『北島康介x伊調馨』JATO基調講演取材レポート!-前編-「怪我をして良かった」と考えるトップアスリートの心理とは?
日本大学で開催されたJATO設立20周年記念イベントの基調講演『Above and Beyond 2020 -2020の向こうに-』にて競泳で五輪2種目2連覇の北島康介氏とレスリング女子で五輪4連覇の伊調馨氏が登壇した。異なる競技で活躍する二人の視点から、トレーナーの重要性やスポーツ医科学サポートのあり方を中心に、今後の日本のスポーツ界の進むべき方向性について語った。
西村 真
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2017/03/24
本イベントの主催であるJATO(ジャパン・アスレティックトレーナーズ機構)は、アスレティックトレーナーの職能団体である。その設立20周年を記念してトークショーが企画され、北島康介氏(=日本コカ・コーラ/パフォームベタージャパン代表)と伊調馨氏(=ALSOK)が招かれ、今回初めてのツーショットが実現した。
トークショーでは和気藹々とした雰囲気の中、二人の知られざるエピソードも数多く披露された。
トークショーでは和気藹々とした雰囲気の中、二人の知られざるエピソードも数多く披露された。
ご存知、北島氏といえば、アテネ五輪及び北京五輪にて100m平泳ぎ、200m平泳ぎで金メダルを獲得した日本を代表する名選手だったが、現役引退後は最先端のトレーニング用品の販売やセミナー事業を行う米Perform Better社の日本法人代表として、また自らのオリジナルプログラムで指導するスイミングクラブ「KITAJIMAQUATICS」の運営、マネジメントやブランディングを行うIMPRINTの代表、東京都水泳協会の理事など、幅広く活動している。
一方、レスリング女子で前人未踏の五輪4連覇を果たした伊調氏は、引退はまだ表明していないものの、現役続行か引退かで揺れている。
長年日本のスポーツ界をリードしてきた二人にとってトレーナーとはどのような存在か、司会者からの質問に彼らは自らの経験談をもとに語り出す。
一方、レスリング女子で前人未踏の五輪4連覇を果たした伊調氏は、引退はまだ表明していないものの、現役続行か引退かで揺れている。
長年日本のスポーツ界をリードしてきた二人にとってトレーナーとはどのような存在か、司会者からの質問に彼らは自らの経験談をもとに語り出す。
Q. 長い競技生活を続ける上で、最も大変だったことは?
伊調:私が最も大変だったことは、やはり怪我ですかね。怪我をするとやはり練習できない。そして気持ち的にもモヤモヤしてしまう。「ライバルからも遅れをとってしまうのではないか?」と不安になってしまう。悪循環が生まれやすい環境でもあるので、怪我が一番怖くて。怪我は一番してはいけないというか、一番気をつけているポイントではありました。
伊調:私が最も大変だったことは、やはり怪我ですかね。怪我をするとやはり練習できない。そして気持ち的にもモヤモヤしてしまう。「ライバルからも遅れをとってしまうのではないか?」と不安になってしまう。悪循環が生まれやすい環境でもあるので、怪我が一番怖くて。怪我は一番してはいけないというか、一番気をつけているポイントではありました。
Q. 一番長い怪我は?
伊調:一番ショックだった怪我は、首のヘルニアです。練習中は髪を結ぶのですが、手を挙げることさえ痛くて、髪を結べませんでした。また、レスリングは結構頭を叩くのですが、その動作ですら痛くて、3ヶ月ぐらいはまったく練習をやらない状況が続きました。
Q. 徐々に戻していった?今はもう大丈夫?
伊調:はい。ただ休むと同時に、肩の周りや、全体的に体をほぐすということから始めましたね。
Q. 北島さんの場合は?
北島:僕は競技生活を貫くってあまり思っていなかったです。モチベーションを保つというか、そんな10年間も保てる選手なんて誰一人もいないと思うので。やっぱり怪我があったり、自分が思ったような成績を出せない時もあります。
そういう時に自分が本当に何をしたいのかとか考えたり、強い気持ちを持ち続けられたからレベルの高いところで泳ぐことができたのかなと思います。次の目標をきちんと立てることがモチベーションになりました。
そういう時に自分が本当に何をしたいのかとか考えたり、強い気持ちを持ち続けられたからレベルの高いところで泳ぐことができたのかなと思います。次の目標をきちんと立てることがモチベーションになりました。
僕は伊調さんみたいな大きな怪我はないのですが、怪我をしたり、自分の気持ちが高まらなくて練習に身が入らなかったりとか、そういうのは本当に日常的にありました。僕は常に高いレベルでいたいなと思った時、いかに試合に向けて気持ちを上げていくかが、どちらかというと大事でした。
