったというよりも、本当に自分がやってきたことを信じて、そして今やっていることを信じてやる。それだけでした。もう苦しさとか不安とか、逆にワクワクとかそういうのもなしに。ひたすら集中できていたと思います。
松岡:なるほど。では、日本の旗が上がった瞬間はどういう気持ちになりました?
羽生:もちろん現地の方々も、世界中の方々もたくさんいたんですけれども、やはりすごく力になりました。「日本代表としてここまで頑張ってきてよかったな」と。そして「ここから頑張るんだ」っていう気持ちにはすごくなりましたね。
松岡:でも正直、羽生さんちょっと休んだ方がいいんじゃないかなって思ってました。無理して出ていたのはよ〜く分かるんですよ。
羽生:まぁ靭帯だけだったらすぐ治ったかなって思うんですけど、もう本当にいろんなところ痛めすぎて(笑)。逆にどこ痛めたかも分からないくらいなので、もうちょっと休みたいなという気持ちはあります。ただ、休むといっても治療ってそんなに簡単なものじゃないですし、リハビリも大変なものになると思うので。またそれも苦しみながら…うん、頑張ります(笑)
松岡:ただ、五輪じゃなかったら、もしかしたら出場してなかったかもしれない。それぐらいの状態だったと思うんです。そんなケガを乗り越えて金メダルを獲得した。今、日本の皆さんに何を一番伝えたいですか?
羽生:スケート人生だけじゃなくて、これまでの人生全てを懸けた結果がこの金メダルだと思ってるので。やはりこうやって皆さんに、自分の人生を懸けた分喜んでくださってるのがすごく嬉しいです。また、その喜びが自分の喜びにもなってるので、「本当にありがとう」という言葉を一番伝えたいですね。
松岡:今まで周りに対して「ありがとう」「幸せです」って言ってますけど、羽生さん自身にも「おめでとう」って褒めてあげてほしいんですよ。自分にかける言葉があるとしたら、どういう言葉でしょうか?
羽生:何か言葉をかけようとは、今はまだ思っていません。でも、五輪で2連覇したことは、誇りにして生きていきたいと思っています。将来、自分がいろんな仕事に就いた時に、この「五輪2連覇」という肩書きはすごく大きなものになるし、説得力も増すと思うので。
松岡:五輪は本当に素晴らしいものだということを、羽生さんの演技を通して思いました。羽生さんにって、五輪という舞台はどのようなものなんでしょうか。
羽生:僕の人生そのものです。だから全てを懸けました。
松岡:人生を懸けられる。それぐらい素晴らしい場所なんですね。
羽生:そうですね。足の状態がどうであれ、気持ちがどうであれ、心臓がどうであれ、全てを懸けないと勝ち切れないっていうのは分かっていましたし。それを勝ち取ったこともまた、自分の人生なんです。そんな僕の人生の全てが、五輪で演技をするためにあったんだなと思いますね。
松岡:では最後に、日本中のファンへ一言お願いします。
羽生:金メダルありがとうございました。またこれからも、フィギュアスケートのみならず、いろんなスポーツで、いろんな方が気持ちを込めて競技すると思います。是非、応援してください。本当にありがとうございました。(了)
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ただ、忘れていけないのが、昨年の11月に行われたNHK杯前日の公式練習。羽生選手は、挑んだ4ルッツの着氷で右足を変な角度でつき、バランスを崩して開脚に近い状態で転倒した。
その翌日、発表された診断名は「右足関節外側靭帯損傷」。
全治およそ4~5週間と診断され、約3カ月間、公の場に出ることはなかった。
23歳という若さなら、このまま出場を辞退しても、彼の実力なら次の大会に出られる可能性は十分ある。ファンとしても、もっともっと長く競技で滑る姿を見ることができる。
それでも羽生選手は、ケガを押して平昌五輪への出場を決めた。
もちろん彼自身の「やりたい」「勝ちたい」気持ちもあるが、それ以上に「みんなの期待に応えたい」という思いが人一倍大きかったのだ。
「羽生結弦ならやってくれる」
ぶっつけ本番で臨む五輪でも、そんな期待を寄せる声は多かった。
そして、本当に日本中の期待に応えてくれた。
