
“本当の強さ”とは何か?ー光と影の狭間で揺れたマーディ・フィッシュの隠された苦悩
世界ランキング7位まで駆け上がったアメリカのテニスプレイヤー、マーディ・フィッシュ。彼のキャリアの軌跡と、栄光の裏にあったメンタルヘルスの問題に追ったNetflixドキュメンタリー「Untold: 極限のテニスコート」は、スポーツ界における心の健康の重要性を訴える作品だ。強さとは何か?選手としての成功と人間としての幸せは両立できるのか?このドキュメンタリーが投げかけるテーマを考察する。※トップ画像提供/Netflix映画『Untold: 極限のテニスコート』2021年9月7日より独占配信中

マーディ・フィッシュの始まりー競争と友情の狭間で
1988年、アメリカのテニス界は危機に瀕していた。トップ選手の高齢化が進み、トップを争える若手選手が不足していたのだ。その状況を打破するために、USTA(全米テニス協会)は「次世代チャンピオン育成プログラム」を始動。国内の有望な選手を発掘し、徹底的な育成を行うプロジェクトだった。当時15歳のマーディ・フィッシュもこのプログラムに選ばれ、名門サドルブルックアカデミーでトレーニングを開始する。しかし、当時の評価は決して高くなく、「世界トップクラスの選手になる」とは誰も予想していなかった。だが、彼にはライバルであり親友でもあるアンディ・ロディックがいた。二人は共に切磋琢磨し、テニス界のトップを目指すようになる。

マーディ・フィッシュとアンディ・ロディック。この二人の関係は、練習相手、ライバルだけではなく、深い友情でも結ばれていた。しかし、先にプロとして成功したのはアンディだった。彼は世界ランキング1位にまで上り詰め、グランドスラム優勝も果たした。一方のマーディは、トッププレイヤーとしての地位を確立するまでに時間がかかった。私自身、そのような経験がないからか、友情と競争が共存することに違和感を覚えた。いったいこの状況は、マーディにとってどのような影響を与えたのか。彼は何を思っていたのか。このドキュメンタリーでは、彼の葛藤が丁寧に描かれていく。
キャリア最高のシーズンと極限のプレッシャー
28歳になったマーディ・フィッシュは、「全てをやりきって選手生活を終えたい」と決意し、大きな自分改革を始める。減量とハードなトレーニング、そして生活習慣の見直しだ。その結果、彼は2010年のシーズンで快進撃を見せ、ATPツアーで好成績を収める。目標としていたシーズン成績上位8名しか出場できない「ATPファイナルズ」の舞台にも立った。これは、彼のキャリアにおける最高の瞬間だった。しかし、その成功の裏には、計り知れないプレッシャーがのしかかっていた。

2012年、マーディ・フィッシュは全米オープン4回戦でロジャー・フェデラーと対戦する予定だった。だが彼は試合直前に棄権を発表する。実際には、この一つ前の試合で不調を感じていた。表向きは“体調不良”という理由だったが、メディアには「格上相手が怖くて逃げたんだ」と散々な言われようだった。当時、本人も不調の理由を明確には分かっていなかったそうだが、のちに重度の不安障害だと知ることに。「自分が試合を棄権したら、テレビ中継がなくなってしまう」と作品内でも語られていたが、彼はテニスだけでなく、それに付随するファンの期待、スポンサーからの要求、メディアの報道など「すべてのアメリカの期待」を背負っていたのだ。「次世代のスター」と注目され、その後トッププロになることを望んでリスタートしたはずが、いつの間にか“それら”が彼の重荷になっていたのだ。
メンタルヘルスとスポーツ—「強さ」とは何か?
スポーツの世界では、「メンタルの強さ」が度々重要視される。スポーツの世界で語られる「強さ」とはいったい何なのか?テニスは個人競技であり、選手はコートに立った瞬間、一人で戦わなければならない。その孤独な戦いの中で、精神的に追い詰められる選手は少なくない。

マーディのケースは、スポーツ界におけるメンタルヘルスの問題を浮き彫りにした。彼の勇気ある告白が、多くの選手を救うきっかけとなったのは間違いない。マーディは一度テニス界を離れたが、親友アンディ・ロディックとダブルスを組み、復帰を果たす。そして、2015年に正式に選手生活を終えた。その後、彼はデビスカップのアメリカ代表監督に就任。これは、彼にとって「アメリカのテニス界に貢献できる最高の機会」だった。監督としてのマーディ・フィッシュは、選手の技術だけでなく、メンタルヘルスの重要性を強く訴え続けた。
「弱さ」を認めることの難しさ
このドキュメンタリーを通じて、「弱さ」を受け入れることの難しさを改めて考えさせられたように思う。目標に向かって突き進む中で、挫折しそうになる瞬間、私たちはどう向き合うべきなのか。時には「逃げる」「諦める」ことを選択せざるを得ないように感じることもあるだろう。多くの人はそれらを選択したとき、「弱虫」「卑怯だ」というかもしれない。しかし必ずしも敗北を意味するわけではないのだ。すべての物事に「戦う」「向き合い続ける」ことが正解だと誰が決めたのか?私は今まで「戦い」を避け、できるだけ平穏無事に進む道を選んできたように思う。それが自然と自分を守る方法だと感じていたからかもしれない。

マーディ・フィッシュの物語は、単なるスポーツの枠にとどまらず、私たちが生きる上で大切な人生のバランスについてを深く考えさせてくれる。この作品を観た人々がそれぞれの人生における「戦い」と「休息」の意味を見つけ、より豊かな生き方に繋がるきっかけとなればと思う。
Netflix映画『Untold: 極限のテニスコート』2021年9月7日より独占配信中
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