Q. 1日1日、1試合1試合が勝負ということ?
北島:はい、そうですね。もちろんダメな試合もありましたけども。何かしらのテーマを持って挑みました。この試合は良いな、悪いなというのは大体感覚的に分かってくると思うので。
Q. 感覚で(結果が)分かる?
北島:はい、練習の過程ですね。僕ら(水泳選手)はどちらかというと勝負というより、記録が伴ってきます。ある程度記録をベースにした基準を作って、レース前に記録や基準が合致してくれば、頭と体の感覚が凄く合ってきて、「調子良いかな」って思ったりとか。凄く「調子良いな、調子良いな」と頭で思っていても、実際の記録は悪かったりすることもありました。
Q. 伊調さんは?
伊調:自分が納得のいくレベルにまでもっていけていない状態では試合に出たくないので。試合が決まった時点で、自信を持ってマットに上がれるように、調整や準備をしています…そのつもりです(笑)。
Q. 試合で上手くいかなかった時は?
伊調:勝った、負けたというより、中身にこだわっていたので、中身の時点ではできなかったこと、まだ練習不足で試そうと思ったけど勇気がなくて試せなかったこともあるので、そこは「まだ準備不足だったな」とか「もう1回最初から練習をやり直そう」とか。そこで一から計画を立て直せるのがまた試合なんじゃないかと。
Q. 怪我というのはお二人にとって自分を見つめ直すきっかけになりましたか?
北島:僕は怪我したら練習を休めるなと(笑)。モチベーションを上げてくれるのがここにいるトレーナーさんの役割だと(笑)。「こういう風にしたらもっと良くなるんだよ」と、リハビリやトレーニング方法をトレーナーさんから学びましたし、その中できちんと治っていく過程を知ることは、選手にとって大きな自信にもなります。
「こういう痛みがあるのだから、こういう風にすれば良いんだな」と。もちろん予防も大事ですけど、いざ怪我をした時にこういうトレーニングが必要なんだと自分の知識として身に付けることができたという意味では、怪我をして良かったなと思います。
どんなトレーニングや治療をしていくべきかを自分で考えられるようになったことが、長く選手生活を続けられた理由の一つだと思います。
Q. 伊調さんはヘルニアの怪我の時にどのように過ごしていた?
伊調:私は、もう「ヘルニア」と聞いた時点でショックが大きくて…リオ五輪から2、3年前ですかね。やっぱり練習が好きで、レスリングをやりたいので、それができなくなって落ち込みましたね。まずは治さなければいけないというか。
難しい怪我なので、少しでも良い状態にもっていけるように、トレーナーさんやドクターとも相談して、それに伴ってレスリングスタイルを変えていったのも怪我の功名というか、レスリングの幅を広げられたきっかけにもなりました。
Q. 高い競技力を維持する為に自身のスタイルは意図的に変えていった?
北島:もちろん変化は大事だと思っていて、色んなことにトライしました。トレーニングのやり方もトレーニングの中身も。僕は水中トレーニングが主だったわけですけど。
平井コーチのトレーニングは毎年アプローチの仕方が変わっていきました。
(伊調氏への質問として)怪我をしても、トレーニングしたいと思った?それは4連覇しますよね!(笑)。
伊調:怪我をしたことで、レスリングを休む時間ができて、身体を鍛えるトレーニングに励む時間が増えたり、ケアする時間が増えたり、トレーナーさんと話す時間が増えたり、自分を見つめ直す良い時間にもなりました。
そういう意味でいうと、怪我は悪いことばっかりではないです。競技に戻ったときに、改めて自分の身体の使い方が分かったりすることを通じて、「怪我をして良かったな」と思えるようになりました。
そういう意味でいうと、怪我は悪いことばっかりではないです。競技に戻ったときに、改めて自分の身体の使い方が分かったりすることを通じて、「怪我をして良かったな」と思えるようになりました。
Q. お二人が世界を意識したいつ頃?世界に行きたいと思ったきっかけは?
伊調:私は高校に進学した時に、大学生と一緒に練習していました。大学の先輩方が既に世界の大会で活躍していることが多かったので。「世界を意識した」というよりは、もう「そこに世界があった」という恵まれた環境でした。世界で活躍する先輩が多いというのもそこを選んだきっかけでしたね。
北島:僕は「五輪に行きたい」と思ったのは小学生の頃です。世界に出て勝負できるなと思ったのは2000年17歳の時のシドニー五輪の時ですね。それまでは五輪に行くことすら半信半疑の部分もあったと思いますし、自分が世界で勝負できるなと初めて実感できたのは一番最初の五輪の舞台だったなと。
