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バスケットボール界の鉄人・折茂武彦が受け入れてきた変化(前編)

2019年1月、一人の男によって、日本バスケットボール界に1つの金字塔が打ち立てられた。レバンガ北海道に所属する折茂武彦(49)が、国内トップリーグで通算1万得点を達成したのだ。 日本バスケットボール界が誇る鉄人は、現役最年長選手でありながら、所属するレバンガ北海道のクラブ運営会社の代表取締役社長を務めるという、超異色のアスリートでもある。これまでの26年間、日本のトップリーグで活躍してきた折茂だが、常に順風満帆だったわけではない。年齢による衰えを受け入れ、時代の流れによる変化を受け入れながら、26年という長いキャリアを歩んできた。そんな折茂のこれまでを振り返ってみたい。

Icon segawa.taisuke1 瀬川 泰祐(せがわたいすけ) | 2019/08/14
長い間、バスケットボール選手としてのキャリアを積み重ねてきましたが、バスケットボール選手として駆け出した頃には、いまのような華やかな世界を想像していましたか?

僕が大学を卒業した頃は、プロチームはもちろんなかったですし、プロ選手どころか、契約選手すらいない時代でした。多くのアスリートは、企業に入って仕事をしながらプレーする、いわゆる実業団アスリートで、おおよそ30歳になったら、自動的に引退して会社に戻るという流れがありました。   僕は今のアルバルク東京の前身であるトヨタ自動車に入社して、14年間チームに在籍しましたが、入って2年目の頃に、一つの壁にブチ当たりまして。   バスケットボールで入ったにも関わらず、プロ選手と名乗れないことへのもどかしさを感じていました。当時のトヨタ自動車は、弱いチームでした。僕は大学時代には、インカレで日本一を経験していたこともあり、負けるのが嫌で、どうしても自分の力でチームを強くしたかったんです。そこで、まずは自分がバスケットボールの専属になろうと決意し、会社にお願いをして、バスケットボールだけで勝負するために、契約選手という形でスタートさせてもらうことになりました。   そんな時代でしたから、今のようなプロリーグができることなんて、想像もつかなかったです。もちろん、プロ選手にはなりたかったし、野球やサッカーのように、バスケットボールをメジャーなスポーツにしたいという思いはありましたが、一選手の力ではどうにもできない問題でしたので、まずは自分の価値を高めることからやってみようという意図でした。その後からですかね、徐々に契約選手が出てきたり、bjリーグというプロリーグができたりしたのは。

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若い頃はバスケットボール選手として引け目は感じていましたか?

感じていましたね。だって、僕は職業の欄に会社員って書かなきゃいけませんでしたから。プロバスケットボール選手とは書けなかったんですよ。野球選手やサッカー選手と同じアスリートなのに、こうも違うのかと思っていましたし、負けたくないという気持ちはすごく強かったです。だからこそ、自分が結果を出した分だけ、年俸を上げて社会的価値をつけていこうと。いい車にも乗りましたが、自分がいい車に乗りたいというよりは、同じアスリートに負けたくないという思いだけでした。

その後、JBL(日本バスケットボールリーグ)とbjリーグという2つのリーグが対立してしまったことが、日本のバスケットボール界の成長を阻害していたと思うんですが、その時は選手としてどう感じていましたか?


今でこそ、バスケットボールの競技人口は63万人程度ですが、当時は100万人規模だと言われていました。競技人口は、野球やサッカーに引けを取らないスポーツでしたが、上を目指す子どもたちにとってみれば、JBLとbjリーグのどっちが目指すべき世界なのか、わからなくなってしまいましたよね。それまで、日本のバスケットボール界の本流はJBLが支えてきましたし、競技レベルもJBLの方が上でしたが、地域密着型をうたったプロリーグとして発足したbjリーグに、地元の子どもたちも応援しだして、存在感を増して行きましたから、JBLでプレーしていた身としては、すごく複雑な心境でした。

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提供=レバンガ北海道


その後、14年間在籍していたトヨタ自動車を去り、北海道に移籍されたのには、どんな経緯があったのでしょうか?

トヨタ自動車では、4度も日本一になって、常勝チームをつくることができました。僕は36歳の時にレラカムイ北海道というチームに移籍したんですけど、年齢的に、その歳までやっている選手は、当時のバスケットボール界にはいませんでしたし、実際、僕の頭の中にも引退という2文字が浮かんでいました。でも、2006年に日本で世界選手権が開催された時に、当時の日本代表のヘッドコーチだったジェリコから、熱烈なラブコールをいただいて、日本代表に召集されることになり、世界選手権に出場しました。そこで世界と戦った時に、『まだできるな』と感じたんです。そこで振り返った時に、それまでの自分が経験していないことって、プロ選手になることだったんですね。プロ選手とはどんなもので、どんな経験ができるのかをどうしても知りたかった。復帰した日本代表でも、再び自信をつかむことができ、プロチームであるレラカムイ北海道に移籍することを決めました。


後編に続く    http://king-gear.com/articles/1108    


取材・文・写真:瀬川泰祐