今思えば、NHK杯でのケガも金メダルへの前触れだったように見えてしまう。
それほど劇的な演技で、ものすごいドラマだった。
平昌五輪の男子フィギュアスケートにおいて、この選手も忘れてはいけない。得点合計306.90点で、銀メダルを掴み取った宇野昌磨選手だ。
ショートプログラム(SP)で104.17点と100点越えで3位につけ、翌日のフリースケーティング(FS)の最終滑走で登場した宇野選手。
立ち上がりの4回転ループで転倒するも、次の4回転フリップ、その後の自らが世界で初めて成功させた4回転フリップを跳び、すぐさま立ち直りを見せた。
後半もトリプルアクセル、4回転トウループのコンビネーションジャンプなど全てのジャンプを成功させ、五輪という大舞台でも物怖じしないメンタルを見せつけた。
フィギュアスケート選手団ではじめにインタビューを受けた宇野選手は、日本代表の応援団長・松岡修造さんの質問にもマイペースに答えていった。
松岡:昌磨さんは、五輪を「他の試合と違いを感じない」と仰っていました。でも実際に五輪で滑って、たくさんの方々が応援してくれました。今率直にどう感じていますか?
宇野:自分の演技がこれだけの方に見ていただけたのかと思うと、すごく嬉しいです。
松岡:多分、昌磨さん自身が一番気づいてないと思うんです。五輪銀メダルですよ!?すごいことなんですよ!自分でどう捉えていますか?
宇野:あまり実感がないっていうのが正直なところなんですけれども。皆さんがそうやって言っていただけるだけで、すごく嬉しいです。
松岡:でも、これが昌磨さんの強さだと思うんですよ。何があっても前に向かって行ける。五輪を通してどんなことに気づきました?
宇野:どの試合でも、どんな状態でも、僕が今までやってきたことを全力でやるっていうことが間違っていなかった。それで、最後のゴールを考えるんじゃなくて、自分は常に100%でい続けるっていうことが正解だったんだなって思いました。本当にありがとうございます。
続いてインタビューに答えたのは、フィギュアスケート女子で4位に入賞した宮原知子選手。
表彰台にはあと一歩届かなかったものの、憧れの舞台で得点合計222.38点と自己ベストを更新して見せた。
だが、宮原選手もここまで順風満帆で来たわけではない。
昨年1月に左股関節の疲労骨折が判明し、1年間通して苦しいシーズンを送った。
それでも、周りから「努力の天才」と呼ばれているように、懸命なリハビリを重ね、同年12月の全日本選手権で4連覇を果たすまでに回復。
氷上の「ミスパーフェクト」が、ケガを乗り越え見事な復活を果たした。
そして、努力で勝ち取った五輪の舞台について聞いてみると、宮原選手らしく一言ずつ丁寧に返していった。
松岡:演技が終わって、「自己ベスト出したよ!おめでとう!」って周りが喜んでいる中で、僕が一番嬉しかったのは「悔しかった」って言ってくれたこと。何故そう感じたのでしょうか?
宮原:自分の自己ベストを出せたにもかかわらず、表彰台には一歩届かなかったので、やはりまだまだやることはあるなと感じたからです。
松岡:僕はこれ以上努力できる人はいないと思ってた。でも知子さんは、これ以上の努力を積み重ねていくんだと思います。自分の中で、今後の目標としては今どんなものが見えてます?
宮原:もっとスケートを自分の理想に近づけるように頑張りたいです。
松岡:知子さんの言葉や行動によって、人には限界のない可能性があるっていうことを感じたんです。最後に、たくさんの人たち見てると思うので、努力をすることで可能性が広がる。そういう想いを伝えてあげてください。
宮原:はい。自分を信じて、「必ずできる」って思いながら頑張り続ければ絶対大丈夫だと思います。自分自身も、そういう気持ちを心にずっと留めて頑張っていきたいです。
そして最後に登場したのは、羽生結弦選手。
金メダルを嬉しそうに握りしめながら、笑顔でマイクを受け取った。
松岡さんが、強行出場してまで臨んだ五輪について聞くと、自身2連覇がかかる五輪に対する想いは並々ならぬものがあった。
松岡:日本に帰国して、たくさんのファンの方々がこうやって出迎えてくれました。率直に、今どんな想いですか?
