レスターで10番を背負い、現在はベルギーで戦う19歳 古賀俊太郎(ウニオン・サン・ジロワ)インタビュー 「Vol.1 東京ヴェルディからレスターへ向かった理由」
中学を卒業後にイングランドのレスターに入団し背番号10を付けて活躍した古賀俊太郎。その後にオランダ、ベルギーと渡り現在はベルギー2部のウニオン・サン・ジロワでプレー。まだ19歳ながら欧州を渡り歩いてきた男が語るこれまでの挑戦と今後の野望を聞いた。
菊池 康平
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2018/08/16
―― まずはサッカーを始めたきっかけから教えてください。
古賀 きっかけはベッカムが2002年のワールドカップで日本に来たことが一番大きいです。僕は1998年生まれなんで、たしか4歳の頃でした。父と祖父は野球をしていたので、野球も並行してやっていて。
幼稚園でサッカーチームに入って、どちらかを選ぶとなったときにサッカーを選んで、そこからサッカーです。ちゃんとしたチームに入ったのは小2ですね。
―― 小2の時、一番はじめに履いたスパイクって何でした?
古賀 最初はトレーニングシューズから始まって、スパイクを履きはじめたのは小3か小4の時です。日本ってやっぱり土のグラウンドじゃないですか。
一番最初はミズノの紐が無いテープで止めるシューズから始まって、そこから本当に色々履きましたよ。
アディダス、ナイキ、アシックス、ディアドラ、プーマと色々履きました。好きな選手が履いているのを足に合わなくても無理して履いたりしてました。
いわゆる有名なところは全部制覇したんじゃないかな。
―― 今のスパイクは?
古賀 今はプーマです。僕が海外へ行ってから1年後くらいに繋がらせてもらって、そこからずっとプーマを履いているんです。
この持ってきたスパイクは全く新品で履いてないやつなんですけど。今履いているモデルはプーマワンというモデルで、一つ前はエヴォタッチを履いていました。
ずっとプーマワンでやらせてもらっていて。革が柔らかすぎず、硬すぎずっていうのが自分の中では好きで、履きやすいんですよ。
―― スパイクに求めるものやポイントは?
古賀 ポイントはやっぱり質感ですかね。ボールを触った時の質感。柔らかすぎると、ヨーロッパは雨が降ることが多いので合わないんで。
ちょうど良い質感はほんとに感覚ですね。タッチもトラップした時に、吸い付き過ぎず、でも自分の足でちゃんとやっているような、しっかり自分の足で触っている感覚を大事にしています。
―― 小学生の頃はどこでサッカーをやっていたんですか?
古賀 まずはクリストロアSCに入り、その後にFCトッカーノという三浦泰年さんが作ったチームにいました。中学の時はヴェルディのジュニアユースに進みました。
トッカーノでやっていた時にやっさん(三浦泰年)からパラメヒコをもらったんですよ。
そこからパラメヒコをずっと履いていて。今は履いていないんですけれど、やっぱり質が高くて凄く履きやすかった印象があります。
―― ヴェルディジュニアユースでは何を履いていました?
古賀 その時はずっとナイキでしたね。それも結構かっこよさ重視で。好きな選手に憧れながら履いていました。
―― 中学を卒業してレスター(イングランド プレミアリーグ)に行くきっかけをおしえてください。
古賀 日本って進学期間があるじゃないですか。ヴェルディの場合はユースに上がれるか上がれないかの面談が夏にあるんです。その時に一番の希望は海外に行きたいって伝えました。
それで、ヴェルディのフロントからエージェントを紹介してもらって、その人に自分の試合を見に来てもらいました。その後、中学3年の10月にテストで3週間くらいレスターへ行って練習に混じり、次のシーズンから来てって言われたんです。
親も「イングランドなら英語だし良いんじゃない」っていうことで、レスターに行くことにしました。
―― 中3の面談の時に、「海外に行きたい」と言えるのは強い意志を持っていたんですね。
古賀 そうですね。小6の時にも、親とかに「海外行きたい!」ってずっと言っていたんです。でも小6で、自分も知識ないですし、まだ子供なので親も許してくれなかったですね。
ベッカムから入っているんで、ずっと海外サッカーを見ていて、中学3年でそういう意志を自分で伝えて、形になった感じです。
―― 中学時代に意識して英語をやっておこうとかあったんですか?
古賀 いや、気持ちだけ(笑)中学3年生もまだまだガキなんで。口では言いつつも、どうなるかもわからないし、想像も出来ていなかった中で言っていて。
もちろん行くちょっと前は勉強したんですけど、ちょっとしたところで簡単に身に付くものではないですよね。英語はレスターに行ってからどうにかって感じでした。
―― 3週間テストで練習参加していた時の手応えは?
古賀 単純に楽しかったですね。テストとかは中々日本ではないですし。ヴェルディも日本の中では特殊なサッカーをしますし、ヴェルディでやっていてポンと外に出てみたら、また違う景色が見れて楽しかったです。
まぁ、日本とイングランドは違うんですけど、ヴェルディからイングランドっていうとまた更に違います。
僕は、背もずっと高くて、ヴェルディでも大きい方だったのに、レスターでは自分が一番ちっちゃくなっちゃいましたから。そういう面白さもありましたね。
その時一緒にやって、その次の年も一緒にやった選手などが今年レスターでプレミアリーグにデビューしたりしています。
他にも、もう3人くらいプレミアにデビューしています。スタメンで何試合も出ている選手もいたりして、凄いな、負けられないなって思いますよ。
その当時は全然僕の方がうまいなって思っていて、レスター全然いけるなって思っていたんですけどね。。
―― 5年前とかですか?
