Ito3

【独占インタビュー】50歳の“鉄人” 伊東輝悦(アスルクラロ沼津)が今も現役を続けられている理由

今夏に行われたパリ五輪の熱狂は記憶に新しいが、そこから遡ること28年前の1996年に行われたアトランタ五輪では、28年ぶりに本大会出場を成し遂げたサッカー日本代表が強豪ブラジル代表を1対0で下し、大金星を挙げた。「マイアミの奇跡」と呼ばれたこの試合の主役は、決勝点を奪ったMFの伊東輝悦選手だった。今年8月に50歳を迎えた今もなお、アスルクラロ沼津で現役としてプレーを続ける伊東選手に、メンバー入りを果たしたものの出場できずに終わったフランスW杯の思い出や、今も現役を続けられている原動力について伺った。※トップ画像/筆者撮影

Icon fopv vbvqbakadu 白鳥 純一 | 2024/10/21

Thumb gettyimages 946656

出典/Getty Images(David Cannon /Allsport)

――ブラジルを下した「マイアミの奇跡」の立役者となった伊東さんは、日本が初出場を掴み取った1998年のフランスW杯にもメンバーとして選ばれました。

最終予選では一度も代表に呼ばれていなかったので、正直にいうとまさかメンバーに入るとは思っていなくて、ただただ驚きました。

――そうだったんですね。では、日本がW杯初出場を決めたフランスW杯アジア第3代表決定戦(対イラン、ジョホールバル(1997年11月16日)は、どのような思いでご覧になられていましたか?

流石にどこかで試合を見ていたとは思いますが、実はその時のことをあまり覚えていないんです。日本代表に呼んでもらったのも、本番直前にスイスで行われた合宿(1998年6月・ニヨン)の時で、そのままW杯のメンバーとして帯同したという流れでしたから。

――スイス・ニヨンでの合宿では、岡田武史監督(当時)が三浦知良選手、北澤豪選手、市川大祐選手の3名を代表から外すことを決断されました。長年日本サッカー界を牽引してきた三浦知良選手、北澤豪選手のメンバー漏れは、当時の日本に衝撃を与えましたが……?

「本当か……」と驚かされました。その中で自分がメンバーに選ばれている状況も含めて、「大丈夫かな……」と言う不安や、その他にもいろいろな複雑な気持ちはあったと思います。でも、僕は選手ですし、ましてやそれまで一度も代表に選ばれていなくて、最後の合宿で声をかけてもらった立場ですから、目の前の状況をどうすることもできませんでしたよね。

――フランスW杯に出場した日本代表は、0勝3敗で大会を終えました。残念ながらピッチに立つことが出来なかったフランス大会は、伊東選手にとってどのようなものですか?

試合出られなかったのは、結局は僕自身の力不足ではあるんですが、やっぱりピッチに立ちたい思いは強かったです。ベンチで試合を見ることと、実際に試合に出場するのでは、経験や感じ方も全く違っていたと思うので……。

そういえばこの間、チームメイトの(齋藤)学とW杯の話をしたら、彼もブラジルW杯の直前合宿で代表に呼ばれて、試合に出られずに帰ってきたと聞いて。意外な共通点を見つけて驚かされましたよ(苦笑)。

――その後も日本代表の一員として27試合に出場されましたが、W杯のピッチに立つことはできませんでした。そのような悔しさが、今も現役でプレーを続けられている原動力になっていたりもするのでしょうか?

もしかしたらそれも少しはあるかもしれません。50歳になった今は、チーム状況や長期的にシーズンを見据えられるようになってきていて、若い頃よりはだいぶ冷静に考えられるようになりましたけど、選手である以上は「ピッチに立ちたい」と思う気持ちがどこかに必ずあると思いますから。

――試合に出られずに燻っている若手選手に、伊東さんが声をかけるような場面もありますか?

僕の方から積極的に声をかけることはあまりなくて、むしろ上から目線で物事を強く言いすぎないように気をつけていることの方が多いかなと思います。

僕がいくら強い口調で話したところで、実際に行動に移してもらえなかったら意味がないので、若い頃の尖っていた自分の姿や、当時感じていた色々な気持ちを思い出しながら、歳の離れた選手たちと接するように心がけています。

――伊東選手の存在が「チームの若手選手たちに刺激になっている」とお聞きしました。

僕はそこまで真面目でストイックにサッカーをやってきたタイプではないから……。

それでも50歳にもなるとおそらくチーム内でもそれなりに影響力を持ってしまうでしょうし、どうせ何かの影響与えるのならば、「良い方の影響を与えていけたらな……」と思っています。

でも日頃一緒にチームで過ごしている若手の選手たちがエネルギッシュにひたむきにプレーする姿や、日に日に技術的に上手になっている様子を見ていると自分も刺激を受けますし、お互いに良い相乗効果を与えられているんじゃないかなと思っています。

――現在は沼津の監督をされている中山雅史氏も、2021年シーズンまでは選手としてのトレーニングを続けてこられました。当時53歳の中山さんの姿を伊東さんはどのようにご覧になられていましたか?