羽生:すごい嬉しいですね。こうやって外でインタビューされることがあまりないですし、フラッシュもすごいですし(笑)。でも五輪と違って、皆さんの顔も近くで見れるので、それもすごく嬉しいです。
松岡:「絶対勝ちたい」と仰っていましたけど、どんなことがあっても今回は勝たなきゃいけないってプレッシャーもあったと思うんです。そう考えると、今回の五輪は苦しかった部分が多かったのではないでしょうか?
羽生:苦しかったというよりも、本当に自分がやってきたことを信じて、そして今やっていることを信じてやる。それだけでした。もう苦しさとか不安とか、逆にワクワクとかそういうのもなしに。ひたすら集中できていたと思います。
松岡:なるほど。では、日本の旗が上がった瞬間はどういう気持ちになりました?
羽生:もちろん現地の方々も、世界中の方々もたくさんいたんですけれども、やはりすごく力になりました。「日本代表としてここまで頑張ってきてよかったな」と。そして「ここから頑張るんだ」っていう気持ちにはすごくなりましたね。
松岡:でも正直、羽生さんちょっと休んだ方がいいんじゃないかなって思ってました。無理して出ていたのはよ〜く分かるんですよ。
羽生:まぁ靭帯だけだったらすぐ治ったかなって思うんですけど、もう本当にいろんなところ痛めすぎて(笑)。逆にどこ痛めたかも分からないくらいなので、もうちょっと休みたいなという気持ちはあります。ただ、休むといっても治療ってそんなに簡単なものじゃないですし、リハビリも大変なものになると思うので。またそれも苦しみながら…うん、頑張ります(笑)
松岡:ただ、五輪じゃなかったら、もしかしたら出場してなかったかもしれない。それぐらいの状態だったと思うんです。そんなケガを乗り越えて金メダルを獲得した。今、日本の皆さんに何を一番伝えたいですか?
羽生:スケート人生だけじゃなくて、これまでの人生全てを懸けた結果がこの金メダルだと思ってるので。やはりこうやって皆さんに、自分の人生を懸けた分喜んでくださってるのがすごく嬉しいです。また、その喜びが自分の喜びにもなってるので、「本当にありがとう」という言葉を一番伝えたいですね。
松岡:今まで周りに対して「ありがとう」「幸せです」って言ってますけど、羽生さん自身にも「おめでとう」って褒めてあげてほしいんですよ。自分にかける言葉があるとしたら、どういう言葉でしょうか?
羽生:何か言葉をかけようとは、今はまだ思っていません。でも、五輪で2連覇したことは、誇りにして生きていきたいと思っています。将来、自分がいろんな仕事に就いた時に、この「五輪2連覇」という肩書きはすごく大きなものになるし、説得力も増すと思うので。
松岡:五輪は本当に素晴らしいものだということを、羽生さんの演技を通して思いました。羽生さんにって、五輪という舞台はどのようなものなんでしょうか。
羽生:僕の人生そのものです。だから全てを懸けました。
松岡:人生を懸けられる。それぐらい素晴らしい場所なんですね。
羽生:そうですね。足の状態がどうであれ、気持ちがどうであれ、心臓がどうであれ、全てを懸けないと勝ち切れないっていうのは分かっていましたし。それを勝ち取ったこともまた、自分の人生なんです。そんな僕の人生の全てが、五輪で演技をするためにあったんだなと思いますね。
松岡:では最後に、日本中のファンへ一言お願いします。
羽生:金メダルありがとうございました。またこれからも、フィギュアスケートのみならず、いろんなスポーツで、いろんな方が気持ちを込めて競技すると思います。是非、応援してください。本当にありがとうございました。(了)
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