古賀 まだ4年前とかです。テレビで見ていると結構大人っぽくなって、逞しくなったなという感想です。
Vol.2へ続く
写真:菊池康平
古賀 きっかけはベッカムが2002年のワールドカップで日本に来たことが一番大きいです。僕は1998年生まれなんで、たしか4歳の頃でした。父と祖父は野球をしていたので、野球も並行してやっていて。
幼稚園でサッカーチームに入って、どちらかを選ぶとなったときにサッカーを選んで、そこからサッカーです。ちゃんとしたチームに入ったのは小2ですね。
―― 小2の時、一番はじめに履いたスパイクって何でした?
古賀 最初はトレーニングシューズから始まって、スパイクを履きはじめたのは小3か小4の時です。日本ってやっぱり土のグラウンドじゃないですか。
一番最初はミズノの紐が無いテープで止めるシューズから始まって、そこから本当に色々履きましたよ。
アディダス、ナイキ、アシックス、ディアドラ、プーマと色々履きました。好きな選手が履いているのを足に合わなくても無理して履いたりしてました。
いわゆる有名なところは全部制覇したんじゃないかな。
―― 今のスパイクは?
古賀 今はプーマです。僕が海外へ行ってから1年後くらいに繋がらせてもらって、そこからずっとプーマを履いているんです。
この持ってきたスパイクは全く新品で履いてないやつなんですけど。今履いているモデルはプーマワンというモデルで、一つ前はエヴォタッチを履いていました。
ずっとプーマワンでやらせてもらっていて。革が柔らかすぎず、硬すぎずっていうのが自分の中では好きで、履きやすいんですよ。
―― スパイクに求めるものやポイントは?
古賀 ポイントはやっぱり質感ですかね。ボールを触った時の質感。柔らかすぎると、ヨーロッパは雨が降ることが多いので合わないんで。
ちょうど良い質感はほんとに感覚ですね。タッチもトラップした時に、吸い付き過ぎず、でも自分の足でちゃんとやっているような、しっかり自分の足で触っている感覚を大事にしています。
―― 小学生の頃はどこでサッカーをやっていたんですか?
古賀 まずはクリストロアSCに入り、その後にFCトッカーノという三浦泰年さんが作ったチームにいました。中学の時はヴェルディのジュニアユースに進みました。
トッカーノでやっていた時にやっさん(三浦泰年)からパラメヒコをもらったんですよ。
そこからパラメヒコをずっと履いていて。今は履いていないんですけれど、やっぱり質が高くて凄く履きやすかった印象があります。
―― ヴェルディジュニアユースでは何を履いていました?
古賀 その時はずっとナイキでしたね。それも結構かっこよさ重視で。好きな選手に憧れながら履いていました。
―― 中学を卒業してレスター(イングランド プレミアリーグ)に行くきっかけをおしえてください。
古賀 日本って進学期間があるじゃないですか。ヴェルディの場合はユースに上がれるか上がれないかの面談が夏にあるんです。その時に一番の希望は海外に行きたいって伝えました。
それで、ヴェルディのフロントからエージェントを紹介してもらって、その人に自分の試合を見に来てもらいました。その後、中学3年の10月にテストで3週間くらいレスターへ行って練習に混じり、次のシーズンから来てって言われたんです。
親も「イングランドなら英語だし良いんじゃない」っていうことで、レスターに行くことにしました。
―― 中3の面談の時に、「海外に行きたい」と言えるのは強い意志を持っていたんですね。
古賀 そうですね。小6の時にも、親とかに「海外行きたい!」ってずっと言っていたんです。でも小6で、自分も知識ないですし、まだ子供なので親も許してくれなかったですね。
ベッカムから入っているんで、ずっと海外サッカーを見ていて、中学3年でそういう意志を自分で伝えて、形になった感じです。
―― 中学時代に意識して英語をやっておこうとかあったんですか?
古賀 いや、気持ちだけ(笑)中学3年生もまだまだガキなんで。口では言いつつも、どうなるかもわからないし、想像も出来ていなかった中で言っていて。
もちろん行くちょっと前は勉強したんですけど、ちょっとしたところで簡単に身に付くものではないですよね。英語はレスターに行ってからどうにかって感じでした。
―― 3週間テストで練習参加していた時の手応えは?
古賀 単純に楽しかったですね。テストとかは中々日本ではないですし。ヴェルディも日本の中では特殊なサッカーをしますし、ヴェルディでやっていてポンと外に出てみたら、また違う景色が見れて楽しかったです。
まぁ、日本とイングランドは違うんですけど、ヴェルディからイングランドっていうとまた更に違います。
僕は、背もずっと高くて、ヴェルディでも大きい方だったのに、レスターでは自分が一番ちっちゃくなっちゃいましたから。そういう面白さもありましたね。
その時一緒にやって、その次の年も一緒にやった選手などが今年レスターでプレミアリーグにデビューしたりしています。
他にも、もう3人くらいプレミアにデビューしています。スタメンで何試合も出ている選手もいたりして、凄いな、負けられないなって思いますよ。
その当時は全然僕の方がうまいなって思っていて、レスター全然いけるなって思っていたんですけどね。。
―― 5年前とかですか?
古賀 まだ4年前とかです。テレビで見ていると結構大人っぽくなって、逞しくなったなという感想です。
Vol.2へ続く
写真:菊池康平