選手時代のゴンさんは別メニューでトレーニングをされていることが多かったですが、毎日地道な筋力トレーニングに全力で取り組んでいる姿を見て、「とてもじゃないけど俺は無理だな……。どんなメンタルなんだろう?」と思っていました(苦笑)。

でも、一方では、ゴンさんの姿を見ていると「やっぱり負けていられないな……」という気持ちも湧き上がってきましたし、もし頑張ってサッカーを続けている僕の姿を見て、「伊東さんが走っているから、俺もやらないと」と感じてくれる人がいたら、それは本当に嬉しいですよね。

――伊東さんは今年の8月に50歳を迎えられましたが、今後の目標などはあるのでしょうか?

来年のことすら全然わからない状況ですが……。

「まだサッカーをやっているの?」とか「変わっているな」と言われることも多分あるでしょうが、自分としては「それでも別にいいかな?」と思っているんです。

自分より年上のカズさんもまだ現役を続けていますし、その姿見ていると「自分がまだサッカーをやっていて大丈夫なのかな?」と感じることもある。どこまで頑張れるかわかりませんが、これまでと変わらずにサッカーを楽しむことを考えながら出来る限り長く続けられたらなと思っています。

Thumb dsc 9106

筆者撮影

――伊東さんの言葉からはサッカーに対するまっすぐな思いが伝わってくるのですが、これまでの選手生活で、サッカーをやりたくないと思った瞬間もあるのでしょうか?

基本的には好きでサッカーを続けていますから、サッカーで起こる問題についてはストレスを感じないタイプなんですけど、この夏は毎日のように暑い日が続いたので、サッカーをするのがしんどすぎて……(苦笑)。正直に言うと、やる気が0に近い時もありました。でも、サッカーを始めた時から今に至るまで「サッカーが面白い」と思える気持ちはずっと持ち続けられていましたし、これからもきっとそれは変わらないんじゃないかなと思います。

――2024年の沼津は、現在勝ち点47の5位で、昨年の成績(13位・勝ち点51)を上回っています。

昨年は夏場以降にチームの勢いが失速し、結果的に順位も落としてしまいましたが、今季はその反省を踏まえながらここまでやれているように感じます。

昨年からの積み上げもありますし、監督のゴンさんと、アトランタ五輪で一緒にプレーした秀人(鈴木秀人)ヘッドコーチなどのスタッフ陣がそれぞれの役割を分担しながら、チームをまとめられていること。そして僕ら選手がきちんとトレーニングに取り組めていることもその理由だと思っています。

今季も残りの試合が少なくなってきましたが、2〜8位ぐらいまではあまりポイントは変わらない状況です。1試合ごとに順位が入れ替わるシーズンが続きますが。最後まで良い意味での緊張感を持ちながらベストを尽くしたいと思います。

――2024年シーズンは残念ながらまだ公式戦の出場がない状況です。伊東さんは今季どのような思いでここまで過ごされてきたのでしょう?

ピッチに立てるのは11人だけですが、長いリーグ戦を戦うためには、それ以外のメンバーの力が必要になる場面が絶対にありますから。選手を選ぶのは監督の仕事だし、僕らはその時に向けて、腐らずに準備を続けることしかできない。時に辛い気持ちもあると思いますが、選手のみんながチームのことを考えながらシーズンを過ごせたら、きっと良い結果につながると思うので……。

試合に向けて良い準備をすることに全力を注いで、監督に選んでもらえるように頑張るしかないと思って、日々の練習に取り組んでいます。

――最後になりますが、ファンの皆さんへのメッセージをお願い致します。

時に上手くいかないこともあるかもしれませんが、選手たちは日々のトレーニングの成果をピッチで表現するために、毎試合ベストを尽くしています。

リーグの終盤戦に向けてより応援に熱が入る時期に差し掛かってきましたが、ぜひたくさんの皆さんにスタジアムに来ていただいて、選手と一緒になって戦ってほしいと思いますし、皆さんの声援の後押しによる大きな力で相手に襲いかかり、勝利を手繰り寄せられたらなと思っています。