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【選手ヒストリー】故障と試練を乗り越え、チームを支えた立役者ー福田秀平(くふうハヤテベンチャーズ静岡)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

多摩大学附属聖ヶ丘高校を経て、2006年の高校生ドラフト1巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団した福田秀平は、「スーパーサブ」としてチームを支えた。2016年には当時の日本新記録となる32回連続盗塁成功を成し遂げたほか、大谷翔平と山本由伸から複数の本塁打を放ったことから「エースキラー」の異名を取り、5度のパリーグ優勝と6度の日本シリーズ制覇に貢献。2020年にFAで千葉ロッテマリーンズに移籍した後、2024年には新球団のくふうハヤテベンチャーズ静岡でプレーした後、13年間の現役生活に別れを告げた。※イラスト/これ松えむ

Icon kinggear icon KING GEAR編集部 | 2024/12/05

1989年に神奈川県横浜市で生まれた福田秀平は、小学1年生の時に藤が丘ファイヤーズに入団して軟式野球をスタートさせる。当時は投手と遊撃手を兼任し、5年生からは両打に。6年生では主将も務めるほどだったというが、それ以外にもさまざまなスポーツに取り組み、サッカーや水泳でも才能の片鱗を見せ、特に水泳では10歳時の背泳部門でジュニア五輪代表候補に選ばれるほどの才能を持ちあわせていたという。

横浜市立緑が丘中学校の在学時には世田谷ボーイズに籍を置き、遊撃手として本格的に硬式野球に取り組むこととなるが、高校は「大学に行けそう」という理由で、甲子園とは無縁の多摩大学附属聖ヶ丘高等学校に進学した。

早実を超える力を見せた二刀流

多摩大学附属聖ヶ丘高校時代は、1年生の秋にレギュラーに定着すると、3年時には本格的に両打に専念することに。「ハンカチ王子」の愛称で大フィーバーを巻き起こした斎藤佑樹投手を擁する早稲田実業が甲子園の出場権を獲得し、のちに全国制覇も成し遂げた西東京地区で、チーム最高のベスト4進出に貢献した。準決勝では日大三高に2対10で敗れて実力の差を見せつけられたものの、福田は高校通算38本塁打の実力をこの試合でも見せつけて本塁打をマーク。投手としても登板する二刀流の活躍で強豪に食い下がった。

2006年の高校生ドラフト1巡目で、大嶺祐太(八重山商工高→ロッテ)を抽選で外したソフトバンクの指名を受け、福田はプロ選手としてのキャリアを歩み始めることになった。

2軍生活から這い上がり日本一の立役者へ

福田が多摩大聖ヶ丘高校からは初のドラフト指名選手だったことや球団との契約のタイミングが早かったことから「平成生まれのプロ野球選手第1号」としても話題を呼んだが、入団から3年間は2軍暮らしが続いた。だが、4年目の2010年4月に1軍デビューを果たすと、プロ初先発の広島戦(5月22日)にはエンタイトルツーベースを放って、初の安打と打点を記録。主に代走要員として44試合に出場した。

ポジションを外野に変更し、左打ちに専念することを決めた2011年は97試合に出場。定位置獲得には至らなかったものの、3つの外野ポジションと一塁手として起用され、自己最多の22盗塁を記録。全218打数のうち48打席で三振を記録し、打率.252以上の打撃の粗さは感じさせたが、9月28日の日本ハム戦では、先発の武田勝などから初の猛打賞を記録。30日には西口文也からプロ入り初本塁打を放つなど、潜在能力の高さも感じさせた。またリーグ優勝を決めた10月1日の西武戦では、9回2死から浅村栄斗のライト戦への打球を福田が掴んで、27個目のアウトを奪い、この年のリーグ優勝を決めた。その後プレーオフを勝ち抜いたソフトバンクは、4勝3敗で中日ドラゴンズを下し、ソフトバンクホークスは8年ぶり5度目の日本一を達成。3試合に出場した福田は平成初の日本シリーズ出場選手となった。