Q. 世界で勝負できるなと思ったのは、どうやって?他の選手の動きをみて判断した?
北島:何でしょうね、多分2000年くらいの頃は世界に向けて勝ちに行くような練習はそんなしていなかったと思うんですよ。五輪に出るだけで満足していて。その結果が(4位と)良かったので、「このまま行けば俺世界一になれるわ」と(笑)。ただ、メダルまであと一歩の4番は悔しかった。もし最初から3番だったら今の自分はなかったと思いますね。
伊調:本当に環境的には恵まれていたと思いますし、先輩方が国際大会で(良い)成績を収めていたので、私も「この先輩から1ポイントでも2ポイントでも取れたら、私も世界に通じるんだ」というか、先輩をある意味計算機として捉えていました。彼らからポイントを多く取れるようになれば、もしかしたら自分も世界大会に出た時に通用するのではないか?というのは、高校生なりに思っていました。
Q. トレーナーや世界を目指すジュニア年代にできるアドバイスは?
北島:難しいですね。子供が何を感じて、何をみて、何を目標にしているのかが大事になってくると思います。忍耐強さ、我慢強さ等を学ぶことで、折れない心だったり、自分の記録が伸び悩んだときでも耐え凌ぐ力だったり、そういう強さをジュニアの時に自分は学んだ気がします。
今のジュニアの子どもたちの世代は色んな知識や情報が飛び交っていて、色んなものを取り入れやすく、僕が子供の頃とは違った情報量の中で何を選択すれば良いのか分からない人達が多くいると思う。もちろん競技によって違うと思いますが、効率の良い練習ばかりではなく、たまには効率の悪い練習もしてみて刺激を入れることも大事だなと僕は思っています。
伊調:本当に仰っていた通り難しいですね。子供一人一人というか、人間一人一人違いますし、感じることも違ってくるので。私の場合、今ではサポート体制が物凄く充実しているので、「あんなことがやりたい」「こんなこともやりたい」と自分からどんどん言っていけるんですけど、高校生のときは練習漬けの生活だったので、どんなサポートがあるかなんてまったく分からなかったんですね。
朝練して、学校に行って、帰ってきて午後練習して、夜戻って先輩のお世話をしてすぐに寝ないといけなくて、本当に毎日がそういう繰り返しだったので、どんなサポートがあるか、何が自分に足りないかを考える時間すらなかったです。
朝練して、学校に行って、帰ってきて午後練習して、夜戻って先輩のお世話をしてすぐに寝ないといけなくて、本当に毎日がそういう繰り返しだったので、どんなサポートがあるか、何が自分に足りないかを考える時間すらなかったです。
Q. 日本ではまだまだ少ないですが、アメリカでは統計的にみても複数のスポーツを掛け持ちをすることが当たり前になっています。伊調さんの場合は卓球部に所属されていました。
北島:え、僕も卓球部なんですけど(笑)。
伊調:え、本当ですか!?すごい。
北島:いやー、卓球だったら勝てるかもしれないですね(笑)。
伊調:私も卓球は県大会まで行きましたよ。
北島:マジすか!?(笑)。僕は小学生の時、ポロシャツ着ないといけなくてしっくり来なくて(笑)。伊調さんは他にどんな部活をされていたんですか?
伊調:3歳くらいからずっとレスリングはやっていたんですが、学校にレスリング部がなかったので、小学生の時は卓球部に入りました。
北島:レスリングの練習はいつ?
伊調:レスリングは週末だけです。土曜日と日曜日だけ、市の武道館に行って。
北島:毎日じゃないんだ?
伊調:はい、平日は学校の部活の卓球だけです(笑)。小学生までは土日レスリング平日卓球で、中学校も柔道部に入って土日だけレスリングです。
北島:柔道部!?
伊調:柔道部です。全国大会に行きました(笑)。
北島:いるじゃないですか、掛け持ちしている人がここに!柔道やってもめっちゃ強かったと思いますよ!たまに柔道やりたいとは思わないんですか?
伊調:思わないです…痛かったです(笑)。だって、レスリングは痛くないですよ。
北島:嘘だー!
伊調:痛くないです、痛くないです。柔道は投げられるから痛いじゃないですか、無理矢理?(笑)。そういうレスリングスタイルの方もいるので、そこは回避しないといけないですが。
後編につづく 3/27公開予定
■取材協力/ジャパン・アスレティック トレーナーズ機構
■文・写真/西村 真