
サッカー日本代表の歴史を切り開いた守備の英雄ー功績から紐解く歴代代表メンバーとは【前編】
サッカー日本代表が初めてオリンピックに出場した時から見ると、今では半数以上の選手が海外でプレーする時代へと変わった。その歴史を語るうえで欠かせない名選手は数えきれないほどいる。今回は、彼らが残してきた功績から紐解き、筆者が思う最強の日本代表メンバーを選出していこうと思う。日本代表での出場試合数やW杯での活躍、クラブでの実績など、多角的な視点から歴代最強の布陣を探っていく。※トップ画像出典/photoAC

日本サッカーを支えたゴールキーパー川口能活
日本サッカー史において偉大なゴールキーパーといえば、川口能活の名が挙げられるだろう。日本代表として116試合に出場。抜群の反射神経と広い守備範囲、闘志あふれるプレースタイルで多くのサッカーファンを魅了し、数々の国際大会を経験してきた。1996年のアトランタオリンピックでは、ブラジル代表を破る歴史的勝利「マイアミの奇跡」に貢献した。1998年、2002年、2006年のワールドカップにも出場。1998年フランス大会では、日本代表が初のワールドカップ出場においてゴールを守り、印象的な活躍を見せた。また、2004年のアジアカップ準々決勝・ヨルダン戦では3本のPKをセーブ。2006年のクロアチア戦でも危機的状況の中で見事なセーブを見せるなど、幾度となく卓越したプレーで日本のゴールを死守。クラブでは、日本人ゴールキーパーとして初めて欧州リーグに挑戦し、次世代のゴールキーパーたちが海外へ進む道を切り開いた。川口がゴールキーパーというポジションの重要性を日本サッカー界に示し、後進の育成にも大きな影響を与えたことは間違いないだろう。
日本代表の不屈のエース長友佑都
今なお、日の丸を背負い戦い続ける長友佑都。日本代表として142試合に出場。無尽蔵ともいえるスタミナを誇り、90分間衰えない運動量と当たり負けしない強靭なフィジカルを武器にしている。攻守において献身的なプレーが光り、攻撃ではオーバーラップやクロスの精度、守備では1対1の強さを発揮する選手だ。2010年、2014年、2018年、2022年のワールドカップに出場しており、4大会連続で日本代表の主力としてプレー。ベスト8へ進出される難しさを体感しつつも、3度のベスト16も経験した。2010年の南アフリカワールドカップでの活躍が認められ、イタリアのACチェゼーナへ移籍。しかし移籍直後にイタリアの名門クラブ、インテル・ミラノへのレンタル移籍が決定。そして2011年イタリアでの初タイトルを手にする。インテルでは当初こそ控えが多かったが、徐々に実力を認められ、移籍半年後には完全移籍を勝ち取った。日本人選手としては異例の大出世であり、インテルというビッグクラブでレギュラーを確保したことは、日本サッカー界にとっても歴史的な出来事であったといえるだろう。その後はインテルに6年半所属し通算200試合以上の出場を達成。トルコやフランスにも渡り、世界トップリーグでのプレーを経験してきた。このキャリアは日本サッカー史においても特筆すべきものだ。
世界と戦い続けたディフェンダー吉田麻也
189cmという身長の高さを武器に、日本の守備を長年支えてきた吉田麻也。日本代表として126試合に出場。2014年、2018年、2022年のワールドカップでは主力としてプレー。2018年のロシアワールドカップでは、日本代表の守備の中心選手として出場し、チームのベスト16進出に貢献した。特に決勝トーナメントのベルギー戦では、世界トップレベルの攻撃陣を相手に奮闘し、日本の歴史的勝利まであと一歩という試合を演じた。2022年のカタールワールドカップでは、キャプテンとしてチームを率い、グループリーグでドイツ、スペインといった強豪国を破る快挙も達成。これは日本代表が初めてワールドカップで複数の優勝経験国に勝利した大会となり、吉田のリーダーシップが光った試合だった。クラブレベルでは、オランダリーグ(エールディヴィジョン)やイングランド(プレミアリーグ)、アメリカ(メジャーリーグ)でプレー経験を持っている。プレミアリーグのサウサンプトンFCで約8シーズンにわたりプレーし、プレミアリーグで200試合以上に出場。日本人センターバックとして、世界最高峰といわれているリーグで長年にわたりプレーし続けたことは、日本サッカー界にとっても大きな成果であった。キャプテンシーやリーダーシップにも優れており、クラブや代表チームで主将を務めることが多かった。その精神的支柱としての役割は、若手選手にとっても大きな影響を与えているに違いない。欧州のトップリーグを渡り歩いた彼の経験とリーダーシップは、日本サッカー界の発展に大きく貢献してきたといえる。
守備の礎を築いた名キャプテン井原正巳
「アジアの壁」と呼ばれ、卓越した守備力とリーダーシップで長年にわたって代表チームを支えた井原正巳。日本代表としては122試合に出場し、1998年のワールドカップにも出場。堅実な守備力を持ち、90年代の日本代表の守備を牽引した。1998年のフランスワールドカップにおいてもその実力を証明。当時の日本代表の強力な守備陣の要であり、対戦国の攻撃を数多く打ち破った。その存在感から日本代表は井原の守備を中心に構成されていた。井原はキャプテンシーにも定評があり、ピッチ内外でチームを牽引するリーダーシップを発揮していた。守備だけでなく、ボールの扱いにも優れており、攻撃の起点となるパスやビルドアップ能力にも長けていたため、ディフェンダーとしてはもちろん、ゲーム全体を見渡し、チームを組織的に動かす力も持っていた。井原のような守備に長けた選手が日本サッカー界に登場したことで、より高度な戦術やチームプレーが求められるようになったといえるだろう。間違いなく日本サッカーの礎を築いた選手であり、その偉業は多くのサッカーファンに語り継がれるべきものだ。
攻守両面で輝いた右サイドバック内田篤人
日本サッカー界を代表する右サイドバックとして、国内外で数多くの実績を積み上げた内田篤人。日本代表として74試合に出場。2010年と2014年のワールドカップにおいて、その貢献度は特に大きかった。内田は、ディフェンスラインの一員としての安定感が求められる場面で、常に冷静なプレーを披露。2010年南アフリカワールドカップでは、グループリーグを突破し、ベスト16進出を果たした日本代表として、豊富な運動量と強固な守備力で注目を集めた。また、内田はその冷静さだけでなく、個々の技術にも長けており、正確なクロスやボールさばき、攻守において発揮したスピードを活かして得点を演出。幾度となくチームを助けるプレーを見せてきた。クラブでは、ドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04での活躍が記憶に残っている。UEFAチャンピオンズリーグのベスト4進出にも貢献。その成果は、ドイツメディアやサポーターから高い評価を受け、「ウッチー」という愛称で親しまれる存在となった。ヨーロッパで成功を収めた日本人選手の中でも、注目すべき存在だ。攻守両面でのバランスを保ち続け、常にチームを支える存在であり続けた内田の功績は、日本サッカー界における重要なページとして、今後も多くの人々に記憶されるだろう。