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2012年以降も故障や厚い選手層などにより、レギュラーポジションの獲得までは至らないシーズンが続いたものの、手術の影響で1軍出場がなかった2014年を除き、欠かすことのできない「スーパーサブ」として活躍。2015年には秋山祥二監督からバトンを引き継いだ工藤公康監督率いるチームで存在感を示し、84試合に出場。なおこの年は2011年から続く連続盗塁を32に伸ばし、新記録達成も成し遂げた。

自身初の開幕スタメン出場を果たした2016年は、4月24日に大谷翔平から放った一打を含む3本塁打を放つと、2017年は打率.183こそ低迷したものの、8月31日の対日本ハム戦で大谷翔平からの3ラン本塁打や、6月25日の対西武戦では自身初のサヨナラ打となる逆転2ラン本塁打を記録し「スカパー!ドラマティック・サヨナラ賞」を受賞。

自己最多の110試合に出場した2018年には、7本塁打。2019年には80試合の出場ながらもキャリアハイの9本塁打、26打点を記録し、ここ一番の勝負強さや持ち前のパンチ力を見せつけるシーズンに。クライマックスシリーズで西武ライオンズを退けて進出を果たした巨人との日本シリーズでは、第2戦でダメ押しの本塁打を放ち、日本一に貢献。シーズンオフにはFA権を獲得。人的補償が不要なCランクの選手だったことや、試合数は少ないながらも安定した成績を残してきたことなどから6球団による争奪戦に発展し、千葉ロッテマリーンズへの入団を決断する。

ケガとコロナ禍に苦しんだ、試練続きの3年間

ロッテの球団本部長を務める松本尚樹氏が、まだ無名だった高校時代から福田の獲得を検討していたことや、元ソフトバンクホークスの選手でロッテの二軍監督を務めていた鳥越裕介氏(現:埼玉西武ライオンズ一軍ヘッドコーチ)に励まされた経験があったことなどから、福田は千葉ロッテマリーンズ入団を決めたが、怪我に苦しむ3年間を過ごすこととなった。

春先から猛威を振るったコロナ禍の影響により、2ヶ月遅れの開幕となった2020年は、古巣ソフトバンクホークスとの開幕戦(6月19日)でスタメン出場を果たしたが、オープン戦で受けた死球による右肩の亀裂骨折が判明し、戦線離脱を余儀なくされる。7月の一軍復帰後も打率1割台に低迷する厳しいシーズンを過ごしたものの、8月5日のオリックス戦では、エースの山本由伸から右翼5階席に運ぶ移籍後、初本塁打を放ち復調の兆しを見せたが、シーズンをトータルすると62試合に出場し、打率.216、5本塁打、19打点と当初の期待と比べて物足りない成績に終わった。雪辱を期す2021年は、前年に右肩を骨折したこともあり、わずか3試合の出場に終わると、若手選手の台頭などによりその後も徐々に出番を減らし、2023年のオフに戦力外通告を下された。

サヨナラ勝ちに貢献も、成績不振で引退決断

プレーに悪影響を与えていた右肩の症状に兆しが見られたこともあり、ウエスタンリーグに参加する新球団、くふうハヤテベンチャーズ静岡への入団を決めたが、故障箇所の予後は思わしくない状況が続いた。4月18日に行われたウエスタンリーグの阪神戦でヒットを放ち、球団初のサヨナラ勝ちに貢献する場面も見られたが、最終的な成績は58試合に出場し、打率.173、0本塁打、15打点、6盗塁の成績に終わり、2024年限りでの引退を決断した。

プロフィール

名前:福田秀平(ふくだしゅうへい)
出身:神奈川県
生年月日:1989年2月10日
身長/体重:182cm/79㎏
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
ドラフト年:2006年高校生ドラフト1巡目

通算成績

実働13年:785試合(打率.229 29本塁打 145打点 85盗塁)

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)