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「カルチャーからスポーツへと変わっていく」東京五輪スケートボードMC・高杉'Jay'二郎が感じたレガシーVol.1

今夏に開催された東京五輪では、新種目・スケートボードのメダルラッシュが大きな注目を集めることとなった。MCとして長年スケートボードに携わり、東京五輪ではストリートの会場MCを担当された高杉'Jay'二郎氏は、異例の無観客開催となった東京五輪を次のように振り返る。 MCとして長年競技に携わり、東京五輪ではストリートの会場MCを担当された高杉'Jay'二郎氏は、異例の無観客開催となった東京五輪を次のように振り返る。

Icon fopv vbvqbakadu 白鳥 純一 | 2021/11/18
――まずは、高杉さんがスケートボードと出会った経緯を教えてください。 

高杉:僕がスケートボードの実況を始めたのは、ちょうど「X Games」が日本に入ってきた1997年に遡ります。
 実はこの大会、後にスノーボードで3個の金メダルを手にすることになるショーン・ホワイト選手も出場していたんですよ。 

当時わずか9歳だったショーン・ホワイト選手は、まだスノーボードとの「二刀流」を続けておりまして…。東京五輪のスケートボード競技には、同じくスノーボード金メダリストの平野歩夢選手が出場しましたが、ショーン・ホワイト選手は、今から20年以上も前から、“先”を歩んでいたんですよね。


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――日本代表選手のメダルラッシュに湧きました。スケートボードストリートでの若手選手の大躍進を、会場でどのようにご覧になられましたか?

高杉: 「誰かはメダリストになるだろう」と思っていたので、予想通りの結果でした。「ストリートリーグ」で優勝経験のある堀米雄斗選手はもちろん、13歳の西谷椛選手もトリックの完成度は飛び抜けていました。中山楓奈選手の銅メダルと合わせて、3つのメダルを獲得出来たことには驚きましたが、実力通りのパフォーマンスを披露したという印象です。

 ――東京五輪を機に、スケートボードを知った人も多かったと思いますが?

高杉: 五輪前の日本での知名度は、そこまで高くなかったと思うんですよ。「その辺りにいるお兄ちゃん、お姉ちゃんやな」って感じに見えますし…。 でも、世界的には最高峰のストリートリーグで活躍している3人は、海外ではかなり前から知名度が高くて…。東京五輪以降、急に有名になったように見える日本の状況とは、かなり異なるものだったんですよ。

――その“ギャップ”は、いつ頃から感じていらっしゃいましたか? 

高杉:僕が「X Games」に携わるようになった、30年くらい前から、もう既にあったように思いますね。当時から、日本人が世界大会で目覚ましい活躍を見せるようなこともあったのですが、海外では絶大な人気を獲得する一方、日本では地味な扱いを受けることが多くて…。

競技に携わる者として歯痒い思いをしてきました。でも、東京五輪のメダルラッシュがきっかけで、ようやく日本の風潮も変わりつつあるのかなという印象を感じています。 

 ――五輪後には、スケートボード競技を始められる方も増えているようですね?

高杉:パークにはキッズや初心者、そして「昔は滑っていた」という父親の姿も増えているそうですし、取り巻く環境も変わりつつあるんじゃないかなと思います。

金メダリストの堀米選手も、元々はお父さんがスケートボードをやっていらっしゃいましたし、お父さんと子供が、一緒にスケートボードを楽しめるというのは素敵ですよね。

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――その一方で、「パーク」が少ないという課題も浮き彫りになりましたが? 

高杉:残念ながら、まだパークの問題は解決できていませんね。パークの建設には予算が必要ですし、メダリストの活躍によって変わりつつあると思いますが、「不良が戯れる場所」という昔のようなイメージが、まだ残っていると思うんですよ。

でも、東京五輪をきっかけにして、徐々に「カルチャー」から「スポーツ」へと変わっていくんだろうなと感じていますし、長年携わってきた経験で言うと、競技が認知されていくには時間がかかると言うことを改めて感じさせられました。

 ――女子のパークでは、健闘を讃え合う姿が話題になりましたが? 

