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ビリー・ジーン・キングーーテニスの枠を超え社会を変えた伝説の女性テニスプレーヤーの軌跡

テニス界のレジェンド、ビリー・ジーン・キング。圧倒的な実績を誇るだけでなく、男女平等を訴え、女子テニスの地位向上に尽力した改革者でもあった。今回は歴史を変えた戦いと彼女の功績を振り返る。※イラスト/これ松えむ

Icon img 9605 1  1 髙橋菜々 | 2025/03/24

ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)は、1943年11月22日、アメリカ・カリフォルニア州に生まれた伝説的な女子テニス選手である。1960年代から1980年代前半にかけて女子テニス界で活躍し、圧倒的な実績を残した。また、スポーツを通じて女性の社会的地位向上を訴え、男女平等の実現に向けて行動し続けた改革者でもあった。1965年に弁護士であり不動産業者でもあったラリー・キングと結婚し「ビリー・ジーン・キング」となり、日本では「キング夫人」とも呼ばれていた。

全豪選手権での2冠達成で世界への実力を証明

ビリー・ジーン・キング夫人は、1960年に女子テニス界に登場し、翌1961年にはウィンブルドン女子ダブルスで史上最年少優勝を果たした。当時彼女は17歳で、ペアを組んだカレン・ハンツェは18歳。今なお記録に残る快挙だった。その後も輝かしい実績を積み重ね、1966年にはウィンブルドン女子シングルスで初優勝を果たし、1968年まで3連覇を達成した。1967年には全米選手権とウィンブルドンの両大会で「ハットトリック」と呼ばれるシングルス・ダブルス・混合ダブルスの3部門制覇という偉業を成し遂げ、1968年には全豪選手権でシングルスと混合ダブルスの2冠を獲得し、その実力を世界に証明する。

この年、テニス界は大きな転換期を迎える。プロ選手が四大大会に出場できる「オープン化」が実現したのだ。この改革により、ビリー・ジーンもアマチュアからプロに転向し、新たなステージに踏み出した。そして、1972年には全仏オープンを制覇し、四大大会すべてで優勝を果たす「キャリア・グランドスラム」を達成。彼女の通算優勝回数は129回、グランドスラム通算優勝回数は39回という驚異的な記録を誇る。もちろん、女子テニスの世界ランキング1位にも輝き、その圧倒的な戦績は今なお伝説として語り継がれている。

キング夫人の革命的な活動がスポーツ界を変えた瞬間

プロに転向し選手活動をしていたが、当時の賞金制度では、男女の間に大きな格差が存在していた。この問題に立ち向かうため、1970年、キング夫人をはじめとする女子テニス選手9人が団結し、「オリジナル9」を結成。彼女たちは男女間の賞金格差に抗議し、当時設立されたばかりの女子プロテニスツアー「バージニアスリムツアー」に、1ドルの契約で参加。この勇気ある行動は、女子テニスの未来を大きく変える契機となる。

「オリジナル9」の活動が実を結び、1973年にはキング夫人の主導で「WTA(女子テニス協会)」が設立され、女子プロテニス選手の地位は飛躍的に向上した。また、賞金格差の是正にもつながり、同年、全米オープンは四大大会で初めて男女同額の賞金を導入。この改革は、女性アスリートにとって歴史的な瞬間であった。

さらに、1974年にはテニス界を超えて女性スポーツ全体の発展を目指し、「WSF(女子スポーツ財団)」を設立。女子アスリートを支援し、スポーツ界における女性の地位向上を促進する活動を行った。キング夫人の活動は、スポーツ界のみならず社会全体に影響を与え、女性アスリートの未来を切り開く礎となった。

男女平等を巡る戦いが切り開いた女子スポーツの新たな時代

キング夫人のキャリアの中でも、特に象徴的な出来事の一つが「バトル・オブ・ザ・セクシーズ(性別を超えた戦い)」である。この試合は、単なるテニスの試合にとどまらず、男女平等を巡る歴史的な試合となった。

当時、女子テニス界は男子に比べて軽視されることが多くあった。1930〜1940年代に男子テニス界で活躍した元世界ランキング1位のボビー・リッグスが、「女子のテニスは男子よりも劣る。だから55歳の自分でも女子のトッププレイヤーに勝てる」といった内容を繰り返し公言し、女子テニス界を挑発していた。1973年5月、リッグスは当時の女子世界ランキング1位マーガレット・コートと対戦するが、彼女は6-2, 6-1で完敗してしまう。

この出来事を受け、女子テニスの価値を証明するため、キング夫人はリッグスの挑戦を受けることを決意。1973年9月20日、テキサス州ヒューストンのアストロドームで歴史的な試合は行われた。観客数は3万人以上、アメリカ国内で5000万人、アメリカ国外では9000万もの人々がテレビで観戦し、史上最も視聴されたスポーツイベントの一つといわれている。試合の結果は、キング夫人が6-4, 6-3, 6-3のストレート勝ち。この勝利は単なるスポーツの成果にとどまらず、女性アスリートの価値を証明し、社会全体に男女平等の意識を広める重要な瞬間となった。

この「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」の勝利は、その後の女子スポーツ界に大きな影響を与えた。この試合を契機に、女性アスリートに対するリスペクトが高まり、女性がスポーツ界や社会でより公平な扱いを求める機運が高まったのだ。

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筆者撮影

キング夫人はコート上で輝かしい実績を残しただけでなく、コートの外でも女子テニスの発展に大きく貢献した。彼女の尽力があったからこそ、今の女子テニスがあるのだろう。その功績は語り尽くせないほど深く、大きい。まだまだ知りたいことがたくさんある。ラケット好きの私としては、キング夫人が使っていた歴代のラケットも辿ってみたいものだ。


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