高杉:「パーク」の方は映像でしか見ていませんが、会場に居合わせた「ストリート」の試合でも、同じようなシーンがあったんですよ。 五輪の決勝に残っている選手は、これまでに色々な大会に出場して、何回も顔を合わせているので、競い合うライバルでありながら、顔見知りの友達でもある。

選手間には、お互いをリスペクトするカルチャーがあるんですよね。 実際、日本人の選手が海外に出て行った時には、「言葉の厚い壁」が立ちはだかることになります。でも、思うようにコミュニケーションが取れない中でも、トリックをやると注目してもらい、スケートボードがきっかけで、交流を深めながら徐々に話せるようになっていく。すごく自然な形ですよね。

 競技の勝敗や、「俺は、あのトリックを出されると勝てない」という気持ちが、“いい意味“ではっきりしていて、素直さもある。「自分はこういうスタイルなんだ」というらしさを表現している選手が多かったので、素直に「格好いいな」と思いました。 

――素晴らしい選手たちの対決ですが、残念ながら五輪は無観客での開催でした。

高杉: 「無観客開催」は、本当に残念でしたね。そのなかで、選手たちが戦っている会場を「どうやって盛り上げるか」については、さまざまな苦労がありました。 無観客の会場にいるスタッフだけでも、盛り上げてあげた方がいいのか。それとも会場を盛り上げすぎると、テレビの前で“無観客五輪”を観ている方を戸惑わせてしまうのか。

 例えば、無観客の会場で「皆さん!盛り上がっていますか?」とか、「みなさん拍手!」と話すのはおかしい。これまでは当たり前に使っていたワードも見直して、「どこかに観客がいる」と思われないような演出を心がけました。 

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――気をつける「ワード」は、他にどんなものがありますか?
 

高杉:「にほん」と「ニッポン」の違いですかね。各所に確認したら、スケートボードストリートでは「ニッポン」を使うと 言うことだったので、選手のコールや、国歌斉唱ではそのように伝えました。さまざまなワードを確認しながら準備を進めていくのは、面白かったですよ。

 ――話し方のテンションについては変化がありましたか? 

高杉:英語担当の解説者が、テンション高めに話しているときには、僕は抑えた口調で話すとか…。さまざまなディスカッションをしながら、みんなの知恵を出し合って決めていきました。すごい勉強になりましたね。 そして、外国人スタッフの皆さんと一緒に、英語の飛び交う環境で仕事をしてみて感じたのは、「国際大会の素晴らしさ」ですね。新しい発見や、たくさんのことを勉強させてもらいながら、刺激的な日々を過ごしました。 

――ほとんど会場に人がいない会場で、テンションを上げて話す難しさはありませんか?
 

高杉:会場の上方にあるブースから誰もいない観覧席を見たときは、何とも言えない寂しさや悲しさを感じましたね。ただ、「無観客開催」で役に立ったのは、ラジオ番組のDJを務めてきた経験でした。 番組は、スタジオのマイクに向かいながら一人で話している。リスナーのメッセージをいただくことはありますが、ブースの中ではある意味で“無観客”となんです。そういった意味では、場慣れしている状況ではありました。

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――高杉さんは、噺家としても活動されていらっしゃいますが、DJとはまた異なる要素が求められるのでしょうか? 

高杉:スポーツDJと落語は、共通する部分が多いんですよ。会場のボルテージを上げることも大事ですが、それ以上に雰囲気を感じ取りながら緩急をつけて話すことが求められる仕事だと思っていて…。

実際、僕が噺家として舞台に立つ時も、会場の雰囲気によって話すスピードを変えながら、同じネタを披露することもありますからね。
 僕自身は、DJでキャリアをスタートした後に、落語をやり始めました。落語で学んだ微妙な緩急を付けながら話す経験は本当に役立ちましたし、何よりも桂文枝師匠に「弟子が五輪で話している」と報告できたことが本当に嬉しかったですね。  

 
  ――高杉さんは、過去にはヴァンフォーレ甲府の場内D Jも経験されていらっしゃいましたが、スケートボードとサッカーの違いは、どの辺りにありますか?

高杉: 一発勝負のトリックを数本飛んだら競技が終わるスケートボードは、サッカーよりも試合時間が短い。「一瞬でどのような空間を作れるのか」が、一番の違いかもしれません。これが本当に有観客だったら、もっと“ノリノリ”だったんだろうなと思うと…。

やっぱり残念ですよね。 開催自体の可否はともかく、オリンピックに関係した方々は、「もし、有観客で五輪が開催出来ていたら、どれだけの爆発的な盛り上がりだったんだろうな?」と、皆さん考えたことがあると思いますよ。

Vol.2に続く】